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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆東の国〜海賊の処刑〜
154/156

153.女王の嘆きで海は高鳴る

 緩い地響きが畳から伝わる。青白い寝顔を見下ろして、ヤヒコは母の髪を撫でた。


「ヤヒコ様」



 襖の向こうから呼声がして、振り返る。ヤヒコは応えようか応えまいか、悩む。


「りん」


 悩むヤヒコの手に、冷たい手が重なった。


「大丈夫ですから、行ってきなさい」


 母は薄く目を開けて、優しく笑っていた。ヤヒコは小さく頷いて片膝を上げる。すると、母はヤヒコの手をぐっと握りしめた。ヤヒコは、ふと動きを止めて母を見る。


「何があっても動揺してはなりません。決して、心の平穏を乱してはなりません」

「……」

「わかりましたね」


 母はそう言って手を放し、再び瞼を閉じた。ヤヒコは暫くその寝顔を見つめて、のそりと立ち上がる。

 ヤヒコが襖を開けると、深妙な顔で廊下をうろつく翡翠がいた。


「翡翠が落ち着きなく狼狽えるなど……珍しいこともあるものだ」


 翡翠はヤヒコの姿を見つけ、それはまた落ち着きなく駆け寄ってきた。


「ヤヒコ様にお目通り願いたいと申す者が……」

「こんな時にか。誰だ」

「……それが、」


 翡翠の言葉に、ヤヒコの顔付が険しくなってゆく。ヤヒコは困惑顔の翡翠を他所に、廊下を歩き出した。そして、ある部屋の襖を勢いよく開いた。ガラリとして、何も置いていない広い和室。それとは打って変わって、縁側の向こうに見える庭には人が集まっている。ヤヒコは一歩一歩、人の群れを睨みながら庭に歩み寄る。


「ご機嫌麗しゅう。ヤヒコ様」


 家臣達に囲まれていたのは、後ろ手に縄で縛られ地べたに座り込む一人の男。派手な着物に、頬の刺青。


「海賊風情が、何の用だ」


 ヤヒコが賤しいものを見るような目つきで言うと、男はにたにたと笑って正座を崩し、胡座をかいた。


「そんじょそこらの海賊と一緒にされちゃあ堪りませんよ。俺達海閻は伝承者の末裔、なんて言われてんですから」

「だから何だというのだ。貴様らのせいで外交もままならず、我が国は他国に遅れを取った。ここへのこのこやってきて、生きて帰れるとは思うておるまい」


 男は、はあ、と溜息をついて俯いた。


「話のわからねぇお姫様だ。伝承者の末裔が何故、今、ここに、手下一人を遣わしたのか」


 男は前髪の隙間から、怪しい笑みを浮かべてヤヒコを見る。


「まるでわかっておられぬご様子」


 その瞬間家臣達は一斉に刀を抜いた。襖の方では、翡翠が心配そうにヤヒコを見つめている。ヤヒコは、鼻で笑って見下すように男を見た。


「……よかろう」


 ヤヒコがその場に座ると、翡翠は部屋に足を踏み入れ、上座に置いてあった肘掛をヤヒコの元へ運んだ。


「その首を撥ねる前に聞いてやろうではないか。貴様らの大将、嶽織(たけおり)が、神の審判に何と口を挟もうというのか」


 ヤヒコは肘掛に凭れ、強気に笑って見せる。その斜め後方、不安気な顔をして座っている翡翠を、男は見逃さなかった。


「……俺は嶽織が弟、朱織(あけおり)と申します。兄が言葉をヤヒコ様に伝えんと、遥か西より舞い戻った所存」


 急な台詞口調に、その場の空気が一変する。


「一つ、西へ遣わした館石家当主は、深く眠りて時の狭間に取り残される」


 ヤヒコの顔から、笑みが消える。


「二つ、日を跨ぐより先に聖地は混沌に覆われ、二つの鍵が失われる」


 震える手で、口元を抑える。


「三つ、」

「やめろ!」


 ヤヒコは肘掛を男に投げつけた。男は俯いていた顔を上げる。その額からは、血が流れ出していた。


「斬れ……この者を斬れ!」


 ヤヒコが叫ぶと、家臣は刀を振り上げた。男は立ち上がって家臣を蹴り倒した。一瞬にして騒がしくなる庭。後ろへ倒れかかったヤヒコを、翡翠が抱きとめた。


「ヤヒコ様、」

「未来が聞こえなくなったかと思えば……またか。もう、聞きとうないというに……」


 目に涙を浮かべ、ヤヒコは弱々しくも立ち上がる。そして、足だけで戦う男を見つめた。すると、男を青い炎が包み込む。家臣達は離れ、片膝をつく男を見つめる。ヤヒコは涙を一筋流し、無表情で男に言った。


「海賊の死に際の言葉など、聞くに耐えん」

「……そうだ。俺は、遺言を残しにここへ来たんだよ」


 男は炎に包まれながら、苦し気に笑う。


「三つ、審判の日の向こう側が開けし時、東の女王がその名以て戦いに終焉を齎す」


 男はその場に倒れ込んだ。呆然と男を見つめるヤヒコ。翡翠は男に駆け寄り、火が燃え移るのも構わず男を抱き上げた。男は、消えそうな声で言った。


「ここより西の港に停めてある船に、俺の娘と息子が乗っている。ヤヒコ様、あんたの証文を持たせてあいつらを海へ出してくれ」


 ヤヒコは、がっくりと膝を折った。


「東の栄光のために、喜んで……俺は、礎と、」


 炎は一瞬大きく燃え上がり、翡翠の腕には黒い人型の炭が残った。それは、サラサラと砕けて砂のように崩れ去った。









 翡翠が港へ行くと、一隻の小さな木造船があった。歩いて近付くと、船頭に仲良く腰掛ける二人の子供がいた。白髪の双子は、片方は前髪が黒く、片方は後髪だけが黒い。12歳くらいだろうか、どちらが息子でどちらが娘かわからない程に顔が似ている。子供達は翡翠に気付いて、互いの顔を見合わせる。そして、黒い瞳に涙を溜めてわんわと泣き出した。


「……朱織の子供とは、お前達のことか」


 翡翠が問うが、子供達は泣くばかり。翡翠は哀れむような顔をしながらも、懐から一枚の紙を出した。


「証文だ。これで、西の乱世は終わるのだな」


 子供の一人が、荒っぽく証文を受け取った。驚いて翡翠が後ずさる。泣いていたはずの子供達が、怪しく笑って見ていたからだ。

 

「馬鹿な奴だな。この証文が使われるってことがどういうことかわかっちゃいない」

「姉ちゃん、もう行こう。嶽織が待ってる」


 子供達は立ち上がり、バタバタと船の後方へ走り出す。


「待て!」


 翡翠が呼び止めると、姉の方が振り返った。


「どういうことだ。その証文は、何が」


 姉の方は証文をパタパタと靡かせて見せる。


「これはな、伝承者が使命を果たせず死んだ時に使うんだ。つまり、世界を導くのに失敗した時に尻拭いするための紙なんだよ」


 弟は横目に翡翠を睨み、言った。


「それも全部知っていて、親父は礎になることを選んだ」


 翡翠が黙って立ち尽くしていると、子供達は海に背を向け、にたにたと、親父にも似た笑みを浮かべる。


「四つ、」


 姉の声に、翡翠は我に返る。


「門の隙間より天使の梯子が降り立つ未明、東の女王は狂い咲く」


 翡翠は何かもの言いた気に口を開けるが……言葉が、出ない。


「イトサマに、東の海の加護があらんことを」


 弟がそう言うと、二人は背中から海へ落ちて行った。翡翠が慌てて船に飛び乗り、二人が飲み込まれた水面の波紋を見つめるが……二人は、いつまで経っても上がって来なかった。

 





 翡翠が証文を持って屋敷を出た後。静かな自室で、ヤヒコは筆を持ったまま机の前に固まってしまっていた。



ーーそうだ。俺は、遺言を残しにここへ来たんだよーー



 男の笑みと言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。



ーー二つの鍵が失われるーー



 ヤヒコは机に筆をポロリと落とし、頭を抱えて嗚咽する。廊下に漏れるか漏れないかわからぬ程に小さな泣き声で。14かそこらの見た目に見合った、めそめそと、少女らしい泣姿。しかし、


「余のせいで、和は……」



ーー西へ遣わした館石家当主は、深く眠りて時の狭間に取り残されるーー



 少女は、華奢な背中に一族を背負う。ヤヒコはポタポタと膝に涙を落とし、小さく首を横に振った。


「ダンテ、クリストフ……エドガー。嫌だ……私を、一人にしないでくれ!」


 少女の願いとは裏腹に、海は急に荒れ始めた。波は高くなり、空が曇ってゆく。それを、香が焚かれた寝室でじっと感じ入っていたのが母だった。ぼんやりと天井を見つめ、声とも言われぬか細い音で囁く。


「動揺してはならないと……言ったのに」


 母は、病に侵された身体一杯に娘の嘆きを聞く。そして、受け止める。この期に及んで、責めるなんてことはしない。








「荒れてきたな」

「間に合うかな、姉ちゃん」


 黒い海の底。両手の指を絡ませて手を握り合う姉弟は、うねる海中を漂いながら見つめ合う。


「間に合うよ。問題は蘭丸の方だろ。こんな紙切れ、使わずに済むならその方がいいんだ」

「俺、あいつ失敗する気がする」

「何で?」


 姉が問うと、弟は口から小さな気泡を漏らして言った。


「使命が何だって言ってたけど、あいつ、他にもっと別の目的を持ってると思うから」

「別の目的?」

「わからない。使命の話をしてる時、心ここに在らずって感じだったから、そう思っただけ」


 姉はふっと笑って、弟の頬を撫でた。弟もまた、姉の笑顔を見て口元を緩ませる。


「あたし達は親父の言うとおり嶽織について行くだけ。何が起ころうと構いやしない。天地がひっくり返ろうが、海はいつだってあたし達のものなんだから」

「……うん」


 二人はきつく抱き合ったまま口付けを交わし、大きく鼓動する海底へと沈んでゆく。何の抵抗もしない、何の恐怖も感じない。海に流されて、起こりゆく全ての事象に溶けてゆく。自然の一部となって、運命に身を委ねる。

 

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