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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆煙の塔~最後の晩餐~
125/156

124.目覚めと共に顧みる


ーー私はずっと待っているのーー

ーー…誰を?ーー

ーーあなたをよーー



 あの頃は何もわかっていなかった。自分はただの不幸な人間でしかないと思っていた。それなのに……今は。


「カイザ!」


 目を覚ますと、そこには嬉しそうに笑うシドがいた。シドの声で駆けつけてきたのは……


「カイザ様!」


 レオンだった。カイザはレオンの顔を見ると勢いよく身体を起こし、その胸倉を掴んだ。驚いて身を引くシド。カイザはレオンを真っ直ぐに睨んでいる。


「シドー、薬……」


 小瓶を手に部屋へ入ってきたクリストフは、足を止めて二人を見つめた。煙の塔の、暖炉がある部屋。ベッドが並んだそこで、カイザとレオンは向かい合っている。


「……お前、あの時何しようとした」

「……」


 レオンの脳裏に、剣を自分に突きつけた瞬間が浮かんだ。レオンはカイザの包帯だらけの腕を見つめ、黙り込む。カイザは顔を伏せるレオンを睨んだままに言った。


「お前は誰の騎士だ」

「……カイザ様の、騎士にございます」

「だったら俺の許しもなく勝手に死のうとするな!」


 カイザがレオンを荒々しく突き飛ばした。レオンは床に倒れ込み、動かない。


「うるさいよー」

「クリストフさんまた喧嘩してるの?」


 扉から顔を出したのはダンテとオズマ。クリストフは振り返り、言った。


「あたしじゃねぇよ」


 二人は目を点にして、カイザを見ていた。シドもぽかんとしている。カイザはベッドからふらふらと立ち上がり、レオンの腕を掴んで振り返らせた。レオンはまだ視線を合わそうとしない。カイザは眉を顰め、大きく溜息をついた。


「……レオン、」


 名を呼ばれてレオンが顔を上げると、カイザは辛そうに顔を歪めている。その悲しげな視線に、レオンは目を潤ませる。


「頼むから、死なないでくれ」

「……」

「俺のためとはいえ、命を投げ出そうとするのはやめてくれ」


 カイザの切願するような眼差しを受け、レオンはゆっくりと姿勢を正して跪いた。カイザはレオンの肩を軽く一回叩くと、ベッドに戻った。その足取りはやはりふらふらしている。騎士道の鑑と言われるレオンと、彼を従えるカイザ。二人の絆の深さが垣間見えた瞬間。

 カイザが倒れ込むようにベッドに入ると、二人を見つめて立ち尽くしていたクリストフがはっと我に返ってシドを見た。


「てめぇ! またうろちょろしやがって!」


 クリストフの怒鳴り声にシドはあたふたと隣のベッドに戻る。クリストフは目を吊り上げてシドに歩み寄った。


「カイザおはよう。調子は……良さそうだね」

「ああ……まあ」


 ダンテはカイザに歩み寄り、にっこりと笑う。カイザは部屋を見渡しながら、何やら人差し指と中指を開いたり閉じたりしている。煙草を探しているらしい。跪いていたレオンは立ち上がり、テーブルの荷物からカイザの煙草を取りだした。彼が煙草を手に振り返ると、カイザの人差し指と中指に一包の薬を挟めるダンテがいた。


「煙草より先にこれ飲んで」

「……」


 カイザは嫌そうな顔をして、オズマから水の入ったコップを受け取った。


「で、何で俺はまたここにいるんだ。確か……王宮でヨルダを取り逃がして……」

「シドとレオンの無事を確認してすぐぶっ倒れたらしいよ」


 ダンテが首を傾げてそう言うと、カイザは「あ、そう」と言って薬を口に流しこんだ。


「シド! お前のためにわざわざ味変えさせたんだからさっさと飲め!」

「やだー! お薬はもうやだー! チェシャ! ルージュ! 助けて!」

「馬鹿が! 猫と蜥蜴は泉の間にいるんだ、来るわけねぇだろ!」


 隣では意地悪く笑うクリストフが嫌がるシドの頭を掴んで薬を飲ませようとしていた。カイザがそれを見ながら水で薬を飲み込んでいると、レオンが煙草と灰皿を持って来た。


「……なんか、今は話をする雰囲気じゃなさそうだね」


 ダンテが困ったように言うと、カイザは煙草を受け取ろうとする手を引っ込めた。


「そうだ、俺もお前達に言わなきゃならないことが、」

「いいよ。大体の経緯はレオンに聞いてる。軍の方も落ち着いてないし、今はとりあえず休んでて。夜になったら、みんなで詳しい話をしよう」


 ダンテはそう言って踵を翻した。オズマもそれについて行く。カイザが二人の背中を見つめていると、ダンテが振り返った。


「エドガーは水晶の間にいるから。あんまり動きまわって欲しくはないけど……顔見たかったら行ってもいいよ」


 カイザはダンテから視線を反らし、煙草を加えた。赤らんだ顔の彼を見て小さく笑うと、ダンテはオズマを連れて部屋から出て行った。


「……レオン、身体の方はどうだ」


 煙草に火をつけ、カイザが聞いた。レオンは近くの椅子に腰かけ、ベッドの脇にある小さなテーブルに灰皿を置いた。


「私は無傷でしたので」

「さすがだ」


 カイザはレオンに頬笑みかけ、シドの方を向いた。


「シド、クリストフ」


 カイザが呼ぶと、げんなりした顔でベッドに腰掛けるシドが顔を上げた。クリストフはシドのベッドに座って煙管に葉を詰めている。カイザは煙を吐き出し、言った。


「ありがとう。助けに来てくれて」

「……別に、帝国を落すついでだ」


 クリストフは不機嫌そうに言って葉に火をつける。


「僕、ギバー使うの上手になったでしょ」


 シドはにこにこと笑いながらカイザに身を乗り出す。


「練習したんだー」

「開けるのも早かったしな。やっぱりお前には素質があるよ」


 カイザがそう言うとシドは嬉しそうに笑った。


「他の連中にも礼を言わないと。今回は本当に迷惑かけた」


 申し訳なさそうにするカイザに、クリストフが足を組みながら言った。


「そうだ。お前がレオンにさらわれるからパリスに向かうはずがこんな大陸の中央にまで来るはめになったんだぞ」

「さっきは帝国落とすついでって言ってたじゃん。カイザのこと怒んないでよ」


 横目にシドを睨むクリストフ。


「カイザ様にお会いせねば、私は今もヨルダの人形だった。あのまま、ずっと……」


 湿っぽい呟きに、クリストフはレオンのことも睨んだ。どうやら、皆カイザを責めるなと言いたいらしい。実際、レオンを味方にできたことは喜ばしい。アンナ寵妃の秘録も手に入れた。カイザを奪還するにあたって失うものもあれば得るものもあったわけで……クリストフが悶々と考えていると、カイザが口を開いた。


「もう、自分の意地や誇りに拘ってられない」


 クリストフがカイザを見ると、カイザはいつもと何ら変わらぬ表情と声色で言った。


「ノースでバンディと会った時。俺はあいつと対等に戦うべきじゃなかった。どんな手を使ってでも……勝たなければならなかった」


 クリストフは、墓地でカイザに言った言葉を思い出していた。



ーーカイザ、お前は自覚できてない。自分にどんな使命が課せられているのかーー



 あの時、自分の発言を一瞬後悔したが……カイザなりに、理解してくれたらしい。少女が複雑な安堵感に小さく息をつくと、カイザが鼻から緩く煙を吐き出した。


「……でも、俺がちんたら泥仕合をしてたからレオンに会えた」


 少女の眉が、ピクリと動く。


「……ま、終わりよければ全て良し」

「何一つ終わってねぇんだよ!」


 クリストフはすかした顔をして反省の色を見せないカイザに声を荒げた。カイザは煙草を吸いながら怒る少女を見た。


「帝都戦は終わったろ」

「鍵戦争終わらせなきゃ意味がねぇんだよ!」

「あれ、そう言えばフィオールは?」

「話聞いてんのか!」


 ダンテのもとに来ているフィオールの痕跡を探して部屋を見渡すカイザ。鍵戦争に対する心構えが変わったせいか、いつになく肝が据わっているように感じる。怒鳴る少女の横で、シドが言った。


「フィオールいないって。グレンのところに行ってるみたいだよ」

「グレン?」

「煙の塔は今フィオールのこと迎えに行くためにグレンのところに向かってるって」


 どうしてグレンのところに。煙草を咥えたまま腕組をするカイザ。すると、腕に何かが当たった。


「お前な! 人の心配より今はその穴だらけになった自分の身を……!」

「クリストフ、」


 煙管を振り回して怒鳴り散らしていた少女に、カイザは手を差し出した。それを見て、少女は動きを止める。カイザの掌に乗っていたのは、二つの金の鍵。


「ダンテにも渡しておいてくれ」

「……」


 少女は無言でそれを受け取り、じっと見つめる。そして、鍵を握りしめた。


「…礼を言う」

「どういたしまして」


 俯く少女を見て、小さく笑うカイザ。彼の包帯が巻かれた胸には、ミハエルの鍵があった。アンナ寵妃から取り戻した3本の鍵。それが今、もとある場所へ帰ったのだ。


「アンナ寵妃を殺したのは、やっぱりお前だったか」


 クリストフの言葉にカイザは表情を曇らせる。椅子に座っていたレオンは無言でカイザに視線を向ける。カイザに付き添っていたとはいえ、あの部屋で何が起きたのか……確かなことは何一つわかっていなかったのだ。カイザは少し俯き、言った。


「確かに、俺だ」


 "確かに"。その声色はどこか不安定だ。クリストフが顔を上げると、カイザは煙とともに大きく息を吐きだした。


「だが、あいつがいなかったら俺は死んでたかもしれない」

「あいつ?」


 クリストフが眉を顰めて聞いた。カイザの碧眼は憂いを秘めて少女を見つめる。


「エルザだ」


 義理の妹である少女はカイザを救うために母を刺し、泣き喚く母を抑えつけ、母によって負わされた傷で死んだ。そんな少女との悲しい再会を……カイザは語った。


「幼い頃の口約束を信じて、ずっとお前を思い続けてたわけか」


 クリストフは柄にもなく悲しげな表情で呟いた。カイザは俯いたまま、何も言わない。


「エルザもそうだが、お前もどうしてこう……一途すぎる程に一途なんだろうな」

「……クロムウェルの血だろうな。父も、そうだった」


 屋敷の書斎にあった窓硝子。死んだ母と誘拐された自分の絵。死ぬまでずっと、自分達を愛してくれた父。


「……思い続ける理由なんて聞かれても困るか。あたしもそうだからな」

「人を好きになるのに理由なんてない、と言いたいところだが……俺とエルザに限っては兄妹だ。命を救ってもらってこんなことを言うのも難だが、できれば、普通に恋をして普通に幸せになって欲しかった」


 普通を知らない彼の普通とは何なのか。少女は問い詰めようとして、止めた。カイザの目があまりにも悲しく陰っていたからだ。


「アンナ寵妃やルイズにも普通の家族として暮らして欲しかった。願ったところで、もうどうしようもないというのに……俺がいなければこんなことにはならなかったんじゃないかと考えてしまう」


 カイザの言葉に少女は思わず息を止める。鍵がぶら下がる胸に軽く握った拳を当てるカイザは、黒く、小さく見えたのだ。今にも、消えそうな程に。不思議な不安感に包まれた少女の隣ではシドが嫌々と首を横に振っている。


「やだよ! カイザがいなかったら、僕はずっと塔の中だ!」

「……そう、なんだよな。俺一人の存在で片づけられる問題じゃなくなってるのもわかってる。だから俺が、この拗れた糸を解くんだ」


 カイザは悲しそうに笑う。その笑顔はやはり、消えそうだ。


「俺が……終わらせなくちゃならないんだよ。全てを背負って」



ーー…一番の犠牲者は、神に選ばれた戦士……でしょうねーー



 赤い空の下。敵味方関係なく、戦いに身を投じた者が皆犠牲者であるように思えたあの瞬間に、オズマが言った言葉。カイザもわかっていたのだろう。憎むべきものも、怒りをぶつけるべきものもない……犠牲者達の思いが織りなす世界の終わりを。それと向かい合い、その身一つで全てを終わらせようとしている。犠牲者達の嘆きを、その胸に。少女はじっと俯くカイザを見つめながら考えていた。彼一人に背負わせてなるものか、と。きっと、フィオールがここにいたなら彼とて同じことを思ったに違いない。


「僕も……僕も背負う!」


 少年の言葉に、クリストフは振り向く。シドは鎌を握りしめ、カイザに言った。


「僕、ミハエルはまだ……おんぶできなかったけど。それでも、カイザが背負おうとしてる物を少しでも分けて欲しいんだ。まだ子供だから頼りないのもわかってるけど……僕のことも、少しは頼ってよ!」


 よく意味もわかっていないだろうに、真っ直ぐカイザを見つめてシドは言った。カイザは驚いた顔をして固まっていたが……シドに見つめられ、困ったような、嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「ありがとう。俺はいつだってお前を信じて、頼ってきた。これからもそうするつもりだから」

「本当? 一人で何処か行ったりしない?」

「しないよ。その時はお前も連れて行く」


 少年は何を心配していたのだろう。カイザもシドが何を思っているのかをしっかり理解しているのだろうか。クリストフは不思議そうに二人を見ていた。脈絡のない会話が終わると、少年は安堵したように微笑んだ。


「彼がいるとなると、私はお払い箱になってしまいそうですね」


 目を細めてレオンが言うと、カイザは煙草をねじ消しながら言った。


「そんなことはない。シドはシドでまだ教えなきゃならないことが山ほどあって……レオンもいろいろ教えてやってくれないか。一般常識から頼む」

「…騎士というより、シドの教育係になってしまいそうですね」

「妖精ですら手を妬く問題児だからな。心してかかれよ」


 あんなに悲しげで消えそうだったカイザの笑顔が、いつもの無表情に近い呆れ笑いに変わっていた。クリストフは唖然としていたが、ぶー垂れるシドや熱心にカイザからシドの話を聞くレオンを見て小さく笑いだした。そうだ。今までだって……こうして手を取り合いながら旅をしてきた。彼一人が犠牲になるはずなど、なかったのだ。なかったのだが……



ーー……救済自体が"終わらせること"だとは考えないの?--

ーーじゃあ、君は、こう言いたいの? カイザとエドガーが出会う前。エドガーには"カイザ"っていう旦那がいて、その旦那が神様で。その子供がシドだって!--



 やっと戦士としての自覚を持ち始めてくれたカイザに、新たな真実を突きつけねばならない。クリストフは左手の薬指にはめられた金の指輪を見た。フィオールなら……どうするだろうか。少女は甲を返し、その平を見つめ……強く、握りしめた。

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