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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~最後の晩餐~
132/156

131.正面突破と内部破壊の分かれ道に

「……それで、あいつはミハエルの子供やら神の子供やら言ってたわけか」

「なんだ、カイザ知ってたのか」


 水晶の間。しゃがみ込んでミハエルの足を拭いていた少女は煙管を咥えたまま振り返った。


「いや、知っていたわけじゃないが。もし自分がミハエルの子供でも家族だと思ってくれるのか、って聞かれたんだ。神の子疑惑は、昨日のチェシャの言葉で」


 カイザは本棚を物色し、一冊の魔術書を手に取った。ページをぱらぱらと捲り、すぐに戻す。クリストフはミハエルに向き直り、白い湿らせた布でミハエルのふくらはぎを拭く。


「その割に冷静だな。エドガーには"カイザ"って名前の旦那がいたのかもしれないのに」

「旦那かどうかは知らないが、恋人はいたそうだ」


 少女はピタリと作業する手を止め、振り返った。カイザはまだ本棚の方を向いている。


「墓地でお前と別れた後、墓守小屋に入ったんだ。そこでバンディに聞かされた」

「何でバンディが知ってんだよ」

「ミハエルの日記を読んで知ったそうだ。日記は小屋と一緒に吹っ飛んだだろうけどな」


 カイザは黒い表紙の本を取り、それを眺める。花や草の絵が描かれた本。カイザは青い花のページで、手を止める。クリストフはカイザの背中を暫く見つめ、再び作業を始めた。


「……バンディは、なんて」


 青い花を指でなぞりながら、カイザは墓地で聞いたことを話した。ミハエルには神の寵愛を受ける前に行方不明になった恋人がいたことから、カイザとミハエルが出会うまでのいきさつを。クリストフは少し悲しげに視線を落とし、ミハエルの足の指の間まで丁寧に拭く。褐色の手の中では、ミハエルの足は浮き出て見える程に白い。


「今思えば、マスターが俺にブラックメリーを渡したのも、その"カイザ"の話を知っていたからなんじゃないかと思う。同じ名前に似た容姿だから、ついつい俺に渡してしまったんじゃないかって」

「そしたらお前が戦士の証を手にしたのもたまたまってことになっちまうだろうが」

「実際、そうなんじゃないのか?」


 カイザは本を閉じ、棚に戻した。クリストフは舌打ちをして、布を水の入った器に浸す。


「……まあいい。これで、エドガーとギールの繋がりがはっきりした。あいつらがお前に拘ってた理由もな。だが、シドのことに関しては振りだしに戻った。神の寵愛を受ける前に恋人が行方不明になってるんじゃ、シドとサイがエドガーの子供ってのは考えられない」

「どっちにしろ無理があるんじゃないのか? 俺がミハエルと出会ったのは10年前。もしシドがミハエルの子供なら、俺がミハエルと出会った時はシドを身籠ってたことになる。そんな様子はまるでなかったからな」

「……ダンテやチェシャの言う通り、あたしの妄想だったか」


 クリストフは布を絞り、反対の足を手に取った。カイザは溜息をついて本棚から離れ、水晶が置かれたテーブルの近くの椅子に腰をかける。カイザがミハエルの足を拭くクリストフを見下ろしていると、少女は彼女の顔を見つめて呟いた。


「でも、やっぱり似てるんだよな」

「…何が」

「エドガーと比翼の鳥だよ」


 比翼の鳥……カイザは少し考え、シドとサイのことだと考えつく。ミハエルの黒い髪を見て、昨晩撫でたシドの頭を思い出していた。似ていない……わけでもない。しかし、


「さっき言ったろ。ありえないって」

「ありえなくてもだ。シドとサイの外観はエドガーにそっくりで、どことなくお前にも似てて。サイの根暗な雰囲気なんてお前そのものじゃないか」

「……何が言いたいんだ?」

「シドとサイは、まるでお前とエドガーの子供みたいだって言ってんだよ」


 眉を顰めてミハエルを見つめる少女。カイザはそんな少女の言葉に、顔を真っ赤にしている。


「な、何言ってんだよ! 俺はミハエルから見たら赤子も同然で……!」

「そうだ。あいつらがお前とエドガーの子供だなんてことはありえない。だからあたしは、お前とよく似た容姿の"カイザ"が父親じゃないかと睨んだ。でも、それすらありえない。エドガーがあの二人の親だということ自体、ありえない」


 赤面しているカイザを余所に、少女はぶつぶつとミハエルに向かって呟いている。落ち着きを取り戻したカイザは、訝しげに少女を見つめる。


「シドの母親はシドが知っていて、既に死んでいる人物……エドガーじゃないとしたら、誰なんだ」

「……シドに心当たりがないか聞いてみるか」

「聞いた。何人殺したかわからないと言っていた」

「……」

「死んでる女に心当たりがあり過ぎるんだよ、あいつの場合」


 シドが殺し屋であったことをすっかり忘れていたカイザは、呆れたように溜息をつく。


「まあ、シドの両親はこの際どうでもいいとして……」

「お前それでも保護者か?」

「ミハエルの恋人だった"カイザ"は神そのものかもしれないんだろ?」

「……お前、本当に冷静だな」

「まあな」


 カイザはテーブルに頬杖をつき、ミハエルの寝顔を見つめた。愛しい彼女がかつて愛した男。憎い。考えただけで腸が煮えくりかえるような気持ちになるが、それはふっと、頭の天辺から急に冷めてゆくのだ。冷水の如く怒りを鎮めるそれは、"距離感"だ。男は120年も前に行方不明になっている。怒りに任せて殴ろうにも、情に流されてミハエルを取り合おうにも、時間という距離が遠すぎる程に二人を隔てていた。


「……"カイザ"が神であったから何がどうなるわけでもない。それこそ、もうどうでもいいことだろ」


 クリストフがそう言うと、カイザは視線を反らして「そうだな」とだけ言った。少女は腰を抑えながら立ち上がり、ミハエルを見つめる。そして大きく息を吐き出す。煙が混じったそれは、ミハエルの目の前で大きく向きを変えて天井へと舞い上がる。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 出発を明日に控えた夜。部屋に集められたのは、


「……何だ、話というのは」


 アダム、ただ一人だった。アダムが叩き斬った丸テーブルに代わり、白い正方形のテーブルが置かれている。それに肘掛け、ルイズは言った。


「明日にはここを出るが、どうだ。いくらか考えはまとまったか」

「そんなことを聞くために呼び出したのか。すっかり親玉気分のようだな」

「私が親玉でなければ誰があんな面倒くさい連中をまとめるというのだ」

「そもそもまとめる必要など、あったのか」


 アダムは大剣を足の間に突き立て、だるそうにその柄尻に両手を重ねる。


「利害が一致しているというのに、利用し合わぬ手はないだろう」

「……俺の場合、お前達が俺の目標を確保しているというだけだ」


 アダムが片手を柄尻から滑らせ、大剣の柄を掴んだ。


「ヨルダもいない。ここでお前を殺してしまえば、俺はあのふざけた選択をしなくて済む」

「……」

「お前同様に、たった一つの椅子を取り合っている程暇じゃない」

「それが、お前の選択か?」


 殺し屋の頂点に立つ男を目の前に、何の動揺も見せないルイズ。アダムはその態度がいい加減に腹立たしくて仕方なかった。今すぐにでも恐怖のどん底に貶めてやりたかった。しかし、


「まあいい。話をしようじゃないか」


 大して大きく動きもしない口。それなのに低く芯のある声は誰の声よりも艶めいて耳に入る。何を語りだすかもわからない、その声は。


「エドガーの部屋には、願いを一つだけ叶える木がある」

「……そんなもの、世界が閉じるというのに手にしたところで意味があるのか」

「そう。そのエドガーの部屋が存在する意味と影響を考えたのだ。何故、神は閉じられる世界でそんなものをエドガーに与えたのか」


 どうして、そんな話を自分に。アダムの頭の中はルイズへの疑念で溢れかえる。戦えばアダムに分があるだろうに、恐れることなく二人きりになるこの男の思考がまるでわからない。ルイズは真っ直ぐにアダムの困惑に染まる目を見つめ、言った。


「エドガーは、いわば鍵戦争の"切り札"だ」

「……切り札?」

「そう。鍵を巡る戦いで"何らか"の失敗が起きた時のための修復役、もしくは、どんな一手も覆すために用意された伏兵……といったところか。だからこそ彼女は不老不死の身体を与えられた。どんなことがあっても、死ぬことがないように」

「……だが、死んだのだろう」

「そうだ。それこそ神の誤算。彼女が死んだことで、鍵戦争はとんだ"乱入者"の手に落ちかねない状況になった」


 神の、誤算。そんなことがありえるのだろうか。だとしたらそれは……

 アダムの悠久の時を刻む呪われた心臓が、大きく脈打つ。神の誤算がありえるとしたら、"運命"なんてものは存在しない。定められた未来など……ない。


「神に選ばれし戦士が運命の至るべき場所に辿り着くという、ヴィエラ神話にも描かれた世界の行く末。それを今我々は覆そうとしている。バンディが持っている、"切り札"でな」


 その言葉に、アダムの表情が一変する。ルイズはアダムを見据えたままに言った。


「エドガーの鍵は奇しくも2本ある。一本はバンディが、もう一本はカイザ兄様が持っている。どちらでもいい、奪ってしまえばお前がその"切り札"を手にすることができる」

「……運命の至るべき場所へ辿り着こうとする者を、それで阻害しろと」

「いや? それはお前の自由だ。我々が鍵を持つことにこそ、意味がある」


 ルイズはテーブルに頬杖をつき、言った。


「神に選ばれし戦士が神の玉座につく。それは世界の死と生を意味する。そう、我々は考えていたわけだが……順序がそもそも違うかもしれない」

「どういうことだ」

「運命の至るべき場所へ行けば世界が閉じられるのではなく、世界が閉じられてから運命の至るべき場所への門は現れるのかもしれない、ということだ。そのための美女達と業輪だと思えば、四つの部屋が開かれて世界が閉じるという鍵の仕組みも辻褄が合う。そして、全てを監督するエドガー」

「……」

「エドガーの鍵を手にするということが、鍵戦争の"監督権"を得ることになる……かもしれないということだ」

「珍しく、言い方が曖昧じゃないか」

「運命の至るべき場所への行き方も定かでないからな。こればかりはなんとも言えない。しかし、業輪とエドガーの鍵が世界の開閉に大きく関わることは確かだ。神に抗いし罪人である我々が目指すべき道を示すことになるだろう」


 神に抗いし罪人……ルイズの言葉に、アダムは小さく笑った。


「そうか。いいだろう。まだ心が決まったわけではないが……とりあえず、お前達とは共犯関係でいてやる」

「助かる。パリスではおそらく、お前達が協力し合わねばならなくなるからな」

「…お前達?」


 アダムが聞くと、ルイズは溜息をついて視線をテーブルに落とした。


「……バンディだ」

「何であいつなんだ」


 アダムの表情が一瞬で不機嫌そうになった。それを見て、ルイズは再び溜息をつく。


「仕方ないだろう。隠密行動に長けているのは私よりもお前達なのだから」

「隠密? 何をする気だ」


 ルイズは、面倒くさそうな口ぶりで言った。


「私は一つ失敗した。その穴埋めだ。今は無きパリスの神殿へ行き着くためにはある一族の案内が要る」

「一族?」

「火の神殿の"守護者"と名乗る神官の一族だ。その血を引く男を、私は逃がしてしまった」

「……そいつを連れ戻せと」

「いや、今はヨルダがかけた術も切れてしまっているからな。連れ戻したところで自害されるのがオチだ。そういう男だからな。お前達には、神殿までの道が開けるまでを見張ってもらう。鍵をかけた最終決戦は、神殿内部だ」

「…で、その男というのは?」


 ルイズは、ゆっくりとその視線を上げた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「レオンが?」

「ああ。たぶん何か知ってる」


 カイザが言うと、ミハエルの髪を梳かしていたクリストフの手が止まった。


「隠しているわけではないと思うが……」

「聞き出せ」

「あいつが言いださないといいうことはそれなりの事情があるんだ。そんな無理矢理聞くようなことはできない」

「お前が問いただせば吐くだろう」

「だから……言いだせないんだろうが」


 カイザは水晶を辛そうな表情で見つめる。クリストフは舌打ちをして再びミハエルの髪を梳かす。長く綺麗な黒髪は、つかえることなく櫛を通す。


「神話の大筋が見えたからこの際どうでもいい。あとは運命の至るべき場所へ行けばいいんだからな」

「行き方は?」

「そんなもん、パリスについてから調べればいいだろ」

「お前はいっつもそうだ。脳みそが山賊」

「根っからの盗賊に言われたくねぇよ」


 カイザは小さく溜息をつき、言った。


「レオンの秘密、シドの出生、蘭丸の存在意義に、火の精霊の意向。神話についてはわかっても、まだまだわからないことだらけだ」

「秘密はレオンに、出生と存在意義は蘭丸に、何考えてんのかなんて火の精霊に吐かせれば一発だ。わからないままに終わることなんてこの期に及んでないだろ」

「だからお前は何でそう……」

「あたし達はもうここまで来たんだ。立ち止まって考えてる暇はない。細かいことは全てを進み倒しながら暴いていくしかないんだよ」


 少女に睨まれ、カイザは口を噤む。赤い空が頭を過り、山賊思考の少女の言葉に折れてしまっていた。

 カイザは少女に髪を触られているミハエルを見た。いつも綺麗にしてもらって……クリストフはそれ程までにミハエルのことを思っている。償いのつもりでもあるだろうが、それをミハエルが知ったなら、きっと……


「……ありがとう」

「あ?」


 クリストフが訝しげな顔をしてカイザを見た。カイザの視線は、ミハエルに向いたまま。


「今の流れで何で礼を言われなきゃなんねぇんだよ。気持ち悪ぃな」

「うるさいな。ミハエルの代わりに礼を言っただけだろ」


 カイザが眉を顰めてそう言うと、少女は驚いた顔をしてミハエルを見た。そして、悲しそうに黄金色の瞳を陰らせる。


「お前がどう思ってるかは知らないが、ミハエルも俺も、お前には随分と助けられてきた。礼の一つくらい素直に受け入れろよ」

「……エドガーはともかく。お前はさっきまで山賊山賊言って馬鹿にしてただろうが」

「それでもだ。俺はお前達のために運命の至るべき場所へ行く。全てを進み倒してな」


 カイザがしれっとそっぽを向くと、クリストフは小さく笑った。そして、再び長い黒髪を優しく梳かす。梳かす必要も無い程に綺麗だが……それでも少女は、死んだ彼女に尽くす。償いと、感謝の気持ちを込めて。

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