16.たとえそれで世界が終ってしまったとしても
「おい、まだか」
「もう少しだから急かすな」
塔の前で伸びている兵士を足蹴にしてクリストフが苛立っている。カイザは門の鍵を開けようと何やら作業をしていた。
「早くしろよ、待つのは嫌いなんだ」
「静かにしろ。手元が狂う」
クリストフは深く溜息をついた。
「こんな門いつもなら叩き割ってるのに……」
「そんなことしたら目立ってしょうがないだろ」
カイザが気だるそうに作業を続けていると、大きな南京錠がガチャリと音をたてた。
「…開いた」
「よし」
クリストフが慎重に門に手をかけた。男二人でも開くか不安になる大きさだが、少女は難なく押し開く。カイザはもうその光景に慣れてきたのか、開門は少女に任せて隙間の向こうをじっと見つめている。
「待て」
「なんだよ!」
少女が手を止め、カイザを睨んだ。
「人が来る」
カイザの言葉に、少女も隙間から中を覗き見た。塔から出てくる兵士が一人、こちらへ向かってくる。
「来るぞ、とりあえず寝てもらうか?」
「馬鹿! 門を閉めろ!」
馬鹿呼ばわりされて渋々クリストフは音をたてないように閉め、開かぬように抑えつけた。
「どうすんだよ」
「こいつらは門の鍵を持っていなかったし、開閉の申し出はできない。おそらく、外への伝言だ。やり過ごす」
カイザとクリストフは息を潜めて兵士が来るのを待った。そして、門を叩く音がした。
「……」
「…おい、返事をしろ」
中から呼びかけられ、クリストフはカイザの頭を殴った。
「は、はっ! 失礼いたしました!」
カイザは頭を抑えながら返答する。
「しっかりしろ。最上階より伝言だ。サラ様がご懐妊なされた。国王陛下にそうお伝えしろ」
カイザとクリストフは顔を見合わせた。
「か、かしこまりました!」
カイザが返事をすると、兵士が去ってゆく足音がした。
「…サラ様って、」
「様付けするんだから、ニアの娘のことじゃないのか?」
クリストフが、眉を顰めて言った。
「懐妊って、父親は誰……」
「あー、そうだ」
兵士の声にカイザは慌てて言葉を飲み込んだ。
「医師が城へ戻る。鍵番も呼んでおけ」
「はい」
そして、兵士の足音は遠くなり、聞こえなくなった。
「これから医者も来るぞ。門番を伸すのは医者を通してからの方がよかったかもな」
カイザがうんざりした顔で言うと、クリストフは門をゆっくり開き始めた。
「いいだろ、娘の居場所も明らかになったことだし。さっさと助けてずらかる」
「はいはい」
人が通れるだけ開くと二人は中には入り、クリストフは門を閉めた。そして、塔の入口へと駆け寄る。
「どうだ」
「今度は中から閉まってる。南京錠が……3つ。一つは複雑に鍵と絡まってる」
扉の隙間を覗きながらカイザは言った。クリストフは渋い顔をして舌打ちした。
「開くか?」
「やれないこともないが……」
カイザは扉から離れて塔を見上げた。
「あそこから入る方が早い」
カイザが指差すのは、塔の中間門側にポツンと一つだけある小さな窓。
「じゃあそっから……」
「でも、たぶんあそこは看守室だ。飛び込んでったら大騒ぎになる」
クリストフは腰に手を当てて溜息をついた。
「盗賊ならなんとかしろ」
口元に指を当てがうカイザがクリストフを睨んだ。
「それを今考えてんだよ。山賊ならどうするんだ?」
「普段ならバーンと入って脅しつけてる」
カイザは少女と初めて出会った時のことを思い出した。
「…つまり、考え無しに突っ込むと」
カイザの言葉にクリストフの目つきが鋭くなる。
「考え無しとはなんだ。山賊はお前ら盗賊なんかと違ってコソコソしないんだよ」
「それが考え無しって言うんだ。無鉄砲とも言う。簡単に言えば馬鹿」
「あー……その綺麗な顔をボッコボコに殴りたい」
クリストフはカイザに背を向けて貧乏揺すりをし始めた。そんな少女を他所にカイザは塔を見上げて考え込む。医者が降りて来るとなると鍵を開けている時間はない。医者を出してまた鍵を閉める兵士もいるだろうから入れ違いに入るのも難しい。門番に変装するにしても、やり過ごして鍵を開くにしても、三つの南京錠が行手を阻む。その上、城と反対側である門側には看守室と思われる窓しかない。
「…医者が来るぞ」
苛立つクリストフは、腕組みをして貧乏揺すりをするばかり。カイザは無言で塔を見上げるばかり。
ミハエルの横に腰掛け、膝に頬杖をついて貧乏揺すりをするフィオール。じーっと火の門があった場所を見つめていた。
「随分と苛立っているご様子ですね」
フィオールがふと横を見ると、ニアが盆を持って立っていた。盆には透明な水が入ったコップが二つ、並んでいた。
「苛立ってるわけじゃあ……」
フィオールは再び前を見た。
「そのわりには、落ち着きがありませんよ?」
ニアの言葉に、フィオールの貧乏揺すりがピタリと止んだ。ニアはクスクスと笑いながらフィオールに水を差し出した。
「…ありがとう」
フィオールはそれを受け取った。ニアはもう一つを手に取り、ミハエルの横に置いた。
「ニアが飲むんじゃないのか?」
「?……エドガー様に用意したものですから」
首を傾げてニアは微笑む。フィオールも釣られて首を傾げ、そう、と呟いた。
「クリストフ様が、心配ですか」
フィオールはコップを落としそうになり、慌てて両手で持ち直した。
「し、心配とかじゃなくて!」
「恋仲なのでしょう?」
ニアの微笑みに、フィオールは言葉を失ってしまった。困った顔をして、水を一口飲み込んだ。
「…心配、とかじゃないんだ。ただ、なんか引っかかって……」
「恋仲は否定なさらないのですね」
フィオールはうなだれて力無く呟いた。
「しないけど、まだハッキリした関係とも言えないから勘弁してくれ」
ニアはクスクスと小さく笑う。
「ごめんなさい、とても仲がよろしいようでしたので……」
「女の勘は鋭いな」
フィオールも、小さく笑った。そして、風が吹き抜ける森の影を見据えた。
「…俺、いいのかな、ここにいて」
「女性の誰もが守ってもらうことを望んでいるとは限りません」
何故か得意げなニア。フィオールは視線を空へと移し、言った。
「そうだよな……あいつは自分で自分の身を守れる」
ニアは、真剣な表情でフィオールの横顔を見つめた。彼は呆然として空を仰ぐばかり。
「何も、わかってらっしゃらないご様子ですので、恐れながらも言わせていただきます」
フィオールがニアを見ると、ニアはその赤く艶めく唇を一文字にして彼を見つめていた。それが、ゆっくりと動き出す。
「自分を愛してくださる方がいる、苦しい時に支えてくれる方がいる、喜びを分かち合える方がいる……それだけでいいのです。難しく女だの男だのと考える必要はないのです。互いに、そういった相手であれば」
「……」
「クリストフ様のような高貴なお方ならなおさらのこと、守ってくださる男性より、ただ一向に愛してくださる男性が恋しいのです」
「……」
フィオールは目を点にしてニアを見つめていた。微動だにせず、じっと。ニアは彼がなんの反応も示さないので、何やら不安になっておろおろし始めてしまった。
「あ、あの、お気に障ったことを……わたくし」
「…いや、ありがとうな、ニア。おかけで目が覚めた」
フィオールは勢いよくコップを置き、立ち上がった。帽子に手を添えてかぶり直し、決意めいたような強気な笑みを浮かべている。ニアは何がなんだかわからず、困った顔をして彼を見上げていた。
「やっぱり、ここにいちゃいけねぇんだよ、俺」
「え?」
「ニア、門を開けてくれ」
フィオールは商売道具が詰まったいつもの荷物を手に、歩き始めた。
「ま、待ってください!」
ニアが止めると、フィオールが振り返った。
「わたくしの話、ご理解いただけたのではなかったのですか?!」
「した」
「でしたら、何故行くのです! クリストフ様はあなたがいてくださるだけでよろしいのですから、あの方を信じてここで……」
「俺がここに残ったのは作戦上の理由だ。あいつがどうこうなんて話じゃない」
フィオールは、何処で覚えたのか不敵な笑みを浮かべて言った。
「カイザはエドガーのために、クリストフは世界のために、俺はあいつらと生きていく道を探すために旅をしてるんだ。今ここで留守番なんかしてても、俺の旅の目的は果たせない。あいつらと生きるか、あいつらと死ぬかのどちらかでしか、終われないんだよ」
「だから、ご自分のお役目を放棄するとおっしゃるのですか?」
ニアは驚いたような顔でフィオールを見つめる。彼を哀れだとか、滑稽だとか、そんな眼差しではない。
「一人生き残ったところで、あいつらと生きてくための俺の旅は意味を成さないだろ?だから行く。エドガーや世界を背負うあいつらには悪いが……俺は、俺の目的のために動く」
ニアの眼差しは、尊敬の眼差しだった。いや、共感とも言える。命と夫を秤にかけて、彼女は夫をとったのだから。
ニアが涙目になって見つめていると、フィオールは何かを思い出したかのように青ざめてゆく。
「あの、何か?」
「いや、作戦なんてくそくらえだーなんて言って俺が留守番放棄したら後が怖いなと思って。クリストフのゲンコツ痛いんだよ」
身震いをして怖がるフィオールを見て、ニアはクスクスと笑った。あいつらが死ぬなら俺も死ぬ、なんて言っておきながら死ぬことなんて毛頭にない彼。あの二人を心底信頼している。してはいるが、彼にとっては共に生きてゆくことにこそ意味がある。保険のお留守番なんて彼にはなんの価値もない。
「…わかりました」
ニアは涙を流しながら笑う。
「門を開きましょう」
「おう、よろしく」
「その前に……」
ニアは、にっこりと笑って立ち上がった。
「わたくしから、せめてもの贈り物をさせていただきたいのですが」
首を傾げるフィオール。ニアは、ニコニコと微笑むばかり。
「…一か八か」
苛立ちがピークに達しているクリストフは、呟くカイザを横目に睨んだ。
「で、どうする」
「その前に」
カイザは塔の天辺から目を逸らしてクリストフを見た。
「お前ってどのくらい強いんだ?」
「象5、6頭よりは遥かに強いな」
「…よくわからない。一個小隊相手にできるか?」
「なめるな。小隊なぞ秒殺だ。」
「へぇー……」
カイザは再び塔を見て、言った。
「じゃあ、始めようか」