146.敵も味方も関係ない
「……はぁ、」
サイの肩に寄りかかり、バンディは溜息をついた。辺は煙が立ち込めて、何も見えない。
「しつけぇ野郎だよ、本当に」
その瞬間、サイが白い翼を大きく広げた。そこに、アダムが大剣を振り下ろした。大剣は白い羽に跳ね返され、アダムは舌打ちしながら後方へ下がる。サイは鋼のように硬くなった羽を緩めて、バンディと共に振り返る。
「アダム……吸血鬼もどきのてめぇじゃ、サイには勝てねぇよ」
バンディは楽しそうに笑いながら近くの瓦礫に腰掛けた。そして、解けかけた包帯を巻き直し始める。俯いていたアダムが、顔を上げた。それを見てバンディは少し驚いた顔をしてから腹を抱えて笑い出した。
「男前になったじゃねぇか! アダム!」
被爆して切れ切れになった衣服、傷ついた身体。そして、爆風で吹き飛んだと思われる、骨が露になった顔の右半分。灰色の瞳の眼球が白い骨と赤い肉の間に埋まる。傷は焼け付くような音を立てながら徐々に再生していた。
「火傷面のお前に比べたら、な」
「はっ、口も利けるのか。サイ、」
バンディが顎でアダムを指すと、サイは剣を両手に一歩踏み出した。
「今度は暫く喋れないようにしてやれ」
再び、サイの足元から緩く煙が溢れ出してきた。白い髪がふわりと舞い上がり、青い目が淡く光を帯びる。アダムは血を吐き出して、サイを睨んだ。
「お前達兄弟は、そうやって誰かに縋らないと歩くことさえままならない」
アダムの言葉に、サイの足が止まる。しかし、バンディは包帯を咥えたままにやにやとその火傷に包帯を巻く。
「お前達は生を否定され、殺すことでしか自分の存在を実感できないただの化物だ。居場所を求め、それを維持するためにまた殺し続ける。何が、天使だ。何が神の使いだ。お前らは、悪魔や吸血鬼同様に地上にいてはならない存在なんだよ!」
「サイ、さっさとあのうるさい喉を潰せ」
「お前はホワイトジャックに拾われた時点で天使なんて高尚な存在じゃないんだ! 弟を思い出せ!」
サイは、冷たい目で高揚して声を荒げるアダムを見た。脳裏を過ぎる、シドの姿。黒い翼、尖った牙、赤い瞳。サイは、ゆっくりと口を開いて、言葉を漏らした。
「……それでも俺と同じ、化物の血を分けた……たった一人の、弟です」
サイの言葉に、バンディのニヤケ顔がふと無表情になる。サイは振り返り、バンディを見た。
「俺は、神に仕える天使なんかにはなれない」
「……何言ってんだ?」
「業輪をお前に捧げることもできない。でも、それでも、」
「帰ってきたから、許してやろうと思ったのによ」
バンディがふっと鼻で笑って立ち上がり、サイに歩み寄る。サイは眉を顰め、訴えかけた。
「それでも俺はお前に生きていて欲しいんだ。お前は俺を、救ってくれたから」
「あー……もう、喋らなくていい」
俯き加減に、首を横に振るバンディ。サイとバンディのただならぬ様子を、アダムはただ冷ややかに見つめる。その顔はほとんど再生しており、残るは眼球を覆う瞼の再生を待つばかりだった。バンディはナイフを手に、サイの目の前に立った。
「蘭丸に毒されやがって。そんなお前はもう俺の共犯者でも何でもない」
「バンディ、」
「ただの邪魔者だ」
顔を上げたバンディは、笑っていた。その表情に戦慄が走り、距離を取ろうとした瞬間……バンディはサイの額に勢いよく頭を振り下ろし、頭突きした。後方へ吹き飛ばされるサイ。そこでは、大剣を持ったアダムが待ち構えていた。サイは顔を歪めながら、唇に人差し指と中指を当てる。すると、翼から白い羽が抜け落ちて鋭い刃に変わり、アダムへと襲いかかる。羽はアダムの足、肩、腕に刺さるが、アダムは動じる事無く倒れ込んできたサイに大剣を振り下ろした。轟音と共に、砂煙が上がる。地面には罅が入り、バンディの足元まで亀裂が走る。
バンディは、眉を顰めたままに砂煙を見つめていた。その間、彼の耳にようやく周囲の人々の悲鳴が届いた。いつもは、これが楽しくて仕方なかったというのに。サイが戻ってきたことに浮かれて、周囲の様子なんて目もくれなかった。そう、だからこそ、サイの裏切りは死に値するのだと……考えていた。しかし、
「遅くなった……すまない」
視界が開けてゆく砂煙。その中の様子に、バンディは目を見開いた。
「蘭丸、」
サイの、絞り出すような声。アダムの前にしゃがみ、サイを庇うように大剣を刀で受け流す格好で荒い息をする男。焦げ跡が目立つ袴に、欠けた仮面。アダムが大剣を地面から離した瞬間、蘭丸は刀をアダムに向かって突きつけた。アダムはそれを紙一重で避けて、大きく後退する。
「蘭丸、俺は、」
不安気なサイに、蘭丸はすっと手を出した。何も言うな。そう促され、サイは言葉を噤む。すると、蘭丸が息絶え絶えに言った。
「それで、いい。お前がした、選択ならば」
「……」
「お前の心は、お前だけのものだ」
サイは、蘭丸の言葉に目を潤ませながらもぐっと歯を食いしばり、深く、頷く。
「蘭丸……てめぇ、」
怒りに満ちた声。蘭丸とサイが振り返ると、バンディが形相を変えて歩み寄って来ていた。
「よくも俺の部下を使えねぇポンコツにしてくれたな。お前だけは絶対に殺す」
「部下の気持ちも汲み取れぬ奴に、人の上に立つ資格はない」
蘭丸はそう言って、よろよろと立ち上がる。
「蘭丸!」
サイの声に蘭丸が振り返ると、大剣を振り上げたアダムが迫っていた。その瞬間、バンディもナイフを手に走り出した。
響く金属音。蘭丸はバンディのナイフを刀で弾いた。しかし、その刀の刃をバンディが掴んだ。刃を伝う血。蘭丸が振りほどこうとするが、バンディが右手のナイフを蘭丸に突きつけた。それは蘭丸の仮面の目に当たり、視界を作る小さな穴に切っ先が入った。
「てめぇに焼かれたこの身体に、サイ……どう落とし前つける気だ? おい!」
バンディはナイフを力づくで仮面に押し付ける。小さな穴から仮面に細い亀裂が入り始める。その背後では、アダムの大剣を二本の剣で受けるサイがいた。二人は互を睨み合い、競合う。
「サイ……お前は一体、何がしたいんだ」
「マスターには関係のないことです」
「関係ないな、確かに。俺はただ、お前らを殺せればそれでいいんだからな」
アダムは競り合ったままにサイを押しやった。力では、アダムに敵わない。後退りしながら受け流そうと身を捩るサイ。しかし、その体が何かとぶつかった。横目に後ろを見ると、バンディに押されて肩で息をする蘭丸がいた。サイと蘭丸は背中を合わせたまま、目の前の刃を睨みつける。
「てめぇらを裁くのは神じゃねぇ、この俺だ」
バンディがそう言うと、辺は白い煙と赤い炎に包まれる。二つが轟々と逆巻く中、ボロ切れと化した羽織を舞い上がらせながらアダムが言った。
「今更、何をしようと無駄だ」
白い包帯を黒く焦げてゆくのを他所に、バンディはナイフをぎりぎりと仮面に押し付ける。
「てめぇの炎なんざ、一度死に目を見た俺には涼しいくらいだ!」
バンディのナイフが突き刺さり、仮面を抉った。その瞬間、
「!」
「蛇?!」
煙と炎の中に、巨大な白蛇が飛び込んできた。蛇は大きな口を開き、四人へと襲いかかる。バンディとアダムは方々へ避け、サイは左目を抑える蘭丸を抱えてその場を離れた。すると、蛇は地面へとその口を埋め、水泡を撒き散らして弾け飛んだ。雨のように降り注ぎ、周囲の煙や炎をかき消してゆく水。唖然とするサイの腕の中、蘭丸はゆっくりと顔を上げた。
「蘭丸、久しぶりだな」
雨の中に立つ、不敵の笑を浮かべる少女。そのすぐ近くには、二人の子供がいた。蘭丸はサイの腕につかまりながら、左目を抑えたままにふらつく足で立ち上がる。サイも立ち上がり、クリストフを睨む。
「また、お前か」
「また、あたしだよ」
クリストフは鉄扇を肩にかけて、周囲を見渡す。アダムとバンディが、それぞれに武器を構えているのを見てクリストフは鼻で笑った。
「さて、シド。どうする?」
クリストフの言葉に、サイは下を向くシドを見た。シドはフードを抑え、顔を上げた。
「とりあえず、バンディとマスターは邪魔だね」
赤い目が、鋭くサイを捉える。そして、クリストフはバンディを、ダンテはアダムを見た。
「だ、そうだ。うちのガキは我儘でな。仕方ないからお前とはあたしが遊んでやるよ」
「聖母クリストフ……お前らに構ってる場合じゃないんだが、まあいい。いい女が相手してくれて、嬉しい限りだ」
バンディはナイフをくるくると回して、飛び上がった。屋根に上がるバンディを追うクリストフ。ダンテは、アダムと睨み合っていた。
「ホワイトジャックの、アダム?」
「……」
アダムは、ダンテを見つめたままに何も言わない。
「君に恨みはないけど、邪魔だから消えてもらうね」
「……そうか。俺はお前に恨みがある」
ダンテは眉を顰めた。
「消えてもらうぞ、北の魔女ダンテ」
アダムが大剣を手にダンテの方へと駆け出した。ダンテはその場でくるりと回り、地面に陣を描いた。その瞬間、アダムは何かに気づいて上へと飛び上がった。すると、アダムの真下からざわざわと植物が伸び始める。それは巻き付き、絡まり合い、大きなひとつの花になった。その花弁にアダムが足を下ろすと、花弁が大きく畝って蕾のようにくるまった。アダムを飲み込むそれを見上げるダンテの近く。シドは鎌を手に、しっかりとした足取りでサイと蘭丸に歩み寄っていた。
「……サイ、」
シドはサイの前で立ち止まり、真っ直ぐに青い瞳を見つめる。サイは無表情をそのままに、立ち尽くす。白い髪は毛先から黒へ、青い目も、黒くくすんでゆく。それを見て、シドもその赤い目を黒に戻した。そして、少したどたどしく、言った。
「僕も、どうしていいのか……わからない」
「……殺さないのか」
「殺したい。でもきっと、後悔する」
シドは、ぎゅっと鎌の柄を握り締めた。
「後悔してしまう前に……教えて。サイは、お母さんの名前を聞いてどうしていいかわからなくなったと言っていた。それは、何で?」
蘭丸はまだ目を抑え、片目で兄弟を見つめていた。
「僕達のお母さんって、誰なの?」
サイは困った表情をして、蘭丸を見た。蘭丸は、何も言わない。自分で、決めなくてはならない。サイは大きく息を吸い込み、吐き出した。そして、シドを見つめる。
「母親の名前を聞いて、俺たちが比翼の鳥として生まれたことにも、お前が堕天したことにも、何か特別な意味があると思えたからだ」
特別な、意味。
「一緒でなければ空すら飛べない比翼の鳥。俺達は、どちらが欠けてもならないのではないかと……ふと、思ったんだ」
「特別な意味って、何」
「……わからない。だが、俺達は今こうしてここにいる。一度離れ離れになったとて、ここに辿り着いている。それはもはや、母が望んだことなのだろう」
「どういうこと。お母さんって、誰なの」
サイに問い詰めるシドだが、その脳裏には一人の女の顔が浮かんでいた。サイの口が、ゆっくりと……名を、唱えようとする。
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「ヤヒコ様、」
縁側で赤い空を眺める少女は、ふと、室内へと目を向けた。誰もいない、いつもの和室。麩の向こうにひとつの人影が見える。
「……翡翠、何の用だ」
「イトサマが、お呼びです」
少女の顔が、不安の色に染まってゆく。少女は膝に置いていた黒い烏天狗の面を見た。そして、意を決したように立ち上がる。
麩を開けると、翡翠が廊下に正座していた。少し驚いた顔をして、翡翠は慌てて立ち上がる。少女はそんな彼を横切り、張り詰めた空気を背負いながら母の自室へと向かった。
「……ヤヒコです」
「入りなさい」
少女は静かに麩を開けて、室内へ入った。香が焚かれた、煙たい室内。その中央の布団に、母は寝ていた。少女がその枕元に座ると、母は少女を見上げ、小さく笑った。
「何を、そんなに不安がっているのです」
「……不安など、」
「あなたは神の寵愛を受けているのですよ? しっかりなさい。でなければ家臣達まで不安になってしまうでしょう」
「……はい」
母は、弱々しく布団から手を出して少女の手を握った。
「最後の……神の声を、聞きました」
少女は、はっとして母を見つめる。その時、ぼんやりとしていた視界が明瞭になった気がした。母は穏やかに笑っていたのだと、少女はやっと気づく。
「審判の日が終わる時、あなたは出会いと別れを果たします」
「別れと……出会い」
「あなたはその別れに子供のように泣いて悲しみ、出会いに安堵して泣いて喜ぶ。そう、聞こえましたよ」
「……母様、」
「私は、審判の日にこの世を去ります」
少女の目から、ぽたぽたと涙が落ちる。それは、少女の手を握る母の手の甲に染みてゆく。
「あと、3日。全てが終わるその日まで、ここにいてくれますか?」
「います……母様の御側に、ヤヒコは……りんは、おります」
少女は母の手を持ち、自分の頬に当てた。この温もりを、この涙を、最後の時まで感じ取って欲しい。そして……
「私の娘は、いい子に育ってくれました。私は、幸せ者ですね」
この笑顔を見ていたい。自分の笑顔を、見ていてもらいたい。少女は涙を流しながら、柔らかく、笑った。