132.その笑顔は惑わせる
何やら賑やかな泉の間。そこにはせっせと陣を書くルージュとオズマと、陣などわからないだろうにまるで手伝っているかのようにちょろちょろと動きまわる黒猫がいた。不機嫌そうな顔をしてその様子を見下ろすダンテの隣で、クリストフがぼそりと聞いた。
「……おい。こいつら帰らせるんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど……」
ダンテは溜息をつき、昨晩のことを語った。
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「これ、思ったより大変なことになってるね……」
水晶を目の前に気難しい顔をするダンテ。その隣でオズマは腕組をしたまま水晶を指差した。
「帝都で使った鐘楼の音を終末の音だって騒いでる連中はいいとして、問題は帝国軍の残党ですよ。諸国の軍隊が俺達を狙って西へ攻めてきてる」
「民衆とて放ってはおけないでしょう。赤い空に混乱して暴徒化している者達が出ているのですよ」
オズマに異見するルージュの隣でチェシャが水晶を叩いて声を荒げる。
「おい! ナタリー映せ! ナタリー!」
「何か面白いことになってるっすねー……この騒ぎまわってんの全部人間?」
水晶を食い入るように見つめる烏天狗。水晶を囲んで好き勝手に話しだす4人を余所に、ダンテは考え込む。帝国崩御で国々を繋ぐ鎖は解けた。帝国に代わる大陸の覇者になろうと諸国の軍が動き出している。一番最初に狙われるのは、脅威とみなされているであろう禁術騎士団アポカリプスだ。さらに問題なのは、赤い空に怯える人々。神の啓示を信じてきた民衆はこの空の恐ろしさを知っており、終末の訪れを目の前にして国々で暴動が発生している。軍と民がぶつかるのも、時間の問題。
「……どうしようもない」
ダンテの呟きに、4人はぴたりと静かになる。
「さすがにここまでの大騒ぎになると、どうしようもないよ。赤い空を青くできるわけでもないし」
「帝国軍はどうするんですか。近いところだとリドリア私兵団が動き出してますけど」
「僕達アポカリプスがなんとかしよう。和、」
ダンテが名前を呼ぶと、和は仮面を頭の上に乗せた。
「僕は弟子を迎えに行ってパリスへ向かうために軍を離れなくちゃいけない。だから君は僕の証文と帝王の首を持ってアポカリプスと合流。西部前線を指揮して。詳しいことは証文に書いとくし、ジルと各隊長に聞けばわかるから」
「あ、はい」
和はぺこりと頭を下げた。すると、オズマが不満そうに言った。
「前線指揮なんて大役、東の連中に任せるんですか」
「彼らは瞬発力があるし、丈夫だからね。アポカリプスには援護と民衆保護を優先させる」
「俺も前線に回りましょうか?」
「……オズマ。人の心配より自分の心配したら?」
ダンテが横目にオズマを睨んだ。オズマはいつもと雰囲気の違うダンテに言葉を噤み、目を丸くする。
「ヨルダは今もルイズと一緒にいるんだよ。地獄門のことを諦めるとも思えない」
「……それは、そうですけど」
「だから、オズマ、ルージュ、チェシャはもう故郷に帰って」
静まり返る一室。気まずそうに視線を泳がせる和以外、誰も動かない。見兼ねたダンテが溜息をついて言った。
「……間違えた。オズマはベリオット、チェシャはナタリーね」
「何でだよ! ここまで来て!」
チェシャが七本の尻尾を立ててダンテに怒鳴る。ルージュも隣でおどおどと言った。
「私とて、このまま終末の危機に世界を晒したまま国へ帰るなど……」
「わかってないな。前にも言ったよね。あとはパリスへ行くだけなのに、大人数も要らないの」
「……」
「ヴィエラ神話の中で確かに君達と神に選ばれし戦士には当てはまるところが多々ある。でもね、ギール・パールマンがブラックメリーをカイザに渡した時点でもう選考会は終わってるんだ。君達は、落ちたの。もう要らないの」
ダンテの言葉に、ルージュとオズマは顔を見合わせた。フィオールやバンディは当たり前のことながら、自分達もギールと面識がある。会ったその時、彼にブラックメリーを渡されなかったことが"落選"したことだとダンテは言っている。だとしても、どうしても……
「んなこと知るかよ! 神に選ばれし戦士じゃないからもうどっか行けってのか?! 俺はシドの面倒を見るって決めたんだよ! 世界のために、ナタリーの女のために!」
チェシャが水晶をばんばんと叩いた。転がり落ちそうになったそれを、和が両手で止めた。ダンテは黒猫を見下ろすように睨み、言った。
「それが有難迷惑なの。君達はもう用済み。さっさと帰ってそれぞれ大事な人を守りなよ。地獄門は僕が防ぐけど、火の雨ばかりはどうしようもないんだから」
冷たいダンテの言葉。その裏にあるものをルージュとオズマはわかっていた。ルージュが困った顔をして助けを求めるようにオズマを見ると、オズマはにっこりと笑って、言った。
「じゃあ、ダンテさん。フィオール君はどうするんです」
「フィオール?」
何故ここで彼の名が。ダンテが首を傾げると、オズマはへらへらと笑っている。
「フィオール君の精神は今も緊迫状態なのにかわりありません。もしものことがあっても、さすがのダンテさんでもどうしてあげることもできないでしょ。俺とルージュ二人掛りの暗示でやっとなのに」
「……緊迫した糸をぶち切れさせるようなヘマはしないよ」
「彼を守りながらヨルダを相手にする気ですか? 俺達なんかよりフィオール君を何処か遠くへ行かせるべきだ」
「……」
黙り込むダンテ。オズマはわかっていた。ダンテにはクリストフとフィオールを引き離すような真似はできない。いや、フィオールがそれをさせようとはしないだろう。オズマは俯くダンテの顔を覗き込み、言った。
「俺達がいなきゃ、駄目でしょ?」
「……」
それでも、ダンテは首を縦に振ろうとしない。少年の意志は固いらしい。オズマは小さく息を吐き、テーブルに頬杖をついた。
「じゃあわかりました。彼の様子を見て決めましょう」
「……様子って、」
「ヴァイエンに行って、彼の精神状態を見て俺達が要るか要らないかを判断しましょうよ。仮に俺達の助けが必要なさそうだったとしても、パリスに旅立つ彼らを見送ることくらい許してくれてもいいでしょ?」
顔を歪ませて悩むダンテに、ルージュが身を乗り出して言った。
「そ、そうですよ! ここまで旅をしてきた仲間なのですから、別れることになるとしても見送りくらいは!」
「そうだそうだ! フィオールに会わせろ!」
「誰ー? 誰誰フィオールって!」
水晶を囲んで再び騒がしくなる面々。ダンテは俯いていた顔を上げ、テーブルを叩いた。
「もう! うるさいな! わかったよ! そのかわり、ヴァイエンでお別れだからね! フィオールがどんな状態であれ、ヴァイエンでお別れ! わかったね!」
「……」
「ちょっと! 返事は!」
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「はぁー……あいつら、フィオールに会ったら会ったで"このままじゃ死ぬ"とか言ってついてきそうだな」
クリストフが呆れたように言うと、ダンテは眉を顰めた。
「そのつもりなんだろうけど、絶対に帰させる。あの子達は神の使いだから人の死について無頓着すぎるんだよ」
「お前の言い分もわからなくないけどな」
クリストフの脳裏にニアとサラの姿が過る。あれからどうしているだろうか。ただでさえ短い命だったというのに赤い空を見上げて……心細くなっていないだろうか。クリストフは地面に座りこむルージュの背中を見つめ、思った。
「で、レオンの方は?」
「ん? ああ……」
ダンテに聞かれて、クリストフは花壇の方を振り返る。花壇にしゃがみ込むレオンとシド。それを見下ろすカイザがいた。
「……まだ、何も」
「彼が何か知ってるかもしれないんでしょ? カイザもさっさと聞き出してくれればいいのに」
「そうなんだけどな。あいつらはそれだけ信頼し合ってんだよ」
言わなければならない時。きっと話してくれる。そう、カイザとレオンは。
「聞けば、レオンがクロムウェル家の近衛兵になってすぐにカイザは誘拐されたらしいじゃない。大して付き合いもないのにどうしてレオンもカイザもあんなに……」
ぶつぶつとぼやくダンテ。クリストフはダンテの頭を撫で、言った。
「重要なのは一緒にいた時間の長さじゃないんだよ。あたし達だって、時間にしてみたら大して一緒にいたわけじゃないだろ。でも確かに時間を、痛みを、思いを……共有してきた」
「……」
「たったそれだけで、人は十分信頼し合うに足るんだよ」
ダンテはちらっとクリストフを見上げた。少女はいつもの不敵な笑みを浮かべている。ダンテは小さく溜息をつき、頷いた。少女はそれを見てダンテの頭をぽんぽんと、優しく撫でる。
「これがチェシャでー、これがオズマ。で、これがダンテ!」
「ふーん……何がだ?」
花を指差すシドにレオンが聞いた。レオンの後ろに立っているカイザは苦笑いしている。
「似合う匂いがするお花だよ。目も見えるようになったから、見た目も似合うのが選べるようになった」
「なんだ、目が見えなかったのか?」
「うん。その時、匂いだけでカイザに選んだのがこれ。見た目もぴったりだけど」
シドが手にとったのは、青い花。レオンはそれを見て少し驚いた顔をしている。少年が選んだにしては、随分と的を得ていると思ったのだ。
「……"神の祝福"か」
「うん。知ってるの?」
「ああ」
「そうなんだ! じゃあ……これは? 教えて?」
シドが差し出してきたのは紫色の花。兜のような花が連なるそれを見てレオンが答えようとすると、
「これ、レオンにぴったりだと思うんだけど」
シドが笑顔で、そう言った。
「……どうした? レオン」
黙り込むレオンにカイザが聞くと、レオンははっと我に返ってシドから花を受け取った。それとシドを交互に見つめるレオン。シドは笑顔で首を傾げている。
「シド、本当にこの花の花言葉を知らないのか?」
「うん、知らない。見た目と匂いで選んだ」
「……」
レオンは静かに、言った。
「……栄光、人間嫌い……あと、"騎士道"だ」
「へぇ。ぴったりじゃないか」
カイザがシドに微笑みかけると、シドは照れくさそうに笑った。レオンはじっと、少年に手渡された花を見つめる。何も知らない少年はどうしてこんなにも全てを引き当てるのか。カイザとの出会い、花、人の心……
「ねぇねぇ、気に入ってくれた?」
シドの無邪気な微笑みが、どこか悪魔染みて見える。しかしやはり……
「…ああ。気に入った」
引きこまれてしまうのだ。レオンが受け取った花には毒があるとも知らぬであろう、その少年の頬笑みに。
「おい、行くぞ!」
少女に呼ばれてシドが陣へと駆けだす。カイザもその後に続いて泉の縁に座らせていたミハエルに歩み寄る。レオンはルージュに何やら話しかけるシドを見つめながら、紫の花をそっと、懐にしまった。彼は気付いていない。少年の笑顔にまどろんで、騎士たる資質が感じている不思議な警戒心が本物であるということに。あの少年は危険だ……と、彼の"秘密"が、囁いていることに。