戦い
「石上、かぐや様をかばいながら戦ってください。私が活路を開きます――あなたの弱点がどこだか知りませんが、その鎧のような体ならたいていのことは大丈夫でしょう」
大伴御行が紅い瞳を開眼する。
すると、龍の刺青が炎をまとい、ぱちぱちと爆ぜる音がした。
「村の作物に火をうつらせるな! なるべく被害の少ないように戦え!」
かぐやが叫ぶ。
三山村の各所には収穫期ということもあって、非常に燃えやすい乾いたわらの束が天日干しにされている。それだけでない。まだ刈り終えていない稲穂に火の粉が降りかかれば、豊作だった黄金色があっという間に灰の山になってしまう。
家が燃えても大問題である。さらに風向き次第では、森の木々に引火するようなこともあるかもしれない。三つの山が火事にでもなれば三山村は水を絶たれた田と同意義であった。すなわち、待っているのは終焉である。
「……ずいぶん戦いにくい時期ですね」
夏場なら湿気があり火が移りにくいものだが、不運なことに可燃物が大量に周りにある今の季節は秋だった。冬でないだけまだましというものか。
それでも動きが制限されることには違いない。炎をあやつる大伴御行にとっては致命的な問題だった。
「俺が戦った方がいいんじゃねえか」石上が声をかける。「防衛だけじゃ先は見えてるぜ」
「分かっている。だが――」
「村のなかで戦うのは圧倒的に不利でございます。寡兵で大軍に立ち向かうのなら奇襲と速攻しか手はないかと」
竹取の翁が、いつの間にか現れて意見を述べた。
精悍な顔つきをしている。覚悟を決めた表情だった。
「爺さん、いくらなんでもここは危ねえぜ。村人たちのなかに混じっていれば帝も狙わないだろう、はやいところ安全なところに逃げな」石上が軽くあしらう。
「私も戦います」と、翁はいった。「かぐや様をお守りしたいのは貴方様がただけではありませぬ。私どももかぐや様とともに行きたいのでございます」
「そうはいってもなあ――」
「よいのか?」
しぶる石上にかわってかぐやが翁に問うた。すぐさま力強くうなずく。そうか、とかぐやは大きく息を吐いた。
「ならば嫗だけでも先に逃がしてやってくれ。石上のいったように村人たちにまぎれておれば危害は加えられまい」
「そんな、私も」
嫗が声を荒げて抗議しようとするが、その肩を翁が掴んだ。
「お前は村に残れ」
「いやです!」
「我儘を言うな」じっと嫗の瞳をのぞきこむ。「かぐや様のことを考えるならそれがいちばんなのだ。わかってくれ」
悔しそうにうつむき、ぽたぽたと涙をこぼす嫗のせなかを、かぐやがやさしくさする。
「今までありがとう。あなたから受けた恩をわたしは忘れない」
「かぐや……」
様をつけずに嫗がかぐやをひしと抱きしめる。固い抱擁のあと嫗は目じりをぬぐって気丈に立ちあがった。
「私が道を作りましょう。その間に逃げてください」
大伴御行の両腕の炎がいっそう大きくなる。嫗を狙って飛来した何本かの矢をその場で焼き捨てた。
「気をつけて」
「ああ」
炎の渦に護衛されながら嫗が村人たちのほうへかけていく。得体のしれない奇術に恐れをなした兵士たちが四散した隙間をぬって無事に村人の集団へ到着したのを見届けると、翁はひとつ武者ぶるいをした。
「怖いか?」かぐやがたずねる。
「死地ならすでにくぐっております」翁がこたえる。
「――命を無駄にはするなよ」じいと呼んでいた老兵士の最期がよみがえってくる。体格はまるで違ったけれども、なぜか姿がだぶって見えた。
「策はございます。まず、敵の本陣――つまり帝にむかって突撃いたします。命を奪うわけではございません、あくまで奇襲をかけることに意味があるのです。防備を固めるぶん、包囲が手薄になりますから間髪いれずに引き返し、山のなかへ逃げ込みます」
「翁はどうするのだ。本陣に突っこむだけの体力はなかろう」
「私は別行動でひと足早く動き出すことにします。落ち合う場所は、最初にかぐや様を見つけた竹林ということで」
「わかった」
かぐやが返事をする間にも、すぐそばを矢の群れが通り過ぎていく。大伴御行が操作する炎のおかげで帝の兵士たちは近づけずにいたが、かわりに途切れることなく矢が射られている。ときおり炎の防御壁をくぐりぬけた矢があっても、石上がそれをたたき落とした。
「大伴様の炎を先陣に突っ切って、石上様がかぐや様を抱きかかえながら突進すれば正面に対して陣形を整えることでしょう。その第一陣さえ崩せれば充分です、速やかにお引きください。少数精鋭なぶんだけこちらがはやく動けます。そこを十二分に利用するのです」
「つまり一撃離脱ってわけか」石上がうんうんとうなずく。「馬でもありゃいいんだがな」
「無い物をねだってもしかたないでしょう」大伴御行が切り捨てた。「そうと決めたら早い方がいい。さっそくやりましょうか」
「おうよ」
石上がかぐやをひょいと持ち上げる。かぐやが顔を真っ赤にしているのを、大伴御行がすこし複雑そうな表情で見守る。
「では、御武運を」翁がそそくさと駆けだす。
「私たちもまいりましょう」
「ああ」
大伴御行は目が見えていないのをまるで感じさせない動きで帝のほうへ向かって走り出す。前方には巨大な炎の矛を展開させ、うしろから疾走してくる石上と付かず離れずの距離を保ちながら飛ばす速さは、常人のものではなかった。
どうやら特殊な能力だけでなく基本的な身体能力も上昇しているらしい。
「石上、お前はわたしとともに国を救ってくれるか」
熱い風を浴びながら、抱きあげられたかぐやが訊く。
「もちろんですよ」
「だが、最初に断っておくぞ。わたしは大男は好みではないのだ」
石上が体勢を崩して転びかける。すんでのところで持ち直して再び走り出したが、その足取りはふらふらと安定しない。
「すまぬ。気分を害したか」
「いえ――そんなことは」泣いている。かぐやは内心しまったと思った。最初に伝えておけば大丈夫かと考えていたが、予測が甘かったようだ。
「でも、もしおまえが頑張ればそういう男を好きになることもあるかも知れぬな」
「頑張らせていただきます!」
とたんに加速する。これで石上の扱い方はだいたいわかった。単純なやつでよかった。
帝まではあと百歩ほどの距離である。それをふつうの二倍近い速度でかけぬけていく。盾をもった兵士たちが、その隙間から槍を構えているのが見える。このまま突っ込めば確実に串刺しになるだろう。
だが、大伴御行の放った火炎は槍の柄を焼き切る。
それと同時にいくつかの盾に火が移ったらしく、騒然とする兵士たちを勢いに乗った石上が吹き飛ばす。声にならない悲鳴とともに、まるで木の枝を投げたかのように軽々と兵士たちが宙を舞う。
「これいけるんじゃねえか」
押し寄せる兵士の群れと奮戦しながら石上がいう。
「なにがだ」かぐやも必死に武器の切っ先を交わしながら返事をする。
「帝を倒せるんじゃないかってことだ」
「やめておけ。翁の作戦をくずすことになる」
「敵の総大将を倒せばそれで勝ちだぜ」
「帝殺しにあんればそれこそ大罪。三山村ごと消されるかもしれん。それに翁に智謀は本物だ、わたしはあれ以上の軍師を見たことがない。翁を信用しないわけにはいくまい」
「なるほどな――そういうわけで大納言殿、そろそろ撤収だ」
「ああ、わかっている」
豪華を得物のように振り回しながら大伴御行が山の方角へ逃走を開始する。石上も手近にいた兵士を殴りつけてから悠々と合流し、田のあぜ道をかけぬける。
帝の軍勢は翁のにらんだ通り、いったん軍をまとめることにしたらしく、山側にいた兵が撤退している。無人になった野山を駆け上がるんはさほど難しいことではなかった。
森の斜面を登っていく。
足元には色づいたもみじの葉や木の実が大量に敷き詰められていて、踏みつけるたびにさくさくと乾いた音を奏でた。ときおり狸や狐らしき小動物が驚いたように走り去っていく足音も聞こえてくる。
途中に、ちょうどいい具合の大木があったので、石上が木登りをして帝の動向を調べることにした。
三人分の太さはあろうかという腕からかぐやを降ろすとき、名残惜しそうなそぶりでなかなか放さないので、大伴御行が炎を見せて脅かしたところ、あきらめたように木を登っていった。
残された二人は近くにあった切り株に腰をおろした。
「石上は昔からああいうやつなのか」
かぐやが呆れた口調で尋ねる。
同じ都に住む貴族同士ならお互いのこともよく知っているだろうと踏んだのだ。
「ええ、子供のころから気品のかけらもないやんちゃ坊主でしたね。腕っぷしはたしかに強かったですが、あそこまでの怪力ではありませんでした」
「燕の生んだ子安貝――といったか?」
「どこまで探しに行ったのやら分かりませんが、ついさっき帰って来たのですから相当遠いところにまで遠征していたのでしょう。それだけの価値はあったようですが」
「大伴、お前はどうしてそのように」奇怪な、といおうとして止めた。「一風変わった眼をもつことになったのだ? 竜王と契約したとかいっておったが」
「その通りですよ。嵐に巻きこまれて船が難破し、海の中で龍王さまと契約したのです」
「まるで眼が見えているように振るまえるのだな」かぐやが感心する。
「本当になんとなくでございますが」と大伴は微笑する。「あたまの中に直接流れ込んでくる感覚があるといいましょうか、うまく説明はできませんね」
「まあ、いい。大事なのはお前がわたしとともに戦ってくれるということなのだ」
「月の国ですか」
「聞こえていたのか、あの距離で」かぐやがすこし驚く。「てっきり知らぬものかと思っていた」
「光を失ったせいか他の感覚が妙に発達したようですね。音も、匂いも、以前よりずっと鋭敏にわかります」
そのとき、頭上から石上の声が降ってきた。
落葉のはじまった木の葉のあいだからあたまをのぞかせて麓のほうを見ている。
「どうやら軍を二手に分けているらしい。この山を包囲して挟撃するつもりみたいだ。けど陛下の手元にはけっこうな数の予備隊がいるなあ」
「いつごろ山狩りをはじめそうだ?」
大伴が質問する。
「山の向かい側に兵が到着したらはじまるだろうから、あと数刻ってとこだな」
「わかった。御苦労だな」
石上が猿のようにするすると降りてくる。
そして、着地するなりかぐやに手を差しのべた。
「なんだ?」
「さっそく続きを、と思いまして」
「わたしはもうひとりで登れるから大丈夫だ。いままでご苦労だったな」
「……そんなぁ」
がっくりとうなだれる石上をおいてかぐやと大伴御行はさっさと足を進めていく。気付いたときには見失いそうな距離まで離れていたので、石上はあわてて走り出した。
七合目あたりまで来ると、植物の群生が変わって、竹林が目立つようになる。ほんのりと稲穂色に染まった竹のあいだをぬって歩く。場所はよく覚えている。なんどか翁に連れてきてもらい、舟を調査したからだ。
だが、どうやってもエネルギー切れなのは明白で、どうすれば地球で再充電できるのかというのはさっぱり分からなかった。そのほかにも使えそうな部品を剥がそうとしたり、なにか勇者の手がかりはないかと調べ回ったりしたのだが、結局何も得るものはなかった。
舟を調べているあいだに翁は本業の竹を取りに行くことがあった。ひとりになると、無性に寂しくなって、舟から離れたくなった。
去り際に犠牲になった老兵士の顔が浮かんでくるのだ。
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえたが、それでもあふれ出てくるものは抑えきれなかった。
舟が落ちた当初は大きな穴がぽっかりと開いていたところに、いまでは落ち葉や土がたまっている。その上に翁は腰をおろして待っていた。
かぐやたちの顔を見ると、翁の表情が明るくなった。
「ご無事で何よりでございます」
「翁もけがはなかったか」
「はい。そちらの作戦がうまくいったようで、なんの問題もございませんでした」
自分よりもはるかに地位の高い三人を前にして、翁はさらに腰が低くなっているようだった。それでも鋭くなった目つきはかわらない。
大伴御行はうす緑の船を発見すると、しゃがみこんで興味深そうに触りはじめた。
いっぽうの石上はそういったものにまったく関心がないらしく、さきほどからかぐやばかりをみつめている。そのせいか、歩く最中にもひっきりなしにつまずいていた。
「これが月の船でございますか」
「もう動きはしないがな」
「では」大伴御行はおもむろに立ちあがる。「どうやって月にお戻りになるのでございますか」
「……勇者を見つければおのずと手段もわかるのではないかと期待していたが、甘すぎる予測だったな。なれば手段は二つ。地球で舟を見つけるか、月からの迎えを待つか」
「こちらに舟があるのでございますか」
地球という概念はまだ説明していなかったが、文章から意味を悟ったのだろう大伴御行が訊く。
「お前たちが持っている宝と同様に、古代の人々が残した遺物があるかもしれぬ。それを見つけられれば、あるいは」
「古代の人々?」
「――お前たちには説明しなければならないことがたくさんあるな。だが、いまはやめておこう。事情はあとにして、どうにか月に帰る方法を考えるほうが先だ。帝の軍勢を相手にするのも、長時間はもつまい」
「月、か。そういえば、そろそろ中秋の名月の時期だな」
石上がのんびりといった。考えるのは最初からあきらめているようである。
「なんだそれは?」
かぐやが問い返す。
「この季節になると月がとてもきれいに見える満月の夜があるんだけど、しばらく旅に出てたから正確な日付がわからないんだよな」
「それならば、たしか三日後の夜だったはずだ」
大伴御行が指で数えながらたしかめる。翁が、皺の多い眉間をさらにしわくちゃにさせながら難しい顔で考えこんでいた。
かぐやが空を見上げると、太陽は天頂をすぎて傾きはじめていた。まだ昼過ぎということだ。
「……偶然かもしれませぬが」と前置きして、翁が喋りはじめる。「かぐや様がここに来られたときもちょうど満月の晩でございました。私がかぐや様を見つけたのがその翌日ですから、間違いありませぬ。ひょっとしたら月の人々がこちらへやって来るためには満月である必要があるのではございませぬか」
「その可能性に賭けるというのは、かなり危険だな」
かぐやが口をはさむ。こちらも真剣な表情で悩んでいた。
「かぐや様、月の国では、月は欠けたりしないのでございましょう?」
「当たり前だ。ひと月のたびに消えたり現れたりしていては生活ができぬ」
「どのような理屈かよくわかりませぬが、満月のときにだけ地球との道がつながるのではないでしょうか。満月とは月本来の姿。なれば月と繋がる道理がないわけでもありますまい」
「――最近、耳にしたうわさがあります」大伴御行がこめかみに指をあてる。「天女に導かれて空のむこうに飛んでいったものがあるという話を、都にもどったときに聞きました。真意のほどはわかりませんが、もしかすると月からの迎えかもしれませんね」
「迎えを待つのであれば、この場所で待つのがよろしいかと。迷子はもといた場所にいるのが見つけやすといいますゆえ」
「……わかった」
かぐやは立ちあがり、いった。
「この場所に城を築き、籠城する。三日後の夜を待ち、迎えが来なければ脱出し他をあたる。それでいいな」
「かぐや様の決めたことならなんでもいいですよ」
と、まったく話に参加していなかった石上が同意する。翁と大伴御行も、異論ないといったように力強くうなずいた。
「今度こそ、わたしは戦う。戦って、月に帰るのだ」
小さな声でつぶやいた決意は、秋風にのって流れていった。




