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Akashic Records~Edgar~  作者: 誠
◆帝都への道程~二度目の誘拐~
102/156

101.英雄は立ち向かい勇者は飛び込む

「このまま、何もお召し上がりにならぬおつもりですか」

「……」


 カイザは項垂れて何も答えない。枷で吊り上げられたカイザの白い手首には血が滴り、シャツまで赤い。そう、逃げようとした。しかし、できなかった。きつく首を締め上げるバンディの手を逃れたあの力すら、使えなくなっていたのだ。レオンは赤い手首を見て何を言うわけでもなく、手にしていたスプーンを皿の上に置いた。


「本日中には宮廷へ向かわねばなりません。今のうちにお食事を取ってもらわねば困ります」

「……」

「カイザ様、」

「うるさい」


 カイザは少し顔を上げて、レオンを鋭く睨む。


「お前はもう、俺の知ってるレオンじゃない」

「……」

「ここはもう、俺が知ってる屋敷じゃない」


 レオンの皿を持つ手が、ゆっくりと、下がる。


「連れてゆくなら早くしろ」

「……」


 黙り込むレオン。カイザはその様子に違和感を感じた。本当に、人形のようだ。昔からあまり感情を表に出すような奴でもなかったが……その表情はあまりにも、静か。しかしその瞳の奥では、何かを考えているようにも思える。何か、言いたげな……

 カイザがその闇が差した瞳を見つめていると、レオンの手からするりと皿が落ちた。音を立てて割れる皿。レオンの手は、細かく震えている。


「……カイザ様、」


 レオンの声。先程までとは違う、温度のある昔と同じ声色。


「お言葉ですが、私はお父上の騎士ではございません」

「……」

「私は、あなた様にお使いすべくクロムウェル家の騎士になったのです」


 カイザは驚いた顔をして、レオンを見つめる。その目はやはり冷たい。しかし、今の返答は……一体、



ーーお前は……父様の騎士だろう!--



 あの言葉に、今更になって答えたというのか。


「レオン! お前は……!」

「替えのお召し物を、お持ち致します」


 レオンはカイザの言葉を遮り、頭を下げる。そして、踵を翻した。


「待て! レオン!」

「……」


 レオンは盆を手に、振り返る。


「…お前は、何を考えてる」

「……何も」


 レオンはそう言うと、今度は振り返りもせずに部屋を出て行った。


「……なんだというんだ」


 カイザは閉じた扉を見つめる。



ーー……御立派に、なられましたーー

ーーあなた様にお使いするべくクロムウェル家の騎士になったのですーー



 懐かしさと嬉しさを湧き上がらせる、あの言葉。



ーー殺しますーー



 悲しみと絶望を煽る、あの言葉。さらって拘束しているからには、アンナ寵妃の命令に従っているとしか思えない。しかし、カイザにはまだ信じられない。レオンはまだ、自分が与えた首輪をしていたからだ。いなくなった長男からもらった物を、15年もの間……

 カイザは扉を睨んだ。レオンの態度には何か裏がある。レオンの中には、自分に対する忠義がまだ生きているのだ。それを利用したらば、生き残れるかもしれない。

 カイザはこれまでにない程生に貪欲になっていた。価値がないと言われた命。運命に踊らされるだけの人生。このままでは、死ぬに死にきれない。レオンを利用してでも生き残る。できることなら……レオンを、アンナ寵妃の手から解放してやりたい。そう、考えていた。











「あれ、壊れちゃったの?」

「直してー」


 揺れる馬車の中。オズマは鎖が伸びきった鎌を見ていた。シドは悲しそうにその手元を覗きこむ。


「大丈夫、任せて」


 オズマがにっこりと笑うと、シドはホッとしたような笑顔を浮かべた。


「ねぇ、ダンテさんとはどうなの?」

「どうって?」


 ニコニコとオズマは木の筒を取りだした。掌に収まる細い筒。オズマが軽く振ると、その先から紫の煙ともに先の平たい鉄の芯が出てきた。


「そりゃー……ねぇ、君達結婚するんでしょ?」

「結婚?!」


 目の前で丸くなっていたチェシャがむくりと起き上がった。


「シドの結婚相手って、あのダンテだったのか?!」

「うん。忘れてたー」


 シドは照れくさそうに笑う。チェシャはぽかんとしてシドを見つめる。


「……俺の見る限り、ダンテは男だったような気がするんだが」

「そうだけど?」

「……」


 既に気を失いそうなチェシャを見てオズマが笑い声をあげた。チェシャはぷるぷると首を横に振って、オズマを睨んだ。


「公爵様! 笑ってる場合じゃねぇだろ!」

「ここで笑わないでいつ笑うのさ」

「仲間なら止めろよ!」

「えー……いいじゃない。面白いから」


 鎖鎌の柄をバラしながらへらへらと笑うオズマ。同じくへらへら笑っているシドを見て、黒猫の中で何かが爆発した。


「シド! お前の周りは本当に変なやつばっかりだな! まともなのは妖精様くらいじゃねぇか!」

「チェシャもまともじゃないもんねぇ」

「俺も?!」


 オズマは腹を抱えて笑う。シドは何が面白いのかわかっていない。チェシャは二人に背を向けて丸くなった。


「あー……鍵戦争に関わってる連中はみんなこうなのかよ。そりゃあ、世も乱れる」

「そういえばちゃんとオズマに挨拶した? ルージュが言ってたよ。初めて会ったらこんにちわ、お世話になったらありがとう、殺しちゃったらごめんなさいって」

「……」


 黒猫はルージュもまともでないように思えてきた。


「したよ。お前がぐーすか寝てる間にな」

「偉いね。で、公爵様って何?」


 シドはオズマに向かって聞いた。オズマが、あー……と声を漏らしてシドに伝わる言葉を選んでいると、チェシャが口を挟んできた。


「…お前、知らないで一緒にいたのか。この人は魔界の貴族、ヴァピュラ公爵だ。滅多に魔界に帰らないかと思えばこんなところにいるなんて……」


 チェシャは横目にオズマを見る。オズマは壊れた仕掛けをいじりながら言った。


「何処にいようが俺の勝手でしょ。今じゃ俺も、ダンテさんの可愛い使い魔だしね」

「よくねぇよ。あんたに続いて四公皆とんずらこいたんだぞ。魔界は大騒ぎだ」


 チェシャの言葉に、オズマの手が止まる。しかし、すぐにまた動き始めた。かちゃかちゃと、金属が軽くぶつかる音がする。


「とんずらこいたんじゃないよ。皆、捕まってるのさ」

「そんなわけあるか。公爵を捕えられる人間なんて……」

「いたんだよねー、それが」


 チェシャは訝しげにオズマを見る。


「召喚士ヨルダ。伝説の魔女ソフィーの秘術で俺を除く3柱を配下に置いてる」


 薄く笑いながらオズマが言うと、チェシャは慌てたように立ち上がった。


「そんな奴がいるのかよ!」

「うん。そんな奴が俺達の敵なんだ。そして、四公を生贄にしヨルダがやろうとしているのが……地獄門の開門」

「……何で人間が地獄門なんか開こうとしてんだ」

「ダンテさんのためだよ」


 オズマは柄の中に仕掛けを入れて、小さく息をついた。そして、黒猫を見据える。


「新参者はわからなくていい。ただ黙って、言うことを聞いてれば」


 オズマの向こうに、生温かい吐息を吐く獅子が見える。静かな威圧感。チェシャは黙り込み、真っ直ぐにオズマを見ていた。


「……ダンテのためって?」


 シドが聞くと、オズマの空気がふと柔らかくなる。チェシャは強張った身体をへなへなと座席に伸ばした。


「シド君も知らなくていいよ。ダンテさんのためになるってヨルダが勝手に思い込んでるだけだから。結局は誰のためにもならない、独りよがりな空回りだよ」

「……わからない」


 オズマは笑ってごまかし、柄尻の金具を留めた。すると、白鋼の鎖がするすると柄の中に飲み込まれてゆく。


「あ!」

「直ったよー」

「ありがとうオズマ!」


 オズマに手渡され、シドは嬉しそうに鎌を握りしめる。チェシャは疲弊感漂う声で、よかったなー、と声を漏らす。


「これでカイザを助けに行ける!」

「こら」


 馬車から飛び出そうとするシドのフードを掴むオズマ。それを見てチェシャは慌てて顔を上げた。


「まだ駄目だよ」

「何で?」

「首まだちゃんとくっついてないから。またぱっくり割れちゃうよ?」

「……」


 既に無茶をして懲りているシドはやけに素直だ。大人しく座席に腰掛けるシドを見てチェシャはホッと胸を撫で下ろす。


「…フィオールは?」


 シドが寂しげに呟く。オズマは困ったように笑い、シドにフードをかぶらせて頭を撫でた。


「フィオール君はいないよ。グレンのところに行ってる」


 オズマの言葉に、チェシャは不思議そうな顔をする。チェシャがオズマに挨拶をしに行った時、そこにフィオールがいたからだ。すぐ後ろの馬車に、今も……


「心配しないで。カイザ君を取り戻したころには戻ってくるから」

「……」

「寂しがりやのくせに、一人で飛び出してくるんだもんなぁ」


 オズマはシドの肩を抱き、そっと抱き寄せる。シドはオズマの肩に頭を傾けて、じっと俯く。チェシャの頭に陣の上に横たわるフィオールの寝顔が浮かぶ。感覚の鋭いシドがフィオールを感じとれない。オズマがフィオールの存在を隠そうとする。この二つから、フィオールはとても危険な状態にあるのだとわかる。



ーーいや、もういい。とにかく、今は情報を……--

ーー心を痛めて頭がおかしくなる程繊細じゃないってーー

ーーすぐ、戻るーー



 全く、そんな風には見えなかったのに。

 オズマに慰められるシドを見ながら、黒猫はこの馬車の中が如何に異常な場所かを思い知る。過酷な運命の中でも自分は十分祝福されたと言う男。精神が壊れかけているのに平然を装っていた男。邪眼を埋め込められた堕天使に、魔界に帰らぬ公爵。そして、黒猫でありながら尻尾が七本になった……自分。後戻りすることを、誰も止めはしないだろう。しかし……できない。この異常な空気がどこか心地よく感じるのだ。何故だろう。神に見捨てられた少年を優しく見下ろす悪魔をじっと見つめてはみるが……まだ、わかりそうもない。









 カーテンで光を遮った馬車の中。赤く光る陣の上に、フィオールはいた。傷跡が残る右腕。苦しげな寝顔。その近くには、陣に手をつくルージュと、腕組をしてフィオールを見下ろすダンテがいた。


「……いいね。完璧だよ」


 ダンテはそう言うと、ルージュの隣にしゃがみ込んだ。ルージュの額には、汗が伝っている。


「これで君も、堕天しちゃうかもしれないわけだけど」

「いいです。シドと一緒になるのだと思えば」


 魔力を使う強力な精神干渉、"暗示"。それは、神の使いの中でも人への接触を制限された魔族だけに許された行為。人と背中合わせの世界に生きる妖精にとっては禁忌の魔術だ。


「シドのため、フィオールのため、世界のため……かと思えば、今度はオズマに負担をかけ過ぎないため精神干渉に手を出すなんて。君はどこまでお人好しなのさ」

「私は妖精ですから」

「お人好しであるが故に地獄へ身をおとしかねないというのに。そうなれば妖精でもなくなる。シドと同じ、堕天使だ」

「……」


 ルージュはフィオールの顔を見つめ、笑った。顎から一滴の汗が落ち、陣の上で赤い煙になる。


「申し訳ございません、ダンテ様。私は……あろうことかあなた様に嘘をつきました」


 ダンテはルージュに視線を向けた。ルージュはフィオールを見下ろしたまま、言った。


「妖精だから、この者達の力になりたいわけではないのです」

「……」

「この者達だから……私は」


 ダンテは悲しそうにルージュを見つめる。そして、膝に顔を埋めた。


「そうだね。僕も君達のためなら、頑張れるよ」

「頼もしい限りです」


 ルージュが笑う度に、ダンテは悲しくなる。死んだ者の末路はわかる。だからこそ死に対する恐怖が薄い者もいるが……堕天してからの死は違う。神に見放された者がどうなるかなんて、誰も知らない。だから怖い。それなのに……この妖精は。


「……ルージュちゃんは、勇者なの?」

「?」

「堕天して妖精じゃなくなるなら、ルージュちゃんはきっと勇者になるんだろうね」


 ルージュは首を傾げてダンテを見る。ダンテは膝から半分顔を出してフィオールを見つめている。この男もまた、未知なる世界に飛び込む勇者になるのだろうか、と。

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