13.そんな男は女の涙に特に弱い
肩を窄めてもといた席に戻る二人だったが、おばちゃんは窓のことなど全く気にしていなかった。大きな見た目に見合った大きな器の女性であったことに安堵し、ホッと窄めていた肩を撫で下ろす二人。
「なーに、このくらい気にしなくていいからじゃんじゃん飲みな!」
「ありがとうおばちゃん! じゃあ、とりあえず酒で!」
遠慮無しに注文をするフィオール。
「はいはい、いい酒が入ったから持ってくるからね!」
おばちゃんはニコニコしながらその場を去って行った。
「いい人でよかったな」
「本当だよ」
もしもの事があったら飯代も踏み倒して逃げるしかないと思っていたカイザは、脱力して椅子に寄りかかっていた。フィオールの言うとおり、もうこれは立派な職業病だ。
「それより名前、まだ聞いてなかったな」
クリストフが真剣な声色で言った。安堵していた二人も、クリストフの隣に座る女を見た。女は名乗ることを渋っている様子だ。
「そりゃあ、言えないよな……お前、人間だし」
「…人間?! さっきは妖精って……」
グラスを手にするクリストフの言葉に、フィオールは声を荒げた。カイザは眉を顰めて首を傾げている。もう何がなんだかわかっていない。女は俯いてじっと黙り込む。
「お待たせー!」
そこに、おばちゃんが葡萄酒の瓶と料理を持ってやってきた。
「なんだい? 皆して黙りして」
テーブルの空気を敏感に読み取るおばちゃんに、フィオールは慌てて言った。
「いや、大丈夫だから! 皆緊張してるだけだから!」
「そうかい。あんたら見たところ余所者のようだし、妖精を見たのも初めてだろうしねぇ。いろいろ話聞いて楽しんで行きな!」
アイダのマスターといい、ここのおばちゃんといい……酒場の店員は侮れない。去ってゆくおばちゃんの背中を見つめ、フィオールはそう思った。
「…なあ、あんたは何者なんだ」
静かなテーブルで、カイザは口を開いた。
「店主は妖精と言うし、クリストフは人間だと言うし」
女は困った顔をして、瞳に涙を浮かべる。カイザはそれを見てギョッとした。
「おい! 泣かすなよ!」
フィオールがカイザの耳元で囁く。
「俺はただ、」
カイザがおろおろしていると、クリストフが溜息をついた。
「この女は元人間。妖精に見初められ、人間じゃなくなってるんだよ。勿論、完全な妖精でもない」
クリストフがそう言うと、カイザとフィオールは表情を一変した。
「妖精に見初められたって、フィオールの話と同じ……」
フィオールがノーラクラウンで収集した情報は伝説と関係のない、国の情勢についてばかりだった。その中に、城の塔に閉じ込められていた姫が妖精に見初められ、火事で燃え死んだという話があったのだ。話によると、姫を妖精に差し出さなかった事で妖精は怒って火事を起こし、森の恵も受けられないようにしたんだとか。この話を知っていた三人は少年の訴えを理解していた。クリストフ以外は夢物語だと信じてはいなかったのだが。
「どういうことだ。姫は死んで? この子が見初められて? 名前が言えない?」
混乱しているフィオールに呆れるクリストフ。グラスの酒を飲み干し、葡萄酒の瓶を取ってグラスに注ぎながら言った。
「この女が、そのお姫様なんだよ」
クリストフの言葉に、まだちんぷんかんぷんなフィオール。
「そういうことか」
「え?! どういうことだよ!」
フィオールは一人で納得するカイザの肩を掴んで問いかけた。
「だから、死んだと思われていた姫は実は生きてたんだよ。そして、今は妖精としてここにいる」
「…へぇー」
カイザの説明に腑抜けた返事をしてフィオールが女に目を移すと、女はポロポロと涙を流していた。
「ななな、泣かないで! 俺らが泣かしたみたいになる!」
フィオールはあたふたして意味も無く手を動かしている。女はぐずりながらゆっくりと話し出した。
「おっしゃる通り……わたくしは、世間では燃え死んだとされている領主の娘、ニアにございます」
クリストフは泣いているニアにナプキンを手渡した。ニアはぺこりと頭を下げ、それを受け取る。
「皆さんの腕前を見込んで、お願いがございます。どうか、塔に囚われた我が夫、火の妖精である夫と娘を……助けてください」
嗚咽しながら弱々しく切願するニア。
「いいぞ」
即答するクリストフに驚いてカイザは咥えていた煙草をポロリと落とした。頼んだ本人も驚いていた。
「ちょっと待て」
「いいじゃねぇか、カイザ。美人が困ってるんだぞ?」
話もわかっていなかったくせに何故かノリに乗っているフィオール。
「そうじゃなくて、いいのか? 俺達なんかで」
カイザが聞くと、ニアはコクコクと頷いた。
「なんかってなんだ。なんかって」
クリストフが葡萄酒の瓶を握り締めてカイザを睨んだ。
「だって……なあ? あんたの隣にいるのは金に煩い山賊。俺の隣は短気な情報屋……」
カイザの酷い紹介に、ニアは不安気な顔で聞いた。
「…あなた様は?」
「俺? 俺は、」
「根暗な盗賊だ」
クリストフがサラリと言った。カイザは深く頷いて同意しているフィオールを横目で睨み、ニアに向き直った。
「とりあえず、こんなのばっかりだ。頼むなら他の奴にした方がいいと思う。それに俺達はこれでも先を急いでいるんだ」
ニアは一瞬黙り込み、フルフルと首を横に振った。そして意を決したように、カイザに真剣な眼差しを向ける。この時三人は、こいつ今迷ったな、と心の中で異口同音に唱えていた。
「お急ぎのところ、図々しいことは承知の上でお頼み申し上げます。どうか……どうか夫と娘を!」
考えを変えさせたかったカイザは当てが外れて困ったように俯く。そんな彼に、葡萄酒を独り占めするクリストフが言った。
「いいだろ、妖精一匹と娘一人塔から連れ出すだけなんだ。帰りしなにでもやってやろうじゃないか」
ニアの表情が明るくなる。それに反して、カイザの表情が曇ってゆく。
「目立つことはしない方がいいんじゃないのか? 急ぐ身でありながら追われる身でもあるわけだし」
「そんな急いでもどうせダンテを探すのに時間はかかる。少しくらい寄り道をしてもいいだろ」
クリストフの言動に、カイザは違和感を感じていた。どうもこのニアという娘に拘っているように思える。それに、彼女が隣に座ってからクリストフは一度も笑っていない。普段ならどんな時でも憎たらしくなる程ニヤニヤと笑っているのに。
「そうと決まれば作戦立てないとな」
フィオールは酒も入って妙な張り切り方をしている。カイザは溜息をついて、クリストフの言い分に折れた。
「ありがとうございます、皆さん!」
再び泣き始めるニアに優しく微笑みかけるクリストフ。そんな少女を、カイザは煙草の煙越しに見つめていた。