表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆ヴァイエン~再会と別れの交錯点~
134/156

133.いつまでも子供のままではいられない


 暗闇に包まれ、息を止め、下から上へと流れてゆく光の粒を眺めていた。誰も、何も話さない。今から外に出るということは、またあの空を目にしなくてはいけなくなるからだ。わかっていたこととはいえ、それぞれにまだ心の準備が必要だった。審判の日に向かい合う、準備が。


「出るよ」


 ダンテの静かな声。それと共に、足元が急に明るくなった。そして目の前には……


「……やだねぇ。この赤は」


 オズマが空を見上げ、言った。荒廃した街を包み込む赤い空。妙な静けさと容赦なく吹きすさぶ風が、全てが終わってしまったかのような不安感を煽る。人が死に、生き物が死に。静寂だけが地上を包む。そんな錯覚を見せる、おどろおどろしい風景。


「うーん、ここは凄く大人しいね」

「グレンが上手いことやってるだなんて信じたくないんですけど」

「そこは潔く信じなよ」


 ダンテとオズマがぶつくさ話しながら瓦礫が連なる街へと足を踏み入れる。その後にカイザ達も続く。カイザは茫然と空を見上げながら歩いていた。自分が運命の至るべき場所へ行かなければ、世界は。覚悟をしたとはいえあまりにも話が大きすぎて理解が追いつかない。実感がまだ、湧かない。それでも足は動く。これまで身に起きたこと、耳に聞いたこと、見てきたこと。それらが見えない手となってカイザの背を押していた。そして、


「……カイザ」


 そっと、カイザの手を握る幼い手。カイザがシドを見ると、少年はにっこりと微笑んでいた。カイザも、小さく笑う。死を目の前にしても笑う少年にとっては、空が何色でもそこが遊び場になるだろう。そんなことを考えながらも、カイザはいつかの川辺のように青い空の下で遊ぶ少年を見守る自分を思い浮かべていた。心の準備などせずとも彼が歩みを止めることはもう、ない。

 街を歩いていると、唯一建物らしくそこに佇む兵舎があった。別動隊カンパニーレの紋章がある。ダンテを先頭に、兵舎に入る。薄暗く、静かな廊下。時折話声が聞こえる部屋の中には白衣の兵士や、床に寝そべる人々の姿……いや、あれは、


「おい、ダンテ」


 カイザが兵舎の違和感に気付いて声をかけた、その時。


「駄目っすよ!」


 聞き覚えのある叫び声と共に人が扉ごと吹っ飛んできた。立ち止まるダンテ。オズマが一歩前に出てペンチを構えた。廊下に倒れ込んでいた男はよろよろと立ち上がり、震える手でフォークを持って大声がした室内を見ている。それを見てオズマは片眉を上げる。


「敵兵なんぞに命を救われたばかりか……あの空だ。世界は、終わるんだ! 俺を死なせろ!」


 男の叫びにクリストフが舌打ちをして歩み出る。ルージュが止めようとその腕を掴むが、クリストフは腕を振り払った。すると、


「ごちゃごちゃ言ってないで……黙って寝てればいいんすよあんたは!」


 開け広げられた部屋から飛び出してきた、白衣の男。白衣の男の飛び蹴りは見事、男の顔面に入って壁まで蹴り飛ばした。壁に寄りかかって気絶する男の手からフォークが滑り落ちる。唖然とする一同。クリストフも固まっていた。そんな少女の視線の先には、カイザ達に背を向け肩で息をする白衣の男。その左足は、足とは思えぬ細くきめ細やかな装飾がなされた白い鋼だ。白衣の男が勢いよく振り返り、「あ」と声を漏らした。


「……グレン、君の職業は……あれ、なんだっけ、思い出せないや。教えてよ」

「え、あ、うん……一応、医者っす」


 呆れ返ったダンテの問いに、グレンは申し訳なさそうに俯く。相も変わらぬその様子に、カイザとルージュは思わず笑っていた。シドは嬉しそうに駆けだし、グレンに抱きつく。グレンは笑顔でシドを抱き上げ、その場でくるくると回って再会を喜んだ。


「目の方はどうっすかー?」

「とっても快調! ねぇねぇ、フィオールは?」

「あ、フィ、フィオール? フィオールは、えーっと……」


 シドが聞くと、グレンの顔色が一変する。冷や汗が流れ、目が泳ぎ、その笑顔は引き攣っている。クリストフが眉を顰め、言った。


「おい、フィオールは」

「……」


 クリストフがそう言うと、グレンはシドを放り投げるように手放して勢いよくその場に土下座した。驚くシド。グレンは床に額を擦りつけ、言った。


「申し訳ないっす! 俺が目を離したばっかりに、フィオールは……フィオールは、いなくなったっす!」

「……は?!」


 ダンテの驚愕の声。皆、予想外のことに驚きが隠せない。フィオールが自分達の迎えも待たずにいなくなるなんて、そんなこと。クリストフは静かにグレンに歩み寄り、その髪を掴んで顔を上げさせる。辛そうな表情のグレンを睨み、少女は言った。


「どういうことだ。フィオールがいなくなったってのは」

「そ、それが、空が赤くなった日……外の様子を見に行ってた間に病室は空っぽになってて」

「てめぇはそれでも医者か!」


 クリストフが怒鳴った。その時、


「寝ている患者もいるんだ、静かにしろ」


 知らない男の声。クリストフが部屋の中に目をやると、そこには床にしゃがみ込んで寝ている患者を診ている男がいた。男は聴診器を首にかけながら立ち上がり、振り返る。


「フィオールの友人……いや、恋人ってところか?」

「誰だ、お前は」


 男はカルテに何かを書き込みながら病室から出た。そして、ペンをポケットにしまって言った。


「俺はイシドール。フィオールの担当医だ」


 担当医。それを聞いて、クリストフは荒っぽくグレンを放して立ち上がった。シドはグレンに駆け寄る。


「大丈夫?」

「あ、ああ……平気っすから」


 心配そうにするシドに無理矢理笑顔を作ってみせるグレン。


「……フィオール、」


 ダンテの呟きに、唖然と立ち尽くしていたカイザははっと我に返る。ダンテは、ぼそりと呟いた。


「……行っちゃったんだね」


 何処へ。沈むダンテの言葉にカイザの胸がざわつく。まるで、フィオールが死に向かって飛び出して行ってしまったような……そんな言い方に聞こえたのだ。


「クリストフ、カイザ」


 イシドールに名を呼ばれ、カイザは顔を上げる。


「二人にはフィオールのことで話がある」


 妙な沈黙。クリストフはイシドールを睨んだまま、言った。


「…カイザ、来い」


 カイザは、緊張した面持ちで一歩、踏み出した。













 カイザとクリストフを残し、ダンテ達はグレンと一緒に表へ出た。ダンテは外に出て、兵舎を振り返る。


「手枷やなんかで拘束された患者もいたけど……これ、精神疾患者の収容所だったの」

「そうっす……中には自殺しようとする人もいるっすから。空が赤くなってからこっちに移る患者も多くて、その手伝いに来てたんすけど……あんなことに」


 グレンは先程の飛び蹴りを思い出して深く溜息をついた。近くの瓦礫に腰掛け、オズマがけらけらと笑う。


「気持ちはわからなくもないよ。精神疾患だろうがなんだろうが、聞き分けのないやつって殴り飛ばしたくなるもんね」

「そんな悪魔と同じことを俺はー!」


 グレンはその場に四つん這いになって落ち込む。ルージュはグレンの肩に手を添え、言った。


「死のうとしていた者を止めたのです。医者として間違ったことをしたわけではないのですよ」

「ルージュは甘いなぁ」


 鼻で笑うオズマをルージュが睨む。その近くでは、シドがチェシャを抱いて浮かない顔をしていた。チェシャは尻尾でシドの頬をぺちぺちと叩き、言った。


「そんな顔すんな。精神崩壊しかけても正気を保ってた男だぞ。どっかぶらついてるだけだ、きっと」

「でも……」


 不安そうなシドの頭をレオンが撫でた。シドが顔を上げると、レオンはいつもの無表情でシドを見下ろしていた。


「……」


 シドはレオンの目を見つめ、小さく頷く。


「……さて、フィオールもいなかったことだし、」


 ダンテが突然、話し出した。皆の視線がダンテに集まる。


「ルージュちゃん、チェシャ、オズマ。さようなら」

「ま、待ってください!」


 ルージュが慌てて立ち上がった。チェシャもシドの腕の間からするりと抜けて、ダンテの前に駆けてゆく。オズマは瓦礫に腰掛けたまま、黙って膝に頬杖をついていた。


「フィオールの行方が気になります! やはりこのまま去るわけには……!」

「そうだ! 約束が違うだろ!」


 ダンテがぎろりとルージュを睨んだ。ルージュは口を噤み、その銀色の瞳を見つめる。


「君達ね、僕達を心配するのはいいけどもっと心配しなきゃならない人が他にいるでしょ」

「……それは、」

「聞いてるよ、ルージュちゃん。お嫁さんが森に食われて死にそうなんでしょ?」


 ルージュの表情が、固まる。


「君達は死に対して無頓着だ。いい言い方をするなら寛大だと言ってもいい。でもね、人は君達みたいにはできてないんだよ。さっきの帝国兵を見たでしょ」


 ルージュもチェシャも、黙り込んでしまう。


「人は死ぬことが怖い。心も弱い。終末を目の前にして誰もが今不安になってるんだよ。ルージュちゃん、君のお嫁さんなんか一番そうなんじゃないの? 死を覚悟して君と添い遂げようとしていたのに、死を目前にして君の姿もないんじゃ人としても、妖精としても浮かばれないよ」


 ダンテの言葉に、ルージュの手が小さく震える。


「わ、私は……」



ーー許しも何も、請いません。神に仕えるためだけにこの世に生を受けたのですーー



 混沌でオズマに言い放ったあの言葉が、言えない。ニアの笑顔が頭を過って……言葉を、詰まらせる。ダンテはルージュが何も言えなくなったことを察してオズマを見た。オズマはふいっと視線を逸らした。


「…オズマも。僕がいつまでも子供だと思ってたら大間違いだよ」

「何のことですか?」

「大魔術師の僕がヨルダに負けるわけない。火の雨だって掻い潜ることができるだろう。でも、君の思い人はどうなの」


 オズマはそっぽを向いたまま、何も言わない。平然を装っているが、動揺していた。何故、ダンテが知っているのか。


「ただの人間なんか死んじゃうよ。何の進展もないままに全てが終わっちゃうんだよ」

「……」

「チェシャも」


 急に見下ろされ、身体を強張らせるチェシャ。


「折角地上に這い出て出会った人を審判の日に見殺しにするの?」

「……そ、そういうわけじゃ、」

「どう考えても! カイザもシドもレオンもクリストフもフィオールも! 僕も! 火の雨くらいじゃ死にそうにないでしょうが! でも君達の思う人達は抗う力を持たない! 簡単に死ぬ! 君達が"死は自然の理"だなんて呑気な考えをしている間に、恐怖と失意のうちに死ぬ! 人間はね、そういう弱い生き物なんだよ!」


 ダンテの幼い怒声が、赤い空を貫く。レオンやシド、グレンにはどうしてこんなにもダンテが声を荒げているのかがわからない。そんな当たり前のことに、どうしてこんなにも熱くなっているのか。そう、彼らがわからないのは、神の使い達の心だったのだ。長命で、その身に受けた使命感から死に対して希薄な考えを持つ彼ら。そんな彼らに、ダンテは彼らが思う人々の気持ちを訴えていたのだ。オズマは溜息をついて立ち上がり、ルージュに歩み寄る。そして、黒猫を抱き上げた。


「……わかりましたよ」

「…!」


 ルージュがオズマを見ると、オズマは真っ直ぐにルージュを見つめていた。その黒い瞳の向こうで紫の炎が一瞬、燃える。それを見てルージュはぐっと言葉を飲み込み、頷いた。


「わかりました。里へ……帰ります」

「おい! いいのかよ!」


 オズマの腕の中でチェシャが暴れ出す。すると、シドが後ろからルージュに抱きついた。ルージュが振り返っても、シドはルージュの背中に顔を押し付けたまま。"行かないで"とは……言わない。ルージュはシドの頭を撫でた。ルージュとオズマはシドを見て頬笑み、レオンに視線を向けた。


「後は任せたよ」

「皆を頼みます」


 レオンは首輪に触れて、軽く頭を下げた。そして、悲しげなシドの手を引いてその肩に手を置いた。二人はそれを見届け、ダンテを見た。ダンテは眉を顰め、俯いている。


「……本当に一人で大丈夫なんですか? ダンテさん」

「大丈夫だってば!」


 そういうダンテの目は少し潤んでいる。オズマはそれを見て笑い、ルージュと目を合わせる。二人小さく頷いて、目を瞑った。


「あ! おい!」


 チェシャが騒ぐ中、オズマは紫、ルージュは赤い炎に包まれた。それは赤い空へと螺旋を描いて飛び上がり、消えた。


「……」


 空を見上げるダンテの目からは、静かに涙が溢れる。シドはレオンの元を離れ、ダンテを抱き締めた。


「泣くくらいなら行かせなきゃよかったのに」

「……僕はシドと違って子供じゃないから。そうもいかないの」


 ダンテは声を潤ませ、シドの肩に顔を埋めて嗚咽する。レオンはそんな少年達をただ、見つめていた。運命の至るべき場所を目指す者達の悲しい別れ。ダンテは思っていた。混乱と混沌に包まれようとするこの世界で一人でも守れる人がいるのなら、と。悲しくとも、突き放してでも……別れを、選択する。もう、子供ではないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ