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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆パリス~破綻と集結~
144/156

143.運命は糸では表せない

 死海を一望できる崖の上。そよぐ風が心地良い、少し乾燥した原っぱに少年達は座り込んでいた。


「ねぇ?」


 シドの声に、ダンテは本から目を離した。


「運命の至るべき場所って何?」

「……わからない、ってみんな言ってたでしょ?」


 ぼんやりと、赤い空と陰った海を見つめるシド。ダンテはシドの視線を追って、死海の向こうの黒い山脈を目でなぞる。


「そこに行っても行かなくても、世界は終わっちゃうんでしょ?」


 シドの囁きを耳に、ダンテは力無く「うん」と答える。


「お墓ってこと?」


 ダンテは読みかけていた本を見下ろした。それはミハエルが持っていたという、ヴィエラ神話の本。


「……お墓って考えると、とてもしっくりくるね」

「墓守だったミハエルが鍵である業輪を持ってたんでしょ? じゃあ、お墓だよね」


 子供ながらの、鍵戦争の解釈。シドはただカイザにくっついて来ているものだと思っていたが、彼なりにこの戦いと向き合っていた。ダンテはそんな彼が少し恐かった。核心をつくような言動に見透かされるような感覚を覚えていたのだ。


「……世界はね、」


 何を思ったのか、ダンテは本の文字列に視線を落としたまま話し出した。


「何度も何度も節目を迎えて、その度に傷つき、再生してきた。神の啓示が"12巻"の終りで、"13巻"の始まりだ」


 シドは、隣に座るダンテを見た。長い銀色の睫毛。そこからのぞく、青く艶めく銀の瞳。真面目な話をしているダンテを横に、シドは大人になったダンテを想像していた。


「神の啓示の後、僕達四人が宴に招かれた。そして、ヤヒコは水の淀みを清め、クリストフは大地の歪みを正し、僕が大気の穢れを払った」

「ミハエルは?」

「……月の姿を留めた」

「どういうこと?」

「月が遠くに行ってしまわないようにしてたんだよ」


 それは、有難い。月の力を宿す少年は、ふとそう思った。


「僕達が再生した世界はまた生まれ変わろうとしてる。死んで、そして、再生するんだ」

「……どうして、それにカイザが必要なの?」

「……さあ。墓守にでも聞いてみないとわからないよ」


 ダンテは本を閉じて小さく微笑んだ。シドはそれを見て、慌てたようにその手を握った。ダンテが驚いてシドを見ると、シドは真剣な表情でダンテを見つめている。真っ黒な左目が、真っ直ぐに銀の瞳を貫く。その表情に、ダンテはふと……


「大丈夫だから」


 決意と、覚悟と、恐れを払おうとする強がりが交差する瞳の向こう。


「世界はカイザが、ダンテは、僕が守るから」


 いつもカイザは、こんな目をしていた。


「大人になったら、結婚しようね」


 いつからこんな表情をするようになったのだろう、と、ダンテが考えていると、シドは首を傾げていつものようにへらっと笑って見せた。ダンテは少し呆気に取られながらも、ふっと笑い出した。


「…そうだね」


 何故、男に生まれた自分が美女として神の寵愛を受けたのか。ダンテはシドの手を握り返し、やっと気付くことができた。女になりたい。女としてこの手をいつか握りたい。それ程にこの少年を思えるようになった今、自分は確かに女として神の宴に招かれたのだと知る。未来に生きる"美女"として、性を超えた確かな愛情を知ることを神に運命づけられたのだと。運命を憎む少年は、少しだけ、神に感謝した。


「シドは、僕のどこが好きなの?」

「えっとね、顔!」

「……」

「と、物知りなところと、泣き虫なところと、強がりなところと、僕と遊んでくれるところと……わかんない、全部好き!」


 一瞬、神への感謝も取り下げられそうになったが……ダンテは頬を赤らめ、困ったように俯いた。そんなダンテの顔を覗き込み、シドがにこにこしながら聞いた。


「ねぇねぇ、ダンテは僕のこと好き? どこが好き?」


 無邪気にうきうきしながら質問をするシド。ダンテは膝に顔を埋めたまま、言った。


「……そういう、無神経なところ」

「……なんて?」


 シドがねぇねぇと問いただすが、ダンテは本を抱えて黙り込んだまま何も言わない。小さな手を握り合ったまま。









 騎士は、その場所に見覚えがあった。


「パリス弾圧の際に使用された、地下空洞です。当時はここに市民を避難させていました」


 屋敷の地下深く。薄暗い、土の壁が冷たく湿った洞穴。マルクスはランプを手に歩き出す。それに続くレオンとカイザ。コツコツと、3人の足音がしつこくこだまする。そして、天井の高い大広間に出た。古く汚れた毛布や、今にも壊れそうな木製の椅子。そして、誰かの読みかけの本。それらが無造作に散らばり、黴と土の匂いが立ち込めている。


「…市民全員、ここに入ったのか」


 カイザが聞くと、マルクスは天井を見つめたままに言った。


「いえ、ここに入ったのは老人や、女子供。戦える者は地上にて町を守ろうとしていました。結果は……お話した通りですが」


 マルクスは視線を落として呟く。レオンはそんな彼を横切り、広間の奥へと歩き出した。そして、一番奥の壁に手をついた。


「……この向こうで、私は」


 カイザが不思議そうにレオンを見つめる。すると、マルクスが低く、言った。


「そうです。あなたは、その向こうで生まれました」


 マルクスがポケットから出したのは、4つの鍵がぶら下がった輪っか。それを手に、マルクスはレオンの隣に立った。そして、壁を手で撫で付けながら何かの感触を確認しては鍵を差し込む。彼が鍵を回すと、抉れた土の向こうでカチャリと鍵が開く音がした。カイザはその様子をじっと見つめる。複雑に絡まった鍵の先端に、どこにあるかもわからない鍵穴。盗賊であるカイザは、無意識にその開錠方法を考えていた。そして、全ての鍵が開いてはっと我に返る。


「レオン様が生まれ、ご主人様と奥様と決別なされた場所です」


 マルクスが壁を押しやると、土がこぼれ落ちて扉の形が浮かび上がった。ゆっくりと開かれた扉の向こうは、細く奥が見えない通路になっている。


「神殿の手がかりがあるとしたら、もはやここ以外には……」


 微かに、冷たい空気が流れてくる。古く錆びた燭台が土の壁に転々と刺された不気味な通路を、レオンとカイザは真っ直ぐ見据える。


「守護者の血が三連星へと戦士を導く」


 マルクスはそう言って、カイザを横目に見やる。


「そして、そちらの戦士様は門を開く"証"をお持ちなのですか」


 カイザは大きく深呼吸をして、腰のブラックメリーに手を添えた。


「ああ。10年前から……譲り受けていた」

「そうですか。では、10年前より世界はこうなる運命だったのですね」


 マルクスの言葉に、レオンとカイザは彼を見た。彼の温度のない表情。憂いているわけでもないそれは、ただ、目の前の一本道を見据えている。すると、レオンが言った。


「運命という言葉は、苦手だ」


 負けを知らない騎士の、弱気な言葉。


「いつから定められたかもわからぬそれを手繰り寄せて、運命の始まりを知ったところで何になる。過去を憂いて、今に嘆いて、何になるというのだ」


 マルクスは前を見つめたまま、何も言わない。


「私はもう振り返らない。騎士として、守護者として、まだ見ぬ今の先にある運命を受け入れるのみ」


 受け入れる。その言葉を聞いて、カイザは思った。マルクスの無表情もまた、"それ"を受け入れている顔であったのだと。そして、ミハエルもまた運命を受け入れ、諦め、憂いた表情をしていたのだと……懐かしい痛みに、胸を抑える。










 ここに来て、妙に心が落ち着いている自分が不思議でならない。そんな少女は、一人、いや、二人でオックスフォード家の書庫にいた。赤い日の光が部屋に差し込む窓際の椅子に腰掛け、ぐっすりと深すぎる眠りにつくミハエル。その近くのソファーで、少女は一冊の本を読んでいた。それは、ヴィエラ神話の絵本。ミハエルの家で見つけた原本とは違い、柔らかい話口調で描かれる戦士の旅。古代風の挿絵と、ページ毎にびっしりと埋め尽くされたサンクチュアリ風の紋。少女はそれを見て、ふうと溜息をつく。


「戦士を導く、金の輪を冠した天使」


 少女はぶつぶつと呟いて、隣のミハエルを見た。


「お前なんじゃねぇのか? これ」


 眉を顰めてミハエルを問いかける。しかし、彼女は柔らかく瞼を閉じたまま。少女は肘掛に頬杖をつき、じっと穴があく程に鋭く彼女を見つめる。


「寝たふりしてんじゃねぇだろうな、エドガー」


 やはり、何も言わない。少女はふと、死体相手に独り言を呟く自分を気味悪く思った。そして、視線を絵本に戻した。戦士の手を引く天使の絵を軽く撫でて、寂しげな表情を浮かべる少女。

 終わる。本当に、終わってしまう。世界が、物語が、運命の向こう側へと連れさられてしまう。覚悟はしていたはずだった。伝説になぞらえることこそ、世界を救うただ一つの方法だと。それなのにどうしても、緩く淡い不安が頭を過るのだ。不安に駆られてひと暴れできたら、どれほど楽か。少女はふっと鼻から息を吐いて、窓の外を見た。早く、彼は戻って来ないだろうか。漠然と不安は、彼を思うことで簡単に忘れ去ることができた。先の見えぬ世界の行く末を知るより、彼にいち早く会いたかった。会って、怒って、抱きしめて、キスをして……それから、この先の話をして。運命の向こう側で、二人で。

 少女の膝の上で開かれた絵本のページが、ぱさりと捲れた。そこに描かれる、暗闇に置かれた金色のベッドに横たわる戦士はまるで、柩の中の死者。絵本の中、運命の至るべき場所に辿り着いた戦士は安らかに、穏やかに、眠る。

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