127.秘録は少女の声で紐解かれる
少女が一通りこれまでのことを話し終わると、皆何かを考え込むように視線をテーブルに落としていた。一人を除いて。
「……え? 待って。全然意味がわからない」
きょとんとしている和を見てクリストフは溜息をついた。
「そうだろうと思った。とりあえず、今のところわかっていないことを上げよう」
クリストフはオズマが書いていた紙を手に取り、羅列した文字に目を通す。
「細かいことばっかりだな。エドガーとギールの関係や、審判の日と運命の至るべき場所についての詳細……それと、カイザ」
和は首を傾げながらカイザを見た。カイザは煙草を咥えたまま俯いている。
「神に選ばれし戦士そのものについて……って、ところだな」
「業輪や二つの神話についてはどうなったんだ」
咥えた煙草を上下させ、カイザが聞いた。クリストフは紙をテーブルに置き、1冊の書物を手に取った。古びた書物を見せつけるように少女はテーブルに肘をつく。
「真偽はどうあれ、二つの神話を結びつけ、業輪の行方まで読み解いた奴がいる」
加えていた煙草の灰が、ぽろりと落ちる。
「アンナ寵妃だ。これが……その詳細を綴った秘録」
カイザは、擦り切れて今にもページがバラけそうな書物を見つめる。少女は秘録を開き、ページを捲りながら言った。
「あの女は二つの神話を個々の神話としてではなく"共通の事実"として読み解き、二つを繋ぎ合せた後、世界全土の様々な歴史と神話を照らし合わせて審判の日まで漕ぎつけたわけだ」
「繋ぎ合せる?」
「そうだ。あたし達が知っていたことも含め、それについてはある程度まとめておいた。お前らが休んでる間に」
休んでいる間。部屋に誰も来なかったのはそのためだったのか。カイザは短くなった煙草を灰皿に押し付け、言った。
「何で俺達をその話し合いに加えなかった」
少女は黙り込み、秘録から目を離そうとしない。ダンテやオズマ、ルージュですらカイザと目を合わせようとしなかった。その雰囲気に痺れを切らして和が口を開いた。
「まあまあ。これから話し合った結果を全部聞かせてくれるってんだから」
カイザがちらっと和を見て背もたれに寄りかかると、少女は秘録の裏で話し出した。
「和の言う通りだ。何でお前を休ませておいたかも、そのうちわかる」
「……わかった。続けてくれ」
少女は秘録を開いたままテーブルに置き、グラスを手に取った。
「まず、ヴィエラ神話についてだ」
鍵について具体的に語られた東禊神話ではなく、ヴィエラ神話から。
「結論を言うなら、これは世界の始まりから終わりまでを記したものだ。そして、業輪の在処まで匂わせている」
ーー私の国では有名なお伽話よ。カイザ、知らないの?ーー
ミハエルが笑顔で語っていた物語。その全貌が、少女の声で語られる。13番目の王子。そのたった一人の人物から読み解く世界の終始。彼の手を引く天使から導き出される業輪の行方。聞けば聞く程、何か……知ってはいけないことを知ってしまったような感覚になる。カイザの表情はいつの間にか強張り、瞬きすら意識しなくてはできなくなっていた。
13番目の王子はこれからパリスの神殿に納められようとしている世界の書13巻であり、世界そのもの。そして、ミハエルの現状とも照らし合わせたからこそわかる業輪の行方と審判の日。世界が裁かれるその日、業輪を持った誰かが世界を救うべくパリスへ現れる。
「アンナ寵妃は不老不死であるエドガーの死と魂の眠りから、業輪は隠され、それに加担した"誰か"が審判の日にパリスへ現れると推測してる。アンナ寵妃ですらわからなかった"誰か"を、あたし達は早い段階で耳にしていた」
ーー鍵を持つ西の巫女は火の精霊と共にあり、生きながらにして、死んでいるーー
秘録によって次々と明らかになってゆく事の全貌。誰かの一言が坂を転がり始めた小石に勢いをつけていまうような気がしてならない。どっと押し寄せる目まぐるしい真実を前に、皆委縮してしまっていた。しかし、
「……え、誰? 誰なのそれ」
やはり、和。飲み込みの悪い者が苦手なオズマに至っては苛立ち始めているようだ。すると、
「火の精霊だ」
少女が誰も口にしなかったその人物を上げた。
「エドガーは魂を眠りにつかせると共に、火の精霊に業輪を託した。火の精霊の存在を鍵戦争に加えれば、今まで鼻についていた不可解な事柄の背景が見えてくる」
「不可解な事柄?」
本当に、和は話を聞いていたのだろうか。オズマは引き攣った笑顔でグラスをテーブルに叩きつけた。ルージュが宥めていると、クリストフが溜息混じりに言った。
「エドガーの墓だ」
内心、クリストフは和に詳しくを語る気はさらさらなかった。問題は、少女の隣で眉を顰めている男。
「墓標と、業輪が入っていた宝物箱のことだな」
「そうだ」
「……確かに、墓標の名前がエドガーに変わってたなんて魔法みたいなことは精霊がやったと思えば納得がいく。でも隠すために預かった業輪を埋めるなんてこと、するか?」
「そう。それが唯一わからない。もしかしたら理由なんてないかもしれない。それでも埋めたんだ」
クリストフは首を傾げる和を見ないようにして話し続ける。
「埋めたのが精霊なら、これまたしっくりくる"掘り起こした人物"が浮かび上がってくるんだよ」
カイザのグラスを持つ手がピクリと動く。少女は流し目にカイザを見て、その名を明かす。
「蘭丸だ」
伝承者を名乗る、鍵戦争の様々な情報を掴んでいる男。ミハエルや審判の日について語って行った……仮面の男。
「精霊が墓標の名をエドガーに変えて業輪を埋めた後、蘭丸が掘り返して業輪を手にした。しかしその業輪は火の精霊に奪い返された。そう考えれば、火の精霊の存在とエドガーの御霊の在処を蘭丸が知っていたことにも納得がいく」
確かに、そう考えれば……繋がる。
「蘭丸と精霊の一悶着があった後、カイザがエドガーの死体を掘り起こした」
今までわからなかったことが、秘録という一本の糸を引いていくうちにするすると紐解けていく。カイザは胸の鼓動と得も言われぬ緊張感に逆らうように、小さく笑った。
「……アンナ寵妃。大したもんだよ」
「ああ。これだけでも十分だというのに、あの女はさらに東禊神話との結び付きにも目をつける」
これ以上の真実があると言うのか。カイザが気つけの酒を流し込む隣で、クリストフはダンテに酒を注いでもらいながら言った。
「世界の歴史を記したものが世界の書、世界の終始を一人の戦士として物語に収めたものがヴィエラ神話。そして、その歴史の中でもこの120年に焦点を当てたのが……東禊神話だ」
「120年?」
カイザが聞くと、酒を飲むクリストフに代わってダンテが答えた。
「僕達神の寵愛を受けし美女の宴が最初に開かれたのが、今から120年前なんだ」
明らかになっていなかった美女達の歴史。カイザは改めて、この二人から見たら自分は子供なのだと実感する。クリストフは褐色の胸に大きく息を詰め込み、吐き出す。
「120年前……それより前から語られていた東禊神話は大陸を巡り、あたしたち当人が知る頃には内容も認知度も薄くなっていた。だが、それをずっと原型を留めて守り続けてきたのがあいつらだ」
クリストフは下座の和を顎で指した。和はつまみを口に運ぶ手を止め、視線が合ったカイザに軽く頭を下げる。その表情は不安気だ。和の頼りなさそうな雰囲気にカイザが疑問を抱いていると、クリストフが言った。
「あいつは全然神話については知らないようで使えなかったが……」
だからか。和の不安げな表情に納得したカイザは視線を少女に移した。
「アンナ寵妃は東に使いまで送って東禊神話を洗い出した。その中でも重要だったのが、"100年の時を刻みし美女達"という一文」
「100年って、何のことだ」
「……蘭丸の言葉を思い出せ。4つの部屋が開かれた時、世界は閉じられると言っていただろう」
ゼノフで聞いた、蘭丸の言葉。
ーーあの女は他の美女達を気遣い部屋を開かず、業輪を手放さなかった。だから、たまたま今日まで世界は存在を閉じることがなかっただけだーー
「100年で4つの部屋は開かれ、世界は閉じられるはずだった。しかし、そうはならなかった。その代わりと言わんばかりに、神に選ばれし子としてクロムウェル家にカイザが生まれた」
テーブルの上に置いたカイザの手は微かに震えている。世界が閉じるはずだった年に自分が生まれた理由は、きっと……
「今度こそ世界を閉じるため……"神に選ばれし戦士"として」
部屋に染みわたる少女の言葉。誰もが言葉に詰まっている中、一人だけ様子のおかしい人物がいた。レオンだ。冷静沈着、騎士の鑑と謳われる彼の目は泳いでいた。そんな彼に気付いたのは隣に座るシドだった。シドは横目にレオンを見て、俯く。レオンは何かを知っている。そして、シドと同じようにカイザに聞かれることを恐れている。彼をさらに、追い詰めてしまうような気がして。