100.旅の真意は見え隠れする
小さな洞穴。そこには以前誰かが焚火をした跡がある。燃えかすに歩み寄る、二人の人物。
「……ここで休む」
「行くんじゃないのか」
「自分の傷のことを考えろ」
「……」
サイは蘭丸の背中を見つめて立ち尽くす。蘭丸は燃えかすの近くに歩み寄り、燃え残っていた薪に火を灯す。ぼんやりと明るくなる洞穴。蘭丸は刀を腰から外し、その場に胡坐をかいた。サイはその隣に腰掛ける。
「…何故、そんな仮面をしている」
「常に顔を隠すよう言われたからだ。私はついこの間まで自分の顔も見たことがなかった」
「そんな奴が、どうして一人こんな旅を」
「…言ったはずだ。私は私自身を知るために……世界の結末を変えるために業輪を探していると」
蘭丸は仮面を外して、膝元に置いた。サイはその横顔をじっと見つめる。変な感じがした。自分がまさか、この男と行動を共にするなんて。いや、そもそもこの男は……"あの男"なのか? 雰囲気も顔付きもまるで違うが……どこか、懐かしさを感じる。視線に気付いた蘭丸がサイを見た。サイはふと、視線を反らす。
「…"あの男"のことか?」
「……」
「同じ顔だからな」
「違うのか」
「違う。私は私だ」
「双子……とか」
炎を見つめ、蘭丸は黙り込む。意味深な沈黙。蘭丸は軽く口を開け、息を吸いあげた。
「お前の話をする前に、私のことについて話さねばならないようだな」
蘭丸は少し俯き、零れるに言葉を紡ぐ。
「生まれは東の都、白峰。生まれながらにしてヤヒコ様の許婚に選ばれた私は幼少の頃より糸屋の屋敷で暮らしていた」
生い立ちを話しているのだろうが、世間知らずなサイには全く東のことはわからない。蘭丸はそれを見兼ねたように、言った。
「生まれは大陸でいう帝都。私はヤヒコ様の未来の結婚相手としてヤヒコ様の屋敷で暮らしていたんだ」
「…東では幼少の頃から、許婚なんて決めるのか」
「何のことはない。ただのしきたりだ」
蘭丸がヤヒコの許婚。そんな奴が、どうして……サイは眉を顰めて蘭丸の横顔を見つめる。
「あのお方の側であのお方を守るためだけに私は生きてきた。しかし……私は禁を破ってしまった。近付くなと言われていた花の間に入ってしまったのだ」
「花?」
「東の女王が神に与えられた、真実を語る花だ。それに近付くことを、俺は禁じられていた」
蘭丸は自分の手を炎に翳し、その金の指輪を見つめる。
「これも、あのお方から頂いたもの。ヤヒコ様は私を手放したくないがゆえに仮面を与え、指輪を与え、花に近付くことさえ許さなかった。それを、私は知ってしまった。」
手放したくない、とは。不思議そうにしているサイを見て、蘭丸は溜息をつく。
「……わからなくともよい。とにもかくにも、あのお方は私が私自身のことを知ることは許さなかったのだ」
「どうして」
「私が私の使命に気付いたならば屋敷を出るとわかっていたからだ」
「使命……」
蘭丸はサイを見た。サイはその表情に目を奪われる。なんて、悲しそうに笑うのだろう……と。
「神に選ばれし伝承者……それが、この私だった」
蘭丸は語る。それがどんなに悲しいことであったか。絶望したか。何もかもが覆されてしまったことを……包み隠さずに。サイは、自分の運命とこの男の過去を重ねていた。自分が信じてきたことが全て無に還る。たった一つの、真実で。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
匂いがした。それは、とても芳しい。鎧の鉄っぽい匂いと、靡く白髪の柔らかな花の香り。
「大丈夫ですか、カイザ様」
馬に跨り、旗を掲げ、悠然と戦場を駆ける騎士。布からはみ出した切り傷も、額から伝う血も……太陽を背負ってこちらを見下ろす様は、美しかった。そんな、懐かしい匂い。戦士とはまさにこの男をいうのだと、幼いながらに思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
懐かしい匂いが急にきつく鼻をつく。違う。これは……血の匂い。
「レオン!」
目を開き、絶句する。暗い部屋、拷問器具、べっとりと血のように赤黒い、石の床。天井から伸びる鎖に両手首が吊るされ、足も枷で留められている。動けない。自分の身の回りを見てみるが、解錠道具を仕込んだものは全て外され、服も変えられていた。これは、貴族の服。やけになって、手首を引っ張ってみるがびくともしない。すると、真正面の扉がゆっくりと開き始めた。
「お目覚めでしたか、カイザ様」
「レオン……」
カイザは歩み寄るレオンを見つめ、強く睨みつける。レオンは盆を近くのテーブルに置き、言った。
「お召し物の方は、いかがですか」
「吊るしあげておいて、いかがもくそもあるか」
カイザの声は、微かに震えている。レオンは少し振り返り、テーブルに向き直った。そして、スープの入った皿とスプーンを手にカイザに向かい合う。
「お食事です」
レオンはスープをすくってカイザに差し出した。カイザは口を一文字に結んだまま、レオンを睨む。どんなに睨めど、レオンの目は何の色も見せない。まるで、人形。
「ここは何処だ」
「旧クロムウェル邸です」
「俺を……どうするつもりだ」
「殺します」
単調な、懐かしい声色。それでいて……悲しい言葉。カイザは瞬きもせずにレオンを見つめる。
「だったら食事も何もいらないだろう!」
「アンナ様のところへお連れするまでは、生きていてもらわねば困ります」
「お前は……父様の騎士だろ! いつからアンナ寵妃に寝返った!」
「……」
レオンは真っ直ぐ、乾いた瞳でカイザを見る。レオンはスプーンを下げ、言った。
「お食事は、いりませんか」
「いらない!」
レオンは軽く頭を下げ、盆を持って扉へと歩き出す。カイザは俯き。悔しげに唇を噛みしめる。扉が閉まる、重たい音がした。カイザがふと顔を上げると、閉じかけた扉の隙間からレオンの姿が見えた。カイザを見ている。懐かしい、白髪の騎士。その鋭く冷たい剣のような眼差し。昔と変わらない。その目からすっと、光る雫が流れた。
「……御立派に、なられました」
「!」
扉の閉まる音が響き、部屋は一気に暗くなる。拷問器具も何も暗闇に溶けた。あの白髪が、闇の中で如何に明るい存在であったかを、カイザは思い知る。そして、目を潤ませて俯いた。
「……どうしてだ……レオン」
何故あんな顔であんな言葉を。
知らない部屋。知らない虚ろな目。ここは、懐かしいクロムウェル家のはずなのに。手首の痛みが、次第に麻痺してゆく。このまま、自分は死んでしまうのか。
ーーお前自身には何の価値もない!--
バンディの言葉が頭の中で児玉する。カイザという人物と同じ金髪と碧眼。そして、この名前。ミハエルやマスターが自分を特別視していたのも死ねば土と還るこの器一つが理由で……何の価値もない自分はこんなにも運命を踊らされ、殺されるだけだというのか。
ーーどんなに離れても、時を経ても、私はあなたを愛してるーー
どんなに価値のない命だとしても、彼女のために生きたかった。彼女のために、この命を捧げたかった。それすら叶わない。
ーーカイザ、お前は自覚できてない。自分にどんな使命が課せられているのかーー
クリストフの怒りに満ちた視線。使命など、最初からどうでもよかったのだ。そんなものを気にしてここまで来たわけじゃない。そもそも……自分に使命など、なかったのだ。
暗闇の中でカイザは考える。これまでのことを。自分の一生を。命を救われ、生きる希望を与えられ、仲間に囲まれ……決して、悪いものじゃなかった。悪いものじゃ、ないはずなのに。この暗闇に、心が食われる。とてつもなく寂しく、暗く。
「ただいま戻りましたー」
「おー、おかえり」
暖簾をくぐって和はよろよろと草履を脱ぐ。野外の即席の東屋でクリストフはごろりと横になって本を読んでいた。和は少女の正面に座り、仮面を取って顔を拭う。
「疲れた―。さすがに大陸は広いっすわ」
「東の国はちっちゃいからな。それで、ダンテはなんて」
クリストフは本を置き、畳みの上に胡坐をかく。和は腰元から一枚の紙を取り出し、クリストフに差し出した。
「これ、ダンテ様の証文。なんかシドとかいう子供がダンテ様のところに転がりこんでたから、大体の経緯は知ってた」
「シドが? あいつダンテのところに行ってたのか」
「今回の奪還作戦はシドが主役だって言ってたなぁ。とにかく、証文と一緒に詳しいことは書いてあるから読んでみてくださいよ」
和は疲れたように柱に寄りかかる。すると、暖簾からすっと手が伸びて温かい茶の入った湯呑が和に手渡された。クリストフは、おかわり、と呟いて証文を広げる。暖簾から伸びた手はクリストフの近くに置かれた空っぽの湯呑を手に、消えた。
「……」
「なんてー? 俺らの出番ある?」
渋い顔をして茶を啜る和。クリストフは真剣な眼差しで手紙を読んでいる。そして、ニヤリと笑った。
「……面白い」
「はい?」
「お前らにはたっぷり働いてもらうからな」
暖簾から伸びたおかわりの湯呑を受け取り、クリストフは手紙を和に向かって放り投げた。和は空に舞った紙きれを手に取る。
"クリストフへ
話は聞いたよ。ヤヒコの軍と今一緒なんでしょ。僕の証文あげるから、革命軍と出くわしたらそれを見せればいいよ。悪用はしないでね。
あと、カイザのことだけど、僕んとこの3000と君んとこの1000で十分帝都に乗り込めると思う。でも、アンナ寵妃に馬鹿にされっぱなしで悔しいから、僕達がアンナ寵妃の目を引きつけてる間、シドにカイザを奪還してもらおうと思う。詳しいことはまた会ってから話そうね。
もしヨルダが介入してきた時は僕が相手するから、クリストフは来ないでね。巻きこんじゃうかもしれないから。帝都の南西、レナルドの峠で待ってるね。
最後に、シドは死にかけだったけどもう大丈夫だよ。フィオールはまだ安静にしてないと駄目だけど帝都戦が終わったら君達に渡せるようにはしておく。君まで僕のところに駆け込む羽目にならないよう、気をつけて来てね。じゃあねー
アポカリプス将軍、ダンテより"
「……こき使う気満々じゃん」
「頼むぞ」
クリストフは湯呑を片手に笑っている。和は手紙を畳み、溜息をつく。
「でも兵4000で帝国宮廷なんかに突っ込んで大丈夫ですか? 仮にも大陸を制覇した奴らでしょ?」
「こっちは魔術士3000に鬼が1000だぞ。何十万の兵に囲まれたところで負ける気がしないな」
「そうは言っても、俺らも不死身じゃないからなー。この前ノースで西の鬼と一戦交えたんですけど、負けるかと思ったし」
「西の鬼?」
和は頭を掻きながら眉を顰めた。
「なんだっけ名前……ア、ア……ホワイトジャックのマスター」
諦めた和が相手の肩書を言うと、クリストフは和に向かって茶を噴き出した。和は反射的に持っていたダンテの手紙でそれを避けようとしたが、肩や着物に容赦なく降りかかった。
「アダムと会ったのか!」
「なんてことするんすか……あーあ、手紙も点々……」
クリストフは手紙を取り上げ、和に詰め寄る。
「アダムがその西の鬼なのか?!」
「え、あ、ああ……そうそう、アダムアダム。鬼じゃなくて吸血鬼の呪いを受けたとかなんとか……」
クリストフは乗り出していた身を引っ込めて膝に肘をつく。シドが墓地に現れたのを見て、勝手にアダムが死んだものと思っていたが……ホワイトジャックのマスターである上に人間でもなかったとすると、そう上手いこといくはずもない。クリストフは眉を顰めて茶を飲む。
「あ! クリストフ様、俺の獲物を横取りしようってんだろ!」
和は畳を叩いて、言った。
「あいつは俺の獲物なんだから、手は出さないでくれよな!」
「……」
こんな因縁渦巻く乱世で、横取りも何もない。仕留めた者の勝ちだ。クリストフは和の言葉を無視してぷいっとそっぽを向いた。
「ちょっと! 何で無視すんの! まさか、クリストフ様もあいつ狙ってんの?! 知り合い?!」
和が質問責めしてくる中、クリストフは東の緑色に輝く茶を見つめながら考えていた。シドのこと、フィオールのこと、カイザのこと。そして……
「……」
クリストフは、隅で柱に寄りかかるミハエルを見た。傍らの本に手を置き、じっとその寝顔を見つめる。
「……これは夢と現を渡るたった一つの物語」
少女の呟きに、和はぴたりと静かになる。
「とある国の12人目の王子が門をくぐりて夢から覚める。次に、13番目の王子が神に選ばれる」
「…何? 昔話?」
「神殿にて槍を賜りし神に選ばれた戦士は地上に残された神の遺産を探すべく旅に出る」
首を傾げる和の顔は、次第に力が抜けてゆく。死体を見つめる少女の横顔。その強みのある高い声が、和の鼓膜にじんと染みる。何か、美しい歌でも聞いているかのような気持ちにさせる。
「右か、左か……前も後ろも定かでない暗闇の中に一筋の光が降りてきた。目も失って見えるはずもない光。それをなぞるように、金色の冠と白い翼を持つ天使は舞い降りてくる。天使の手に引かれて戦士が辿り着いたのは、始まりの場所。神殿であった……ってな」
少女は大きく溜息をついて、少し冷めてきた茶をぐいっと飲み干す。和はぽかんとして少女を見ていた。
「本当に、ただの夢物語だな」
「……夢物語?」
「ヴィエラ神話の冒頭と結末の一文だよ」
和は、はあ、と再び首を傾げる。この話に、謎なんてあるのだろうか。そう、考えながら。少女は暖簾から顔を出し、おかわり! と大声で叫ぶ。
「……飲みすぎじゃね?」
「好きなんだ。お前の国の茶」
和は、嬉しそうに笑って見せた。少女は証文に視線を落とし、言った。
「そういえば、お前にも聞きたいことがあるんだ」
「何ですか?」
「東禊神話のことだ」
「ああ……面白いですよねー。見事に今神話になぞって世界は動いてる。東の奴も捨てたもんじゃないっすね」
面白くない。少女はそう思いながらケラケラ笑う和を見て言った。
「お前の国ではどう伝わってるんだ。ヤヒコが言うには、500年前にはもう神話は存在してたらしいじゃないか」
「えー……俺まだ164歳だし、わかんない。伝承者の末裔も海賊だしなぁ」
「……海賊?」
少女の眉がぴくりと動く。
「倭寇海閻ですよ。知ってるでしょ?」
「知ってるに決まってるだろ。海閻の船長なら、詳しいことがわかるのか」
「さぁ……知らないと思いますよ。なんせごろつきですから。翡翠の旦那なら知ってるだろうけど」
「……使えないな。海閻もお前も。翡翠が来ればよかったんだ」
和はむっとして、おかわりを受け取る少女を見る。
「大陸の人間よりは詳しいですよ! あれでしょ? 100年の時を刻みし4人の美女がー……」
「待て」
少女に睨まれ、和はぎくっとして言葉を飲み込んだ。
「100年の時を刻みし?」
「そ、そう婆ちゃんが言ってた気がするけど」
「何だそれ。最初の宴から100年以上経ってるぞ」
「そ、そうですね。今年でちょうど……120年?」
和は変な方を向いて首を傾げる。クリストフは少し口を開けて、考え込む。
ーー蘭丸が言うには、ミハエルが業輪を回さなかったから今日まで世界は終わりを迎えずに済んだらしい……--
業輪で部屋が全て開かれたなら世界は閉じられる。それを偶然にも阻害していたミハエル。和の言う美女が刻む100年とは、最初の宴から部屋が全て開かれるまでの時間を指していたのかもしれない。だとすると、世界が終わるはずの年にカイザは生まれたことになる。カイザが神に選ばれたとして、その意味は……もしかしたら。
「……まさか、な。そんなはずは」
クリストフは独り言のように呟き、小さく笑う。和は不思議そうに少女を見つめる。
「偶然……だよな」
「何?」
「……」
クリストフは話がわからないでいる和を見て、言った。
「お前、壊れた家から引っ越すとなったらどうする」
「え? 引っ越すけど」
「壊れた家を直して家を出るか?」
「出ない。直すくらいなら住み続けるでしょ。普通」
「だよな」
「……だから、何」
少女の中で、嫌な考えが過ったのだ。今、世界は何のことなく回っている。蘭丸の言うことが正しければ、審判の日を迎えてもなお、どんな形であれ500年前と同じように回り続けるだろう。自分達が痛みと引き換えに守ってきた世界が、カイザの手によって本当の終幕を迎えようとしているなど……そんなわけ、ないのだ。カイザは実際に世界を救わんとして動いてきた。ありえない。ありえない。
少女は、ふっと鼻で笑うと持っていた湯呑を握り潰した。破裂するような、砕けるような音が東屋に響く。少女の手からは緑の茶が滴り、パラパラと砕けた破片が畳みに落ちた。和はそれを唖然として見ている。
「何でもない」
少女はそう言うと、再び暖簾から顔を出しておかわりと叫ぶ。和は黙ってその背中を見つめる。暖簾に隠れて見えない少女の顔が、想像できない。笑っているのか、怒っているのか……泣いているのか。