12.そして男は年齢問わず英雄になれる
ノーラクラウンを訪れて三日目の夜。明日には町を出る三人は繁華街の酒場で夕食にしていた。久々の酒に唸りを上げるフィオール。カイザも思わず頬を緩めた。
「カイザ、本当にありがとう! クリストフに有り金全部毟り取られてもう駄目かと思ったが、お前が稼いでくれるからこんな美味い酒にありつけた!」
「気にするな、俺もお前がいて助かってる。 」
机に突っ伏して泣きながら喜ぶフィオール。その肩をカイザが優しく叩く。そんな二人を横目に睨む人物が一人。
「おい、あたしにも感謝しろよ」
「出たな、金の亡者クリストフ」
肉をつまみながらフィオールが不満気なクリストフを笑う。
「金の亡者って言うな! お前ら男がそういうのに疎いからあたしが管理してやってんだろうが!」
グラスをテーブルに叩きつけるクリストフ。すると、カイザが顎に指を当てて考えだした。
「そういえば俺、アイダでフィオールの居所を聞いて1万ペルー払ったな。結局、角曲がってすぐのとこの酒場で後悔した」
「あー、俺も。伝説の話聞いて100万ペルー払った。釣りはいらねぇ! って言って」
札束を叩きつける素振りをして話すフィオール。それを見てクリストフは勢いよく酒を吹き出した。霧吹状になった酒は真正面にいたフィオールの顔面と、その隣のカイザの顔右半分に思いきり吹きかかる。
「お前ら……本当に阿呆だな!」
信じられないと言わんばかりに目を見開いて怒鳴るクリストフ。カイザとフィオールは目を瞑って眉を顰めている。
「そんな使い方してるからいつまでもその日暮らしなんだよ!」
「そんなこと言って、お前だってカイザが稼いだ金で酒飲んだり死体に服買ったり、無駄遣いしてんじゃねぇか!」
フィオールが顔を拭きながら言い返す。隣のカイザはうんざりした顔で濡れた部分に布巾を撫でつけていた。
「あれは無駄遣いじゃねぇ! そうだよな、カイザ!」
着飾るミハエルを思い出し、赤面して額に手を当てるカイザ。
「…いい仕事したよ、クリストフ」
「お前はどっちの味方なんだよ!」
フィオールがテーブルに頭を叩きつけて叫んだ。勝った、と小さく呟いて鼻で笑うクリストフ。カイザは申し訳なさそうにふてくされるフィオールを見つめる。
「とにかくあたしに任せとけばいいんだよ。たまにはこうして贅沢もさせてやるんだから」
グラスの酒を一気に飲み干すクリストフを睨んでフィオールは言った。
「カイザはもう屈服してるみたいだがな、俺はずっと抗議し続ける!」
激しく言い争う二人にカイザは迷惑そうにしながら言った。
「屈服なんかしてない。でもミハエルの死装束以外の姿が見れて、その、嬉しくて」
恥ずかしそうにするカイザを見て、堪らず彼の頭を撫でるフィオール。
「そういう素直なところ……可愛いな」
「…酔ってるだろお前」
冷たい眼差しでフィオールを見つめ、カイザは酒を口にした。
「でも、カイザはエドガーと恋仲だったんだろ?」
クリストフの言葉にカイザは酒を吹き出した。至近距離で顔面に吹きかけられたフィオールは、そのまま固まってしまった。
「だったら他にもいろんな服着てるところ見れただろ。しかも生きてる時に」
カイザは表情を曇らせつつ口元を拭く。フィオールもカイザを睨みながら顔を拭いていた。
「…そんな関係じゃない」
「じゃあ、どんな関係だったんだよ」
突き詰めてくるクリストフ。言葉を濁らせるカイザ。そこに、顔を拭き終えたフィオールがグラスを手にして言った。
「俺も気になってたんだ、もう教えてくれてもいいんじゃないのか?」
優しく問いかける彼だが、内心、何処かで二人に酒をぶっかけてやろうと思っていた。そうとも知らず、カイザは重たい口を開いく。
「俺が10歳の頃……ノースの近くにある墓地へ墓荒らしに行った時、ミハエルと出会ったんだ」
少しずつ明かされるミハエルとの思い出。出会った満月の夜、怖い夢を見た日、初めて二人で出掛けたこと、鍵を受け取った別れの夜。言葉にすると短いが、カイザの中では永遠のように長く、幸せな日々。
「…俺はミハエルが着飾ったところなんて見たことないんだ。墓守だからか知らないけれど、いつも喪服だったから」
カイザが話し終えると、フィオールは口に含んでいた酒をゴクリと飲み込んで涙を流した。
「よかったな! ミハエルさんの晴れ姿を見れて、本当によかったな!」
「…お前やっぱり酔ってるだろ」
抱きついて泣くフィオールを引き剥がそうとするカイザ。クリストフはしんみりして呟いた。
「お揃いの鍵、ねぇ……それってお前が持ってる鍵と業輪のことだよな」
「だと、思う」
そう、盗まれたのはただの宝物ではなく、二人を繋いでいた絆の鍵だったのだとカイザは考えていた。カイザは悲しそうに俯く。
「そりゃあ、余計に探し出さないとな。お揃いなんだから」
クリストフが優しく笑いかける。カイザも微笑み、頷いた。
「俺も手伝うからな?」
「ありがとう、離れろ」
酔っ払って絡んでくるフィオールがうざったくて仕方ないカイザは片手で遠ざけながら酒を飲む。それを見てクリストフは笑っていた。そんな時、
「見つけたぞ!」
「捕らえろ!」
騒がしくなる外。クリストフは片眉を動上げて窓から顔を出した。
「なんだ?うるせーな」
少女のぼやきに、フィオールも窓を開けて外を見た。カイザも身を捩らせてひょっこりと窓から顔を出す。三階からでは少し遠いが、通りが何やら騒がしい。すると、三人が顔を出す窓の下で人混みから飛び出してきた女が派手に転んだ。
「おーい、どうしたー?」
下に向かって叫ぶクリストフ。女が三人に気付いて顔を上げた。その姿に、カイザとフィオールは驚いた顔をして固まる。
真っ赤な髪に真っ赤な瞳。何より、闇に艶めく真っ赤な唇……情熱的な風貌とは裏腹に小動物のような瞳を潤ませた可愛らしい顔立ち。
「び、美人! なんで! あんな子がいるのになんでクリストフが神の寵愛を……」
クリストフはフィオールの頭を鷲掴みにして窓の縁に押し付けた。
「いてぇ!」
「あの女、何だ?」
カイザの問に、クリストフは何も答えない。赤い女ははっと振り返り、慌てて立ち上がる。女の視線の先には十人程の兵士がいた。兵士は女にずりずりと寄ってゆく。後退りする女の前に、小さな少年が飛び出してきて大きく両手を広げた。ざわめく人並みに、増える野次馬。
「そこをどけ!」
兵士を率いていると思われる男が少年に剣を突きつけるが、少年は動こうとしない。
「坊や、逃げて!」
女の言葉も聞き入れようとしない。
「おい、やばいんじゃないか?」
苦しそうにフィオールがそう言うと、クリストフは手を離した。
「あの女、森に食われてる」
「森に?」
クリストフの呟きにカイザが眉を顰める。少女は、黙って下を見つめるばかり。
「邪魔をするならこの場で切り捨てる!」
兵士がそう叫ぶと、人混みがどよめいた。少年はそれでも兵士を睨み続け、言った。
「お前らが悪いんだ! みんな知ってるんだぞ! 領主が何をしたか!」
少年が叫ぶと、急に静かになった。
「妖精を虐めたから森の恵も受けられなくなった! 姫様が死んだのもお前らのせいだ! 領主のせいだ!」
「黙れ!」
兵士が剣を振り上げた。悲鳴が上がり、見ている者達が息を飲む。カイザとフィオールが窓から飛び降りようと身を乗り出した……が、身体が窓に引っかかってしまった。二人は互いを邪魔だといがみ合う。
「やめて!」
女の声に二人が視線を窓の外に向けると、女が少年を庇って抱き締めている。剣が振り下ろされ、血が噴き上がるのを皆が覚悟した。フィオールは、目を瞑って顔を背けた。
沈黙。フィオールがゆっくり瞼を開くと、隣には口を開けて固まっているカイザがいた。その視線の先には……
「女の尻追っかけてガキに手をかけるなんて、ここの兵士は山賊以下だな」
目を点にして下を見つめる二人。
「…は? え? クリストフ?!」
少女がいたはずの席を二度見して驚くフィオール。兵士の剣先を人差し指と中指で挟んで笑うクリストフに、カイザは言葉を失っている。
「なんだお前は! 邪魔をするならお前も、」
「あたしを? どうするんだ?」
クリストフは指先で剣を真っ二つにへし折った。それを見て再びどよめく人混み。更に口が開いてゆくカイザとフィオール。
「なっ……!」
「臭い尻尾巻いて逃げたらどうだ? 兵士さん?」
クリストフの挑発的な態度に顔を赤くして怒り始める兵士。
「この女も捕らえろ! 邪魔をする奴は皆、反逆罪だ!」
折れた剣を振りかざす兵士。後ろで群れていた兵士達がクリストフへと向かってゆく。それを見てカイザとフィオールは再び窓の外に身を乗り出した……が、今度は引っかかることなく、窓枠ごと下に落ちてゆく。二人の叫び声に気付いたクリストフが女と少年を抱いて退くと、二人は見事に兵士達の上に着地、いや、落下した。
「いっ……てぇ……」
「あ、取れたぞ窓枠」
下側のフィオールは腰を抑えながらヨロヨロと立ち上がる。上手い事上になったカイザはピンピンしていた。そんな二人の周りには、伸びた数人の兵士と木っ端微塵になった窓枠。クリストフは腹を抱えて笑っていたが、女と少年は唖然として二人を見つめていた。
「格好悪い登場だな!」
「うるせー! 窓が狭いのが悪いんだよ! ついでに抜け駆けしたお前もな!」
フィオールが痛みと恥ずかしさのあまり、爆笑するクリストフに八つ当たりする。その背後では兵士の一人が剣を振り上げていた。女がそれに気付いた。
「危ない!」
フィオールは振り返り様に持っていた荷物で兵士を殴りつけた。
「てめぇはすっこんでろ!」
情報屋フィオールの荷物は殆どが商売のための資料。分厚く硬いそれを脳天に喰らった兵士はばったりと倒れて動かなくなった。その向こうではナイフ一本で兵士数人と応戦するカイザがいた。
「やっちまえ!」
「くたばれ兵士共!」
しだいに里の住民達はカイザ達を支援し始める。兵士を次々と片付けてゆくカイザとフィオール。酒瓶片手に高みの見物をするクリストフ。四面楚歌の雰囲気に、兵を率いていた男は逃げ出そうと後退りしている。
「あ! 待てこら!」
フィオールがそれに気付くと、男は踵を翻した。
「部下を見捨ててやるなよ」
男は目の前に立ち塞がるクリストフに驚き、その場に尻餅をついた。クリストフはにっこりと笑って男の頭を蹴り飛ばした。男は勢いよく屋台に頭を突っ込み、動かなくなった。
「そいつから金目の物はすったし、もう逃がしたかったのに。そうしたら伸びてる兵士をネタに一稼ぎできたぞ」
カイザが男からすった剣や金の紋章を手に文句を垂れた。
「さすがカイザ! なんかもう、職業病だな!」
「お前こそ真の金の亡者だよ」
関心するフィオールと呆れるクリストフ。三人を囲む住人達は歓声を上げて三人を褒め称えた。
「すげぇぞ!」
「兵士共、ざまあみろ!」
そんな中、人混みに逃げていた少年と女が駆け寄ってきた。
「おねぇちゃんたち格好よかった! ありがとう!」
笑顔で感謝する少年の頭をクリストフは優しく撫でる。
「ボウズも格好よかったぞー、な?」
クリストフが女に同意を求めると、女は泣きそうな笑顔で頷いた。
「ありがとう、坊や。ありがとう、見知らぬお方」
頭を深々と下げる女に微笑む三人。
「なんかよくわからねぇけど、いい事したし飲みなおすか!」
歓声の中を歩き出すフィオールに続き、カイザとクリストフも女に背を向けた。
「うちで飲んで行きな! 今日は気分もいいし奢るよ!」
気前の良さそうな太った女性が三人に声をかけてきた。
「いいのか?」
クリストフが聞くと、女性は豪快に笑って言った。
「当たり前だろ? 坊やと妖精さんを救ってくれたんだからねぇ!」
カイザとフィオールが顔を見合わせる。クリストフは何かを知っているようであったが、じっと黙っていた。
「あ、あの!」
カイザとフィオールが振り返ると、女が物言いたげに見つめていた。そして、黙っていたクリストフが口を開いた。
「…おばちゃん、あの妖精さんも一緒にご馳走してもらってもいいか?」
クリストフの言葉に、カイザとフィオールは少女と女を交互に見つめた。
「よ、妖精?」
「あの美人さんが?」
困惑している二人を他所に、おばちゃんは景気よく言った。
「いいよいいよ! 四名様御来店ー!」
そう言っておばちゃんが入って行ったのは、カイザとフィオールが窓枠をぶち壊した店だった。
「…俺、今酒飲んでたら絶対吹き出してた」
顔を引き攣らせているカイザ。
「俺なんか……きっと鼻から肉も吹き出してたよ」
両手で顔を覆って嘆くフィオール。女が妖精だと言われた驚きと、おばちゃんの店で窓の弁償を要求されないかという不安。二人は複雑な心境のままに、女を連れて重たい足取りで店に戻った。住人達の歓声を、背中に浴びながら。