1.首謀者はその計画を隠したまま眠る
月が満ちる日から一ヶ月と数日前の話だ。
「カイザ、ちょっとこい」
盗賊の一団で埋め尽くされた騒がしい酒屋の一角で、男はカイザを呼びつけた。カイザは一緒に食事をしていた仲間と目配せをして、席を立つ。
「なんですか、マスター」
「お前、明日からウェルスに向かえ」
ウェルスは盗賊団のいる街から北へ真っ直ぐ行ったところにある港町だ。
「俺、1人でですか」
「そうだ」
マスターと呼ばれる男はカイザと視線を交えることなく酒瓶を手にした。カイザは普段と違う雰囲気に少し戸惑い気味だ。いつもなら豪快に笑って仕事へ送り出してくれるはずなのに……ましてや一人で長旅に出されるのだ、カイザの心には一抹の不安が過る。危ない橋を渡らせて自分を始末するつもりなのではないか、と。
「……なんだ」
浮かない顔をするカイザに気づいたマスター。そこでやっと、二人の目が合う。その時、カイザは少し安堵した。マスターの目にはなんの悪意も感じなかったからだ。こんなゴロツキの一団だ、上も下も感情剥き出しで考えていることが顔に出る連中ばかり。表情を見れば何を思っているかがある程度わかる。
「いえ、なんでも……」
安堵はしたものの、疑問が芽生えた。マスターは何やら複雑な表情をしていたのだ。心配しているような、覚悟を決めたような。今まで見たことのないマスターが、そこにはいた。
「…そうか。で、仕事の内容だが……」
「はい」
「墓荒らしだ」
マスターはカイザと目を合わそうとしない。カイザは、マスターから目が離せない。
この一団に置いて、盗みと墓荒らしは新人の仕事であり、決して入団して15年経つカイザに回されるような仕事ではなかった。そのうえ、カイザはミハエルと出会ってから墓荒らしはしていない。彼女との約束を守り続けていたのだ。それが、古株になった今になって破綻しようとしている。
「…なんで、俺が?」
「……」
「マスター!」
マスターは酒瓶を片手に黙り込む。カイザが不満に思うのも当たり前だ。しかしこの沈黙の間、役不足だと怒る彼に対する謝罪の
言葉を選んでいたわけではない。
「…暴く墓は、」
約束を破れと言われて動じている彼のことを面倒くさがっていたのでもない。
「クロムウェル家の墓だ」
過去を捨てた彼のことで悩みに悩んだほんの数秒……それが、あの沈黙だ。
カイザは荒くなる息を抑えながら、マスターを見つめる。まだ事を把握しきれていないがために、少し混乱していた。
一人の長旅を強いられ、墓荒らしを任され、その目標がクロムウェル家の墓だと言う。
何故、クロムウェル家の墓荒らしを自分が?
カイザはまだ落ち着きを取り戻したわけではなかったが、頭に浮かんだ疑問を言葉にした。
「なんで……俺がしなくちゃいけないんですか」
言葉にしてみると先程怒りのままに口にした質問と内容は変わらない。しかし、今度は意味合いが変わってくる。
「俺がクロムウェル家の人間だったってこと、わかってて言ってるんですか」
そう。新人の雑用をクロムウェル家の人間だったカイザにあえてやらせようとするマスターの意図を、聞いているのだ。
マスターは眉を寄せて、重たい口を開いた。
「…わかっている」
「だったらなんで……!」
「その墓の下に埋められたのが、行方不明だったクロムウェル家の長男坊だって情報が入ったんだよ!」
マスターが声を荒げると、騒がしかった店内がしんと静まり返った。
「行方不明の……長男?」
「…お前だよ」
カイザは首を小さく横に振りながら、力なく笑った。
「そんな……身代金を払ってもらえずに、俺は捨てられたって……」
「俺だって、わけがわからねぇんだよ。お前の墓が建てられたのは5年前。それまで行方を捜索されてたんだ、お前は」
捨てられたわけじゃなかった。自分の家族はずっと探してくれていた。それなのにどうして、墓ができているのか。それも5年も前に。自分は今も、生きているのに。
「情報屋もクロムウェル家の話になるとどうも話が噛み合わなかったんだ。だから、お前自身の目で見て……」
それは、一瞬の出来事だった。注目を浴びる静まりかえった空気の中、カイザはマスターの心臓にナイフを突き立てた。吹き上がる血しぶきと、どよめく店内。
「カイザ! てめぇ何したかわかってんのか!」
「マスター、マスター!」
既に死んでいるというのに、必死に呼びかける団員達を見てカイザは笑った。
「どうして……俺をここに留めたんだよ。身代金でもなんでももらえばよかっただろ。貰えないなら、殺せばよかっただろ! そしたら、そしたら俺は……」
マスターの死に逆上した者共が一斉にカイザへと襲いかかる。カイザはそれを軽々と避け、マスターが飲みかけていた酒瓶を手にしてテーブルの上に立った。
「お前らのせいで……お前らのせいで俺は亡霊になったんだ! 皆、道連れにしてやるよ!」
カイザは酒瓶を叩き割り、そこに蝋燭を一本、落とした。その瞬間に炎は勢いよく天井まで伸びて、店内は逃げ惑う盗賊で溢れた。カイザはテーブルに並ぶ酒瓶を狂ったように放り投げる。壁や天井、逃げようとする盗賊は酒にまみれ、火は勢いをつけてゆくばかり。盗賊達は一つしかない出口に向かってなだれ込み、仕舞いには殺し合いが始まった。その時、カイザは出口から離れたテーブルに立ち尽くし、火に取り込まれようとしているマスターの死体をじっと見つめていた。
カイザにとって、盗賊団で過ごした十数年は常に気を張る安らぎのないものであった。家に帰れないかもしれないという恐怖と闘う幼き日々、悪事に手を染めねば生き抜けない少年時代、いつ殺されるかわからぬ日々に怯える青年期。炎に巻かれ、地獄絵図のような殺し合いを目の前にしてカイザはやっと、張り詰めていた糸から解放されたのだ。いや、マスターを一突きにした際、既に糸は切れていたのかもしれない。
「…カイ……ザ……」
弱々しく自分を呼ぶ声に、放心していたカイザは我に返った。辺りは火の海。その中でユラユラと争う盗賊達の姿が見える。誰も、カイザの方など見ていない。
「…カイザ……」
声の主は、マスターだった。彼はまだ生きていたのだ。カイザは少し驚いたが、もう虫の息であることを察するとマスターに歩み寄った。マスターを見下ろすその顔は何の色もない、無慈悲な笑顔。
「…なんですか、マスター。苦しいんですか?」
「カイ……ザ……」
「楽にしてあげますよ」
カイザがナイフを振り上げると、マスターは血を吐きながら言った。
「マザー・クリストフに……会え。リノア鉱山を仕切ってる……山賊の……」
「だから、なんで、俺が?」
カイザは鼻で笑った。そんなカイザを真っ直ぐに見つめて、マスターは静かに涙を流す。
「行けば……お前の力に……」
「俺の力って、今更何をしてくれるっていうんですか。俺はね、死ぬんだ。あんたと一緒に」
マスターの涙を見ても、カイザは煙で濁った目をして口元だけで笑うばかり。それでもマスターはカイザに語りかけた。段々と細くなる声。彼の命の火は徐々に小さくなってゆく中、二人を覆う炎は勢いを増してゆく。
「お前の両親は……お前を、捨てた」
「さっきと話が違うじゃないですか」
「真実を……その、手で……その目で……」
真実……カイザにとって、それはもう興味の無い物だ。盗賊になった頃から、真実などどうでもよかったのだ。むしろ、知りたくなかった。カイザの顔から笑顔が消える。
「どうしていいのか、迷ったんだ……馬鹿な俺でも」
初めて見る、マスターの涙。
「すまな……い、カイザ……頼りない、マスターで」
初めて聞く、マスターの弱気な言葉。
「…やめてください」
カイザは泣きそうになるのを堪えてマスターを睨んだ。何故、泣きそうなのか……彼自身、理解できないでいた。自分に対する困惑が、カイザの胸をざわつかせる。そんなカイザを見つめ、マスターは……
「生きろ……カイ……」
「やめろ!」
カイザはナイフでマスターの喉を突き刺した。震える手で、深く、突き刺した。固く瞑った目をそっと開き、マスターを見る。光を失った目は悲しそうに、カイザを見つめていた。
「そんな顔をされたら……恨むのを躊躇ってしまうじゃないですか、マスター……」
カイザは涙目になりながら、悲しそうな笑顔を浮かべた。
もう、出口もない。周りは赤一色に染め上げられた。カイザは崩れ落ちようとしている店内を見渡して、立ち上がった。
「……もう少し、生きてみます」
何故、泣き出しそうなのか。何故、こんな言葉が口から出たのか。何故……マスターに言われるがままに生きてみようと思ったのか。カイザはわからない。
燃え盛る炎の中、夢中で外へ飛び出した。服に燃え移った火を地面に転がって叩き消し、ふと、顔をあげた。
暗闇で空高く燃え上がる炎。火の粉がキラキラと散って、煙が空を赤黒く染める。マスターを、燃やしてゆく。
「…カイザ!」
「生きてやがった!」
火事で騒々しい店前にいた残党が、カイザを捕らえようと向かってくる。カイザは人混みに紛れてその場をやり過ごした。
「この火事ってあの盗賊団がやったのか」
「酷いことするよ、あのゴロツキ共」
「この際だ、兵隊さん達に頼んでみるか。盗賊を根絶やしにしてください、ってよ」
住民達の怒りの声を聞きながら、カイザは街を出た。
生き残ったところでクロムウェル家には戻れない。行くあてもない。人々に忌み嫌われる盗賊なんて。
カイザは、とぼとぼと森を歩きながら決意した。何も失う物のない自分だ、せめて自分の墓とやらくらい、拝ませてもらおう。両親が自分を愛してくれていたという証を目に焼き付けてから死のう、と。
そして彼は、ミハエルと再会するのである。クロムウェル家の自分の墓で、エドガーと名付けられて埋葬された彼女と。結局、カイザはマスターの言っていた通りに真実を探すことになる。暗闇の中、手探りで手繰り寄せるそれが一本に繋がっているとも知らずに……追憶の彼女を追いかけ、生きろと言われた意味を探す。意味なんてものに固執して運命に踊らされるカイザが、マスターの言葉の意味を知るのはもう少し後。それまではただ、冷たくなったミハエルと……無言の道中。