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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆帝都~蜘蛛達の都~
111/156

110.眩しい光と心地よい闇の中に


 帝都が見下ろせる一室。窓際のテーブルに二人の男女が並んでいた。二人は街を見下ろし、指を指しながら話していた。その様子は、仲睦まじく絶景を眺める夫婦。華やかなドレスと端正な軍服を身にまとった二人。男は女の肩に手を回した。そして、二人はゆっくりと……絶景を目の前に唇を寄せる。その時、扉を叩くノックの音がした。女は横目に扉を見る。男はそそくさと女から離れ、街を見下ろした。


「入れ」


 女が言うと、扉が開いた。入ってきたのは、宮廷の侍女。侍女は頭を下げて、言った。


「アンナ様、執事の方がお見えになっております」


 アンナ寵妃はにやりと笑うと、席を立った。男は少し慌てて言った。


「で、では、手筈通りに」

「ええ。承知致しました、元帥様」


 アンナ寵妃の笑顔に、男はふっと寂しげな表情をする。アンナ寵妃は男に背を向けると、振り返りもせずに部屋を出た。男は溜息をつき、前に向き直る。その様子は、切ない恋に思い耽った若人。









 知らない部屋、知らない家具。


「では、何が御用がございましたら扉に向かってお申し付けください」


 見張りがつくようだ。カイザは何も言わずにベッドに歩み寄る。執事は頭を下げて部屋から出て行った。扉が閉まると、がちゃりと鍵が閉まる音がした。カイザは誰もいなくなったことを確認し、部屋を見渡す。廊下同様に白い壁。美術品は置いていないが、ベッドや箪笥はやはり一流品。窓の外には鉄格子が設置されていた。この部屋はカイザを収容するために用意されていたようだ。手枷もはめられたまま。カイザはやりにくそうに羽織りを脱ぎ、ベッドに置く。そして、窓に近付いた。窓硝子を叩いてみると、普通の物と違って音が低い。蹴り破ることはできなそうだ。かといって、周りには持ち上げられそうな物もない。刃物の代わりになしそうなものも置いておらず、まさしく監獄だ。カイザは溜息をついてベッドに腰をかけた。


「……」


 カイザはそのまま横になり、天井を見る。白い天井に、白い花の文様。


「似合わないな」


 似合わない。真っ黒に染まったクロムウェル家にも、自分にも。白い花や美しい装飾品は眩しすぎる。カイザの頭に、ミハエルの顔が浮かぶ。闇夜でぼんやりと、消えてしまいそうな笑顔で自分の名前を呼ぶ彼女。彼女とて……自分にはあまりに眩しい。消えかけの蝋燭にすら目が眩んでしまう程、自分は暗い世界にいた時間が長すぎた。



ーーお前自身には何の価値もない!--

ーーそれを開けるのはあなたしかいないと……私は思っていますーー

ーーカイザ、お前は自覚できてない。自分にどんな使命が課せられているのかーー



 神に選ばれるとは、どういうことなのか。自分は何者なのか。わかりかけていたはずなのに、今はもう何も見えない。

 カイザはふと目を瞑った。鼻をつく新しいシーツの匂い。

 自分が何者であるかも、ミハエルの過去も……もはや関係ない。今自分を取り巻いている現状を、世界を、背負わねばならない。



ーー重みに耐えきれなくなっても、俺がいるーー



 ダリで優しく微笑むフィオール。



ーー阿呆か! あたしだってそのつもりだ!--



 目を吊り上げてむくれるクリストフ。沢山の笑顔と言葉が頭を過る。



ーー僕、カイザみたいな盗賊になりたいーー



 不安気で、しおらしい表情のシド。それを思い出してカイザは小さく笑い、目を開けた。


「俺みたいには、ならないで欲しいな」


 そう呟いて、カイザはゆっくりと瞼を閉じた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 見慣れた墓地。ぽっかりと穴が開いた空には白い月が昇っている。くっきりと、影まで見える満月だ。視線を下ろすと、切り株にミハエルが座っている。空を見上げ、何か呟いていた。


「どうかしたのか」

「…カイザ」


 ミハエルは振り向き、笑う。


「いらっしゃい」

「仕事は?」

「もう終わったわよ」

「そっか」


 カイザはミハエルの隣に座り、ぼんやりと月を眺める。この時間が好きだった。彼女の隣にいるこの時間が。何を話すわけでなくとも、彼女から発せられる柔らかく、温かい雰囲気が心地よかった。時間が止まっているのでないかと錯覚するほどに彼女の周りは穏やかな空気に満たされている。そして何より……


「ミハエル、」

「何?」


 この、笑顔。消えそうで、消えない。暗闇で発光する白い光。優しく深い漆黒の瞳はどこを見ているのかはっきりしない。その視線が自分を包み込む。


「…なんでもない」


 呼びたかっただけ。微笑んで欲しかっただけ。それでも彼女は、カイザの肩を優しく抱き寄せる。だから好きなんだ。彼女が、ここが、この時間が。何をするわけでも、何を話すわけでもない。ただ、隣で同じを景色をみているだけで……満たされる。ミハエルがいれば、それだけで。


「…カイザ、」

「何?」


 カイザが顔を上げると、ミハエルはいつもと違い、悪戯に笑って見せる。


「なんでもない」

「……」


 それだけで。彼女が名前を呼んでくれる……それだけで、満たされるのだ。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー










 カイザははっと目を覚まし、起き上がる。廊下から聞こえる足音。カイザはベッドに腰掛け、膝に両肘をついて扉を見つめる。鍵の開く音が、響いた。









「レオン様、今暫く私の側に……!」

「もうしわけございませんが、私は忙しいのです」

「待ってください! 今やいつアポカリプスが現れるかもわからぬのに離れられては……!」


 廊下に響く二人の男の声。レオンの腕を掴む男。レオンは立ち止まり、男を見下ろす。


「でしたら私の部下を副司令室へ遣わせましょう。それでよろしいですね、ランドール大佐」

「あなたでなくては意味がありません! ルイズ様の命令に背くおつもりですか!」

「非常時には必ず参ります、腕を放してください」

「レオン様!」


 レオンが荒っぽく手を振り払って前を見ると、そこにはルイズが立っていた。ルイズはじっとレオンを見つめる。レオンは臆することなくその目を見つめ返した。


「会議、ご苦労様です」

「ああ。そちらも、話は済んだようだな」


 二人は歩き出し、並んで階段を下る。ランドールは二人の異様な空気に入り込めず、手摺に寄りかかってその背中を見送ることしかできなかった。二人は同じ速度、同じ歩幅で歩く。ルイズは前を向いたまま、言った。


「ランドール大佐のもとを離れて何処へ行く気だ?」

「長旅でしたので、一度クロムウェル邸にて休むことに致しました」

「そうか。いざという時、疲れで思うように動けないようでは困るからな。ゆっくり休むといい」

「ありがとうございます」


 二人は同時に階段を降り切り、同時に王宮を出る。その足は次第に速まってゆき、殆ど競歩だ。すれ違う従者や兵がおかしな顔をして二人を見ている。そして、クロムウェル邸の門前で二人は足を止める。


「…何のつもりだ」

「……ルイズ様こそ、如何なされました」


 レオンは横目にルイズを見下ろす。


「まるで、私に先に帰られては困るかのようでしたが」

「それはお前の方だろう」


 ルイズは横目にレオンを見た。二人の冷めた視線が、交差する。

 










「おや、おとなしく寝ているかと思えば……」


 現れたのは、


「アンナ寵妃」


 カイザは低く名前を呟き、目を吊り上げてアンナ寵妃を見た。アンナ寵妃はその目を見て鼻で笑い、数人の騎士を引き連れて部屋に入ってきた。騎士が扉を閉めて、その前に一人が立つ。残りの二人はアンナ寵妃と共にカイザに歩み寄る。カイザはベッドに腰掛け、微動だにせず睨んでいる。アンナ寵妃はカイザの前にしゃがんで、その顔を見つめた。


「……素晴らしい」

「……」

「これは……神も嫉妬に狂うでしょうね」

「嫉妬に狂うかは知らないが、醜く狡猾な女よりかは俺の方がマシだと思うだろうな」

「御自分の立場がまるでわかっておられぬご様子」


 アンナ寵妃は窓際の方へと歩き出した。騎士達は威圧するように剣を抜き、カイザに突きつける。カイザはちらっと扉を見た。鍵がかかった様子はない。女一人に騎士が3人。丸腰では心許無いが……今しか、ない。


「…鍵を、御存じか」


 アンナ寵妃の言葉に、手枷をしたカイザの手がぴくりと動く。そうだ、この女はミハエルの鍵を……


「世界に混乱をもたらす金の鍵。東の伝説と、西の神話。御存じか」

「……」

「…知らないとは、言わせぬ」


 アンナ寵妃は振り返り、にやりと笑う。その胸には慎ましく輝く3つの鍵がぶら下がっていた。それを見たカイザは、表情を一変して固まってしまう。


「西の巫女、南の聖母、北の魔女……残るは、あと一本」


 カイザは勢いよく立ちあがって目の前の騎士達を回し蹴りした。よろめく騎士の間をすり抜け、カイザは窓際のアンナ寵妃に向かってゆく。その形相は、殺気に満ちていた。カイザの足がアンナ寵妃の頭目がけて振り上げられた、その時。カイザは後ろへと引っ張られ、床に抑えつけられた。アンナ寵妃はくすくすと笑いながら窓の方を見る。


「こんな鍵は、業輪のおまけでしかないのだがな」


 カイザは自分の身を抑える手を振り払おうと暴れる。そして、アンナ寵妃の背中に向かって叫んだ。


「お前がミハエルを死に追い込んだんだろう! その鍵を返せ!」

「ミハエル? ああ、エドガーのことか」


 アンナ寵妃は鍵の一本を手に、それを見つめる。


「私が殺したわけでもなければ、私が死に追い込んだわけでもない。あの女が、あなた様が、私をこのように変えてしまったのだ」


 荒く息をしながら、カイザはアンナ寵妃を睨む。


「これは神の玉座をかけた復讐劇なのですよ、カイザ様」


 アンナ寵妃は鍵を握りしめ、横目にカイザを見下ろした。


「あなたは神に選ばれた。いや、その御容姿でルイズから資格を奪ったのだ。その美しさはそれほどまでに人の心を惑わすのです。悪魔のように」

「…悪魔はお前だ」

「そう。悪魔を消し去るがために私も悪魔になったのだ」


 アンナ寵妃は、カイザに歩み寄る。アンナ寵妃は、腕を頭上に抑えつけられたカイザの近くにしゃがみ込み、手を伸ばす。その手はカイザの頬を撫で、顎を這い、首を伝って、胸で止まる。


「全て、あなた方が悪い。そして恨むのであればあなた様を選んだ神を恨まれるがよい」


 逆光で暗いアンナ寵妃の顔。青い目が、冷たくカイザを見下ろしていた。殺される。アンナ寵妃の手に、カイザの鼓動が伝わる。カイザの震える瞳を見つめ、アンナ寵妃は軍服の金のボタンをゆっくりと外す。


「あなたは何も知らない。知らずして"奪われた者"の上で胡坐をかき、生きてきた。あなたが無邪気に笑う度、あなたに誰かが微笑む度、胸が抉られるように痛む」


 ボタンが全て外され、アンナ寵妃の手はシャツの襟元へと伸びる。上のボタンが外され、アンナ寵妃はカイザの肌を撫でるように、その手をするりとシャツの中へ潜り込ませる。


「そんな者達が這い上がらんとして始まったのがこの鍵戦争。皆が、あなたの首を狙っているのだ」


 カイザは顔を顰め、アンナ寵妃を睨んだ。


「勝手なことを言うな。俺が神に選ばれた証拠なんて何処にもない」

「それはどうかな」


 アンナ寵妃は、囁くように言った。


「神に賜りし槍……黒鷲がとまる三又の聖槍」


 カイザは、目を見開いてアンナ寵妃を見つめる。黒鷲がとまる三又の聖槍。混沌でナイフから槍に突如変化したブラックメリーが頭を過る。理由も何もわからないままに力を手にしたつもりでいたが……ブラックメリーこそ、その原因だったというのか。



ーー…自分でもよくわかってないんだが。俺はどうやら雷だったらしいーー

ーー…そう。ああ、確かに。見れば見る程、綺麗な光だーー



 あれは、自分が身に付けた力ではない。ブラックメリーに宿っていた力だったのだ。黙り込むカイザの顔を見て、アンナ寵妃は薄く笑う。


「心当たりが、あるのですね?」

「……」

「戦士の証は何処にある」


 カイザはきつく睨んだまま、何も言わない。アンナ寵妃はにやりと笑ってその顔をカイザに近付ける。カイザが顔を背けると、アンナ寵妃はシャツに滑り込ませた手を勢いよく下へ下ろし、カイザの肌を露にする。


「口を割らぬからと簡単に殺す程、私は優しくはない」


 カイザはアンナ寵妃が何をしようとしているのか、ようやく察した。


「神に選ばれたその身を汚し、死を遥かに凌駕した苦しみを与えてくれる」

「……まるで賊だな」


 カイザはアンナ寵妃を見て鼻で笑った。しかし、目の奥は笑っていない。アンナ寵妃は妖しく笑いながらカイザの露になった肌を撫でる。そして、その胸に口づけをした。一気に湧き上がる嫌悪感。背中を走る寒気。アンナ寵妃の口付に、カイザの顔色ががらりと変わった。


「やめろ!」

「何だ、先程のまでの余裕な笑みは何処へいった?」


 アンナ寵妃は髪を掻き上げてにやりと笑う。豊かな胸をカイザの胸に這わせ、カイザの顔の真上に自分の顔を寄せた。目を吊り上げるカイザの顔を見下ろし、満足そうに微笑む。


「俺は盗賊だ! お前が汚すまでもない!」

「そうだな。その容姿で何人の女の心を惑わし、その手で何人殺めてきたのか。わからぬわけではない」


 アンナ寵妃はカイザの首をそっと撫でた。


「神をも嫉妬させるその顔が苦しみに歪む様が見たい。それだけなのだ」


 憎悪から生まれた狂気。憎い男を抱こうとするその心は……異常だ。カイザが恐ろしい笑顔を見つめていると、突然アンナ寵妃の両手が力強くカイザの頬を抑え込んだ。そして、伏し目がちな妖しい笑顔をすっと寄せる。カイザは顎を引き、目を瞑った。

 暗い瞼の裏。唇に柔らかい感触がした。その瞬間、残像がチカチカと蠢く暗闇で過ったのは……ミハエルの寝顔。あの日、最初の真実を知ったあの日。堪らずにミハエルに口づけをした。冷たくも柔らかい唇に涙した夜。生きた女を目の前にして溢れる嫌悪感と背徳感……自分も、もはや異常だった。唇を這う温もりが離れ、カイザはゆっくりと目を開く。すると、アンナ寵妃が優しく微笑んでいた。優しく微笑み、カイザの目じりを指でなぞる。湿った何かが、指に吹きとられる。


「涙が似合う……美しい」


 アンナ寵妃の呟きに、カイザは驚いた表情で固まった。自分は、泣いていたのか?


「本当に美しい……憎たらしくて仕方ない程に」


 アンナ寵妃の眉が寄り、瞳孔が開く。


「では、その顔をもっと私好みにしてやるとしよう」


 カイザに覆いかぶさり小さな刃物を手にするアンナ寵妃。その切っ先を見てもなお、ミハエルのことが頭から離れない。口付一つで涙が出る。死に顔を見るだけで胸が苦しくなる。こんなにも、ミハエルを愛している。やはり自分は……彼女のために、生きたいのだ。どんな理由を並べようと、彼女がいなければ何もできない。例え、彼女が死んでしまったとしても。

 刃物を持つアンナ寵妃の手が、カイザの顔目がけて振り下ろされる。



ーー…カイザ、--



 何をするわけでも、何を話すわけでもない。ただ、隣で同じを景色をみているだけで……満たされる。例え、自分が死んでしまったとしても。

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