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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆パリス〜巫女の森〜
155/156

154.巡る指輪が永遠の愛を語るから

「蘭丸!」


 先程まで憎しみを露わに対峙していた男だというのに……心の奥底から湧き上がる言葉にし難い感情が、少女の足を前へと踏み出させる。

 少女の呼声で苦し気に頭を上げる蘭丸は、慌てたように立ち上がって駆け寄ってきた少女を抱きしめる。そして、地面に掌を翳して空高く飛び上がった。その瞬間、二人の真下は激しい炎に包まれる。

 驚いた少女が蘭丸の腕の中で下方を見下ろす。炎をキラキラと反射する蘭丸の結界。その向こうに、炎の中で向かい合う二つの影が見えた。


「俺の女に手出すんじゃねぇよ……」

「……死に損ないが」


 アダムの大剣を罅割れたアーマーで受け止めるフィオール。アダムは大剣を切り上げるように捻り、後退するフィオールに突き付ける。


「フィオール!」


 クリストフが身を乗り出すが、蘭丸は少女の腰に回した腕を緩めようとはしない。


「放せ! おい!」


 そればかりか、


「思い出した……」


 切な気な声で、語り出す。落下しかける中、クリストフは蘭丸を見上げる。


「全部、思い出した。だから俺は、ここに……」


 バンディのナイフで抉られてから脆くなっていた仮面は、右目から額にかけてが崩れかけている。

 蘭丸に見つめられて困惑するクリストフ。その優しい声色に、素顔の片鱗を見たような気がした。思わず、仮面に手を伸ばした。すると、蘭丸は少女の手が届く前に仮面に手を当て、少し、ずり上げる。そして、そのまま少女の唇に自分の唇を重ねた。

 激しく炎が燃え上がる森の上空。クリストフはじっと、蘭丸を見つめることしかできなかった。顔が離れた瞬間、ちらっと見えた蘭丸の口元。その左下に、見覚えのある黒子があったから。


「今度こそ、守ってみせる」


 蘭丸がそう呟いて仮面を下ろした瞬間、二人の足元の結界が眩く光を放って割れた。その衝撃で、真下にいたフィオールとアダムは消し飛ぶ炎と共に方々へ吹き飛ばされた。

 アダムは手で風を遮りながら体勢を立て直し、着地寸前の蘭丸を狙い襲いかかる。が、振り向き様に蘭丸が刀を抜き、アダムの大剣を弾いた。その刀は、赤い炎を纏っている。アダムが舌打ちをして下がるが、蘭丸は逃がさないとばかりに距離を詰める。そして、結界の破片が舞う中心部に置いていかれたクリストフは、へたりとその場に座り込んでしまった。


「……どうして、」


 震えが止まらない。クリストフが俯きかけた時、左の側方を熱風と共に何かが横切った。それは、人とは思えぬ速さで蘭丸を追うフィオールだった。右手に炎を灯し、乱れた足場もものともせず、地割れを軽々飛び越えて荒れた森を駆け抜ける。


「どうして、なんて、考えるまでもないじゃないか……それが、事の真相なら」


 クリストフはガクガクと震える足でゆっくりと立ち上がり、遠くで入り乱れるように戦う3人を見つめた。そして、意を決して走り出す。

 クリストフが足を踏み出した時、3人は今にも崩れそうな崖の上にいた。いや、蘭丸が追い詰められてしまったのだ。アダムの大剣を振り払い、拳を振り上げるフィオールを蹴り飛ばす。肩で息をしながら、蘭丸は壊れかけた仮面を抑えて二人を見やる。その時、崖がグラグラと揺れて地面に大きな亀裂が入り始めた。

 フィオールが亀裂から離れようと飛び出した先には、クリストフがいた。


「クリストフ……」

「フィオール、もうやめるんだ」


 クリストフが泣きそうな顔で訴えるが。フィオールは、目を吊り上げて言った。


「俺は執筆者だ……伝承者の過ちを正すのが俺の使命なんだよ!」

「使命なんてどうでもいいだろ! あたしはお前を失いたくない!」

「だから蘭丸を殺すんだよ! それでお前達を救うことができる、伝承者の過ちを、正すことができる!」


 フィオールが叫ぶと、クリストフははっとしてフィオールの向こうを見た。その視線の先には、蘭丸とアダムがいた。蘭丸は崖の近くで倒れ込み、上から振り下ろされたアダムの大剣を刀で受け止めている。クリストフは、フィオールを突き飛ばして走り出す。

 フィオールはふらっと振り返り、駆けてゆく少女を見つめ……仮面の男を、睨んだ。


「炎の勢いも落ちた。魔力も尽きるか」


 アダムに真上から押しやられ、蘭丸の背につく地面は音を立てて擦れ始めていた。もう少しで、蘭丸は奈落の底へ落ちる。アダムが大剣に力を入れた、その時。目の前の蘭丸に影が刺した。顔を上げると、拳を振り上げて飛びかかってくるクリストフがいた。避けようと身体を起こすが、もう遅い。殴り飛ばされ、少し遠くの地割れにアダム姿は吸い込まれていった。

 蘭丸がよろよろと立ち上がると、クリストフは振り返り、少し戸惑い気味に言った。


「……何か言えよ」


 蘭丸が、何と答えようか悩んでいた時。少女の向こうで、地割れから飛びかかってくる影が見えた。蘭丸はすぐさまクリストフを背後へ寄せようとするが、少女は自ら、蘭丸の背に回った。


「死ね」


 大剣を振り上げて真っ直ぐに突っ込んでくるアダム。避けるか、結界か、いや、間に合わない。蘭丸は、力を振り絞って刀を握り締めた。























 避けようもなかった。鉄扇を広げる間もなかった。目の前で返り血を浴びる男はもう、頭が真っ白になってしまっているのだろう。黒かった髪まで、血の気が引くように白くなってゆくではないか。


「……フィオール、」


 少女は苦し気に笑いながら、血を吐き出した。その腹部には大きな穴が空いており、血と臓物が漏れ出している。フィオールはというと、少女の血で赤く染め上がった左手を、じっと見つめていた。

 背後で、何かが落ちる音がした。クリストフが少し振り返ると、折れた刀が地面に刺さっているのが見えた。噴き上がる血飛沫の中、蘭丸が崩れ落ちる。その向こう。冷たい目をしたアダムと、目が合った。クリストフは逆流してくる血を吐き出して鼻で笑い、フィオールに向き合う。フィオールは、怯えるような顔をして後ずさった。


「クリストフ……俺、何をした」


 少女は腹部を抑えて、フィオールに歩み寄る。


「俺は、お前達と一緒にいたい。どうしたら、いい?」


 フィオールは涙を流しながら、懇願するようにクリストフを見つめる。取り返しのつかない事態に、彼の思考も、心も、狂い始めてしまった。少女は、フィオールの左手を握って、言った。


「お前はよくやった。悪い事などしていない。それに、もう何もせずとも、あたし達はいつも一緒だ」


 嫌にくっきりと耳に残る声。クリストフは涙するフィオールの唇に軽い口づけをし、離れた。そして、フィオールの左手の薬指からは指輪が無くなり、代わりに、小指に少女の指輪がはめられていた。

 少女は一歩、また一歩、離れてゆく。


「お願いだ、行かないでくれ、」


 フィオールが少女に手を伸ばした、その時。


「フィオール、愛してる」


 少女と蘭丸のいた地面が抉り取られるかのように崩れ落ちた。フィオールはがっくりと膝を折り、深い暗闇を見つめる。

 アダムはクリストフと蘭丸が上がって来ないと確信すると、闇を見つめて俯くフィオールに目をやった。おもむろに大剣を向けてみるが、何の反応もしない。アダムは、冷めた目つきでフィオールを見下ろし、その場を後にした。









 灰色の景色の中。時が止まったように土塊が宙に浮いていた。いや、時が、止まっていた。


「これが、お前の神通力か」


 落ちかけた土の塊の上。仰向けに寝そべった蘭丸に身体を重ね、凭れる少女。蘭丸は左肩から斜めに大きな傷を負っている。血が溢れる胸は、蘭丸が嗚咽する度に細かく揺れ動く。


「ったく、あっちのお前もこっちのお前もよく泣くな」


 少女は苦し気に小さく笑うと、フィオールから取り上げた指輪を、蘭丸の薬指にはめた。そして、蘭丸の指輪を自分の薬指にはめる。


「何度か、こういう事があったよな。一度目は煙の塔で。二度目は……」

「ナタリーで……俺が浮気した時」


 少女は咳込みながら笑い、痛みに少し、泣いた。すると、蘭丸は大きく息を吐き出してクリストフを抱きしめた。


「使命を果たすなんて言ったが……もしかしたら、俺はもう一度だけお前達に会いたかっただけなのかもしれない」


 クリストフは、ぎゅっと蘭丸の腕を掴んで頷く。


「今度こそ、守ってやりたかったのに……すまない。本当に、すまない」


 蘭丸の声が、掠れてきた。クリストフは弱まる鼓動を聞きながら、言った。


「いいんだ。おかげで、一番大事な約束を果たせた」


 クリストフは身を捩って蘭丸の仮面の真上に顔を寄せる。そして、その仮面を取り払った。


「あたしと一緒に死ぬのは……お前なんだろ?」


 曇りゆく緑色の瞳は、涙で溢れていた。クリストフも目を潤ませて微笑む。


「もう最後だ。誰も知らない、あたしの本当の名を教えてやる。聖母じゃない、ただの女だった頃の……名だ」


 少女は蘭丸の耳元で、ボソリと囁く。


「いい名前だ……」


 蘭丸は少女の名前をぽつり、ぽつりと呟きながら、褐色の頬に手を添えた。その目はもう、見えていないのだろうか、手探りで探し出すかのように少女の唇を指でなぞる。

 

「……愛してる」

「あたしも……涙が、出る程に」


 二人の唇が重なった瞬間。時は再び、動き出した。

 崩れた崖とともに落ち、暗い谷底は轟音と土煙にまかれた。蘭丸は頭蓋が割れて脳髄が飛び散り、その上にぐったりと横たわる少女も頭から血を流していた。

 少女の身体は指先からみるみる硬くなってゆき、黒い髪も、褐色の肌も、灰色を帯びる。そして、死体を抱く岩と化した。

 動き出した時の中で、二人は悠久の眠りを迎える。もう二度と、離れることはない。



ーー世界が終わるその時まで……俺が、お前の側にいるーー

ーー死ぬことだって……そう悪くはないーー



 世界の正体は誰に明かされることもなく。愛する女と、深淵に散る。

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