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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆ノーラクラウン~妖精の里~
15/156

14.幸せの先にも不幸の先にも死が待っている

「クリストフ」

「なんだよ、眠いから話しかけるな」


  フィオールの鼾が響く狭い部屋。そこはニアに案内された妖精の隠れ家であった。ニアを助けたことで町の宿に身を置くのは危ないだろうという話になり、酒屋を出てすぐに移動していたのだ。ノーラクラウンを出る前にニアの夫と娘を助けるため、夜が明けたらすぐ塔へと向かう。

  木の匂いが立ち込める窓一つない暗がりで、カイザは言った。


「なんであんな面倒を引き受ける気になった。兵士を追っ払うのとは訳が違う」

「…気まぐれだ」


  クリストフはカイザに背を向けて不機嫌そうに返事をした。カイザは低い天井を見つめながら、再び話しかける。


「お前は人助けなんてする柄じゃない。何か思うことがあったんだろ」

「あたしは仮にも聖母だ」


  クリストフはもそもそとうつ伏せになり、枕元の煙管を手探りで取った。


「気まぐれで無償に人も助けもする」


  クリストフは煙管の葉に火をつけた。


「お前は聖母なんかじゃない」


  煙を吐き出し、クリストフはそこにいるであろうカイザを横目に睨む。


「…ほんっとに失礼なことを……」

「お前は普通の女だ」


  カイザの言葉に、クリストフは一瞬固まった。そして、鼻で笑う。


「何言ってんだよ。あたしが普通? 剣をいとも簡単にへし折る女だぞ? この形で息子がいて、山賊を従えて……」

「生意気で、ガサツで、たまに優しい。身内には」


  困惑するクリストフにカイザは淡々と話し続ける。


「困った人間がいれば助けるなんて聖人君子は想像の産物でしかない。人は何か心動かされるものがない限り、誰かを助けようなんて思わない」

「…あたしが、人?」

「違うのか?」


  暗闇で薄っすらと見える互いの目を見つめ合う二人。その一瞬が、少女はとてつもなく長く感じた。

  長い時間の波に揺られ、感情もぼやけてきていた。傲慢な誇大妄想だけが自分というものを保っていた日々。聖母として崇められ、ローザとして外に出て、少女は自分が人であることすら忘れて生きてきた。そんな少女が見せた、人らしく感情で動く姿をカイザは見逃さながった。そして、今もこの暗闇で少女を見つめている。聖母でもなく、母でもない。少女自身を見つめている。


「……」


  少女は黄金色の目を泳がせ、口元だけで笑った。


「…カイザ。エドガーとお前が出会ったのは偶然なんかじゃないかもな」


  カイザはゆっくりと身体を起こし、椅子に腰掛けるミハエルを見た。運命すら感じていた出会いだったが、他人に言われると不思議な気持ちになる。


「あたし達を人扱いするなんて、お前は変わってるよ」

「人が人である定義すら曖昧だ。ミハエルがエドガーだと知っても、死体だとわかっていても、俺は……」


  彼女が彼女の形を成してそこにある。それだけでカイザにとっては人であるに足る。いや、愛するに値する。それは彼女だからであって、もしカイザがミハエルと出会わなければ寵愛を受けた美女達を人として見れたかは定かでない。全ては、彼女が基準となる考えでしかないのだ。


「…そうか。わかった」


  少女はカイザが詰まらせた言葉の先にある意を察した。カイザの都合のいい解釈でしかないそれすら、少女は嬉しかったのだ。


「お前の言うとおりだ、カイザ」


  クリストフも身体を起こした。ランプを手に取り、明かりをつける。すると、フィオールが渋い顔をして薄っすらと目を開いた。


「…なんだ?」


  背後でのそのそと起き上がる彼を他所に、クリストフは真剣な眼差しをカイザに向ける。リノアの地下通路で見たときのように、黄金色の目をてらてらと、鋭く光らせて。


「教えてやるよ、あのお姫様を助けようと思った理由」

「そんな目をするなんて、秘められた真実でも明かすような雰囲気だな」


  クリストフは眉を寄せて俯く。その様子にカイザはただ黙っていた。図星であると、わかったからだ。


「おい、どうしたんだ?」


  目を擦りながら問いかけるフィオールに、カイザは言った。


「今からもう一つ、クリストフが明かしてくれるんだよ」

「明かす?」


  カイザはクリストフの背後で首を傾げるフィオールを見た。


「たぶん、業輪の秘密」


  カイザの言葉に、フィオールとクリストフは驚いた顔をした。少女に至っては、恐れをなしているようにも見える。


「…何故、わかる」

「勘だ」


  クリストフは驚いたことを悔いてムッとする。クリストフはチラッとカイザを見て、布団から立ち上がり二人に背を向けた。そして、左腕にしていた山賊のアーマーを外した。


「…これが、業輪を手にした者の運命。違うな、人外の者に見初められた者の宿命だ」


  声も出さずに見つめる二人。その視線の先には、赤黒い蛇の鱗のような痣が広がる少女の左腕があった。アーマーで隠れる、肩から中指の付け根まで。痛々しく広がるそれは、今にも波打ち出すのではないかと思う程にくっきりと闇に浮かび上がる。


「クリストフ、それは……」


  フィオールが声を絞り出して聞いた。クリストフは背を向けたまま、言った。


「与えられると同時に、使命も課せられる。あたし達四人は部屋を開くためこの痛みを身体に刻むことを義務付けられた」


  少女の声は、小さく震えている。その様子から刻んだ痛みとやらがどれ程のものであったか、カイザとフィオールは漠然と思い浮かべてみるが……あの強気な少女が思い出すだけで震えているのだ、想像もつかない。


「なんで……神はお前達を愛しているんじゃないのかよ!」


  フィオールが立ち上がって強く問いかける。クリストフは左腕にアーマーをはめながら首をうなだれた。


「……」

「なんで黙ってるんだよ!」


  フィオールは少女の肩を掴んで無理矢理振り返らせた。そして、立ち尽くしてしまった。何故なら、少女が静かに泣いていたからだ。眉を顰めて涙を流すその姿を見て、フィオールは小さく首を横に振った。


「…お前が泣いているのに、なんで、神は……」


 フィオールは、思わず少女を抱き締めた。背の高いフィオールの腕の中に、華奢な少女はすっぽりと収まってしまう。

  カイザは、ミハエルを抱いて部屋から飛び出した。すぐ表は月が明るく照らし出す森になっている。本来ならば人が立ち入ることのできない森の一角、それが妖精の住処。外の切株に腰掛け、カイザはミハエルを見つめた。固く閉じた瞼、薄い桃色の唇、陶器のように白い肌、胸元の紐の蝶結び。それを解けば、滑らかな肌が露わになるはず。そう思いながらも、脳裏では写真を捲るようにクリストフの左腕が交錯する。そして、震える手で死装束に手を伸ばす。


「見ない方が、宜しいのでは?」


  カイザが顔を上げると、森の影に人影が見えた。それはゆっくり近づいてきて、月の下で明るみに出る。


「…ニア」


  ニアは悲しそうに笑って、カイザに歩み寄る。


「あの方はわたくしを哀れんでくださったのです」

「あの方って、クリストフだよな」


  カイザの隣に座って、笑顔で頷くニア。カイザはミハエルの服に伸ばしかけていた手を引っ込めて、その冷たい肩を抱き寄せた。そして、愛おしそうに頭を撫でる。


「わたくしの命があと僅かだと、あのお方は察したのでしょう」


  カイザは穏やかな声で言うニアを見た。彼女は、笑っていた。


「クリストフ様やわたくしのように人ならざる方から寵愛を受ける者は、必ず使命を課せられます」

「使命……」

「ええ。クリストフ様は生きとし生けるもの全ての罪や業を痛みに変えて償い、大地の歪みを正すのが使命です。業を司る蛇に蝕まれた左腕は、使命を遂行してきた証。そして、痛みの代償に特別な一室を得た」


  真っ直ぐに森の影を見つめてニアは言った。


「わたくしも、父の罪を償わねばなりませんでした。そのためには……人を辞めねばならなかったのです」

「人を辞めるのに、どうして死ななくてはならない」


  カイザが聞くと、ニアはふっと笑ってカイザを見た。真っ赤な瞳が、瑞々しい。


「…そればかりは、わかりません。しかし、人でもない、妖精でもないわたくしを束の間でも夫は愛してくれる。それが命の代償にわたくしが賜る、"特別な一室"なのです」


  カイザは辛そうな顔をして俯いた。


「…怖くないのか」

「ええ。夫に出逢わなければ、愛も何も知らないままに一生を終えていたでしょうから。短くとも幸せな日々を与えられたことに、感謝しています」


  遠い昔を思い出すかのように空を見上げるニアの横顔に、カイザはかつてのミハエルを重ねていた。あの時、ミハエルもこんな満ち足りた顔をしていた。幸せを噛み締め、死を覚悟しているニアのように…









ーーーーーーーーーーーーーーーーー









  北のダンテは大気の穢れを払う。東のヤヒコは海の淀みを清める。南のクリストフは大地の歪みを正す。西のエドガーは月の姿を留める。業輪をもって使命を果たし、四人の手の内で回すことによって秩序と均衡を保つ。身体に刻まれし慰痕がその身を覆いし時、美女は永遠の魂を得て天界に住まうことを許される。




  黒い雨が降る夏の日。少女の呻き声が屋敷に響いていた。


「母さん! 母さん!」


  痛みのあまり痙攣している少女の傍らで、ガトーが必死に呼び掛ける。少女はベッドの上で屈み、左腕を抑えたまま時折小さく呻く。

  ガトーは今にも泣き出しそうな顔で少女を見つめる。


「いらない。永遠の魂などいらない!」


  少女はガクガクと震える手で枕元の業輪を掴んだ。乱れた髪、見開かれた焦点の合わない目。少女は形相を変えて叫んだ。


「いつまでこの痛みに耐えねばならぬ! 20年もこの様だ! もう、沢山だ!」

「母さん! 何をする気ですか!」


  業輪を床に叩きつけようとする少女を、ガトーが抑えつけた。


「放せ!」

「そんなことをしては、ヤヒコ様の痛みに耐え抜いた苦労が水の泡になってしまいます!」


  ガトーがそう言うと、少女は大人しくなった。茫然と涙を流しながら、首に下げていた鍵を手にした。鍵の装飾をなぞる細い指。その手の甲は蛇が這いずる鱗の痕で痛々しく赤く腫れ上がっている。


「業輪が無くなってしまったら、世界はもう……」


  ガトーが荒い息を整えながら、少女の背中を見つめた。まだ、小さく震えている。


「……」

「変わって差し上げられるなら、俺が」

「よい」


  ガトーが顔を上げると、少女の震えは止まっていた。


「これを手放すには痛みを業輪に捧げて使命を果たし、部屋を開かねばならぬ。だったら……その扉をこじ開ければよいではないか」

「…何を」


  少女は業輪の鍵穴に持っていた鍵を差し込んだ。そしてガチャガチャと回らぬ鍵を捻る。


「やめてください! 壊れてしまいます!」


  ガトーが慌てて止めに入るが、少女はその手を放そうとしない。泣きながら、叫ぶ。


「開け! 開け!」

「今手放してもいずれまた回ってきます! 俺が父さんに変わってあげられるよう頼みますから! だから……!」


  母の悲痛な叫びにガトーは涙ながらに訴えるが、届かない。


「開け!」


  その瞬間、固く動こうとしなかった鍵は……回った。

  黒い雨が降り注ぐ中、二人は外にいた。灰色の雲を纏う、猛々しい山を見上げながら。



ーー今手放してもいずれまた回ってきます!ーー



  生きとし生けるもの全ての業を、世界の秩序と均衡を保つための力に変える……終わりの見えない痛みとの闘い。少女には、高い山が使命を果たすよう自分を威圧しているかのように見える。これを背負うならば痛みを刻め、と。扉を開いて開放されるはずが、逃げられないのだという絶望感に見舞われていた。雨に打たれながら、業輪を片手に開かれた門の前で立ち尽くす少女。ガトーは地面に蹲り、泣いていた。


「母さんをお許しください! 父さん……!」


  ガトーの懺悔の言葉を背中に聞き、少女も泣いた。聖母にならねば……そう、自分を責め立てながら。








ーーーーーーーーーーーーーーーーー







「それでもお前は業輪を探すのか?」


  嗚咽するクリストフの頭を撫でながら、フィオールは聞いた。クリストフは彼の腕の中で、低く呟く。


「もうとっくにあたしに回って来てるはずなんだ。本当は」


  クリストフの息がだんだん荒くなってゆく。


「でも、回って来なかった。何度目かの宴で……エドガーが持ち続けていたことを知った」


  フィオールは少女をキツく抱き締める。


「あいつ、あたし達を気遣って部屋も開かずに墓守をしながら……ずっと一人で。それに気付いていながら、あたし達はエドガーから業輪を受け取ろうとはしなかった! 鍵戦争はそんなあたし達への罰なんだ!」


  クリストフはフィオールの服を握りしめる。


「妖精に見初められて死にかけたニアと自分を重ねたりして……あたしはニアを助けたかったんじゃない! あたしは!」


  フィオールは叫ぶ少女の唇に、強引に唇を重ねた。クリストフは言葉を失う。蝋燭が揺らぐ暗い部屋。静かに、フィオールは唇を放した。驚きのあまり固まっている少女が見つめる先には、真剣な眼差しを向けるフィオールがいた。その緑色の瞳が、少女の涙腺をまた刺激する。


「…お前は充分苦しんだ。もう、聖母なんて辞めろ」


  少女はフィオールの優しい声に涙を流した。


「無理だ、そんなこと。山も失い、不老でもなくなる」


  フィオールはクリストフの両肩に手を置いたまま、眉を顰めた。


「あたし一人のせいで世界は崩壊する!」

「それでも俺がいる!」


  フィオールは強く、しかし穏やかに言った。


「山が無くても俺がお前を食わせてやる。不老でなくても、俺も一緒に老いていく」


  フィオールはクリストフを抱き締めた。


「世界が崩壊するその日まで……俺はお前の側にいる」

「……」


  彼の腕の中で、クリストフはカイザを思い出していた。ミハエルの死体を悲しげに見つめ、昔の思い出を愛おしそうに語る……


「クリストフ。死ぬことだって……そう悪くない」


  カイザの気持ちが、なんとなく理解できるような気がした。そして、漠然とミハエルが羨ましいと思っていたことにも納得がいった。少女は、人に愛されたかったのだ。愛されたうえで、許されたかった。



ーーお前は、聖母なんかじゃないーー



「…そうだな」


  少女はフィオールの広い背中に手を回し、その胸に涙を拭った。


「でも、もう大丈夫だ」


  少女は涙を流しながら笑った。








  月が照らす赤い唇を緩ませ、ニアは言った。


「夫と寄り添えるなら、何も望みません。そのためならば……命だって惜しくはありません」




「お前が生きる世界のためならば、痛みにだって耐えられそうだ」




「幸せに死ねるなら」




「お前が側にいてくれるなら……」


  少女の笑顔がフィオールの目に映った瞬間、部屋の灯りが消えた。暗闇の中、フィオールは手探りでクリストフの唇をなぞる。クリストフも、フィオールの頬に手を伸ばした。そして、二人は顔を近付ける。





「…ニア、」


  カイザはミハエルの肩を強く抱いて、聞いた。


「お前の目に、俺はどう映っている」


  ニアは少し考え、カイザを見た。


「…美しいです。美しくて、悲しい。あなた様もわたくしも、なんら変わりない。自分の愛を貫きたいだけ。それは美しいことだけれど、時折、悲しいものです」


  清々しい笑顔で、頬に涙を伝わせるニアをカイザはただ、見つめた。赤い瞳の奥で消えかけている火が、本当は夫と末長く寄り添いたいという本心を訴えかけてくるようで……切なかった。





  重ねた唇を離して、フィオールが言った。


「…もう寝よう。カイザが戻ってくる」

「そうだな……」


  クリストフも暗がりで頷き、二人はもといた布団に戻る。そして、互いに背を向けて横になった。


「……」

「……」

「…明日からどんな顔してお前と会えばいいんだ」

「それを言うなよ! 俺も迷ってんだから!」


  ガバッと起き上がって恥ずかしさに頭を抱えるフィオール。クリストフは、小さく笑った。そんな少女の笑い声を耳にして、フィオールは勢いよく横になり布団をかぶった。


「もう寝ろ!」

「言われなくても寝る」


  クリストフは笑いを堪えて、瞼を閉じた。


「…さっき言ったこと、俺は本気だからな」


  フィオールがぼそりと呟く。


「…あたしも、本心だよ」


  クリストフの言葉を最後に、沈黙が広がる。しかしその沈黙は僅かに熱を帯びていて、なかなか二人は眠りにつけなかった。結局、眠れぬままカイザとミハエルが戻って来た。川の字になってうとうとする三人は、それぞれに違うことを考えていた。フィオールは業輪について、クリストフは自分の未来について、カイザはミハエルについて……それでも三人は共に旅をして行く。道を違える、その日まで。



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