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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆パリス~神話と神殿の町~
141/156

140.ない物ねだりな執着に踊る



 彼は北の雪山で気象観測をする砦に住んでいた。天気の荒れる北の大地では彼の仕事は大事な役目を負っており、彼の家系は代々空を見続けてきた。その日も、彼は。


「パパ、」


 砦の観測室。厚いガラス窓の向こうを眺めていた彼が振り返ると、コートを着込んで少し雪を頭に積らせた少女がそこにいた。


「どうした。お母さんと町へ降りたはずじゃ……」


 彼は驚いた顔をして少女に駆け寄る。少女は鼻頭を赤くして、微笑んだ。


「パパ、一人じゃ可哀想だから戻ってきた」

「……そうか」


 彼は困ったように笑って少女の頭を撫でた。


「あなた、ごめんなさいね。お仕事の邪魔をして」


 少女を追って来たのか、肩で息をする女。女は少女の背後に立って、小さく息をついた。そんな女を見て、彼は言った。


「いいさ。それより、早く町へ降りるんだ。そろそろ目も開けられない程の嵐が来るぞ」

「そうですが……この子がどうしてもパパといるって聞かないんです」


 女は少女を抱き上げ、彼に穏やかな笑みを浮かべた。


「この際です。今度の嵐は家族皆で砦に籠りましょう?」

「そんな、何かあったら……」

「砦に嫁いでからあなたはずっとそう。嵐が来る度に私達を遠ざけて。数日砦に籠るくらいなんてことありませんよ」

「……飽きてもしらないぞ?」

「皆でいたら、飽きることもございませんよ」


 彼が諦めたような笑みを浮かべると、女は得意げに笑って見せた。少女は嬉しそうに母の腕から父の腕へと移る。窓の外は吹雪。ごうごうと灰色の雪が吹きすさぶ中、砦の観測室はなごやかな温もりに包まれていた。少女のひんやりと冷たくなった柔らかな頬を撫で、彼は幸せを噛みしめていた。しかし、


「……お前は、」


 観測を終えて寝室へ入ると、そこは血の海。暗がりで壁に浮かび上がる赤黒いシミ。彼は扉の前で立ち尽くし、震える瞳で部屋を見渡す。すると、そこにもそもそと動く一つの黒い影があった。影が勢いよく振り返る。雪のように白い肌、暗闇に淡く光る青い目、口元の、赤い血。彼は息を飲み、その男を見つめた。男が立ち上がると、その足元にぐったりと横たわる少女と女の姿があった。その瞬間、彼の中の何かが切れた。彼は無意識に、真っ白な頭で男に向かって駆けだしていた。許せない。殺す。そんな思いだけが、速まる鼓動となって体中を巡る。彼が男に掴みかかると、男はぼうと黒い霧になって消えた。彼はそれに驚く間もなく、勢いよく振り返る。すると、すぐ後ろに大きく口を開けて襲いかかってくる男がいた。彼は男に組み倒される。


「お前は、誰だ!」


 彼は必死に抵抗しながら男を睨む。男は問い掛けにも答えず、彼の首元に向かって口を寄せ付ける。彼は男の頭を抑えるが、男は首を振るって彼の腕に噛みついた。噛み、つかれたはずだった。歯に押しつぶされる痛みではなく、何かが刺さるような痛みが腕に走る。彼は手を放してしまい、その首元に男の尖った牙を迎え入れてしまう。首の付け根に、腕と同様の痛みがした。ぐっさりと何かが肉に突き刺さり、その傷口が冷たく、涼しくなってゆく。彼の意識も、遠のおいてゆく。その時だった。


「しっかりなさい!」


 知らない女の声。彼が落ちかけていた瞼を開くと、目の前の男が黒い霧になった。そして、自分の身を跨ぐ獣が現れた。


「逃げられた……」


 彼がゆっくり身体を上げると、扉の前に眉を顰める黒衣の女がいた。自分の近くには、首が3本の犬。


「……あなたは、」


 彼が首元を抑えながら聞くと、女は彼に歩み寄ってきた。


「私はヨルダ。ダンテ様の弟子」

「ダンテ……北の、魔女」

「そうよ。あなた、噛まれたの?」


 女は険しい表情で彼を見下ろしている。彼は視線を落とし、放心気味になりながらも頷く。すると、女は彼の目の前でしゃがんだ。そして、彼の首の傷に手を当てた。冷たかった部分が、黄色い光と共に熱くなる。彼がぐっと目を瞑ると、女が言った。


「今のは、吸血鬼」


 女の沈んだ声が、彼の耳をつく。


「応急処置はしたけれど、吸血鬼の呪いだけは取り払うことができないわ」

「……呪い?」


 彼が目を開けると、女は手を放して視線を横へ流した。


「半永久的に死ぬことはできなくなる。血肉をもってその身を保つ吸血鬼もどきになるのよ」


 死ぬことが、できない。

 彼が茫然としていると、女は立ち上がって少女と女の死体を見た。吸血鬼に食い荒らされた、無残な姿。目の色も変えずにじっと見つめ、言った。


「もし彼女達が生き残っていたとしても、吸血鬼の呪いを受けたあなたとは暮らせなくなっていたでしょう」

「……呪いは、解けないのか」

「解けないわ。あなたの場合、深く血に滲んでしまっている。魅了されなかっただけ、マシよ」


 彼はがっくりと頭を垂れ、首に手を置いた。ヨルダと名乗る女の熱が残る傷。痛い。痛くて、涙が出る。彼が静かに嗚咽していると、ヨルダが言った。


「あなた、名前は?」

「……アダム」

「アダム、すぐにこの砦を出なさい。今、北の魔女達が吸血鬼を探して国中を走り回っているの。呪いを受けただけとはいえ、見つかったらあなたもただでは済まないでしょう」

「……ここを出て、どうしろと」

「吸血鬼の身体能力は人を遥かに凌駕するわ。それを活かせば、遠い何処かで暮らすこともできるでしょう。こんな砦で、気象観測なんてしている場合じゃないのよ」


 彼は顔を上げ、女を睨んだ。女は少女の死体を見つめている。


「俺は家族を殺されたんだ! 俺もその吸血鬼を追う!」

「無駄よ。その吸血鬼は北でも一目置かれる伝説の魔女の息子。おそらく、ダンテ様の術で魔界に送られることになるでしょう。私達とその吸血鬼を見つけたところで、殺すことなんか許されないわよ」

「……だったら、俺が一人で追って殺す分には、文句ないだろう」


 彼の静かな声に、女は視線を彼に移した。俯き加減の彼の顔は影になって見えない。


「……勝手になさい。呪いを受けた人間ごときが、何をできるとも思えないけれど」


 女は吐き捨てるようにそう言って、部屋から出ていった。いつの間にか、あの犬も消えている。彼は何処を見るわけでもなく、無言で床に視線を這わせていた。まだ、実感が湧かないのだ。吸血鬼に襲われ、呪いを受け、妻と娘が、殺されたなんて。しかし、目の前の赤が容赦なく現実を突きつけてくる。夢なんかじゃない。これから、長い長い呪われた人生が幕を開けるのだと。

 この時、28歳。全てを失った彼はその身に宿る吸血鬼の力をもって闘うことを決意する。いや、茫然とした頭の中でふと思い立ったに過ぎない。決意なんて呼べるものでもなかったはずだ。しかし、そんな彼の人生選択はホワイトジャックのマスターの座にまで彼を導いた。大成した、とも言える。それでも彼の心は満たされることはなく、自分とは程遠い"死"に執着するばかりだったのだが。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






 静かな森の中で、二人は息を殺して黙りこんでいた。しかし、その沈黙さえ堪えきれない。


「……こんなお使いもそろそろ馬鹿馬鹿しく思えてきた」

「そう言うな。相手はシドだ。この距離でギリギリなんだ」


 木に寄りかかったアダムが言うと、バンディは包帯を巻いた腕を撫でながらだるそうな溜息をついた。


「もうここまで来たんだ、一網打尽にしてもいいだろ」

「よくない。神殿が姿を現すまでが俺達の仕事なんだ。ここでバレては全てが水の泡だ」

「くそ。てめぇみたいな面倒に律儀なやつがいなければ俺がここで仕留めてたってのに」

「お前だって、シドにはひと泡吹かされたんだろう」


 アダムが言うと、バンディは目を吊り上げて腕を組むアダムを見た。


「計算外の化け猫がいたから俺は退散したまでだ。ひと泡吹かされたのはお前だろ」

「いや、俺とて悪魔を二人相手にしてシドの鎌をもろに首に食らっただけだ。死に目を負ったわけでもない」

「とか言って、結局は一回殺されたんだろう」


 一回、殺された。アダムは首元に手を置き、視線を落す。あれが死なら……何故、自分はここにいる。剣を交える度に熱く滾る血。吹き上がった血飛沫に何度となく魅入られた。吸血鬼の、性。やはり、死ねないのだろう。アダムがふっと溜息をつくと、バンディがナイフをくるくると回しながら言った。


「あの兄弟は明らかに邪魔だ。あいつらに関しては誰でもいいから消せばいい」

「……サイもか?」


 アダムが横目にバンディを見た。しかし、バンディはそのナイフを見つめたままに、表情を変えない。あの憎たらしい笑顔さえ見せない。


「……当たり前だろ。俺はあいつを利用して来た。そしてあいつは俺を裏切った。それまでの仲なんだ」

「……ふーん」


 アダムはバンディから目を離し、目標がいるであろう死海の近くの屋敷に目を移した。森の木々の向こうに見えるその屋敷は、白く、ただその空間に存在している。赤い空にも、動じずに。


「どうでもいいが、お前はただ神の玉座を目指すのだろう」

「ああ」

「俺は、お前達殺すべき者の首を目指して闘う。ルイズが示した、道標に沿って」

「結局あいつの口車に乗るのか」

「乗るか乗らぬかまでは、俺次第だ。あいつは道を示したまでのこと」


 バンディはナイフを腰に差し、アダムの見つめる先を見た。ただの館。なんのことはない。遠くにある、見張っているだけの館。


「最期まで、俺は俺の選択をするまで」

「……さすが、というべきか。肝が据わってるよ、お前は」


 バンディがそう言うと、アダムは小さく笑った。


「舐められたものだな」

「だから、見くびっていたことを後悔してるんだ」


 ブラックメリーとホワイトジャック。二つの組織は帝国建国前より存在している。二つの歴史深き裏組織を率いる二人の男もまた、この最期の闘いに踊らされる。最期まで、そして、その向こう側まで。


「だからと言って、何も譲る気はないが」

「俺もお前の首を諦める気はない。何を……選んだとて」





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