126.拗れた糸は千切れる前にだまになる
「ルージュさぁ、だるいんだったらいい加減に紳士くさい格好やめたら? ここに来るたび俺の服着るくらいならさー……」
「嫌です。あれは勝負服ですから」
「君は毎日が勝負なんだねー。疲れない?」
だるそうに話をするオズマとルージュ。
「あ! シド! それ僕が狙ってたのに!」
「あたしが狙ってたんだ! ガキ共はつまみじゃなくて飯食え! 飯!」
生ハムのチーズ巻きを巡ってフォークを振り回すシド、ダンテ、クリストフ。
「騎士ねー……うちの国で言う武士でしょ? 何、やっぱりお給料いいの?」
「まあ、食うには困らない。貴殿は東の大工と言っていたが……」
「そいつは東の鬼だよ。お前ら人間とは国の仕組が全然違う」
「…そういえばお前は何なんだ」
レオンの給料に興味津津な男と、黒猫の存在にやっと興味を示したレオン。カイザがぼけっとその様子を見ていると、男と目が合った。煙草を取りだす手が止まるカイザ。男はにっこりと笑い、酒瓶を手に席を立った。
「初めましてだな」
「……初めまして」
少し戸惑いながらも、空のグラスを持つカイザ。男はカイザの後ろからそのグラスに酒を注いだ。
「俺は御扇家幹屋の当主、館石和。よろしく」
「…よろしく」
カイザは和の額にある烏天狗の面が気になって仕方ない。訝しげな顔をしてちらちらとその面を見ていると、
「……あ!」
生ハム戦争はシドに軍配が上がった。千切れた生ハムを口に放り込むシド。その無邪気な笑顔を見て目を吊り上げるクリストフとダンテ。カイザが助けを求めるようにクリストフを見ると、クリストフは舌打ちをして和を見た。
「東から業輪探しの命を受けてきた大工一家の棟梁だ。ヤヒコの証文もあった。敵じゃない」
「蘭丸との関係は?」
「ない」
カイザが再び見ると、和は満面の笑みを浮かべていた。
「鬼の俺がわざわざ帝都まで赴いたのは、あんたに会いたかったからなんだ」
「……俺?」
和はカイザの肩に手を置き、その顔をじっと見つめる。舐めまわすような視線に、カイザは眉を顰めた。
「見たよあの雷。あんただろ? アレ」
「……」
「クリストフ様やダンテ様が拘る神に選ばれし戦士がどんな男か、気になってたんだ。遠目から見た時はあまりの美しさに息を飲んだもんだが……近くで見ると死んだ魚みたいな目をしてるな」
和の率直な感想にクリストフとオズマが笑い出した。言われ慣れているカイザはしれっとして酒を飲んでいる。
「神に選ばれし戦士の過去はそんなに壮絶なのか。聞かせてくれよ」
過去。グラスをテーブルに置き、カイザは言葉を詰まらせた。人に語れるような……戦士に相応しいものなんかじゃない。カイザが黙り込んでいると、レオンが立ちあがって和を見つめた。その鋭い視線に、和は思わず身を引いてしまう。
「口の利き方には気をつけろ」
「……何であんたが怒ってんの?」
困った顔をして和が聞くと、レオンは見下ろすように和を見て言った。
「私はレオン・オックスフォード・オヴ・クロムウェル。カイザ様の専属騎士だ」
「へぇー。そんな古風な風儀を続けてる家がまだあったんだねぇ」
オズマがにこにこと頬笑みながら言った。ルージュやクリストフがレオンに関心の眼差しを向ける中、和はまだぽかんとしている。
「何、凄いの? この人」
「帝国の名誉騎士だよ? 凄いに決まってるじゃない。"オヴ・クロムウェル"ってのは、"クロムウェルさんちの騎士"って意味さ。西では信頼を置いた騎士に自分ちの姓をあげたりする習慣があったんだけど、今のご時世にそれをやるなんてレオンは相当気に入られてたみたいだね」
カイザも知らなかったらしく、オズマの話に聞き入っていた。すると、レオンが和に向かって言い放った。
「カイザ様への無礼は私が許さない」
「レ、レオン。俺はそんな偉くもなんともないし、別に構わない」
カイザが弱気な声でそう言うと、レオンはその鋭い眼差しをカイザに向けた。
「なりません。クロムウェル家の正式な後継ぎであり神に選ばれた戦士でもあるカイザ様に無礼を働くなど、以ての外です」
ついでに盗賊の後継者でもあるわけだが……カイザはレオンに気圧され、言葉を飲み込む。一方クリストフとオズマは、顔を隠そうとしているかのように同時にグラスを口に運んでいた。
「……チェ、チェシャ。ついでだからお前も自己紹介しとけ」
張り詰めた空気をなんとかしようと、カイザが黒猫に話を振った。油断していた黒猫は、びくっと身体を強張らせる。クリストフも"なんとかしろ"と言わんばかりの視線を送る。黒猫は集中する視線の中、おどおどと話し始めた。
「お、俺は……化け猫のチェシャ」
「……この猫は鍵戦争とどのような関係が?」
レオンの問いに静まり返る部屋。こいつらの後はやめて欲しかった。そんなことを考えてぷるぷると身を振るわせる猫を、シドは哀れむような目で見つめていた。
話が脱線して黒猫の慰めに入っていた面々。チェシャを抱き締め、シドが言った。
「気にしないでよ、僕だってただの盗賊見習いだよ?」
「堕天使、邪眼、神の子疑惑の三拍子が揃ってるお前に言われてもなんの慰めにもならねぇよ」
黒猫の言葉に、カイザが眉を顰める。
「神の子?」
「……やべ、」
黒猫がカイザから視線を反らす。シドも肩を竦め、小さくなった。クリストフは煙管に詰める葉を丸める手に視線を向けたまま、言った。
「夜はまだ長い。ゆっくり話すとしよう」
話を急かすつもりなど毛頭なかった。カイザはただ、帝都で少年の様子がおかしかったことを思い返していた。
ーー僕がもしミハエルの子供でも、僕のこと!--
自分がいない間に、何か進展があったのだろう。ミハエルの子供かもしれないと言うシドに神の子であるという疑いをかける猫。話は全く見えないが、カイザは大人しく頷いた。少女は葉を火皿に詰め、言った。
「じゃあそろそろ、"本題"を肴に酒でも飲むか」
クリストフがそう言うと、ダンテが背もたれの方から二冊の書物を取り出し、テーブルに置いた。一冊は古びた赤い本。もう一冊は、随分と使い込まれた分厚い記帳。カイザがそれらを見つめていると、クリストフが重なった本に手を置いた。
「こいつらについて話し合うのは後にして……まず、これまでのことを和とレオン……ついでにチェシャにも知っておいてもらおう」
ついでと言われてクリストフを睨む黒猫。シドは浮かない顔をしている。
「こういう時にあいつがいればな……」
面倒くさそうな顔をして記帳の間から一枚の紙を取りだすクリストフ。それを手渡されたオズマは、ペンチを取りだした。一回、パチンと先を打ちならすとペンチは紫の煙を出してペンに変わった。どうやら、フィオールが不在のために情報整理はオズマがするらしい。オズマも面倒臭そうな顔をしている。クリストフは頬杖をつき、下座の2人を見た。
「あたし達の自己紹介も兼ねて、長くてややこしい話をしてやる。耳かっぽじってしっかり聞けよ。些細なことでも、お前らに心当たりのあることがあるかもしれないからな」
少女の言葉に、2人は顔を見合わせた。
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二つの足音が響く地下道。ひんやりとした冷たい空気が狭く薄暗い通路を満たしていた。そこに佇む木製の古びた扉。両脇には槍を持った騎士が立っている。
「御苦労」
男がそう言うと、騎士の一人が扉の鍵を開けた。肌寒くて真っ暗な室内。何も置かれていない広い部屋の中心には鉄の柱が一本立っている。柱の根元には、胡坐をかいて俯く男が……一人。
「……生きているか?」
「あ? ああ……なんだ、離宮の坊ちゃんか」
男は顔を上げ、妖しく笑う。顔の包帯は解けかけ赤くただれた肌が露出している。離宮の坊ちゃんと呼ばれたルイズの後ろには、頭に包帯を巻いたヨルダがいた。
「バンディ……だったか。お前に話がある」
「そりゃあそうだろうな。でなきゃ別邸に入りこんで大暴れした盗賊を生かしておくなんてこと、しねぇだろ」
バンディは鼻で笑ってルイズを睨んだ。その手は後ろ手に柱に繋がれている。
「どうせ鍵戦争のことだろ? 言っとくが、俺はお前に口を割る気はねぇぞ。他人に神の玉座をやるくらいなら死んだ方がマシだ」
ルイズは冷たい視線でバンディを見下ろす。バンディはその目を見て顔を顰めた。
「第一、気に食わないんだよその顔。すかした態度があいつそっくりで」
「……腹違いとはいえ、兄弟だからな」
「あいつもお前も、ぶっ殺したくてたまんねぇよ!」
暗闇で見開かれた三白眼は、狂気に満ちていた。部屋をこだまする笑い声。ヨルダは汚らわしいものでも見るような顔をしている。バンディは大きく息を吸い、冷めた目をしたルイズに向かって叫んだ。
「てめぇら全員、神に裁かれて死ね!」
その瞬間、柱の向こうで轟音が鳴り響き、土や天井が崩れてきた。バンディが煩わしそうに振り返ると、土煙の中から一人の男が現れた。無表情で突っ立っているルイズの前に、ヨルダがすっと進み出る。男はつかつかと柱に歩み寄ると、唐突に大剣を振るった。バンディは咄嗟に避け、折れた柱に捲かれていた鎖を解いた。それとともに前転して大きく飛び上がり、空中で一回転し、着地。振り返り、土煙に捲かれた男の顔を見てバンディは笑った。
「こんなとこまで嗅ぎつけてきたか。しつけぇ野郎だな」
「盟約を破った者に罰を」
灰色の瞳が、暗闇に光る。大剣をバンディに向ける男。ヨルダは男を見て、固まっていた。
「……アダム、」
男がヨルダを見た。そして、同じく目を見開き、ヨルダを見る。
「ヨルダ……何故、お前が」
見つめ合う二人を交互に見て、バンディはにやりと笑う。そして、アダムがこじ開けた天井の穴に向かって走り出した。すると、
「待て」
バンディは振り返り様、後頭部目がけて飛んできていた剣を手枷で殴り落とした。扉の前のルイズが剣を放ったであろう手をゆっくりと下ろし、バンディを見据える。バンディは床に転がった剣を取り、ルイズを睨んだ。
「貴族の坊ちゃんがブラックメリーの盗賊相手にやろうってのか」
はっと我に返ったアダムがバンディに向かって一歩踏み出すと、ヨルダが声を荒げた。
「やめなさい! アダム!」
「……」
アダムは振り返り、眉を顰める。ルイズはそんなアダムを見て、バンディに向き直った。そして、言った。
「私がお前に協力してやる」
「……は? 何言ってんだお前」
剣を構えたまま、馬鹿にするように笑うバンディ。
「どうせ鍵戦争のことだろうとお前は言ったが、私は神の玉座になど興味はない」
「……」
「お前が業輪を手にできるよう協力してやる。だから私にも協力しろ」
淡々と述べるルイズ。バンディは疑いの眼差しを向けつつも剣を下ろした。アダムはバンディを睨んだまま、動かない。いや、動けなかったのだ。
「そこの、アダムとかいう男」
ルイズが言うと、アダムは横目にルイズを見た。
「ヨルダの知り合いか」
「……」
「バンディを狙っているようだな」
アダムは何も答えない。バンディは他人事のようにアダムを見ている。ルイズは少し考え、言った。
「……私はバンディに協力するが、あいつの下につくわけじゃない。見ての通り、私の方が奴より優位な立場にある」
ルイズの言葉に、バンディは眉を顰めた。
「偉そうな口利いてんじゃねぇぞ! 世間知らずのクソガキが!」
バンディが剣を握りしめて怒鳴った。その瞬間、ヨルダが地面に両手をついた。いきり立つバンディの目の前に黄色い陣が浮かび、黒い棺が現れる。警戒したバンディが後ずさると、棺が激しく砕け散った。中から揺らぐように飛び出してきたのは、黒いマントに身を包んだ金髪の青年。それを見て、アダムの目の色が変わる。
「……あいつは、」
ヨルダが妖しく口角を吊り上げる。青年は赤い目を見開き、バンディに歩み寄る。バンディが距離をとりながら様子を見ていると、青年が霧になって消えた。部屋を見渡すバンディ。その目に映るのは、立ち尽くすアダム、笑うヨルダ、冷たい視線を送るルイズ。他には、誰も……
「!」
首元に走る刺さるような痛み。身体の力が、抜けてゆく。顔を歪めて横目に右肩を見ると、背後から首元に噛みついている青年がいた。真っ赤な目、鋭い牙。バンディはがっくりと膝を折り、その場に跪く。アダムは茫然としてそれを見ていた。
「……あなたに呪いをかけた吸血鬼も、今や私の操り人形」
ヨルダの声に、はっと視線を向けるアダム。ヨルダは柔らかく笑い、アダムに手を差し伸べた。
「あなたが欲しがっている首が二つもこちらにあるのよ?」
「……」
「協力してくれるわよね?」
盟約を破った罪人、自分に呪いをかけた吸血鬼。アダムが黙り込んでいると、ルイズがバンディに向かって歩き出した。バンディは苦しげに顔を上げ、ルイズを睨む。そして、力を振り絞って剣を振り上げた。ルイズはそれを軽々と避け、バンディの手を蹴り飛ばした。部屋の隅に虚しく転がる剣。バンディは床に手をつき、頭を抑える。吸血鬼はバンディの首元から口を離した。ルイズは肩で息をするバンディを見下ろし、言った。
「業輪はくれてやる。代わりにお前の獲物を私に譲って欲しい」
「…獲物?」
「カイザ兄様だ」
バンディは一瞬驚いた顔をして、薄く笑った。
「そうか……お前も、あいつを殺したいんだな?」
「私の望はそれだけだ」
「……わかったよ。だが、あいつと手を組むのは無理だ」
バンディの視線の先には、ヨルダと向かい合うアダムがいた。ルイズは振り返りもせず、目の前で苦しげな吐息を漏らす男を見ている。
「私の目的が果たされるまでなら命の保障はしよう。その後は勝手にやれ」
「使い捨てか」
「利用し合うくらいの方が気兼ねしなくていいだろう。私達はもとより敵同士なのだから」
「……」
「怖いのか? ブラックメリーはホワイトジャックに背を見せることを恐れているのか」
ルイズの言葉に、バンディは喉元で笑った。
「やっすい挑発だ。それとも冗談のつもりか?」
「どちらかと言えば、"やすい挑発"だな」
「面白い。いいだろ。どちらにしろ俺はアダムにやられる気はさらさらねぇからな。利用するつもりで……手を組んでやるよ」
バンディがそう言うと、ルイズは手を差し出した。バンディは小さく笑ってルイズの手を握り、その場に倒れ込んだ。火傷の痕が痛々しい手を見つめるルイズ。その表情には、何の色もない。
「……アダム。私への恩を忘れたわけじゃないでしょう?」
ルイズの後ろでは、ヨルダが妖しく笑ってアダムに誘いの手を差し伸べている。アダムは大きく溜息をつき、ふと床に倒れているバンディを見た。そして、ヨルダに向き直ってその手を握った。ヨルダはアダムを見つめて優しく微笑む。
「またあなたに会えるなんて、夢のようだわ」
アダムは何も言わない。そして、何も知らない。どうしてヨルダがここにいるのか。どうしてバンディと手を組もうとしているのか。あの男は、誰なのか。後ろの二人を殺してしまいたい気持ちに駆られた身体もヨルダを目の前にして固まってしまう。吸血鬼の呪いを受けた身体は、彼女にすら呪いをかけられている。"過去"という拭い去れぬ呪いに。