118.空白を埋めるその光は
走る馬と、走る猫。裏門を守る兵士達に突っ込み、一瞬で辺りを静かにしてしまった。レオンが剣を片手に誰も動かなくなったことを確認していると、カイザは素早く馬から下りて使用人達が使う小さな木製の扉へと近付く。
「……あ、」
カイザは腰に手を当てたが、小物入れがない。軍服を着ていたことを忘れていた。後に続いていたレオンがカイザの荷物を入れた袋を開けると、カイザがその中を覗きこんでごそごそとまさぐる。すると、かちゃりと鍵の開く音がした。音の方へ目を向けると、ギバーを手にしたシドがニコニコ笑っている。
「開いた」
カイザは小さく笑い、シドの頭を撫でた。そして、その手で扉の取っ手を引く。暗い室内。そこは一階の物置きのようだ。小さくなったチェシャがカイザの足の間を潜り、室内に足を踏み入れる。そして、鼻をくんくんと動かして振り返り、頷いた。それを見てカイザ達もゆっくりと暗がりに踏み込んだ。物置きを出て、廊下に出る。誰もいない。しかし、遠くの方で沢山の慌ただしい足音がする。
「……何処に行くの?」
シドが小声で聞くと、カイザは音のする方を見つめたままに言った。
「そりゃあ、帝王のところだろう。ダンテが狙ってるのはおそらく帝王の首だからな」
カイザは、横目にレオンを見た。レオンはカイザの視線に気付いた。そしてすぐさま視線を前に戻す。
「元々、私は戦場を流浪する遍歴騎士。そしてクロムウェル家に召し上げられた時からはもう、カイザ様にお仕えする近衛騎士です」
「……すまない」
騎士道の鏡とも謳われたレオンを反逆者にしたくないが……彼を、敵にしたくもない。カイザは苦渋の決断をして歩き出した。息を潜めて進むと、突如、嫌な匂いが鼻に入ってきた。カイザが思わず鼻を抑えている隣で、シドは両手で鼻を覆って悶絶している。チェシャがげんなりした顔をして、言った。
「これは……まさか、」
マントで鼻を覆うレオンが黒猫に視線を落した。すると、床のところどころが隆起し始め、そこから黒い煙が漏れ出した。
「チェシャー……何これ……」
「グ-ルだ。誰だよこんな迷惑な奴らを召喚したのは」
チェシャが毛を逆立てて周囲を見渡す。隆起したところから黒い腕が飛び出した瞬間、シドは一瞬ふらついた。廊下に充満する腐乱臭。カイザはナイフを、レオンは剣を手にした。墓穴から起き上がるがごとく、肉が腐り、内臓や骨を平気で空気にさらしている化け物が現れた。それと共に、足音がしていた方からは次々に悲鳴が上がる。
「どういうことだ、何故城内に……」
レオンが眉を顰めて言うと、シドは堪らずに眼帯を解いた。
「臭い! もう駄目!」
「あ、こら!」
チェシャが止めようと思った時には、遅かった。シドの潤んだ右目から噴き出した煙が廊下を這いずり回った。それはグ-ルの群れを覆い、白い廊下を真っ黒に染め上げる。
「カイザ! レオン! この煙には触んなよ!」
「わかってる! そんなこと!」
カイザとレオンは武器を構え、後ずさりする。すると、レオンの肩に粘性のある何かが触れる音がした。レオンは振り返り、剣を振り下ろす。脆い肉は剣に纏わりつくように裂け、腐敗した内臓と共にその場に崩れ落ちた。シドはそれに気付き、急いで眼帯をした。黒い煙が晴れるとグ-ルの群勢が目の前に迫っていた。
「だから言わんこっちゃない!」
チェシャが口から煙を出し、カイザはパチパチと弾ける光を放つ。前方では連続した大爆発が、後方ではどこからともなく落雷が。肉が飛び散り、爆炎と焦げた匂いでその場は包まれた。シドは眼帯をした右目を抑え、不思議そうな顔をしている。
「…なんで? 今、殺すように精神感応したのに……」
「恐怖も迷いもない、殆ど本能で動いてるあいつらに心を乱すための精神感応なんか効かないんだよ!」
チェシャがそう言うと、シドは困った顔をして鎌を手に取った。
「じゃあ、僕の鎌で……あ、あの臭いお肉を刈らなきゃいけないの?」
もう半べそだ。カイザはそれを見て小さく溜息をつく。そして、ナイフを握る手に力を込めた。廊下に走る、白い光。レオンは眩しさのあまり目を瞑る。
「俺がやる。お前は鼻がもげないようにしっかり抑えとけ」
レオンが目を開けると、カイザが持っていたナイフは光を放つ三又の槍に変わっていた。何が起こったのか……歴戦の騎士の頭を様々な思考が駆け巡るが、わかるはずもなく。
「でも……」
「援護を頼むよ」
「うー……わかった。ごめんね」
シドが袖に手を入れ、そのまま鼻を両手で覆った。それを見て笑うカイザ。
「カイザ様、」
レオンが呼びかけると、カイザが振り返った。柔らかいブロンドが、風もないのにふわふわと浮いている。その近くで白い糸のような光が弾けては消えてゆくのが見えた。
「どうした、」
「あ、いえ……カイザ様、その力は……」
レオンが言いかけた時、カイザがよろめいた。カイザの足を掴む、黒い手首。レオンが剣を振り上げると、爆音……というより、破裂音に近い音がした。尾を引く白い光が落ち、カイザの足を掴んでいた手を焦げ炭に変えた。レオンが唖然としていると、焦げ炭をカイザが踏みつぶした。レオンははっと我に返り、カイザを見る。カイザは、廊下の向こうを見ていた。
「詳しい話は後だ」
レオンが視線の先を追うと、数体のグ-ルの姿が見えた。カイザは槍を手に走り出す。
「うぁー……」
「俺だって辛いんだ! 我慢しろ!」
黒猫に怒鳴られながら、シドも走り出す。黒猫から発せられた黒い煙が少年と黒猫を覆ったかと思うと、煙が晴れたところには大きな黒猫の背に跨る少年がいた。その少年の背中が、もぞりと動く。衣服を突き破って現れたのは……黒い羽。レオンはそれを見て立ち尽くす。槍を振るうわけでもなく、雷を落して敵を撃破するカイザ。黒い煙を操る少年と猫。
「……」
レオンは茫然としながらも重たい一歩を踏み出した。本当に、カイザは何処で……どんな人物とどんな生活を。カイザとシド達が廊下の角を曲がり、見えなくなる。レオンは走りだし、後を追いながら考える。あの力は、あの少年は。自分が魔法に捕われている間、カイザは、世界は……どれ程変わってしまったのだろう。レオンが角を曲がると、豪華な装飾がなされた吹き抜けの天井が目の前に広がる。しかしその実態は地獄だ。グ-ルに食い散らかされたのであろう兵士達の死体。そして、犇めくようにうろつく動く死体。カイザの光だろうか、天井から次々に雷が降ってくる。連続した爆発もいたるところで起こっていた。すると、一体のグ-ルがカイザの足元から這い出ようとしていた。
「カイザ!」
シドがそれに気付き、唇に人差し指と中指を当てる。カイザが振り返った……その時。グ-ルの頭に飛んできた剣が突き刺さった。カイザが顔を上げると、剣が飛んできた方向にはレオンがいた。レオンは兵士の死体から剣を拾い上げ、カイザを見つめている。
ーーお前がミハエルの子供だったとして……お前が、何者かであったとして。それがどうしたーー
シドに向けられた、カイザの言葉。レオンとカイザの視線が交差する。何年時を経ようと、カイザが"何者"かになっていたとしても……
ーー闘うレオンは、強くて美しい。まるで剣みたいーー
例え、国を敵に回そうと。
ーーだから、その銀の輝きがよく似合う。僕の思った通りだーー
血に塗れた白い軍服。白い光を放つブロンドの髪。深みのある、青い瞳。レオンが銀の首輪にそっと触れた。それを見て、カイザはふっと微笑む。
「ありがとう」
初めて美しいと思った無邪気な笑顔。幼さも消えて逞しくなり、返り血が飛び散っていようとも……それはやはり、美しかった。花が咲き乱れる春の中庭で見た白く淡い光は、消え失せないのだ。