111.開戦の鐘が鳴る
無言の門前。見つめ合っていただけの二人はもう、睨み合っていた。しかし、どちらも動かない。動けば思惑が漏れかねない。動かないでいたとして後手になるのも時間の問題。カイザの元へ辿り着くのは、どちらか。
「……!」
一斉に空を見上げる二人。帝都中に響き渡る鐘楼の音。
「…警鐘。来たか」
ルイズが眉を顰めて呟くと、レオンが門に向かって走り出した。ルイズはそれを見て剣を抜く。
「レオン!」
剣をレオンの後頭部に向かって突きつける。レオンは剣を握って振り返り、その剣先を弾いた。ルイズはレオンを見て、言った。
「やはり、お前……」
「……」
「ルイズ様!」
ルイズが振り返ると、白馬に乗った一人の騎士がいた。王室の近衛兵だ。端正な見た目とは裏腹に、その表情は険しい。
「至急王宮へお戻りになってください!」
「母がいるはずだ。私は外から指示を出す」
「それが、アンナ様がどこにもいらっしゃらないのです!」
「……なんだと」
ルイズは横目にレオンを見た。レオンは剣を持った手を下ろし、静かに言った。
「お戻りになられた方が、よろしいのでは?」
「……」
ルイズは剣を収め、言った。
「帝都から出られると思うなよ」
ルイズはレオンに背を向け、兵隊と共に去って行った。鐘楼が鳴り響く中レオンが空を見ると、遠くの空に黒い軍勢が見えた。レオンはそれを横目に屋敷へと走り出す。アンナ寵妃が王宮にいないとなると……もしや。
「レオン様! 何故こんなところに!」
「早く軍へ……!」
レオンの姿を見てエントランスへとあたふた駆け寄ってくる執事達。カイザ奪還を警戒した武装を目に、レオンは剣を突き付けた。
「どけ」
レオンの言葉に、執事達は言葉を失う。すると、わらわらと集まった執事達の間を通って、一人の男が前に出てきた。
「やはり、魔法が解けておられたのですか」
出てきたのは、執事長。カイザの鎖を引いて行った初老の男だ。その手には2丁の銃が握られている。
「いくらあなた様でもこれ以上反逆行為に及ぶようであれば殲滅対象とみなします」
「…従順が故に哀れな執事だ」
レオンは剣を振るって執事に突っ込む。すると、黒服の執事達が一斉にレオンにかかってきた。それを切り払って向かってくるレオンに執事長は銃口を向けて引き金を引いた。エントランスに響く連続した銃声。弾が見えているのか、レオンが剣を振ると鉄の音がするばかりで当たらない。レオンが執事長の懐に飛び込み、剣を突き出した。執事長はそれを避けるが、避けきれずに右肩をざっくりと深く抉られる。血が噴き出し、レオンの口元の布に飛び散った。執事長がよろめくとレオンは大きく飛び上がって執事達の頭上を飛び越えた。
「対象を誤れば、自分が殲滅されることになるとも気付かずに」
レオンは螺旋階段を駆け上る。
「追うのだ! カイザ様の元へは行かせるな!」
右肩を抑えて執事が叫ぶと、他の執事達がレオンの元へと駆けだす。階段を登り切ったレオンは、天井から吊るされた銀細工と共に階段の支柱を切り崩した。ガラガラと崩れる螺旋階段。エントランスの異変に気付いて屋敷中の警備が動き出している。
「…急がねば」
レオンはマントを翻し、廊下の向こうへと走りだした。
「状況は」
王宮の司令室。街を一望する防壁に上に設けられたそこに入るやいなや、ルイズは西の窓へと歩み寄る。
「敵は西の防壁を突破! 上方に魔術兵団、陸上に東の軍勢を確認! 上方より軍を切り崩して進軍している模様!」
「……そのまま、第一区へ誘致」
大砲の音と鐘楼の音が響く空を見つめるルイズ。ルイズはちらっと横を見た。そこには、窓にへばりついてうっとりと襲撃者を見つめるヨルダがいた。
「ダンテ様……本当にいらしてくださったのですね」
「……対魔術師団長。こんなところで何をしている」
「決まっているじゃないですか。ダンテ様の勇士を見届けているのです」
「呑気だな」
「伏撃ですもの。相手が罠にかかるのを見ていればよいのです」
「……そう、上手くいけばいいがな」
その言葉に、ヨルダが視線をルイズに向けた。無表情で、冷たい。真っ直ぐにアポカリプスを見ているようにも思えるが……違う。もっと遠くを見ているように思える。そう、もっと……遠く。
耳を突く、鐘楼の音。アンナ寵妃の手がピタリと止まる。カイザのは鼻先で止まった切先を見て、その視線をふとアンナ寵妃に移した。アンナ寵妃は扉の方を見て固まっている。警報を聞いて手を止めたわけではない。この手を、止めたのは……カイザはゆっくりと、扉の方を見る。
「……エルザ」
アンナ寵妃の呟き。兵士に肩を抑えつけられながらも扉に立っていたのは、一枚の絵を抱きしめた裸足の少女。金髪に、青い目。少女はこちらを見ているが……その目には何の色も感じない。アンナ寵妃は立ち上がった。嬉しさが込み上げて緩む口元、潤む瞳。
「エルザ……よくぞ、よくぞここまで」
「……」
「さあ、見るのだ。この男こそが私達から栄光を奪ってきた亡霊だ! しかと、しかと見るのだ!」
アンナ寵妃が言うと、少女はフラフラとカイザに歩み寄る。カイザは、そんな少女をじっと見つめる。ルイズの妹、エルザ。記憶には曖昧だが……幼い頃、会ったことがあるような気がする。アンナ寵妃は愛おしそうに少女の頭を抱きよせ、その肩を抱いてカイザを見下ろす。母親の満足そうな表情とは違い、少女の表情はどこか……虚ろだ。この雰囲気、どこかで。
ーー…見られたくないんだーー
思えばあの言葉は、"何をしてしまうかわからないから"という意味だったのだと……カイザはふと考えた。ナタリーのフィオールと、同じ目。少女は、抱きしめた絵を放した。ゆっくりと落ちる、金の額縁。落下しながら表を向けたそれには……幼い自分が描かれていた。柔らかく笑う、幼い自分。その笑顔が……赤く染まる。
レオンがカイザの部屋がある廊下まで辿り着いた。部屋の扉が薄く開いている。それを見て険しい表情をするレオン。レオンは荒く息をしながら、扉を勢いよく開けた。
「エルザ様!」
「なんてことを!」
レオンの目に飛び込んできたのは、床に倒れているカイザとよろめくアンナ寵妃。そして、少女に何やら駆けつける騎士達。胸をはだけたカイザは上半身を起こして素早く立ち上がると、目つきを変えた。少女と揉み合う騎士達に向かって駆けだし、蹴り飛ばした。それを見て、レオンも剣を手に部屋に駆け込む。
「カイザ様!」
カイザの前に立つレオン。剣を向ける二人の騎士と、睨み合う。その向こう、アンナ寵妃は血だらけの腹部を抑えて苦しげにレオンを見ている。騎士に抑えつけられた少女の手には、血まみれのナイフ。それらを繋ぎ合せ、レオンは何が起きたのかを察する。
「レオン……」
「カイザ様、すぐに脱出いたします」
ぼそりとレオンがそう言うと、騎士達が剣を振るってきた。クロムウェル家近衛隊。隊長であるレオンの直属の部下の太刀筋は、さすがに鋭い。レオン一人ならまだしも、カイザを守りながら闘うには限界があった。すると、カイザが前に出てきた。レオンはそれに気付く。すぐにせり合っていた騎士を突き飛ばして振り返ると……カイザは、手枷で騎士の剣を受け止めた。レオンの目には、その一瞬一瞬がゆっくりと流れているように見える。剣を受け止め、騎士を引きつけ、白い軍服を翻らせてカイザは回し蹴りを放つ。頭部を蹴られた騎士が床に倒れ込むと、時間はふっと元の早さに戻る。
「レオン!」
振り返ったカイザは、レオンの後ろで剣を構えていた騎士に向かって飛び上がり、その兜に踵を沈める。レオンは茫然としていた。目の前にいるのはもう、守られるばかりのカイザではない。立派な、一人の戦士になっていた。軽い身のこなし、流れるような足の運び。型もにはまらぬ、自由な動き。
「手枷が邪魔だ……」
舌打ちをするカイザ。カイザに蹴り飛ばされた二人の騎士は立ちあがり、じりじりと二人に攻め寄る。二人は間合いを取るように近付き合い、互いの背中を合わせた。
「カイザ様、」
レオンの声に、カイザが視線だけでそちらを見る。
「もう、私がお守りせずともよろしいのですね」
「…そうだな。今度は俺が守る番だ」
「……少し、寂しいですね」
レオンとカイザは小さく笑い、それぞれ前へ……一歩、踏み出す。
「あちゃー……これ、本当に勝てるんすかねぇ」
「つべこべ言わずに走れ!」
仮面を上げて辺りを見渡し、顔を顰める和。その隣には鉄扇を手に走るクリストフがいた。白く壮大な建物が並ぶ帝都。蜘蛛の巣のように張り巡らされた道からは溢れる水のように兵が現れる。鬼の一群はクリストフと和を先頭に縦長く陣形を取って押し進んでいた。その上空には、鬼の軍を中心にしてルージュが戦闘に円形の陣を組んでいる。前方を魔法で切り崩し、弱い側面、囲まれた際の後方も上空から援護できる陣形。ルージュ達が兵を削った道を鬼達は勢いを緩めることなく駆け抜ける。大砲が撃ちこまれようが、火の妖精がそれをさせない。ルージュは剣先から炎を打ち出し、上空で爆破させた。
「うわー……」
和が耳を抑え、火の粉と煙が舞う空を見上げる。
「邪魔だ!」
クリストフが和の頭を鉄扇で叩き、目の前の騎兵隊へと駆けこんでゆく。そして、鉄扇一振りで馬ごと騎士を薙ぎ飛ばした。
「……俺達、要る?」
「要るに決まってんだろ! お前一応東軍隊長なんだからしっかりやれ!」
「いや、やってるけどさ」
建物の至る所から向けられた銃口に、切っても切っても減らない兵隊。宮廷に近付く程に囲まれてゆく陣。
「ダンテ様、まだかよ……」
不安げな和を余所に、少女はただ突き進む。自分はここにいる。そう知らしめるように……鉄の扇を手に踊り狂う。
「何故……エルザ、何故だ」
腹部を抑えてふらふらと立っているアンナ寵妃。少女を見つめるその目は涙ぐんでいる。
「何故、私を……!」
「母様」
少女は両手首を背後から掴まれながらも、アンナ寵妃を睨む。
「私は死にます」
「……」
「母様も、死んでください」
少女の言葉に、アンナ寵妃の表情が絶望の色に染まってゆく。愛する娘の、憎しみが込められた言葉。アンナ寵妃は、魂が抜けたような顔をして足元の絵を見た。すると、その上に騎士が倒れ込んで来た。首から血を出した、兜の騎士。視線を上げると、肩で息をするカイザとレオンがいた。廊下に集まってくる足音が聞こえる。レオンはカイザの手を引き、走り出した。
「兄様!」
少女の声。カイザが足を止め、振り返った。少女の潤んだ目。自分と同じ、青い瞳。カイザはレオンの手を離れ、少女に向かって走り出した。
「カイザ様!」
レオンはカイザを追おうとしたが、軍勢の足音はすぐそこまで迫っている。レオンは顔を渋らせ、倒れた騎士から鍵を取り上げて部屋を出た。荒々しく扉を閉め、鍵をかける。そして、レオンは大きく息を吐き、振り返った。目の前には正面と左右に別れた広い廊下にずらりと並ぶ、執事と近衛騎士。レオンは血が滴る剣を一振りし、前を見据える。
ばたばたと近衛兵たちが走り回るクロムウェル邸。それを木の上から見下ろす黒猫と少年。
「シド、本当にここなのか?」
横目にシドを見て小さな黒猫が言うと、シドは鼻をくんくんと動かす。そして、こくりと一回頷いた。
「…うん。絶対ここ」
「ここだけやけに騒がしいし……なんかあったんじゃないか?」
「行こう、チェシャ」
シドは木から飛び降りて屋敷の裏に回る。そして、塀の上から屋敷を見渡した。すると、3階に一つだけ鉄格子がはめられた部屋があった。
「…わかりやすいな。絶対あそこじゃねぇか」
「ね? だから言ったでしょ?」
シドはへらっと笑ってワイヤーを鉄格子に向かって伸ばすと、黒猫を抱いて塀から飛び降りた。屋敷の外壁に足をつけ、少年は片手でするすると登っていく。そして、ひょっこりと頭を出して部屋を覗き見た。
「カイザ!」
「いたか!」
中では見慣れぬ白い軍服を着たカイザが騎士と闘っていた。シドの視線はベッドの近くの女二人に向いた。ベッドの近くに倒れ込んで不安げな表情でカイザを見つめる少女。そして、首から血を流して動かない騎士が持つ剣を取り、ゆっくりとカイザに近付く前屈みな女。その足元には血が滴っているようにも見えるが……
「カイザが危ない!」
シドがそう言うと、辺りは突然黒い煙に包まれた。黒猫が大きくなり、壁を力強く蹴る。隣の窓に向かって飛び上がる黒猫の耳に掴まるシド。黒猫はその前足で窓を蹴破り、部屋に飛び込んだ。誰もいない空き室。部屋を駆け抜け、黒猫は扉を窓同様に蹴り破った。すると、黒猫の前足に倒れた扉に誰かを挟んだ感覚がした。きょとんとするシドとチェシャ。二人の目の前には、黒服と騎士の軍勢。カイザがいる扉の前にいた白髪の騎士も目を点にしている。時が止まったそこでシドは少し考え、言った。
「……お邪魔します!」
そして、するりと眼帯の紐を解く。