129.神話の先を覗き見た者達は
「…待て」
ルイズとバンディの間に流れる狂気に満ちた空気。それに飛び込んだのは、アダムだった。
「業輪と、鍵の関係はわかった。何故、鍵戦争が起きたのかも」
「だから、なんだ?」
ルイズが聞くと、アダムは勢いよく立ちあがってテーブルに両手を叩きつけた。隣のバンディは俯いて妖しい笑みを浮かべ、ヨルダは面倒臭そうにアダムを見つめていた。
「運命の至るべき場所の話は聞いてないぞ」
「おいおい、飛び入り参加の新参者がそこに口出す気かよ」
「要するに、その業輪には世界を閉じる力があり、その業輪を開いた先にある運命の至るべき場所とやらが新世界を開く神の玉座なのだろう。だったら、こいつがそこへ辿り着いたら俺はこいつの首を取る機会を失う!」
バンディを睨むアダム。バンディは少し驚いた顔をして、笑い出した。
「何だよ、世界の閉鎖にびびって命の心配し始めたかと思ったら……その心配かよ!」
「呪われた命に何の執着も無い! ただ、世界が閉じるとなればなおさらお前の首を取らねば気が済まない!」
アダムは大剣を握って振り上げた。ヨルダが目を見開き、慌てて立ち上がる。バンディはニヤニヤと笑って激情するアダムを見上げている。ルイズは流れるような大剣の動きを、その冷めた目でなぞるばかり。
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「……東禊神話もそうだが」
カイザの震える声。シドとレオンが、顔を上げた。
「ヴィエラ神話も、最後は世界の破滅を表してる」
「……そうだな」
少女が言うと、カイザは勢いよく顔を上げてテーブルを殴った。
「だったら! 鍵も俺も、世界の敵じゃないか! 神は俺に世界を閉じさせようとしてるんだろ!」
「……まだ話は終わってないぞ?」
「さっき運命の至る場所へ行くと誓いを立てたが……お前達まで俺にその残忍な役を回そうとしているのか! 全て知った上で俺を助けて、誓いを立てさせたのか! 世界を救いたいと願っていた俺に!」
その瞬間、少女はカイザの顔に持っていた酒をぶちまけた。騒然とする一同。カイザは眉を顰めて袖で酒を拭い、少女を睨んだ。
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大きな物音が部屋に響き渡る。床に落ちた赤いクロス、縦になって床を転がる丸テーブル。大剣を振り下ろしたアダムが顔を上げると、窓際まで転がったテーブルが真ん中から二つに割れた。割れたテーブルの向こうにいたのは、バンディが座る椅子の背もたれに寄りかかって立っているルイズ。バンディはやはり、にたにたと笑っている。アダムは大剣を床に突き立て、ルイズを睨む。
「まだだ。私の目的が果たされるまではこの男に働いてもらわねばならない」
「世界が閉じられてしまってからでは遅い。その男をこちらへよこせ」
アダムの背後でヨルダが足で陣を描こうとする。しかし、ヨルダはその足を止めた。ルイズがじっと、ヨルダを見つめていたのだ。手を出すなと、青い瞳は語る。ヨルダは睨むようにアダムの背中を見つめた。
「お前は何か勘違いしているようだ。私とこの男はどちらかの悲願が達成されるまでの協力関係にある。そしてお前は、二つの首をもらうという交換条件をもって私、ヨルダと手を組んでいる。つまり、私の目的が果たされない限りお前はこの男の首を手にはできない」
「ならば、お前も殺す他あるまい」
「私とこの男の関係が切れてから世界が閉じるまでの間に殺せばいいだろう」
ルイズは無表情に、淡々と。アダムは顔を怒りに強張らせ、大剣の先をルイズに向けた。
「どうやら俺は、手を組む相手を間違えたようだ」
「……そうかもしれないな。だが、これは逆にお前が神の玉座を得る機会を与えられたということでもある」
「そんなものはいらない!」
「本当に、そうか?」
大剣を突きつけても、どんなに殺気を放っても……青く濁った目は何の動きも見せない。見透かされるような感覚に、アダムの大剣を握る手が、震える。
「業輪を手にするということは全てをその手の内に収め、全てを終わらせるということだ」
「……」
「お前の憎悪も怒りも……含めてな」
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「世界を閉じ、全てを終わらせる。それは、誰かが業輪を手にして運命の至るべき場所へ辿り着けばこんな争いも、審判の日も終わるということだ」
「だから俺にやれと言うのか。世界を閉じろと」
「そうだ。世界を閉じて……新しい世界を開いてくれ」
少女の真っ直ぐな視線に、カイザの強張った表情が緩む。黄金色の瞳は切願するように潤んでいた。
「……アンナ寵妃の言葉を借りるなら、"世界は今死を望んでいる"」
少女は目を伏せ、言った。
「我々が神と呼ぶ存在は世界そのものであり、神に選ばれし戦士はその後継者である。よって、親が隠居して子が後を継ぐように、この世もまた死を以て新しい世界へと移り変わってゆく。神の啓示と審判の日はその節目であり、世界の生と死である」
カイザはぐっと歯を食いしばり、真っ直ぐに少女を見つめる。少女は伏せていた目を開き、カイザを見た。
「世界は今13巻の佳境。12巻まで、こうして繋がれてきたんだ。これらを知ってしまったあたし達に残された選択肢は二つ。死にかけた世界と共に滅びるか、新しい世界への道を開くか」
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「さあ、選べ。選択肢は二つ。今に執着して死にかけた世界と共に滅びるか、この首を利用して憎きを滅し新世界を開くか」
ルイズはアダムに向かってバンディが座る椅子を突き出した。バンディは扱いの荒いルイズを睨んだ。そして、その視線をアダムに向け、にやりと笑った。震える大剣の切先がゆっくりと……下りる。
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カイザはテーブルに肘をつき、がっくりと項垂れる。神に選ばれた、なんて漠然とした真実をつきつけられた時の驚愕とは違う……明らかな、絶望。世界を閉じて世界を開く。バンディが運命の至るべき場所を神の玉座と呼んでいた意味がやっとわかった。自分は、そんなもののために……
「俺は……世界を救いたかった。ミハエルが救った世界で……お前達と、未来を築きたかった」
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「殺さなくてはならない……俺は、俺の定めには逆らえない」
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「神の玉座などいらない」
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「世界なんかどうでもいい」
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「ただ、俺は生きたい……生かしたい」
ーー
「俺は殺さなくては……ならないんだ。それなのにどうして、
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こんな選択をしなければならない!」
沈黙が部屋を支配する。握った拳を振るわせ、項垂れるカイザ。その隣ではシドが静かに涙を流している。ぽたぽたと、黒い毛並みを湿らせる涙を感じながらチェシャも黙りこんでいた。あんな呑気に構えていた和も、自分の呼吸を変に意識してしまう程その場の空気に飲まれている。誰も話さない。誰も。
「……カイザ、」
沈黙を破る少女の呼び声。カイザは顔を上げられない。ほんの数秒後、少女の席から椅子の動く音がした。そして、温かな重みが身体に圧し掛かる。カイザが顔を上げると、褐色の腕が目の前にあった。
「言い方が悪かった。話す順序もまるで……お前を追い詰めるようで。でも、優しくないあたしにはこんな言い方しかできなかったんだ」
横からカイザを抱き締める少女の腕は、震えていた。
「あたしの言葉ではお前を傷つけるだけだ。だから……情けないが、あの女の言葉に頼る」
あの女。カイザの脳裏にアンナ寵妃の顔が浮かんだ。少女は微かに腕に力を入れ、言った。
「"死は終わりであると同時に……始まりである"」
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唇を震わせ、ルイズを睨むアダム。ルイズはその視線を真っ直ぐに受け止める。
「500年前の神の啓示の後、人類は新たな意志を掲げて歩き出した。世界を閉じるということが"死"に直結するとはまだ断言できない。しかし、運命の至るべき場所への門を開けねばそれこそ道は閉ざされる。運命の至るべき場所さえ開ければ、どんなかたちであれ新しい道が示されるのだ」
「…世界など、どうでもいい。今……この世界でしか、俺は生きられない」
「新しい世界でなら、その呪われた運命すら変えることができるかもしれない」
ルイズの低く芯の通った声が囁くように耳に入り、貫くように鼓膜を震わせる。
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「世界の終わりが何を意味しているとしても、お前は今この現状を救済すべく存在している。絶対に、確かにだ。仮に閉じられる瞬間にあたし達が死んだとしても……その向こうにはお前が傷つきながら、苦しみながら切り開いた未来があるんだ。誰もお前を責めたりしない。お前一人、責任を感じることもない」
カイザの頬に温かい雫が筋をなす。少女の囁くような声が響く中、啜り泣くような声がした。誰かはわからない。数人の、声を殺すような涙の呼吸。
「だから、頼む。あたし達のためにも……他の誰でもない、お前が運命の至るべき場所への道を開いてくれ。世界を、導いてくれ」
カイザの首元にぽとりと何かが垂れる感触がした、その瞬間。カイザは少女の方を向き、抱き締め返した。生きた女の感触。あんなにも嫌悪感を抱いていたそれも、この少女だからこそ心地よく感じる。カイザは涙が溢れそうな目を固く瞑り、煙草の匂いがする少女の肩に顔を埋めた。この安堵感。ミハエルの時とは違い、何故か母を彷彿とさせる。包容力があり、強く、気高い……そして、この女性としての質感が少女の聖母たる気質を感じさせる。落ち着く。涙が止まり、カイザは大きく息を吐く。
絶望の中に見出した希望。それもまた、彼にとっては絶望的なものであった。しかしその向こう側に少女も、啜り泣く誰かも、希望を見出している。自分の存在に涙ながらの希望を。
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「……まあ、どちらを選択しようが先にカイザ兄様達を片づけねば話にならない」
ルイズは溜息をつき、混乱した表情で立ち尽くすアダムに歩み寄った。
「ゆっくり……している時間はないが。世界が閉じられる寸前までよくよく考えてみるといい。それまではとりあえずついて来い。悪いようにはしない」
「……」
「今日はこれまでだ。部屋へ案内しよう」
ルイズがそう言って歩き出すと、ヨルダは窓際に放置されたバンディに駆け寄った。そして、背もたれに絡ませていた鎖を解き、それを持ってルイズを追う。すれ違い様、バンディはアダムを見て鼻で笑った。アダムはそれにすら気付いていない。バンディの悪態より、それより……
「……ルイズ、」
アダムが振り返って名を呼ぶと、扉の前で待っていたルイズが首を傾げた。ヨルダとバンディも、歩みを止めてアダムを見る。
「…俺の呪われた運命ですら変えることができるかもしれない"それ"を、どうしてお前は求めない」
「……」
「何故だ」
ルイズは入り口に寄りかかり、言葉選びに迷っているかのように視線をゆっくりと上げた。初めて見る、ルイズの迷う仕草。アダムはそれをじっと見つめる。すると、天井を泳いでいたルイズの視線がアダムを捕えた。ルイズは諦めたように溜息をつき、言った。
「死にたいからだ」
部屋を一瞬にして凍りつかせる冷たい声。
「先に死んだ、家族と共に」
「……カイザを殺したいという理由は、」
「ただの仇討だ」
アダムはルイズを見つめる。何も返す言葉が浮かばない。それ程に単純で冷たい、戦う理由。
「神に選ばれし戦士である兄を殺してまで"死"という罰を望むのも、家族の蘇りを望まないのも、この世の束縛から解放されたいからだ」
「……」
「聞きたいことは、それだけか?」
それだけ……ただ、それだけ。
アダムは大剣をしっかりと握りしめ、歩き出した。それを見てバンディとヨルダは妖しく笑う。ルイズでさえ、薄い笑みを浮かべていた。
ーーそれだけなのにどうして、こんな選択をしなくてはならない!--
たったそれだけ。自分の心が求めるものだけを見据えて歩く。その先がたとえ、死であろうと。時間がない。迷っている時間さえ惜しい。今はただ……世界という波に乗って行けるところまで行くしかないのだ。
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ここにいる誰もが、自分を気遣ってくれていた。そして、意を決して託してくれた。
「……お前はやっぱり、優しいよ」
「…そうか」
ノーラクラウンで言った時には驚いた顔をされたものだが。この時の少女は落ち着き払って、穏やかな声で応えた。自分は優しくないと言う少女が、どんな気持ちで真実を口にしたのか。肩に零れる涙の温度を感じながらカイザは考えていた。
絶望を希望に変えるのもまた、自分に課せられた使命。先の見えない運命の至るべき場所が恐ろしくもあったが、それでもこの足は止めてはならない。この温もりに、涙に、応えねばならない。道を切り開かねば、ならない。