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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆パリス~神話と神殿の町~
142/156

141.終わりに怯える者達の笑顔の裏で

 真夜中の真っ暗な応接間。テーブルに置かれた蝋燭が揺らめく。


「レオン、」


 振り返ると、扉の前にはカイザがいた。カイザはソファーに座るレオンに歩み寄り、その正面に座った。蝋燭を挟んで、向かい合う二人。膝に両肘をついていたレオンは姿勢を正し、カイザを見た。


「……眠れませんか」

「いや? だいぶ眠いよ」


 灰皿をテーブルに置き、カイザは足を組んで煙草を咥えた。


「起きてカイザ様がいないとなると、シドが泣くのでは?」

「そんな、赤ん坊でもあるまいし」

「10歳といえど、私には赤子のように見えてなりません」

「甘えん坊だからなあ」


 カイザは煙草に火をつけ、ふっと鼻で笑った。


「……カイザ様、我々神官一族の話を聞いて……何も、思わぬのですか」

「何って、何を?」


 緩く煙を吐き出し、カイザは首を傾げる。蝋燭に映し出されたレオンの目は、悲しげに艶めく。カイザは少しの間黙り込んで、言った。


「…ミハエルのことか?」

「……カイザ様は、あの方のために旅を始めたと聞きます。特別な思い入れがあったからでしょう」


 カイザはレオンから視線をそらし、煙草を咥えた。


「私の先祖は、エドガー様を……」

「お前が気に病むことじゃないだろう。そんなことを気にして、こんな暗い部屋に一人閉じ籠っていたのか」

「そんなことなどと……我々のせいで、エドガー様は500年以上にも渡る人生を狂わされてきました。せめて私が逃げ出さずに全てを知っていたなら……」

「どうにか、できたというのか?」


 レオンは口を噤んで下を向いた。できたとも、思えない。それでも、その身に流れる神官の血がカイザを目の前にして落ち着きなく沸き立つ。何もできない、罪深い自分への罰を欲して。


「……こともあろうに、エドガー様が守ってきた世界に私は生を受けました。それなのに私は、エドガー様と唯一の繋がりを断とうとパリスを逃げ出しました。私は、自らの身に背負う一族の罪から……目を背けてきたのです」

「だから、お前は悪くないだろ」

「しかし、」

「少し、頭を冷やせ」


 騎士として常に冷静を保つ術を知っているレオンが、始めてかけられた言葉。レオンは自分が落ち着きを欠いていたことを思い知る。


「……申し訳、ございません」

「本当にお前は。責任感が強過ぎるにも程がある」


 カイザは呆れたように言って、煙を細く吐き出した。


「お前の先祖だって、神殿という信仰対象を失って不安に駆られたのだろう。ミハエルを帝国に売ったとマルクスは言っていたが、それだって民を守るための苦肉の策だ」


 レオンは蝋燭に視線を落としたまま、カイザの声を聞いていた。


「俺が知るミハエルは、恨みや怒りというものを知らない女性だった。まさに天使だ。そんな彼女が、お前達を責めるとも思えない」

「……許されてしまったら、この罪は如何様にしたらよろしいので」

「背負って生きろ」


 レオンが顔を上げると、カイザは何故か含み笑いをしていた。


「……なんて、な。俺の友人が、俺にそう言ってくれたんだ」

「…友人」

「いや、親友だ」


 懐かしげな笑みを浮かべるカイザ。レオンはじっと、その青い瞳を見つめた。


「ある人も、罪悪感に苛まれる俺に生きろと言ってくれた。罪深い俺への憎しみも何も押し殺して、その人は俺を孫のような存在だと……言ってくれた」


 カイザはレオンを見て、穏やかに笑った。


「今なら、その意味がよくわかる」


 深すぎる、青い瞳。レオンはカイザに向かって頭を下げた。いや、下がってしまった。すると、カイザは小さく笑った。


「頭を上げろ。俺と違い、お前は決して罪など犯していない。神官達がいなければ、俺はミハエルと会えなかったかもしれない。お前がクロムウェル家に来なければ、俺はお前にも会えなかったかもしれない。気に病むことなど、何もなかったんだよ」

「……」


 もう、気に病んでなといなかった。ただ、レオンは決意を新たにしていた。カイザの騎士として、生を全うしてゆくことを。


「……命に変えても、神殿への道は開いて見せます」

「ったく、命に変えるのはよせと前にも言っただろうに」


 カイザが困った顔をして煙草をねじ消すと、レオンは口布の裏で小さく笑った。









 真っ暗な部屋。蝋燭すら、灯っていない。


「……なんだよ、」


 ベッドに入り込んでくる影を、クリストフは横目に睨んだ。


「カイザならすぐ戻ってくる。あいつのベッドにでも入って……」

「シドじゃないよ」


 クリストフが目を点にして、布団の間から覗く顔を見た。暗闇できょろりと艶めく、銀色の瞳。クリストフが軽く頭を上げてシドのベッドを見ると、空っぽだった。何処へ行ったのか考えながらも、クリストフはベッドを半分明け渡した。


「……オズマがいなくて寂しいのか?」


 クリストフは小さく溜息をつき、小さな影を枕の上へと引っ張り上げる。小さな影は枕に頭を置いて、天井を見つめた。


「……そういうわけじゃないけど。一人で寝るのが嫌だったんだ」

「ダンテもシドも、ガキだな」

「あんな赤ちゃんと一緒にしないでよ」

「冷たいな。仮にも将来を約束した仲なのに」


 クリストフはダンテの方へ背を向け、目を瞑った。ダンテは黙り込み、何も言わない。クリストフは瞼を半分開けた。そして、大きく息を吐きながらダンテの方へ身体を捻る。ダンテは少し困った顔をしてクリストフを二度見し、布団に顔を埋めた。


「……なんだよ、何も言い返さないのかよ」


 クリストフの鋭い目に見つめられ、ダンテはもじもじとベッドに沈んでゆく。


「……あの赤ん坊に惚れたとか言わないだろうな」

「わかんない。だってシドはこれから大人になってゆくから……ずっと子供のままの僕となんか、遊んでくれなくなるかもしれない」


 ダンテは目を潤ませて、俯く。


「あの時は、世界も終わりを迎えているから、シドの幼い恋心に一時だけでも応えてあげたいと思っただけなんだ。でも……」

「でも?」

「もし、新しい世界で生きれるのなら……シドが大人になっても僕のこと思ってくれるなら、僕……性転換したってもいいと……思ってる」


 暗闇でもわかる。ダンテの泣き出しそうな顔は真っ赤だ。クリストフはそれを見つめ、呆れたように言った。


「完璧に惚れてるじゃないか」

「……だって」

「だって?」

「僕を勇気づけてくれたり……抱きしめて慰めてくれたりするんだ。シドは僕を、神の酌童でも、北の魔女でもないただの子供として見てくれる。それが、嬉しいんだ」

「……ただの子供ね」


 クリストフの脳裏に、カイザとフィオールの顔が浮かんだ。あの二人はこれまで、聖母と謳われる自分にただの少女として接してくれた。そして、愛してくれた。クリストフがフィオールを思い返していると、ダンテが深い溜息をついた。


「……僕達、どうなっちゃうんだろう」

「考えてもわからないことを考えてる暇なんてない」

「でも僕、死にたくないよ」


 怒られるかもしれない。そう、わかっていながらも。ダンテが身体を強張らせていると、クリストフが布団から手を出した。ダンテはぎゅっと目を瞑る。すると、力強く引き寄せられて、柔らかな胸の内に顔を押し付けられた。そして、頭を優しく撫でられる。


「あたしだって、死にたくない」


 クリストフはダンテを抱きしめ、静かに言った。


「でも、運命の至るべき場所への門を開かなければ確実に死ぬ。いや、死ぬなんて生易しいものではないかもしれない。だからあたし達は、カイザを門へと向かわせねばならない。一番、この世界を救いたいと願っている……神に選ばれし戦士をな」

「……怖いよ」

「大丈夫。門を開いたとして、神の玉座を手にするのはカイザなんだぞ? きっと、新しい世界へあたし達を導いてくれる」


 クリストフの腕に軽く力が入った。


「お前らガキ共の未来だって、守ってくれるだろうよ。あいつなら」

「……うん」


 ダンテは思った。これが、聖母の温もり。なんて優しいのだろう。この腕に包まれているだけで、心が落ち着く。懐かしい母の腕の中を、思い出させる。


「未来はきっと、繋がれるよね?」

「途切れることなんかない。あたし達の過去も未来も、何もかも。空気を介してつながってるらしいからな」

「らしい?」

「ヤヒコが言ってたんだ」

「ああ……言いそう」


 ダンテの呟きに、クリストフの肩が細かく震えた。笑ってる。ダンテも小さく笑って、目を閉じた。抱きしめられて、頭を撫でられて。子供のようにその褐色の胸に埋まり、夢に落ちた。












「……おい!」

「んー……あ?」


 木の上でアダムに揺り起こされ、バンディは垂れていた涎を袖で拭う。そして、ゆっくりと目を開けた。


「朝になったら交代って言ってなかったか?」

「違う! シドだ!」

「……あ?」


 バンディが眉を顰めて、暗闇の向こうを見つめる。赤黒い空。赤みがかった月明かり。その下に、小さな黒い影が見えた。それは辺りを伺うように蠢く。


「……バレたか?」

「そんな……この距離で気付くなんて」

「てめぇが測り損じたんじゃねぇのか?」


 バンディが鼻で笑うと、アダムは横目にバンディを睨んだ。すると、


「いるのは、わかってるよ」


 シドの声が小さく耳に入る。二人は一瞬固まり、静かに武器を手に取る。


「行くぞ」

「待て。仕留めるなら一撃でいく。逃げられたら面倒だからな」

「わかってるって!」


 二人が揉めていると、シドの目の前に大きな影が降り立った。二人は言い合いを止め、それを凝視する。


「……やっぱり、お前か」


 そう言うシドの目の前に降り立った人物。白い髪に、白い翼。それはふと煙となって空に消え、白い髪は漆黒に染る。


「……サイ、」


 バンディが、その人物の名をぽろりと口から零す。アダムが見ると、バンディはじっとサイを見つめていた。驚いたような、安心したような、複雑な表情で。


「みんな、今寝てるんだ」

「……」

「遊びたいなら僕が相手するよ」


 シドは腰にかけていた鎌を手に、微笑む。サイは立ち尽くしたまま、シドを見下ろしている。向かい合う二人。何も言わないサイの様子に、シドの笑顔が消えた。


「ねぇ、遊びにきたんでしょ? 僕やカイザを、殺しに来たんでしょ?」

「……」

「……答えろよ、サイ!」


 シドは鎌をサイに向かって投げつけた。サイは飛んできた刃をアーマーで弾き、その鎖を握りしめた。シドはそれを無理に引っ張ろうともせず、柄を持った手をだらりと下げた。


「何しに来たの?」

「……わからない。俺は今、どうしていいのかわからないんだ」


 サイに見つめられ、シドは辛そうに顔を歪める。


「僕を殺したいんだろ」

「わからない」

「僕が邪魔なんだろ」

「わからない」

「だからずっと、僕達はいがみ合ってきたんじゃないの?!」

「……そう、だったはずなのにな」


 サイはふと、視線を落として鎖を離した。するすると、鎖が柄に巻き取られてゆく。


「蘭丸からお前を受け取ってから、俺はお前を守ろうとしてきた」


 草原をなぞる、黒鋼の鎌。


「しかし、ホワイトジャックでの全てを失い、俺はお前を敵として見るようになった」


 月明りをキラキラと反射する白鋼の鎖。


「それでも……俺は心の何処かで、弟のお前を思い続けていた」


 カチャリと、鎌と柄が繋がる金属音が響く。シドはサイを見つめていた。その小さな心臓は、大きく鼓動し始める。サイは顔を上げた。その目は、悲しげだ。


「母の名を明かされてから、その思いは強まる一方だった」


 シドの足が、震える。ここは、かつての混沌なのだろうか。それとも、夢か。目の前にいるサイは、本物なのだろうか。


「首の傷は、もう大丈夫なのか?」


 サイの問いかけに、シドは我に返る。そして、項垂れた。


「……大丈夫」

「そうか、ならよかった」


 今顔を上げたなら、サイは微笑んでいるかもしれない。そう思ったが、上げられない。


「……今日は、お前の顔を見に来ただけだ」

「それだけ?」


 顔を、思わず上げてしまった。サイはやはり、優しく微笑んでいた。それを見て、カイザの笑顔が頭に浮かぶ。


「…俺は今、真実を手にするため蘭丸と共にいる」

「真実って」

「……お前もついてくるか?」


 サイの言葉に、シドは言葉を噤む。その様子を見兼ねて、サイが言った。


「と、言っても。お前が来ないことはわかってる。蘭丸につくとなると、審判の日にはカイザと業輪を取り合うことになるだろうからな」


 サイはそう言って、シドに背を向けた。


「兄、……サイ!」


 シドが呼び止めると、サイは振り返る。瞳が青く光り、その足元からは白い煙が吹き出している。


「僕達の、お母さんって……」

「……あの時、お前は逃げ出した。聞きたくないんじゃないのか?」


 シドが目を潤ませて俯く。サイの黒髪が、ふわりと煙に舞い上げられて白く染る。


「母は死んでいるんだ。悩むくらいなら知らない方がいい。審判の日も近いんだからな」


 サイの気遣いが、シドの胸を余計に抉る。シドは鎌の柄を握りしめ、言った。


「……僕はまだ、お前を許せないよ。僕の片目を潰した、お前は……」

「…そうだろうな」

「どんな真実を目の前にしたって、僕の家族は……僕のお父さんはカイザだけだ!」

「…そうか」


 サイは寂しげな笑みを浮かべた。シドはその微笑みに意表を突かれ、固まってしまう。すると、サイの背に白い片翼が現れた。


「だったら、それが俺とお前の兄弟としての絆だ。これまでと同じ、殺し合いでしか繋ぐことのできない……脆くとも、確かな絆」

「……」

「じゃあな、シド」


 シドは一瞬手をのばしたが……サイは振り返ることなく赤黒い空へと飛び立った。シドはのばしかけた手を引っ込め、ハラハラと落ちてきた白い羽を見つめた。それは草原に音も無く落ちる。シドは羽を拾い、涙を拭った。そして、とぼとぼと背を丸くして館へと戻って行った。


「気付かれて、なかったようだな」

「……ああ、」


 アダムの言葉にやる気なく返事をして、バンディは木に寄りかかる。その視線は、扉の向こうへと消えるシドの背中に向けられていた。


「あいつらの母親、知ってるか?」


 バンディが聞くと、アダムは枝に腰掛けて言った。


「……知らない。あの兄弟の両親が気になるのか」

「気にならねぇのかよ。あの力をあいつらに分け与えた連中だぞ」


 アダムは少し間をおいて、言った。


「殲滅対象であることには変わりない。別に、誰が親だろうと構わない」

「元がわからねぇから俺らも苦戦するんだろ」

「……サイとも、闘う気でいるんだな」

「当たり前だ」


 そう言って、バンディは再び仮眠をする姿勢をとった。アダムは、先程サイを見つけた時のバンディの顔を思い出す。そして、アダムは再び館に目を移した。今更、何を思おうがどうにもならない。あの兄弟の関係が変わらないように、世界はただ、終わりへと向かってゆく。今この現状こそ、世界の最期の一頁となるのだろうから。アダムはそんなことを考えて、空を見上げる。もうすぐ、日を跨ぐ。

 


 

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