151.聖母の怒で大地は揺れる
あいつは疑う必要などない程に真っ直ぐだ。愛を囁かずともこちらの気持を理解してくれていて、その迷いのない瞳がこちらに気持を訴えてくる。だから弱さを隠そうとしても無駄だ。無駄だということをあいつもわかってる。ちょっと乱暴で言葉遣いが荒くても、全部が愛おしくて堪らない。
お前を守るためなら世界だって敵に回せる、なんて二番煎じのクサイ台詞も、満更嘘じゃないと思える。
物語の終りに抗おう。果てしない輪廻の輪に逆らおう。
神の審判に耳を塞いで、世界の断末魔の余韻に浸ろう。
今度こそ、守ってみせる。
……だからお願いだ、行かないでくれ。
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もはや川は原型を留めていなかった。流水は不自然に隆起した地面の間を縫うように走り、草が茂る崖は崩れて岩肌が露出していた。
「かかってこいよ、蘭丸……」
膝まで水に浸かった少女が一歩踏み込む度、地面は痛みに震えるかのように地響きを上げて揺れる。
「無抵抗だからと許してやるような慈悲は、生憎持ち合わせていない」
濡れた髪を掻き揚げ、蘭丸は薄い笑みを浮かべる少女を見つめた。
「お前は何を知っている。何故シドやエドガーと関わり、カイザと美女を狙う」
「……」
「お前なんだろ? この物語をここまでややこしくしたのは」
地鳴りが止んだ。少女はただ立ち尽くし、蘭丸を睨む。蘭丸は暫し少女を見つめ、言った。
「ややこしいことなどあるか。好き合った男女が、思い合う者達が、それぞれの大事なもののために選択した結果がこれだ。お前もまた、その歯車の一つに過ぎない」
蘭丸の籠った声は、少女の耳にしっとりと染み入ってくる。それが何処かこそばゆく、不愉快だ。
「シドとサイを救ってくれと、エドガーが私に望んだ。私があの家族をかき乱したわけでも何でもない。それに、私は美女達を狙ったつもりもない」
少女の笑顔は、いつの間にか影を刺していた。
「お前になら、用があった」
「あたし、だけ?」
「このままでは死ぬぞ。無残に、残酷に」
死ぬ。はっきりと言われて、少女は一瞬頭が回らなくなってしまった。蘭丸の声色のせいか、妙に真実味を帯びて聞こえたのだ。
「……別に、もういい」
少女は小さく鼻で笑った。
「お前が片付けたという男が言っていた。あたしと一緒に死ぬのは、自分だと」
「……」
「口先だけで、てめぇだけ先に逝かれたんじゃ腹のムシがおさまらない。後追って、一発殴ってやらねぇと」
「自ら死を望むか」
「お前が望ませたんだよ」
少女はそう言って、優しく微笑む。そして、大きく一歩、踏み出した。激しく揺れて、飛び散る岩。足を取られて蘭丸がふらつくと、目の前に少女の拳が迫っていた。蘭丸は大きく飛び上がり、ガラガラと崩れる岩を足場に崖の上へと登った。
「逃がさねぇぞ! その死に顔を拝むまで!」
崖に登って森へと駆け込む蘭丸の足元に亀裂が走る。振り返ると、後方から地面が崩れてくのが見えた。蘭丸は走り、木に飛び登って枝伝いに森の奥へと進む。木が土を抉り根を剥き出しにして倒れてゆくのを尻目に走っていた、その時、
「随分荒れているな」
蘭丸は咄嗟に隣の木に飛び移ると、元いた木がすっぱりと横に裂けて倒れる。その幹の向こうには、大剣を持つ男が一人。
「聖母を怒らせるなんて、面倒なことをしてくれる」
「……アダム、だったか」
「名前など然程重要ではない」
アダムは大剣を振り上げて蘭丸に切りかかった。蘭丸はそれを避けながら木から木へ飛び移る。しかし、飛び乗った木が突如傾いた。蘭丸はアダムの大剣を刀で受けるが、真っ向から受けたがために押し倒された。落ちてゆく中、アダムは大剣を押し付けたまま言った。
「重要なのはその顔だ。お前、誰だ」
アダムの手が蘭丸の仮面に伸びる……が、そう簡単には、いかない。
「アダムてめぇ!」
少女の声と共に飛んできた大木が、落下直前の二人を巻き込んで荒れた森へと突っ込んだ。
「邪魔すんじゃねぇよ殺すぞ!」
少女は殺意溢れる形相で叫ぶ。その怒号を聞きながら、アダムはよろよろと大木の裏が出てきた。
「殺す気だったろ、最初から」
そう言って面倒臭そうな顔をするアダムの更に後方、折れた幹の隙間から蘭丸は立ち上がった。そして、ブツブツと何かを唱える。少女はそれに気付いて勢いよく地面を殴った。めきめきと音を立てて倒れる木、爆発の如く抉れて飛び交う土塊。アダムはそれらを避けるが、蘭丸は微動だにしない。そこへ大きな岩が飛んできた。蘭丸はそれに向かって、金の指輪が光る左手を差し伸べる。岩は、蘭丸の目の前で見えない壁に当たり、落ちる。
「結界なんて女々しい真似すんじゃねぇ!」
土塊の間から鉄扇を振り上げた少女が飛び込んできた。鉄扇で殴りつけられたところに、細く白い罅が入る。蘭丸はぐっと耐えようとしたが、結界は甲高い音を立てて割れた。土煙に撒かれる森。少女がゆっくり立ち上がって振り返ると、隆起した土の上にしゃがみ込む蘭丸がいた。
「結界を力強くで叩き割るとは……そうか、その指輪か」
「お前こそ何で魔法なんか知ってんだよ。東の連中が使うのは魔法じゃなくて神通力だろ」
「私の神通力は長続きしない。今使うのは惜しい」
「なめ腐りやがって……!」
少女は鋭く目を吊り上げ、蘭丸を睨む。そんな二人を、傾きかけた木の上から見下ろすアダム。
「…俺が出しゃばらなくても、良さそうだな」
「何だ!」
「じ、地震?!」
ぐらぐらと揺れる室内。ダンテはカイザに抱き付き、レオンは倒れる観葉植物や落ちてくる照明から二人を守る。揺れがおさまり、三人は警戒しながら周囲を見渡す。
「……シド、」
カイザは涙目のダンテをソファーに置いて立ち上がった。しかし、その足は阻まれる。
窓から勢いよく飛び込んでくる人影。マントを翻し、飛び散る硝子からカイザとダンテを守るレオン。マントが下げられると、部屋には幾人もの盗賊が乗り込んできていた。その先頭には、
「ノースの墓地以来だなぁ、カイザ」
「……バンディ」
にたにたと笑うバンディの手には、掌程の爆弾が握られている。
レオンが剣を抜くと、外からクスクスと笑い声がした。
「本当に私の魔法が解けてるのね。すごいわぁ」
窓枠に肘をかけて頬杖をつくヨルダ。ヨルダはにっこりと笑うと、舌を出した。舌に刻まれた魔法陣が光り、周囲が一気に暗くなる。窓の外はまるで夜。そこで、ザワザワと蠢く不気味な影。
「ヨルダ……お前!」
ダンテが怒鳴ると、ヨルダは嘲るように口元を法衣で隠した。
「そんな恐ろしい顔をなさらないで? ダンテ様。今頃、クロムウェル家の私兵が町を焼いています。邪魔が入らぬようにいたさねばなりませんのでいた仕方なく……」
ヨルダの言葉に、レオンの表情が固まる。すると、その背後で眩く何かが光った。それと共に唸る空。そして、室内で青白い光がパチパチと細く走る。
「ブラックメリーは俺がやる。お前達は、外へ」
「カイザ様、」
「行け!」
光る槍を手にカイザが叫ぶと、レオンに光が集まり、弾け飛んだ。ダンテはそれを見てぎゅっと法衣を握り締める。
「カイザ、」
ダンテに呼ばれ、カイザは振り返る。
「地獄門の開門は僕が絶対食い止める」
「わかってる。お前は世界一の魔術師なんだろ」
素っ気ないカイザの言葉に、ダンテは小さく笑った。そして、ヨルダを睨む。
「もう、終わりそうだね」
「そうですわね、ダンテ様」
ダンテは手をヨルダに向けた。すると、ダンテの足元から大きな白蛇が現れた。それは絨毯を捲り上げて窓際のヨルダへと襲いかかる。蛇はダンテを乗せたまま、壁をぶち破って外の暗がりへと消えた。
広い部屋に残された、盗賊達とカイザ。
「いつからお前らは山賊になったんだ? あんな登場の仕方じゃ獲物も逃げる」
カイザが槍を穴が空いた床について溜息をつく。すると、バンディは喉元で笑った。
「後継者ぶって説教かよ」
バンディが胸ポケットをまさぐる。カイザはそれを見て槍を握り直す。バンディはニヤリと笑い、導線に火のついた爆弾を軽く放る。
「ブラックメリーは、俺の物だ」
迫る爆弾に向かって槍を突き出すカイザ。その目は暗がりで青く光り、光の糸が尾を引いた。