150.何の気なしに過ごしてみれば
黒い煙が出るのもおさまった扉。それはシドの月の力が尽きたことを物語る。カイザはその扉を見つめて、遠慮がちに二度ノックをした。
「……シド、」
呼びかけるが、やはり返事はない。こんな扉、カイザの手にかかれば開けることなど容易い。しかし、シド自身に開けて欲しかったのだ。扉の鍵も、心の鍵も。
「……探してくる」
先程まで眠そうな顔をしていたというのに、クリストフが急に立ち上がった。屋敷の本を調べていたレオンとダンテが顔を上げると、それはまた眠そうに欠伸をかいてクリストフは歩き出した。
「探すって、何を?」
ダンテが聞くと、クリストフは頭を掻きながら振り返った。
「何って、いろいろ」
「いろいろって何」
「……息抜きの散歩ついでに探してみるってだけだ。和とか蘭丸とか、あいつとか」
「……あいつ」
「我慢も限界だ。神殿探しはお前らに任せた」
クリストフはそう言って、部屋から出て行った。レオンは本に視線を落とし、言った。
「フィオール、とかいう男のことか。あいつというのは」
「え? あー……うん。たぶん」
ダンテはページを捲って首を傾げる。
「探して見つかるなら苦労しないよ。世界はこんなに狭いんだから」
「狭い世界を探しても見つからないとあらば、我々の目が悪いのだろうな」
「いや、」
ダンテは静かに本を閉じる。
「見つからないように誰かが悪戯したんだよ」
迷惑な悪戯だ。業輪も、神殿も、男一人も見つからない。誰が隠した、なんてくだらぬ問をする気にもなれなかった。誰でもない、神が、世界が、そう仕向けたことなのだから。
「明日までにはどうにかしたかったけど。明日にならないとどうにもならないかもねぇ……」
ダンテの呟きに、レオンは「そうだな」とだけ返事をした。後は一向、悪戯な宝探し。
パリスから東南の山にある川。ひやりと冷たい空気が、荒い呼吸を宥めようとするかのように肺に染み入る。白い烏天狗の面を軽く抑えながら、川辺の岩に腰掛けた。
蘭丸の気配もついえた。それよりも、大きな魔力の流れがここ一帯を渦巻いているのが気になる。まさかとは思うが、こんな早く西部前線から何者かがやってきたのだろうか。蘭丸を追うか、魔力の元を確認するか。迷っていた、その時だった。川の水音しか聞こえない静かな川辺で、一発の銃声がした。
「……誰だ、お前は」
聞き覚えのない声。銃弾を刀の鞘でしのいだ和は、柄を握りしめながら声の方へ目をやった。
「そのなり、何処のおうちの坊ちゃんだ? 人に名を聞く時は自分から名乗れと母ちゃんに習わなかったか?」
金の髪に刺繍が華やかな黒い軍服。青い目は嫌に冷たく、川すらも凍りつくのではないかと思う程。
「…母からは、名乗る相手は選べと教わっている」
和は鼻で笑って立ち上がり、刀を抜いた。
「相当イカれた母親だったんだな」
「イカれていたのは事実だが、他人に言われると腹が立つ」
再び一発の銃声が鳴った。和は飛んできた銃弾を刀で弾いた。
「殺気も立てずによくもまあ引き鉄を引けたもんだな!」
和は笑いながら仮面を上げた。
「……お前、よく見たら帝都に来ていた鬼じゃないか?」
「何だ、知ってんじゃねぇか俺のこと。そうだよ、俺は帝都戦の東軍隊長だ」
「……東軍隊長、か」
風が吹いた。少し曇った空の下、控え目に靡く軍服と金髪。それを見て和は、ふと……似ていると思った。
「私はルイズ・レオ・ド・クロムウェル」
軍服姿が神々しい、端正な出で立ち。和は、構えていた刀を下ろしてルイズを見つめた。
「クロムウェル……お前、カイザの、」
「弟だ」
「一人……なわけ、ねぇよな」
「今はたまたま一人で散歩していただけだ」
「明日には終末がくるってのに、貴族の坊ちゃんは優雅だねぇ」
和が馬鹿にしたように笑うと、ルイズは銃口を向けたままに言った。
「今度は私の問に答えてもらおうか。お前と蘭丸はどういった関係だ」
「関係? んなもん、俺が聞きてぇよ」
「蘭丸の手下、というわけではないのか」
「違う」
「そうか。安心した」
ルイズは銃を下ろして、小さく俯く。
「……何のことだ」
ルイズは、無表情のまま剣を抜いた。
「東の者は義理固く、一族の団結力が強いと聞く。下手な仲間意識が芽生える前に、お前はここで始末する、ということだ」
和は眉間に皺を寄せてルイズを睨む。
「家の者を殺されて、仲間意識なんか芽生えるか」
「言葉や感情はその都度変わる」
「俺の半分も生きてねぇくせに随分と達観したようなこと言うじゃねぇの、偉そうに」
和は強気な笑みを隠すように仮面をかぶり、刀を逆手に持った。ルイズは左手に銃を、右手に剣を持って、ゆっくりと、臆することなく、まるで散歩でもするかのように、和との距離を縮めてゆく。そして……
「アダムは動けるか」
ルイズは、血に塗れた白い仮面をテーブルに置いた。その顔には返り血が飛び散っており、軍服の至るところにできた切り傷からは血が滲んでいる。アダムの容態をみていたヨルダは両手で頬を抑え、真っ青な顔をして立ち上がった。
「ルイズ様!」
アダムが横になっているベッドに腰掛けていたバンディは、呆然とルイズを見つめる。ヨルダはそんなバンディを横切ってルイズに駆け寄る。
「なんてこと! すぐ手当致します!」
「ああ、頼む」
ルイズはソファーに座り、ふっと息をついた。ヨルダは忙しなく部屋から出て行った。
「……何だ、それ」
バンディが聞くと、ルイズはテーブルの仮面を見て「ああ、」と声を漏らす。ソファーの白いレースが、じわりと赤くなってゆく。
「鬼を狩った証だ」
「鬼?」
「東から送られてきたヤヒコの家臣だ。散歩をしていたら偶然出くわしてな」
「……散歩ついでに土産を買ってきたノリで言われても信じられねぇよ」
バンディは仮面を訝しげに見つめる。ルイズは軍服のボタンを外しながら、アダムに向かい話しかける。
「おい、まだ寝ているのか」
「……うるさくて眠れたもんじゃない」
アダムは眉を顰めながら薄く目を開いてルイズを睨んだ。バンディはそんなアダムの腹の部分を叩いた。
「起きてたんなら言えよ!」
「にやけ顏でお前に見下ろされてちゃ起きる気も削がれる」
アダムは布団を翻してバンディを蹴り飛ばした。
「起きていたなら話は早い。アダム、お前には蘭丸を始末してもらう」
ルイズが言うと、バンディと掴み合うアダムが横目にルイズを見た。
「邪魔する奴は」
「カイザ兄様とレオン以外は全員、殺せ」
ルイズがそう言った瞬間、大きな地響きがした。アダムとバンディが辺りを見渡す中、ルイズはテーブルの上でカタカタと動く仮面を見つめる。そして、気怠そうに一つ、溜息をついた。
血が飛び散り、砕けた岩が転がる川辺。抉れた地面に流水が溜まり、伸びた亀裂に吸い込まれてゆく。冷たい水に膝まで浸かりながら相対するのは、鬼の形相のクリストフと……烏天狗の面。
「和をどうする気だ」
クリストフの言葉に、近くの高い岩の上にしゃがみ込むサイが蘭丸を見下ろす。サイの腕には、ぐったりとして動かない傷だらけの和が。
「てめぇがやったんだろ!」
「……知らない。だが、」
クリストフは黙って蘭丸を睨みつける。その間、サイは和の傷口に手を当てがう。指先から伸びる白い煙が、漏れ出す血を止める。
「執筆者、と名乗る男なら……私が片付けた」
轟々と流れる濁った水。その温度さえ感じない。熱い、滾っている。怒りに血が燃えている。クリストフは硬直していた身体の力を抜くと、俯いたままふらりと一歩、踏み出した。
「お前は、何が何でもあたし達の邪魔をする気なんだな」
「私は私の使命を果たすまで」
クリストフの肩が細かく震えている。前髪の隙間から見える口元は、薄く笑っていた。
「ああ……散歩ついでに、全部見つけちまったよ」
クリストフがぼそぼそと呟く。
「和、蘭丸、フィオール……」
今にも濁流に飲み込まれそうなクリストフを、蘭丸はじっと見つめる。烏天狗の面は、もうボロボロだ。
「もう、いいよな? 我慢なんかしなくても。あたしはお前がいたから聖母であろうとしたんだ、いないならもう……」
クリストフが顔を上げた。正気を失った怪しい笑顔。黄金色の瞳は陰り、一筋の涙を流す。
「全部ぶっ壊しても、いいよな?」