144.心の赴くままに
「あー、やっぱりすっきりしねぇ」
勢いよく立ち上がり、尻についた葉をほろうバンディ。大剣に寄りかかりながらうたた寝をしていたアダムは眉を顰めて顔を上げた。
「おい……何処に行く気だ」
「サイのとこだよ」
バンディの言葉に、アダムの眉間の皺がさらに深くなる。
「何を言ってる。ここを離れてはルイズに何を言われるか……」
「ったく、どこまでも律儀な野郎だなお前は。あんな野郎、利用し合ってるだけの関係だろうが」
「サイとはやり合う覚悟だったんじゃないのか」
「そうだ。だからぶち殺しに行くんだよ」
背を向けて歩き出すバンディの腕を、アダムが掴んだ。バンディは煩わしそうに振り返る。
「部下の裏切りに未練タラタラじゃないか、バンディ」
「未練? 阿呆抜かすな。お前と同じで、殺さないと気が済まなくなっただけだ」
「俺がこうしてお前を目の前に大人しくしてやっているというのに、お前は感情任せな単独行動をするつもりか。だったら、俺とて今ここでお前を殺してもいいんだよな?」
睨み合う二人。バンディの手にはナイフが、アダムの手には大剣が握られていた。すると、バンディが口角を怪しく釣り上げて、鼻で笑った。
「面倒臭い協力関係も、ここまでだ」
バンディがアダムの手を荒々しく振りほどいた。その瞬間、アダムは大剣を鋭く突きつけた。しかしバンディの体はふっと上空へと消え、大剣の切っ先は空を切ってずしりと地面に沈んだ。アダムが上を見ると、木の枝にかかったワイヤーにぶら下がるバンディがいた。
「吸血鬼もどきはどうやって殺せばいいんだ? にんにくか?」
「ヨルダから聞いたのか。残念ながら、俺は吸血鬼そのものでもないからな。にんにくも日光も効かない」
アダムは大剣を大きく横へ振って、木の幹を叩き斬った。崩れる大木の揺れに合わせて揺れるワイヤー。バンディは軽々と隣の木に移った。
「だったら、化物には化物を当てるしかねぇようだ」
バンディはそう言って、胸元の包帯を引きちぎった。
細い通路を通って、奥へ奥へと歩みを進める。すると、小さく垂れる水の音が聞こえてきた。暗くて何も見えないが、広いところに出たようだ。カイザとレオンが足を止めると、マルクスがランプを手に、広場の燭台に火を灯し始めた。少しずつ露わになる、石造りの祭壇。それは水に囲まれており、一番奥には大きな聖杯が置かれている。湿った土の天井から水が零れ落ち、静寂をつく水音を立てていた。
「祭壇、か?」
カイザが聞くと、マルクスは小さく頷いた。
「エドガー様も、ここにおられました」
カイザはゆっくりと聖杯に歩み寄る。自分の知らないミハエルがいた場所。レオンが生まれた場所。そして……
「ここで、神の啓示を授かったのか」
「はい。エドガー様は巫女として、神託を受けておられました。神の寵愛を、受けるまでは」
気が遠くなる程に昔の話。彼女はずっと一人で、この場所で。いや、ノースの墓地でもそうだった。彼女はずっと、始まりから終りまで……一人で。
カイザは祭壇の聖杯を撫でた。中に蝋が溜まっていることから、ここには火が灯っていたと考えられる。火を祀る、神殿に代わる崇拝対象。何かに縋り付かないと、生きてゆけない時代。
「ここに三連星の手掛かりがあればいいのですが」
マルクスが言うと、レオンがカイザに続いて祭壇に上がった。
「そこにカイザ様を導くのが、私の役目だろう」
カイザが振り返ると、レオンは優しい声で言った。
「神殿は見えずとも存在する。そう、私の父が申しました。この身体に流れる守護者の血に誓って、必ず見つけ出してみせます」
「……ああ、頼む」
カイザは、聖杯からするりと手を離した。
「なんか……音がしたね」
「そう? 風の音じゃなくて?」
シドの視線の先を追うダンテ。風の音がごうごうと耳を掠める以外、何も聞こえない。
「……だんだん、町に向かってる」
強い風音の中で、シドが崖に背を向けて立ち上がった。
「何? 何が聞こえるの?!」
ダンテも立ち上がって聞くと、シドはじっと森の方を見つめて言った。
「木が、倒れる音。剣が、ぶつかる音……」
「……誰か戦ってるの?」
シドは、「しっ」と言って人差し指を口に当てる仕草をした。ダンテは言われるがままに黙る。そして、法衣の袂から小さい水晶を取り出した。ダンテが何かしようとしている間、シドは瞼を閉じて五感を研ぎ澄まし、風の音に紛れた気配を探る。
剣が交わる甲高い音に、時折、木が倒れる音がする。そして、
ーーバンディ!ーー
シドは、はっとして目を見開いた。
「……兄さん」
小さく呟き、震える足を一歩踏み出した。その時、町の方から大きな白い光が見えた。水晶を覗き込んでいたダンテは、唖然としてその光に目を奪われる。それは、低い爆発音と共に空へ溶けた。
「今の、何」
「兄さんが……サイが、戦ってる」
今にも泣きそうな顔をするシド。何が起きているのかわからない。バンディがいるのか、蘭丸はどうなったのか、何故、あんな必死な声でバンディの名を呼んだのか……踏み出したはずの足も、震えでもう動かない。
「シド、」
ダンテの呼び声に、シドは驚いたように振り返る。
「行こう」
「ダンテ……」
「神殿はまだ見つかってない。誰であろうと、今カイザと会わせるわけにはいかないよ」
「……でも、怖い」
シドの目が潤んでゆく。それを見るダンテの表情も、徐々に辛そうに歪んでゆく。
「どうしたら、いいの」
俯くシド。ダンテはふと屋敷の方を見た。カイザ達に知らせるべきか。いや、彼らが何処に行ったのか、ダンテとクリストフは聞かされていない。カイザをサイに会わせるのも危険だ。ダンテが考えこんでいると、屋敷の玄関が勢いよく開いた。
「おい! 今の光は何だ!」
出てきたのは、鉄扇片手に鋭く目を釣り上げたクリストフだった。クリストフはダンテ達に早足で歩み寄り、めそめそと泣くシドを見た。
「泣いてる場合じゃねぇぞ! 何が起きたんだ?!」
クリストフが強い口調で言うと、ダンテがシドの代わりに答えた。
「サイが、誰かと戦ってるみたいなんだ」
「サイ?! じゃあ、バンディもいるのか」
クリストフが歩み出すと、シドがその腕を掴んだ。
「待って! クリストフ!」
「なんだよ! 奴らが来たんだ、片付けねぇことには神殿も何も……!」
「サイのこと、殺すの?!」
シドの切願するような目に、クリストフは黙り込む。
「僕……サイを殺せるか、わからない。会ったらきっと、殺したくなるのに……殺したら、死ぬ程後悔する気がして怖いんだ」
「……だったら助けりゃいいだろ!」
クリストフに頭を小突かれ、シドは頭を抑えてきょとんとしてしまった。ダンテも、言葉を失っていた。
「今サイは誰かとやり合ってんだろ? だったらサイを助けて、その後どうするか決めろ! お前の兄貴なんだろ?!」
「……」
クリストフは大きく溜息をついて、シドの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「行くぞ」
「……うん」
頷くシドを見て、ダンテは法衣の袖に手を入れてその手を大きく広げる。すると、袖から大きな白蛇が現れた。ダンテはその頭に座り込み、シドとクリストフに手を差し伸べる。
「乗って。カイザ達が戻るまでには終らせよう」
シドは、クリストフを見上げた。クリストフは強くシドの肩を叩く。シドは涙でふやけていた表情を引き締め、ダンテの手を取った。