22.親子喧嘩が激しい程に絆も深い
「皆、領主の死でそれぞれの役目を果たすため忙しく、見送りは私とサラだけになってしまいました」
「構わない。お前も忙しいなら無理して見送りなんてしなくてもいいんだぞ」
小鳥が囀る爽やかな朝。表で荷物をまとめながらクリストフが言った。
「それに、フィオールの指輪……本当にいいのか?」
クリストフが申し訳なさそうに言うと、フィオールも荷物をまとめるのを中断して顔を上げた。ニアは、悲しそうに笑う。
「指輪はフィオール様を選びました。これでよかったのです。大事なのは、心、ですから。指輪がなくとも、私の夫への愛は変わりません」
「…そうか」
クリストフは小さく笑ってニアが手配した馬に跨った。
「じゃあな、また会おう」
「本当にありがとうございました」
ニアがぺこりと頭を下げた。その目には涙が溜まって赤い瞳を艶めかせている。
「…クリストフ様、少しだけ……よろしいでしょうか」
クリストフが腰にぶら下げていた瓶を手に取り、頷く。少女はニアにその瓶を差し出した。ニアは悲しい顔をしながらそれを受け取り、瓶の中の蜥蜴を見つめる。
「…ニア、すぐに戻ってくる」
「ええ。この命の火が燃え尽きる前に、必ずお戻りになってくださいね」
「必ず」
ニアは唇を震わせて涙を流し、小さく笑った。そして、そっと呟いた。
「…火の妖精より、心ばかりの……祝福を……」
瓶の硝子越しに口づけをする赤い女と赤い蜥蜴。そこにいる誰もがゆっくりと流れるその時間の中で二人の幸せを願っていた。額縁の中の絵を見つめるような感覚。絵本でも眺めているような気持ち。切なく、そして、美しいそれを、静かに見つめていた。
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「なぁ、ヴィエラ神話ってどこの国の話なんだ?」
夜の墓地。墓の周りの草をむしりながらカイザは聞いた。少年の背後で同じく草むしりしていた彼女は小さく唸りながら言った。
「私の国では有名なお伽話よ。カイザ、知らないの?」
「知らない。名前の由来しか聞いていなかったから」
「そう。素敵なお話よ。カイザは戦士だから沢山の敵と闘うのだけれど、旅の途中でいろんなものに変身するの」
「…変身?」
カイザは眉を顰めて後ろをチラッと振り返った。内心、変な話だと思ったのだ。しかし、彼女は振り返ることなく楽しそうに話し続けた。
「そうよ。吸血鬼になったり、異国の怪物になったり。はたまた、心優しい天の使いになったり」
「…結局、その戦士は何者なの?」
「…それなのよ」
彼女の声が、低く濁った。その変化にカイザが振り返ると、彼女は空を見上げていた。
「私にもよくわからないの。でも、物語の最後はこう綴られていたわ。神が地上に残した宝を手にした戦士は、次の闘いの時まで長い眠りにつく。その時世界に夜が訪れ、戦士が眠る大地の裏では朝が訪れる……」
「裏って、この星は丸いんだろ? どこが裏?」
「昔はね、この世界は半球状だと思われていたのよ。その反対側、私たちが辿りつくことができない何かで隔たれた大地が裏だとこの物語は言っているの。そして、戦士が眠りにつく場所は”運命の至るべき場所”と呼ばれているわ」
「運命って、戦士の?」
「さぁ。きっと、そこでの彼が本来の彼なのよ。あるべき姿、望んだ形で彼は長い眠りにつく。次の闘いが始まるまでね」
この時やっと、彼女はその頬笑みを少年に見せた。少年は疲弊しきったような表情でむしった草を集めだした。
「よくわからない話だな」
「そうね。でも面白いわよ? 人魚に食べられそうになったりするんだから」
「人魚って人を食べるのか?!」
少年は驚いて集めた草を蹴散らしてしまった。彼女は再び小さく唸りながら考えている。
「その時戦士は異国の怪物だったから……人魚は怪物を食べるってことになるわね」
「よくわからない……」
「家に行けば本があるけど、読んでみる?」
「…読んでみたいけど、ちょっと緊張する」
突拍子もない物語に変にドギマギしている少年を見て彼女は笑った。そんな彼女の笑い声を背中に聞きながら、カイザは草むしりをしてすっきりした墓石を見つめた。
「…なあ、ミハエル」
「何?」
彼女は笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら振り返る。少年は彼女に背を向けたまま、俯いた。
「俺、今は何なんだろう」
「……」
彼女の表情が、真剣になる。
「貴族だったのに、盗賊になって。今はミハエルと一緒に墓守みたいなことしてる。俺って、何者なの?」
「…私も、今は墓守だけれど昔は違ったわ」
少年は振り返った。彼女は優しく笑って、言った。
「みんな、そうして新しい自分と巡り合いながら毎日を生きている。そんなものよ。カイザだって、いつまでも盗賊でいれるわけじゃない」
「…俺も、戦士になれる?」
「なってるじゃない」
自信満々な彼女の言葉に、カイザは首を傾げた。
「あなたはもうとっくに、戦士なのよ」
意味がわからなかった。いつもは幼いカイザにもわかるよう沢山のことを教えてくれていた彼女の言葉が、その時ばかりはわからなかった。しかし、カイザは感じていた。微笑む彼女の眼差しが、自分の向こうにいる知らない誰かを見つめているような違和感を。そこにいるのが、”運命の至る場所”へ辿り着いた人物なのだろうか、なんて思いを巡らせてみるカイザ。それでも、やはりわからない。彼女も、何も言わない。誰を見つめているのか、誰を戦士だと認めたのか、わからないままに月は傾く。
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北の入り口、ベリオット。職人の街と呼ばれるそこは、失われた技術を取り戻そうとする異端者達が集まる別名ロストスペルの都。
「着くぞ!」
クリストフの目に、その門が映る。そして、一つの人影も。門に近づくにつれて、その人物の表情が明確になってゆく。カイザとフィオールが、あ、と小さく声を出した。
「ガトー!」
「お久しぶりですね、皆さん」
門に着くなり馬から飛び降り、再会を喜ぶフィオール。ガトーは相も変わらず穏やかに出迎えた。
「遅くなってすまないな」
「いえ、俺もここへ着いたのは2、3日前ですし」
クリストフも馬から降りてガトーに歩み寄る。カイザもミハエルを背負ったまま、3人に駆け寄った。
「何でガトーがここに?」
「山賊共を粗方まとめて一仕事したら、ここで落ち会えるよう約束をしていたんだ」
クリストフがガトーの肩を叩いて笑う。その様子はまさに親子。よく見れば顔も似ていることにカイザは気付く。そして、もう一人、不穏な空気に気付いた男がいた。
「…何やってんだ、お前」
フィオールの視線の先をカイザが見ると、馬に跨ったままニコニコと剣を抜いているシドがいた。カイザは呆れたように言った。
「大丈夫だよ。ガトーは味方だから」
「カイザの味方でも僕の敵かもしれないでしょ?」
面倒な奴……自分も昔はああだったかもしれない、と、カイザは思った。その後ろでは、ガトーがクリストフにシドのことを聞いていた。
「…ああ、あの時の殺し屋ですか。いつぞやの無礼をここで悔い改めていただいても?」
ガトーが笑顔で槍を構えたがために、カイザとフィオールはぎょっとしてあたふたと二人の間に割り込んだ。
「ガトー! もうあいつは反省してるから! 今は俺らの下僕だから!」
フィオールが身振り手振りでガトーに弁明をする。ガトーは、そうですか、と言って大人しく槍をしまった。
「シド! 何でそうお前は血の気が多いんだ! 俺が許可するまで武器を握るのは禁止だ!」
カイザが武器を取り上げて叱りつける。シドは少し不満そうにしながらも小さく頷いた。なんとかその場をおさめた二人はホッと肩を撫で下ろす。クリストフはそれを見て笑っていた。
「いいなぁ、お前ら。楽しそうで」
「楽しくねぇよ!」
笑う少女に腹を立てるフィオール。一瞬即発の北の入り口で、ガトーと一人の少年を除いた3人は喜ばしい再会を果たした。
「…これは」
ベリオットの宿で瓶の中を凝視するガトー。
「蜥蜴だ」
「私はルージュです。」
窓際で煙管を咥えるクリストフを瓶越しに見るルージュ。
「はぁ……喋りますね、この蜥蜴」
「反応薄いな、お前」
ベッドでぐったりしながらフィオールは小さく笑った。
「で、彼をダンテ様に見せなくてはいけなくなったんですか」
「そういうことだ。ノーラクラウンで面倒事にも巻き込まれてな」
ふっ、と煙を細く吐きだし、クリストフはノーラクラウンでの出来事をガトーに話した。すると、ガトーは難しい顔をして、言った。
「それは、ダンテ様の身が心配ですね」
「ああ。急いで探しだしたいところなんだが……あのツチノコ女はいつ姿を現すのやら」
クリストフが面倒くさそうに煙管を振りまわす。
「実は、俺もその烏天狗の男……蘭丸、といいましたか。彼の噂を耳にしました」
「蘭丸が? なんて」
クリストフはガトーが座るテーブルに駆け寄った。ぼんやり聞いていたフィオールも勢いよく身体を起こした。
「それが、ノースに向かっていたバンディの盗賊団が伝承者と名乗る東の国の男に襲撃されたらしいのです。なんでも、化け物のような強さで、その顔を覆う面も鳥の化け物であったと。きっと彼でしょう」
「バンディがノースに?」
フィオールが聞くと、クリストフが顔を顰めて言った。
「ノースはエドガーが生前住んでいた街だ。おそらく、鍵の手掛かりを探しに行ったんだろう」
「その鍵についても、彼は言葉を残して行ったそうで……」
ガトーは一枚の紙切れをテーブルに出した。フィオールもそれを見ようとテーブルに歩み寄る。
「…なんだ、どういう意味だ」
「わかりません」
クリストフとガトーが紙切れを見つめたまま固まる。フィオールはそれを見て、ソファーに座っているミハエルを見た。その寝顔はいつ見ても飽きない程に美しい。死んでいるとは思えない。思えないのだが、脈拍も、呼吸も止まっている。それは確かなのだ。確かなはずなのだ。
「おい、蜥蜴。お前は何を知っている」
「ルージュです」
クリストフは瓶を持ちあげ、中のルージュを睨んだ。
「お前らは確か、火の精霊と繋がりがあるだろ。そいつに会わせろ」
「私もお会いしたことがありません」
「あたしのところには土の精霊がきたぞ。名も名乗って、あたしにクリストフという忌々しい名前も与えて行った。姿は見ていないが、実在する。会わせろ」
「精霊は神と同じく神格化された妖精です。その存在はほとんど概念に近く、あなた方が接することができたのは神の寵愛を受けたからに他なりません。地に縛り付けられた妖精がお呼び立てすることなど、不可能です」
ルージュはぷいっとそっぽを向いた。その瞬間、ガトーとフィオールには少女の中の何かがぶち切れる音が聞こえた。
「本気だせ! 本気! 長のせがれだろ!」
「あなた様の方があのお方達に近いのですから、クリストフ様が本気を出されたらよろしいでしょう!」
「こん…っの蜥蜴……焼いて食うぞ!」
「私は火の妖精ですよ、焼けるはずがないでしょう。」
「もういい! 踊り食いしてやるこいつ!」
瓶をテーブルに叩きつけようとするクリストフをガトーが抑えつけた。がちゃがちゃとテーブルの上が荒れる中、フィオールはじっとミハエルを見つめていた。
ーー?……エドガー様に用意したものですからーー
ニアのあの言葉の意味が、この紙切れに記された言葉なのか。
「ただいま!」
「さっびー……」
元気よく部屋に飛び込んできたシド。ガタガタ震えながら、カイザもその後に続いて入室した。シドは羽織をひらひらさせてぼうっとしているフィオールの前に立った。
「カイザが買ってくれた羽織とブーツだよ」
「あ、ああ……似合ってるな。それよりお前、そのぶっ壊れた手枷外さねぇの?」
シドは手首に巻きつく鉄の塊を見つめて、忘れてた、と笑って見せた。フィオールは呆れながら、カイザに取ってもらえ、と言った。
「何してんのお前ら。廊下まで騒ぎ声が聞こえたぞ」
カイザは椅子に腰かけて羽織にくるまり、ギャーギャーと騒ぐクリストフとルージュを見た。ガトーが困ったように笑い、言った。
「すみません、母がヒステリ-を」
「なんだと?!」
クリストフの矛先が、ガトーに向いた。
「カイザ、取って」
「ん? あー、忘れてたな」
クリストフの罵声が響き、がっちゃんがっちゃんと物が飛び交う音がした。フィオールは瓶を抱えてソファーの裏に避難している。
「よし、取れた」
「やったぁ、軽いよ」
「よかったな、って……あれ。テーブル」
作業を終えたカイザが部屋を見渡すと、そこは強盗に入られたのではないかと思うほどに荒れていた。割れた窓ガラスに付属の花瓶。ひっくり返って箪笥に寄りかかるテーブルに、足が折れた椅子。そして、天井に突っ込んだ頭をひっこ抜こうとしているのか、宙ぶらりんになってもがくガトー。
「…本当にお前ら何してんの」
肩で息をして立ち尽くすクリストフを見つめて、カイザが言った。すると、クリストフは額を抑えて、静かに言った。
「…逃げるぞ」
「「…は?!」」
ソファーの裏から身を乗り出すフィオールと椅子から転げ落ちそうになるカイザ。身軽になって喜んでいたシドも動きを止めてきょとんとしていた。
「早く荷物まとめろ!」
「ガ、ガトーは?」
フィオールが指差す先には、天井に首だけでぶら下がるガトーがいた。
「大丈夫です! 先に行ってください!」
天井裏で声を響かせるガトー。シドはそれを見て笑っていた。
「悪いな、息子よ」
「本当にお前は母親か?!」
身動き取れない息子を置き去りにして窓から颯爽と逃げ出すクリストフに、フィオールが叫ぶ。
「忘れ物ないか?」
「うん」
シドの身の回りを確認し、ミハエルを背負うカイザ。彼を横目に、茫然と立ち尽くすフィオールは言った。
「…お前らも冷静だな」
カイザはシドの手を引き、窓枠に足を掛けて言った。
「まあ、こんなにしてしまっても弁償できないからな。逃げるが勝ちだ」
「格好いいこと言ってるつもりか? ふざけてるのか?」
「お前の言うとおり冷静なんだよ」
カイザとシドもひらりと窓から外へ消えた。瓶を抱きしめてガトーを見つめるフィオール。
「…大丈夫か?」
「は、はい! もう少しで、外れ、ますから!」
ぐいぐいと首を引っ張っていたガトーが、今度は天井を殴り始めた。抜くのを諦めたらしい。
「…行くか、ルージュ」
「はい」
フィオールも荷物をまとめ、部屋を出ようとした。
「……」
去り際に、先程ガトーが出した紙切れを拾い上げたフィオール。それをじっと見つめ、ポケットにしまった。そして、瓶を抱えて窓枠に足を掛け、天井に罅を入れるガトーを見た。次、ああなるのは自分かもしれない、と死の覚悟にも似たような切ない眼差しで。