148.仮面の裏側に少年は怯える
「お前達は本当に……何をしているんだ」
まだ傷から煙を湧き出すアダムは、椅子に座って貧乏揺すりをしている。少し爛れた目で睨む先には、同じく椅子に座って不機嫌そうな顔をするバンディがいた。
「ルイズ、いい加減にしろよ……何で俺だけいっつも拘束すんだ! 放せ!」
後ろ手に手枷をはめられたバンディは怒鳴り声を上げた。アダムとバンディの正面に座るルイズは、小さく溜息をついて言った。
「前にも言ったはずだ。お前が一番信用できないからだと」
「今回はアダムだってのったんだぞ!」
「どうせお前がアダムをのせるような勝手な行動をとったんだろう」
バンディは舌打ちをしてアダムを睨む。アダムは眉を顰めたまま、すっと視線を逸らした。ルイズの斜め後ろに立っているヨルダは呆れたように二人を見ていた。まるで、喧嘩をして怒られる子供だ。協力関係なんて名ばかりで、その実権は確かにルイズが握っていた。
「とにかく、これ以上勝手な行動をすることは許さない」
「うるっせぇなどいつもこいつも! 邪魔する奴は俺がこの手で……!」
バンディが言葉を飲み込み、じろりと視線を横に流した。彼の首元には、大剣の刃が艶めいている。すると、身動きのとれないバンディは鼻で笑った。
「ここで殺されようが、俺は必ず運命の至るべき場所へ辿り着いて見せる。首一つで、魂だけで、どんな手を使ってでも……必ず!」
バンディの狂気に満ちた笑。アダムは息を止め、思わず大剣を振り下ろした。
「アダム。ここで私との約束を破ったらアンリの首は渡せないわよ」
微動だにせぬアダムの大剣を受け止めるのは、金髪に赤い目をした青年。アダムの目が、次第に見開かれる。青年に庇われたバンディはマントの隙間からその様子を見て、笑った。
堪えられるはずもなかった叫び声が部屋に響き、テーブルが叩き割られ、カーテンや壁が大剣の風圧で傷つく。ヨルダは法衣で顔を隠し、バンディは吸血鬼に庇われながらニヤニヤしていた。すると、ルイズが溜息をついて立ち上がった。それを察したアダムは血走った目で振り返ろうとする。
「来るな!」
その形相は、まさに化物。
「行くつもりなど、ない」
一発の銃声。視線の定まらぬアダムは、血が溢れる額を抑えて俯く。ルイズがアダムに向ける銃口からは、細く煙が立っている。
「ヨルダ。今のアダムにアンリを晒してはならないことくらい、見ていてわからなかったのか」
ヨルダははっとしてルイズに頭を下げるとともに、アンリは黒い霧になって消えた。バンディは足を組んでニヤニヤしながらアダムを見つめる。指の間から漏れる血。フラフラと、立っているのがやっとの様子。しかし、アダムは大剣を握る手に力を籠めた。その瞬間、
「落ち着け」
再び銃声が鳴った。弾丸はアダムの胸を貫き、アダムはフラリと倒れかける。が、ぐっと踏み止まって額を抑えたままルイズを睨んだ。口角からは細く血が流れ出している。ルイズはまだ構えを解かない。空いた右手は、腰の剣に当てられていた。
「どうせ終末がくるというのに、こんなくだらないことで命を無駄にするな」
「くだらない復讐を目的に死を望むお前が、偉そうなことを言うな!」
大剣を手に突っ込んでくるアダムにルイズは躊躇いなく連続して発砲する。アダムは大剣を盾にして弾を防ぎ、大剣を突きつけた。重たい剣をなぞるように身体を捻りながら、ルイズはスラリと抜いた剣をアダムの背に突き刺し、アダムをそのまま床へと押し倒した。血が滲む背中を踏みつけ、銃口を向けるルイズ。一発、二発。弾を入れ替える音がして、三発、四発……銃声だけが響き、火薬の臭いが立ち込める中、ヨルダとバンディは茫然と二人を見つめていた。銃声が鳴り止む頃、アダムは荒く息をして、痛みに顔を歪めていた。ルイズはそんなアダムを見下ろし、言った。
「私はただ死を望むわけじゃない。神に選ばれし戦士を屠った罪人として罰を受けることを望むのだ。お前達のようなやたらめったらな望みとは違う」
「……だったら、殺してやる。俺が罰してやる」
アダムは首だけでゆっくりと振り返り、ルイズを睨む。
「俺が神になって望みを叶えてやる。腹立つ盗賊も、憎たらしい吸血鬼も、呪われたこの俺自身も……お前も! 俺が全員、殺してやる!」
ルイズはその冷たい視線でアダムを見つめ返し、再び銃を……向けた。銃声が鳴り、暗闇が広がる。熱い。悲しみも、悔しさも、寂しさも……感情が怒りに覆われ、ドクドクと滾る血となって溢れ出す。
「迷いが失せたその目は、見る者を石に変える力がある」
ルイズは銃をホルターにしまい、眼球を撃ち抜かれたアダムを見つめる。その首元からは、煌めく宝石が顔を覗かせていた。ルイズはそれを見つめ、言った。
「いいだろう。心ゆくまで残虐の限りを尽くすがいい。それでしか報われぬ、哀れな殺し屋よ」
アダムは力無く倒れ込んだままげほげほと咳き込む。撃たれた左目から、血を溢れさせながら。ルイズは剣を納め、振り返る。そこには、口を開けたまま固まっているヨルダとバンディがいた。
「バンディ、」
名を呼ばれるが、バンディは返事をしない。できなかったのだ。返り血を浴びた端正な出で立ちに、氷のように冷たい目。ルイズの高貴で威厳ある風格に、飲まれていた。
「次、今回のようなことがあれば今度こそ許さない。舞台が整うまでは私の指示に従え。いいな」
バンディは冷汗を垂らしながらも、小さく笑う。
「舞台、か。わかったよ。こんな状態だ、大人しく言うこと聞いてやる」
バンディが少し強張った声でそう言うと、ルイズはヨルダを見た。ヨルダは思わず一歩、引いてしまう。
「アダムに治療を」
「……かしこまりました」
バンディは顔を引き攣らせながらも笑顔を浮かべ、アダムを見下ろすルイズを見ていた。予想外の手練。相手の腕前を見抜けなかったことなどないというのに、ルイズだけが読めない。しかしそれゆえにわかることもあった。彼を、敵に回してはならないということだ。
「……アダム、死ぬなよ」
気持が籠ってないルイズの言葉。死ねない自分への嫌味のつもりか、とアダムは思ったが、まだ声が出せそうにない。
「業輪を滅しようとする仮面の男を葬るのは、他でも無い、お前なのだから」
アダムの頭に、烏天狗の面が浮かんだ。欠けた仮面を抑える指の間から、少しだが、素顔が見えたことを思い出す。鮮明に思い出そうとするが……撃ち抜かれた頭ではもはや、考えることもままならない。あの瞳の色は、確か……
「シド、頼むから開けてくれないか」
黒い煙が隙間から漏れ出す扉の前で、3人は立ち往生していた。カイザは心配そうに扉をノックする。その後ろでは、ダンテが悲しげに瞳を潤ませて俯いていた。
「……カイザ、行くぞ」
意外にも、クリストフは冷静だ。カイザはノックしていた手を引っ込めて、扉を見つめる。クリストフはダンテの手を引いて歩き出した。カイザは一歩引き、そして、扉から離れた。
居間へ戻ると、カイザが散らかした本を整理するマルクスがいた。クリストフはソファーに座り、マルクスの手元から一冊の本を引き抜く。
「レオンは」
「レオン様は民を避難させるために町の方へ……」
「そうか、あの騒ぎだったからな」
「私も行かねばなりません。申し訳ございませんが、これにて失礼させていただきます」
マルクスは頭を下げ、部屋から出て行った。カイザはクリストフの正面に座り、煙草を咥えた。しかし、火に手をかけたまま動かない。クリストフの隣に座るダンテは、俯いたまま、小さく嗚咽していた。
「何でお前が泣いてんだよ」
少女は煙管を口から離し、ダンテに向かって細く煙を吐き出した。煙は少年を捌けるようにふわりと空中に散る。
「泣いたってシドは部屋から出てこない」
「どうしたら、いいの」
「どうしようもない」
「じゃあ、シドはどうなるの。時間もないのに、このまま……」
クリストフは開いていた本を思い切りテーブルに叩きつけた。
「このままで、いいわけあるか!」
この少女が冷静であれるはずなど、なかった。クリストフはカイザを睨み、胸の内を吐き出す。
「カイザ、お前あたしと話したよな……エドガーがシドの母親であることはありえないと」
ガイザは煙草を咥えたまま何も言わない。クリストフの本を抑える手は、震えている。
「シドの母親がエドガーって、どういうことか説明しろよ!」
少女の怒号に、ダンテは声を上げて泣き始めた。クリストフは角の立つ目つきのままダンテを見る。
「130歳にもなって、ガキみてぇにめそめそしてんじゃねぇよ!」
クリストフが、金の指輪が輝く左手を振り上げた。ぎゅっと目を瞑り、身を強張らせるダンテ。沈黙の中そっと目を開くと、テーブルに身を乗り出したカイザがクリストフの手を握っていた。テーブルの上を、一本の煙草が転がる。
「……本気で殴るつもりも、ないくせに」
カイザの色のない目に見つめられ、クリストフは手を振りほどいた。そして、眉を顰めて頭を抑え、ダンテを抱き締めた。
「くそ……くそっ!」
クリストフは戸惑うダンテを強く抱き締め、言葉にならない憤りを叫びにする。カイザはソファーに座り直し、言った。
「人って、本当にわけがわからなくなると泣いたり怒ったり塞ぎ込んだり。いろんな反応を示すもんなんだな」
カイザの言葉に、クリストフはダンテから身体を離して目を吊り上げた。
「そう言うお前はどうなんだよ」
「別に、何も」
「何もじゃねぇだろ……お前はエドガーを、」
「ミハエルを愛してる。だが、シドのことも我が子のように思ってる」
クリストフの言葉を遮り、カイザは言った。
「我が子があんなになっているのに、こんなことで落ち込んでられないだろ」
「こんな、ことだと?」
クリストフはダンテの肩を抱いたまま、テーブルに拳を叩きつけた。
「真剣に考えろよ……その真実一つでシドは塞ぎ込んだんだぞ! あいつらがいつ何処で、誰との間に生まれた子供なのか! ここまできたら、それらをはっきりさせない限りあいつはこのまま悩み続ける!」
カイザはテーブルに転がる煙草を拾い上げ、火をつけた。ゆっくり一息吐き出すと、口から滲み出す煙とともに言葉を並べる。
「……それを知るには、蘭丸が何者であるかを知る必要がある」
ダンテは俯き、自分の手を見つめた。シドに握られた、指輪だらけの白い手。
「伝承者蘭丸……目的も正体もはっきりしない仮面の男。その仮面の裏を暴く時が、きた」
カイザは、煙草を強く灰皿に押し付けた。飛び散る火の粉。赤から黒へと変色する灰に目を奪われるクリストフ。カイザは膝に肘をつき、両手を組んで口元に当てた。穏やかな声色とは裏腹に、青い目は決意の炎を宿してどこか威圧的だ。
「過去と未来を映す業輪は、必ずこの俺が手にしてみせる。シドのため、ミハエルのため、お前達のため……神に選ばれし、戦士として」
少し驚いたような顔をするクリストフの隣で、ダンテは俯く顔を上げた。涙が乾いた銀の瞳に、カイザの闘志が燃え移る。
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荒れた町から少し離れた森の大きな洞穴。その奥からは、苦しげな呻き声が聞こえてくる。
「蘭丸……一体どうしたというんだ」
横たわって額を強く抑える蘭丸。彼の傷を、サイはただ一向に処置してゆく。白い指から白い煙が細く伸びて、切傷や火傷を覆う。蘭丸は、荒く息をして時折小さく声を漏らすばかり。
「私は、伝承者としての務めを果たしたのだ……何も、過ちなど」
過ち。サイは疑問に満ちた顔で蘭丸を見つめる。
「お前ならどうしたというのだ……執筆者に、何ができる」
蘭丸は欠けた仮面を外し、仰向けになった。サイはそれを見て、目を背けた。見たくなかったのだ。あの男と同じその顔を見ると、反射的に嫌気がさす。
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闇の中。いや、黒い煙が充満し、光を通さぬ箱と化した寝室だ。そんな暗がりでポツリと、赤い光が見える。それは、少年の瞳だ。
ーーお前達の、母親は……ーー
蘭丸は、何者なのか。
ーー母親の名を聞いて、その思いは強まる一方だったーー
兄は、その真実を胸に何を成そうとしているのか。
ーー離れ離れでは飛ぶことすらできない比翼の鳥を……ーー
「……一人でも、飛べるのに」
少年がぼそりと呟くと、赤い光はつやつやと潤み始めた。
「カイザがいればいいのに、それなのに、」
ーー……エドガーだーー
「……なんで、こうなっちゃうの」
赤い瞳から何かが零れた落ちた。しかしそれは、黒い煙に沈んで何処へいったかすらわからなくなる。
部屋から出られない。
仲間の自分を見る目が、変わっているような気がして。
暗闇から出られない。
居場所と愛情を与えてくれたあの男の光は、眩しすぎて。
神は自分を運命という鎖で締め上げて、死ぬまで苦しめ続けるのだろう。
少年は何の抑揚もなくふと、そう思った。赤い光は消えて、暗闇は深みを増してゆく。