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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆帝都への道程~二度目の誘拐~
109/156

108.歩みを止めてはならない


 暗く質素な部屋にノックの音が響いた。


「…はい、」

「俺、オズマ」


 身体をのそりと起こして、どうぞ、と返事をした。扉が開き、オズマが部屋へと入ってきた。


「調子はどう? ルージュ」

「……大分、いいです。精神干渉とは疲れるものですね」

「悪魔も大変なんだよ」


 オズマはにこにこと笑ってルージュに歩み寄る。


「クリストフさん達が来たよ」

「そう、ですか」

「ちょっと」


 ベッドから出ようとするルージュを、オズマは抑えた。


「知らせにきただけだから。君はまだ休んでなよ」

「いえ、御挨拶いたさねば……」


 顔色の悪いルージュ。オズマは溜息をついて言った。


「クリストフさんも休ませとけって言ってたよ」

「……」

「明日には移動する。今のうちに体力も魔力も回復させなきゃね」

「…すみません」


 ルージュは申し訳なさそうに俯く。


「帝都戦の準備は」

「もう済んだよ。東の人達とも話は済ませてある」

「…クリストフ様はノースで何か掴めたのでしょうか」


 ルージュがそう言うと、オズマは困ったような顔をして言った。


「うん。君が寝てる間に凄く進展したよ」

「進展? 私が……寝ている間?! クリストフ様はいついらしたのです!」

「昨日」

「…何でもっと早く言ってくれなかったんですか」


 ルージュは額を抑えて俯いた。オズマはベッドに腰掛けてケラケラと笑う。


「だって起こしちゃ悪いと思って」

「知らせるだけならもっと早く……」

「まあまあ、進展した話のこと、知りたくないの?」

「知りたいです。教えてください」


 俯いたまま棒読みでルージュは言った。オズマは持ってきていた本をルージュに差し出した。


「はい、これ」

「これは?」


 ルージュは本を受け取り、表紙を開いた。そこには一枚の紙切れが挟まっている。


「クリストフさんがエドガーの家で見つけてきたヴィエラ神話の原本。それと、クリストフさんとダンテさんが話し合った結果」


 ルージュは紙を開いてそれを読む。ヴィエラ神話の内容と現状を照らし合わせた考察が、子供の字で細かく書かれている。読みにくさに眉を寄せるルージュを見てオズマが笑う。


「ダンテさん字が汚くてごめんねー」

「…フィオールの字に慣れてしまっていただけです。そう汚くはないでしょう」


 神の寵愛を受ける美女に失礼なことは言えない。ルージュは顔を引き攣らせて笑いながら、字を目でなぞる。


「…どう?」

「そうですね。これで、カイザが神に選ばれた戦士だと確信してもよいのではないでしょうか」

「うん。わからないことは山積みだけど、ヴィエラ神話に関する僕達の推測はいろいろと正しかったわけだ」

「…オズマはヴィエラ神話のことになんて目もくれてなかったでしょう」

「そうだけど。終末の読み解きには俺が貢献してるからね」

「はいはい」

「あ、何その気のない返事」


 ルージュはオズマを無視して本を開いた。


「……これが、例の落書きですか」

「そうそう。もう一人の"カイザ"ね」


 ルージュは落書きを指でなぞり、小さな溜息をつく。


「…読みやすい」

「何か言った?」

「いいえ何も」 


 オズマはへらっと笑ってベッドから立ち上がる。


「これから作戦の最終確認だ。食事は後で持ってこさせるから。夜になったら上に上がっておいでよ」

「ええ。ありがとうございます」

「本は置いていくから、その時にでも持ってきて」

「わかりました」


 オズマが出口へと歩き出す。ルージュは視線を本に落としてもう一度落書きを見る。エドガーの、生きた字。


"あなたはカイザなの?"


 ただの問いかけなのに、何故か深い愛情を感じる。そうであって欲しいと願望のように見える。


「あ、そうだ」


 オズマの声にルージュがふと視線を扉に向ける。廊下に出て、扉を閉めようとしているオズマがルージュを見ていた。


「帝都戦が終わったら俺達に暇をくれるらしいよ」

「暇、とは」

「国に帰ってもいいってさ」


 ルージュの赤く円らな目がゆっくりと開く。蜥蜴の面影を残したそれは何かを察したかのように艶めく。


「……神に選ばれし戦士になり損ねた俺達は、お払い箱だ」


 オズマはにっこりと笑うと、扉は悲しげな音を立てて閉じた。











 灰色の壁に少し罅が入った診察室。他とは違い、薬品や医療器具よりも本やおかしな図形、標本の方が多い。


「はぁ……見えませんな」

「そうっすよね」


 回転椅子に座り、眉を顰めるフィオールの顔を真正面からじろじろと見る30半ば程の男。フィオールの後ろで腕組をして立っているグレンがフィオールの頭に手を置いた。


「ダンテが言うには相当やばいらしいんすけど、イシドールはどう思うっすか」

「さっきから言ってんだろ! お前らが騒ぎ立てる程じゃねぇんだよ!」


 フィオールは帽子ごとグレンの手を払う。イシドールは肩眉を上げ、顎に指を添えて小さく唸る。そして、フィオールの右手を掴んだ。フィオールは反射的にその手を振り払い、右手の傷を隠す。


「…それは?」

「知らねぇよ。勝手にこうなってたんだ」

「じゃあなんで隠す」

「…それは、あれ」


 フィオールは右手に視線を落して首を傾げる。グレンとイシドールは目を見合わせる。


「催眠療法でもいたしますか」

「そうっすね」


 イシドールはカルテに何かを書き込む。フィオールは顔を上げてグレンを見た。


「催眠術でもかけようってのか?」

「別にそんなんじゃないっすよ。今のフィオールは魔術っていう最上級の暗示を既に受けてるじゃないっすか。イシドールは催眠を利用し、深層心理を掘り下げて診察することができるっす。そこから様々な問題を解決していくっすよ。必要であればそれに応じて最低限の暗示もかけるっすけど」

「…俺の心を丸裸にするわけだ」

「そんな。帽子一丁にするくらいっすよ」


 グレンは笑いながら床に落ちていた帽子を拾い、フィオールにかぶせた。フィオールはどこか不満そうだ。


「フィオール、だっけ?」


 カルテを手に、イシドールが話し始めた。


「早速だが、幾つか質問に答えてくれないか」

「……どうぞ」


 フィオールはだるそうに大きく息を吐く。この男、病気になったこともなければちゃんとした医者にかかったこともない。それ故にこの雰囲気が面倒臭くて仕方なかった。イシドールはそんなフィオールをちらっと見て、再びカルテに視線を向ける。


「今一番辛いことは?」

「この状況だ」


 フィオールが言うと、後ろからグレンがフィオールの頭を掴んだ。


「こら! 真面目に答えないと診察にならないっす!」

「本当のことなんだから仕方ないだろ!」


 グレンはフィオールの頭を床に向かって押し付ける。フィオールはグレンの腹を向こうへと押し付ける。呆れ顔で二人を見つめ、イシドールは言った。


「…辛かったことに、心当たりがないと」

「……」


 フィオールはイシドールを横目に見て、グレンを押しのけて前に向き直る。そして帽子をかぶり直しながら言った。


「そういうわけじゃねぇよ。背中やら脇腹やら刺されて、痛い思いなら幾らでもした」

「それを辛いことに数えない理由は?」

「目的のためには仕方ないからだ」

「では、例え目的のためだったとしても仕方なくないことはあると思うか?」

「あ? もう一回」


 グレンとフィオールは首を傾げている。イシドールは無表情で言い直す。


「目的のためだとはいえ、してはならないことはあると思うか?」

「……あるんじゃねぇか?」

「それはなんだと思う」

「そりゃあ……なんだろう。やっぱりないと思う」

「そうか、では目的のためであれば何をしてもいいと」

「いや、そうとも思わないが……今の俺にはわからない」

「どうして」

「どうしてって……今は、何を犠牲にしても守らなきゃいけないものがあるんだ」


 フィオールは強くイシドールを見つめる。イシドールはカルテを机に置き、左手の拳をフィオールの額の前へと持ってきた。フィオールは不思議そうにそれを見る。


「…なんだ、これ」

「いいから、黙ってこの手だけを見ていろ」


 フィオールは眉を顰めてイシドールの拳を見つめる。額につく程の位置にあるので、上目づかいで見なくてはならない。窮屈だ。


「守らなくてはならないものとはなんだ」

「…友達、とか、女とか」

「では聞こう、犠牲にしてもいいものとはなんだ」

「…他人」

「他人。君にとって他人とは?」

「……敵」


 イシドールはゆっくりと手首を捻る。下を向いていた親指が、内側へと回った。そして、拳は軽く緩められ、親指と中指の腹がくっつく。


「敵、とは?」

「……クロムウェル家、ブラックメリー……蘭丸……いろいろ」

「そうか。それ以外は敵ではなく、犠牲にしてはならないのだな」

「……」

「違うのか?」

「…違う、俺は……」


 フィオールの閉じかけた瞼が見開かれる。そこに一瞬映り込む知らない景色。ぐったりと横たわる少年。腹部の大きな穴から血を噴き出す女。まるで、本のページが捲られるように脳を過る。


「俺は、自分の目的のために……!」


 フィオールの表情が陰り始めた時だった。イシドールは腹をくっつけていた親指と中指を素早く擦った

。指を鳴らす乾いた音がすると、フィオールはがっくりと背もたれに向かって倒れる。上を向いて目を瞑るフィオール。その顔の前で、グレンは手を振って見せた。


「はぁー……いつ見ても面白いっすね」

「そうですか。こっちはいつも集中してるから疲れますよ」


 イシドールはカルテを手に立ちあがり、フィオールの横へと立つ。グレンはカルテを覗きこむ。


「で、初診の感想は」

「暗示がよく効いてます。さすが魔法、と言ったところですか。ダンテ様が相当やばいとおっしゃる程ですし、記憶の混乱は精神が限界を迎えているからだとして……これ程正気を保っていられるのも奇跡的ですね」

「やっぱり時代は魔法っすか」


 グレンは溜息をついてカルテを捲る。イシドールは捲られたページを戻して言った。


「しかし危険なことには変わりありませんよ。フラッシュバックの際に起こった瞳孔の拡大に呼吸の乱れ、手足の震え。右手の自傷行為」

「自傷行為? これ自分でやってたんすか?」

「そうでしょうね」


 グレンはフィオールの右腕を持ち、袖を捲る。赤く筋になった傷。フィオールは眉を顰めてそれを見つめる。


「…切り傷ではないみたいっすけど。引っ掻き傷?」

「外側の傷はすぐに治せますけどね、心の方はそうもいかない」


 イシドールは本棚から小さな掌程の本をとり、開いた。本を開いたままカルテに乗せてペンを回しながらフィオールの横へと戻ると、囁くように言った。


「名前は?」

「……」

「あなたの名前は?」

「…フィオール」


 フィオールがうわ言のように言った。グレンは右手を放し、その寝顔を見つめる。


「フィオール。フルネームは」

「…フィオール」

「……」


 イシドールはカルテにサラサラと書き込む。グレンはカルテを覗きこみ、小声で言った。


「何で名前しか言わないんすか」

「たぶん知らないのでしょう。この手の生い立ちでは珍しくありません」


 イシドールはフィオールを見た。


「生まれは?」

「……」


 フィオールの眉が、少し寄った。また、わからないのか。グレンがそう思っているとイシドールは続けざまに聞いた。


「幼い頃に暮らしていた国は」

「……西の、グランジエ」

「家族は」

「…弟が、一人」


 その答に、グレンはカルテを覗きこむ。そこには、家族は無しと書かれている。


「まず、一つ捕まえましたね」


 イシドールがそう呟くと、グレンはフィオールを心配そうに見つめる。彼に何があったのか。辛そうな寝顔がグレンの胸を締め付ける。こんなにも苦しそうなのに……それでも彼は歩みを止めようとしない。歩き続ければいつか、深い闇に囚われて戻れなくなってしまうかもしれないのに。



ーー…友達、とか、女とかーー



 守りたい者にすら会えない、深い闇に。





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