136.祝福と断罪の赤が二人を包む
患者を収容する診療所を囲むように点々と位置するカンパニーレの兵舎。その中でも一番大きな兵舎の入り口の階段に腰掛け、何やら嫌そうな顔をしているレオン。
「…お前、どこまで知ってんだ?」
レオンの左隣。威圧感たっぷりにどっかりと座り込み、煙管を咥えるクリストフ。
「カイザのこともわかっててクロムウェル家の騎士になったの?」
更にレオンの右隣。得体の知れない図形や文字をがりがりと地面に書きなぐっているダンテが不気味な雰囲気を醸し出しながら座っている。レオンはその落書きを横目に見て、言った。
「何も知らない。アンナ様の企てから鍵戦争のことを知ったのだ」
レオンが言うと、美女達の視線がレオンに集まった。急に注目され、レオンは二人を交互に見て溜息をついた。
「そんな目で見られても、知らないのだから仕方ないだろう。フィオールとやらが執筆者であったならその行きつく先はパリスの神殿だとしか……」
釣り上がった目でレオンを見つめ、クリストフが言った。
「……守護者が守る神殿に、執筆者は現れる」
「そうだ」
「で、その神殿の場所はわからないと」
「……情けないが、その通りだ」
すると、少女が持っていた煙管を指先だけで軽くへし折った。怒っている。そう思ったが、レオンは平然と少女を見つめ返していた。クリストフは大きく溜息をつき、灰を落して折れた煙管をダンテに手渡した。
「知らないものは、仕方ないか」
ダンテは折れた煙管を受け取ると、書いていた図形……いや、陣の上に乗せた。胡坐をかいて、遠い目をして前を見つめる少女。怒っていたのではないのか。レオンは少女の横顔をじっと見つめる。すると、その黄金色の瞳がきょろりとレオンの方を見た。
「……あたしのこと、ヒステリックな女だと思ってんだろ」
「……何のことだ」
「男がいなくなってグレンに言いがかりつけて。その次はお前に問い質すように八つ当たりして」
「頭に血がのぼったら、誰だってそうなるだろう」
「頭に血がのぼったこともなさそうな顔して何言ってんだ」
「……」
ふてくされた顔をしてクリストフは前を見た。共感より、叱咤して欲しかったのだろうか。レオンがそんなことを考えていると、彼の前に一本の煙管が差し出された。折れたところが繋がり、まるで新品のように雁首が輝いている。
「ん」
「……?」
「ん!」
ダンテに煙管を突き出され、レオンはそれを受け取った。そして、指先で葉を丸めていた少女に手渡した。ダンテはというと、再び地面に何かを書き始めている。
「……前からだ」
クリストフの呟きに、レオンが顔を上げた。
「前から。何かある度に息子やカイザやルージュ、フィオールに当たって……あたしは何にも変わらない」
独り言、ではないだろう。レオンは黙って、少女の言葉に耳を傾ける。
「あたしがこんなんだから、フィオールは逃げ出すように何処かへ行ってしまったんじゃないか」
「……」
「なんて柄にもない被害妄想に浸っちまうのにまた腹が立って」
煙管がまた、少女の手の中で真っ二つに折れた。クリストフは折れた煙管を握りしめたまま睨むように前を見つめる。
「"知らない"なんかじゃ済ませられないんだよ。全て解き明かさないと、血が上った頭も冷ましようがない」
少女は荒っぽく、折れた煙管をレオンに差し出した。
「逃げた過去とも、向きあってもらうからな」
「……承知」
レオンはそっと、褐色の手を受け止めるように手を差し伸べた。
「……異常は無さそうっすね。痛いとか、気持ち悪いとか、ないっすか?」
「ない」
黒い煙が漂う診療室。煙を掻き分け掻き分け、右目の様子を見るグレン。シドがその手を退けるように俯いた。すると、
ーー……よかったーー
頭に流れ込むカイザの穏やかな声と、消えそうな笑顔。グレンは行き場を失っていた手を、そっとシドの右目に当てた。煙がするするとその手の中に収まり、部屋は灰色の鬱蒼とした一室に戻る。シドが顔を上げると、グレンはにっこりと笑った。
「偉いっすねー、シドは」
「…偉いって?」
「いい子だってことっすよ」
グレンはシドの眼帯を下ろし、言った。
「不安も弱音も吐かずに頑張ってるじゃないっすか」
「……僕は褒められるようないい子なんかじゃない」
シドはフードを引っ張り、顔を隠すようにそっぽを向いた。
「殺すことが、楽しくないわけじゃない。死と触れあうのが、面白くないわけじゃない。閉じられた鍵が開いて、達成感がないわけじゃない」
聞いたこともないような、少年の低い声。いや、これが……本来の。
「こういう時、どうしていいのかわからないだけなんだ。いつだって、僕を不安にさせるものは……殺してきたから」
生まれながらの殺し屋を目の前に、不思議と恐怖はなかった。
ーー僕、目が欲しい……--
少年はたった今、不安を感じている自分と向き合っている。そして、理解しつつある。人を殺すということがどういうことであるかを。グレンはシドの頭を撫でた。
「……大人になれば、どうしたらいいのかがわかるっすよ。きっと、カイザが教えてくれるっす」
「カイザが?」
「そうっす。ゆっくりと、じっくりと。シドはカイザの背中を見て、大人になっていけばいいんすよ」
シドの脳裏に、白い軍服を着たカイザの後ろ姿が浮かんだ。腐臭と死体に塗れたホールで、一人だけ、白く浮かび上がって見えたあの時。近くで見るよりずっと広く、大きく見えた背中。ミハエルを、自分を、運命を……背負ってきた背中。
「シドも、運命と果敢に向かい合う強くてかっこいい戦士になるっすよ。お父さんみたいに」
「……うん」
初めての晩酌で自分を弱いと言っていたカイザはやっぱり、弱くなんてなかった。シドとグレンの目には、カイザが同じように映っている。弱いことは決して悪いことじゃない。弱くても前に踏み出そうとする勇気が、強さに変わる。
シドとグレンが診察室を出ると、ちょうどバッテンライの見舞を済ませたカイザと鉢合わせした。シドはカイザの姿を見るなり、真正面から勢いよく抱きついた。カイザは急に甘えてきたシドに疑問を抱きながらも、腰を屈めて抱き上げた。グレンはカイザを見てけらけらと笑う。
「おんぶに抱っこに大忙しっすね」
「おかげで鍛えられたもんだよ」
ミハエルを背負いシドを抱くカイザは小さく溜息をつく。グレンは二人を軽々と運び出すカイザを見て微笑ましく思った。
「お、来たな」
兵舎の外に出ると、クリストフが立ち上がって大きく伸びをした。シドはカイザの腕から降りてダンテに駆け寄り、地面に大きく描かれた陣を見ている。レオンも立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「如何でしたか。ご友人の御容態は」
「良好だ」
カイザはグレンに振り返って微笑むと、レオンを連れて陣の中へと歩いて行った。
「グレン、」
グレンがカイザの背中を見ていると、少女が言った。
「そこに跪け」
「え」
「早くしろ」
グレンはおずおずと白衣を地面につき、跪く。すると、少女はグレンの前に立って、左手の甲を差し出した。
「仕方がないから、祝福してやる」
「……」
鋭い眼光を放つ黄金色の瞳。赤い空の下に艶めく褐色の肌に、緩い風に靡く漆黒の髪。グレンは少女の威厳漂う美しさにぽかんと口を開けていた。すると、少女の口元がふと緩んだ。
「カンパニーレの革命に、聖母より心ばかりの祝福を」
滲み出る威圧感はどこへやら。少女の頬笑みに、グレンはふと、温かな慈愛に包まれたような気がした。そして、差し出された左手に吸い寄せられるように、右手を伸ばす。
「……有難き、幸せ」
ぼそりと、無意識に言葉を漏らし、金の指輪が光る左手の甲に口づけをした。
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突然、目の前に炎が燃え上がった。岩肌が露出した険しい山道で、足を止める。
「……見つけたぞ」
炎が発する熱が空気を舞い上げ、黒い髪と袴を靡かせる。声がした方へと、ゆっくり……振り返った。
「蘭丸」
背後には、白い髪に緑の瞳をした男が立っていた。じっと男を見つめる蘭丸の隣で、サイは唖然としていた。
「何故、お前がここに」
「こっちの台詞だ。どうしてブラックメリーのお前が蘭丸と一緒にいる」
サイの問いかけに目を尖らせる男。蘭丸は刀を抜いて、一歩前に出た。
「サイ、お前は先に行け」
「しかし、」
「立ち止まっている時間はない」
「……」
「行け。私もすぐに後を追う」
サイは男を睨み、人差し指と中指を唇に当てた。すると、サイの足元から白い煙が噴き上がる。それはサイを包み込み、炎を飛び越えるように空へ浮かび上がった。空中で煙が散り散りになると、中から白い片翼を生やしたサイが現れた。サイは蘭丸を不安気に見下ろし、勢いよく翼を翻し赤い空の向こうへ去って行った。
「……お前は逃げないのか」
男が聞くと、蘭丸は刀を肩にかけ、俯いた。
「私も、お前に聞きたいことがあったのだ」
「そうか。悪いがその問いには答えられそうにもない」
男がそう言うと、炎は勢いを増して燃え上がった。空まで届きそうな程高く伸びる炎の壁。境が空に溶けて、二人は赤い空間に閉じ込められた。
「俺は"執筆者"として、"伝承者"であるお前の過ちを正さねばならない」
「…私の、過ち?」
蘭丸が顔を上げると、男は左手を握って顔の前に置いた。
「要するに、お前を消せばいいんだろ。それが俺に課せられた使命だ。世界のため……あいつらのため」
男の拳が、ぼうと炎に包まれる。その向こうでは緑色の瞳が鋭く蘭丸を睨んでいた。蘭丸は真っ直ぐに男を見つめ、言った。
「ならば何も聞かぬ。私は私で、課せられた使命を全うするのみ」
「それがもう、間違いだって言ってんだよ!」
男が拳を振るうと、炎が轟音と共に空気を裂き、蘭丸に襲いかかる。蘭丸は肩にかけていた刀を勢いよく振り下げて構えた。その瞬間、刀の刀身が赤い炎に包まれる。
「ここで立ち止まるわけには……いかないのだ」
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