勇者
「――とんでもないお転婆を拾ってきたようじゃな、竹取の。三山村の命運、もはやこの娘にあるといっても過言ではないぞ」
長老がなじるような口調でいった。
かぐやは平然としているが、翁の顔色はそれとわかるほどに血の気がなかった。
「これもなにかの定めでしょう。月が沈んでいくのと同じように、自然の理なのです」
「それで済ませてしまっては長老の面子が立たぬ。……かぐやどの、竹から生まれた娘よ」
長老はしばしばと目をまたたいてから質問する。
「お主をそこまで突き動かす欲望の源はなんじゃ。帝を手に入れようなどという大望をかなえようとする理由は」
「――いずれ、話そう」かぐやは申し訳なさそうにいった。「近いうちにそのときはくる」
「それまでに我らの命がなくなっていなければじゃがな」
長老はふう、と大きく息を吐きだした。そして、あらん限りの声を張り上げる。
「一世一代の機会じゃ。これを見逃すすべはないぞ」
怯えていた村人たちから不安の色が消えた。小さな子供さえ泣きやんで、じっと長老とかぐやを見つめている。
「相手は帝、なれどこちらにはかぐや殿がおられる。この村から天皇の妃が出れば、末永く安泰になることであろう。逆に怒りを買えば三山村など存在しなかったように抹消される。天国と地獄じゃ。皆の者、どうかかぐや殿に協力してやってくれ」
「おうよ!」
という野太い声が聞こえた。それに続いていろいろな人々の雄たけびのような歓声が響く。
「……これがわしらの返事じゃ。せいぜい、頑張ってくれ」
「ありがとう。あなたはよき指導者だ」
かぐやは小人のような身長の老人に向かって、優しくほほえみかけた。長老のぼろぼろになった前歯がきらりと光った。
兵士たちが黒い服を着用しているために、遠目からだと黒い塊のように見えたのだと気づける距離になった。石作皇子の私兵よりもいっそう屈強そうな足軽と立派な馬にまたがった騎兵が土煙を立てながら三山村のなかへ入って来る。
戦闘集団は村の内部を見渡すと、よく響く声で宣言した。
「帝のおなりである。住民は平伏してひかえよ!」
兵隊たちは左右に別れ翁の家の四周をかこみはじめる。まるで地理がわかっているように速やかな行動だった。だが、その間にも田畑の作物を荒らさないよう注意して足を進めているのが見て取れた。
かぐやは仁王立ちにかまえて、迫りくる兵隊たちを堂々と正面から迎えている。
足音高くかぐやを何重にも散り囲むような隊形をとると、その奥からひときわ立派な体格の馬に乗った男が静かに現れた。
清閑な顔つきに、絹で織られた黒い着物。あたまに乗せた烏帽子は今までの貴族のだれよりも高く、身につけているすべてのものが高級品だ。両脇にひかえる異様に目つきが鋭い男たちがあたりをぬかりなく警戒している。
「あれが――帝か」かぐやが小さくつぶやく。「なかなか強そうな男ではないか」
馬上の男は、馬から降りることなくゆっくりとかぐやのほうへ向かって近づいてくる。もともと上背のある男だったが、自然と空を見上げるような角度になる。
「はじめまして、かぐや姫」
腹の底に反響する、低い声だった。
「朕からしてみれば初めてではないのだがな」
「どういう意味だ?」
「すこし口のきき方に注意した方がいい。朕は――」
「帝であろう。そのくらいは知っている」かぐやは鼻で笑った。「大事なのはお前が勇者であるかどうかだ。一国の長たるものが凡人程度の器であるはずがあるまい」
「それは愉快だ。勇者でなかったら、どうだというのだ」
「お前に用はない。とんだ無駄骨だったということだ」
「あっはっはっは!」
痛快そうに腹をかかえて笑いだす帝を、かぐやは冷めた目で見つめていた。
「お前、宝をもっているか」
「石作皇子どもに宝を探させたという話は本当のようだな。宝なぞは腐るほどもっておるわ。だが、お前にやるためのものはひとつもない」
「なんだと?」
「貴様には一つもやらないといったのだ」
「ほう――わたしが欲しいのではないのか?」
「もちろんだ。貴様は朕のものになるのだからな、所有物に所有物を与えてやるようなことはないだろう――違うか?」
「わたしはお前の物になるつもりは微塵もない。むしろお前をわたしの物にしようと思っているくらいだ。まずはその妙な生き物から降りてもらおうか」
「馬を知らぬか。貴様、どこの生まれだ」
「わたしは――」とかぐやはいった。「月の国、ラングネの姫である。はるか昔に旅立った都人の末裔よ、お前は我が祖国の救世主となるか?」
「……あっはっはっは!」
帝はその日二度目の、心底愉快そうな大笑いをした。
「竹から生まれた姫君は、月の国からやってきたというか! 大法螺を吹くのが上手なようだな」
「嘘ではない。わたしは月を救うための勇者を探しにこの地球を訪れたのだ。出来なければわたしの存在意義がなくなってしまう。だから帝、お前を勇者として迎えようというのだ」
「立場が逆だ。貴様は朕のものになる」
「相手が着きの姫だと知ってもか」
「むしろ愛おしくなったほどだな」
帝は、下馬すると、かぐやの着物の襟をつかんでぐいと引き寄せた。吐息がわかるほどの距離。耳元でささやく。
「朕は他人の目など気にしない。朕が掟だ。それにここは月ではない。つまり貴様が何者であろうと関係ないということだ」
「宝を持て。されば勇者の証が現れることだろう」
「勇者となり、貴様の国を救ったとしよう。朕への報酬はどうなる。貴様の救った国を寄こすか、属国になるか。どちらにせよ貴様の国は朕のものになろう」
「……わたしの身をさし出そう。それで、どうだ」と、かぐやは血のにじむほど唇をかみしめる。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。「それでいいだろう」
「何故だ? もとより貴様は朕のものなのだから、そんなことをする必要はなかろう」帝は嘲笑する。
「わたしには大義があるのだ。それを承知で、頼む」
「いまは無性に貴様が欲しいのだ。国を救っているような時間はない」
「――ならば、いますぐわたしを抱け。月からの迎えが来るまで、この身体好きにするがいい」
気丈にいってのけるが、頬には一筋の涙が伝っている。それは次から次へと雨のようにとめどなあふれ出してきたが、かぐやは目頭をぬぐわなかった。帝から視線をそらしたくなかったのだ。ささやかな最後の抵抗だった。
突然、帝がかぐやを抱きしめた。
「これが、恋というものか」
「……約束は違えるなよ」
「朕の力をもってすれば成し遂げられぬことはない。月へでもなんでもここにいる兵を送り込もう。足りぬのならもっと多くの兵を集めればいいだけの話だ。それだけの価値が、貴様にはある」
「――お待ちください」
消えるような声がした。
見ると、白髪の老夫婦が地面と一体化しようとしているかのように微動だにせず平伏していた。帝は明らかに気分を害したようにかぐやを突き放すと、翁と嫗に目を向けた。
「朕の邪魔をするお前たちは何者だ」
「かぐや様の臣下でございます。月の民ではありませぬが、最初にかぐや様を見つけ出したのは私です」
「ほう。して、何のようだ」
「お願いでございます。どうか、どうか、かぐや様を泣かせないでください。この通りでございます」
「調子にのるなよ。かぐやの縁者だからといって褒美をやるようなことも、情けをかけることもせぬ。高い身分を得られると思ったら筋違いだな」
「滅相もございません。そのような不埒なことは少しも思っておりません。ただ、かぐや様の悲しむ顔が見たくないのでございます」
「翁、よい。わたしはこれで本望なのだ。ラングネを救えるならばこの身くらいいくらでも生贄にしよう」
「ですがっ……」
嗚咽ばかりが漏れて声にならない。帝はしばらく翁と嫗の様子をながめていたが、やがて馬にまたがると、三山村の出口に向かって動き出した。
片手を上げると、側近のふたりがそそくさと駆けつけてくる。
「あのふたりは殺しておけ。其のほかには手を出すな。かぐやの心残りがないように、いまこの場で殺してしまうのがよかろう」
「御意」
「やめろ」
かぐやが大きく両手を広げて進路を遮る。男たちは丁寧な口調で「おどきください」といった。
「この者たちは関係ないだろう。わたしは帝について行く。それでいいだろう」
「陛下のご命令でございます。おどきくださいませ」
「いやだ!」
「……かぐや、貴様はまだ立場をわきまえていないようだな。どちらが上か、教えてやろうか」
「……だが!」
「くどい。それ以上は聞かぬ」
かぐやの制止を振り払って、ふたりの男たちは翁と嫗の横に立つ。腰にさした剣を引き抜くと、鋭利な刃が残酷にきらめいた。頭上高くふたつの刃が掲げられる。かぐやの絶叫にも似た声がむなしく響く。
だが、次の瞬間に聞こえてきたのは鈍い金属音であった。
「――あなたは」
刀を持った二人が大きく目を見開く。大男が素手で刀を受け止めていた。それなのに微傷すら負っていない。
「惚れた女を守るのが男ってもんだろ。それを泣かせてどうする」
「石上か」
帝が抑揚のない声でいった。
石上と呼ばれた浅黒い肌の大男は無精ひげをのばし、もとは高価なものだったのだろう服もすり切れている。身長はかぐやの倍ほどもあり、筋骨隆々で、首から貝飾りを下げていた。
「なんのつもりだ」
「なにもどうも、しばらく宝をもとめてさまよっていたのが、とうとう見つかったから結婚しようと思って帰って来たところ、とんでもないことになっていたんで思わず助けちまったんですよ」
「その腕はどうした」
「ああ、これですか」
中納言石上麻呂はぱきぽきと関節を鳴らすと素手で二本の刃を握った。まるで柳の枝をつかんだように簡単に鉄をひん曲げる。二の腕の筋肉が山のように盛り上がっている。
「宝探しの旅の途中で鍛えられたんですかね、いつの間にかハチャメチャなくらい強くなってたんです。おかげで帰りが間に合ってよかった」
「ほう、それはご苦労なことだったな。だが無駄足だ。かぐやはこれから朕が連れて帰るのだからな」
「おっと。そうはさせませんぜ」
突然の事態におどろいてへたり込んでいるかぐやの元へつかつかと歩み寄ると石上は、帝と相対するように向き合った。
「朕と戦うつもりか、愚か者め」
「いまの俺になら出来る気がするんです。か弱い姫のひとりも守れなくてなにが男だ」
「この軍勢が見えないのか?」
「もちろん見えますよ、むかつくくらいたくさんいやがりますね。まさかこの事態を想定していたわけではなかろうに」
「念には念を入れてだ。もし朕に逆らうようなものがあれば排除しようと思ってな」
「それが俺ってわけですか」白っぽい貝を連ねた首飾りをぎゅっと握りしめる。「たしかに前の俺だったら素直に従っていたでしょう。でも、いまの俺には力がある。誰かを守ることのできる力が」
「朕に抗うということがどういうことだかわかっているのか」
「朝敵になり歴史に汚名を残す、それでも構いません。俺はあなたと戦う」
「なにがそこまでお前を駆り立てるのだ。地位も名誉も失ってまで戦う理由はなんだ」
「それはもちろん」石上は微笑した。「愛ってやつですよ。まだ片思いですけどね」
「そうか。ならば朕と同じだな。朕も愛のために戦おう」
「陛下、それはちがいますぜ。愛はそんな一方的なもんじゃねえ」
「ぬかせ」
帝は片手を天高くつきだした。
いつの間にか、村をぐるりと囲んだ帝の親衛隊たちが大きな弓をつがえている。幾本もの矢が、石上とかぐやを狙っていた。
「かぐやごと殺すつもりですか」
「お前のことだ、その女をかばって盾になるだろう。射的が終わればそこには針鼠の出来上がりというわけだ」
「……よくお分かりで」
「いくら超人的な力を得たとはいえ全身が鎧のように固いわけではあるまい。背中、腹、首、足、どこかしら弱点はあるだろう」
「……ほんとに憎らしいほどに御聡明ですね。まさに鬼謀ってやつです」
「さて――中納言の地位に免じて最期の言葉を聞いてやろう。いい残すことはあるか?」
「へ! 俺は死なない、生きてかぐやを守る」
「やれ」
乾いた号令とともに、いっせいに凶暴な雨が牙をむいた。天を覆いつくさんばかりに上がった矢の嵐が、天頂に達して落ちはじめる。石上はその巨体でかぐやを抱きしめるようにして覆った。
「やっと見つけた」腕の中でかぐやがつぶやいた。「わたしの勇者」
「え?」
その瞬間、頭上で炎のはぜる音が轟いていた。背中に押し寄せる熱風を感じる。
「なんだ……?」
紅い龍がおどっていた。
炎の渦がとぐろをまきながらかぐやと石上の頭上を旋回している。紅龍は降りしきる矢を飲み込み、そのすべてを灰に変えていく。ぱらぱらと残った白い灰だけが、石上の背中に落ちた。
「奇術か!」
「その通りでございます、陛下」
凛とした声の主は、身なりの整った若い青年であった。両目を閉じているが端正な顔立ちをしており、美青年の部類に入るだろう。ただ、その両腕にかかるはずの着物はなぜか切り取られていた。
「大伴御行、お前も朕に抗うというのか」
「そうせざるを得ないこと深くお詫びします」
「航海の果てに重病を患い都へ戻っていると聞いていたが――何故ここにいるのだ」
「陛下が三山村のほうへ大軍団を派遣したという話を小耳に挟みまして、もしやと思い駆けつけた次第にございます」
「それは朕のためか、それともかぐやのためか」
「私の心はたったいま決まりました。かぐや様をお守りすることが、私の生き方でございます」
うやうやしく一礼する。
帝は近くの兵士から大弓を奪い取ると、きりきりと弦を引き絞る。矢の直線状には両目を閉じた大伴御行が微動だにせず立っている。
「ならばこの瞬間から貴様も朕に仇名す敵だ。その選択を悔やむがいい」
弦がもどる音がした瞬間、一厘の迷いもなくつがえられた矢が大伴御行の眉間に向かって飛んでいく。あとわずかで当たろうかというとき、閉じていた両目が開き、袖のない両腕から炎が起こった。
炎は帝のはなった矢を包みこむように焼きつくすと、再び大伴御行の腕へと収まっていく。
「貴様、その眼はいったいどうした」
帝が声を荒げる。
大伴御行の両目は、まるで夕ぐれの太陽を嵌めこんだように赤かった。充血しているのではない。まったく別のなにかに置き換わっているのである。それに炎を放った両腕にも、龍をあしらった紋章が浮かんでいる。
「かぐや様にいわれた宝を探しているうちに嵐に巻き込まれ少し船が沈没しまして。そこで龍王さまと会った夢を見たのです。宝が欲しければ代償を払え、といわれました。私はすぐさま首を縦に振りました。両目に激痛が走り、気付いたときには船の残骸とともに海岸に漂着しておりました。私は盲目となる代わりに、龍の首の珠を授かったのでございます」
「馬鹿が。それでは肝心の姿が見えないであろう」
帝があざけ笑うが、大伴御行は首を横にふった。
「たとえお姿は見えなくとも、なんとなく感じるのでございます。これも龍の首の珠の効果ではありましょうが、私は何の不自由もしておりませぬ。それに――」と、あっけにとられるかぐやにほほ笑みかける。「愛しき方のお声が聞けるだけで、私は満足ですので」
「まさか……ふたり目の勇者がいるとは」
「かぐや様、いまそちらへ参ります」
大伴御行はそう言うと、ゆっくりとかぐやのところへ歩み寄る。その前に石上が声をかけた。
「大納言殿。あなたも……」
「ええ、同じでしょう。理由も同じなら目的も同じ。まるで兄弟のようです」
「では義兄弟の契りでも交わしましょう」
「それは名案です。が、少しあとにしましょうか」
「お前たち、事情は――」かぐやを喋りはじめるのを、大伴御行が制した。
「あとでゆるりとうかがいます。ひとまずこの苦境をくぐりぬけることが必要かと」
「まったくもってその通りだ。いくら力があるとはいえ、この人数が相手じゃ少々厳しいかもしれねえ」
石上があたりを見回す。村の入り口をはじめ、三方の山の中にも隙間がないほど旗が立っている。どこへ逃げ込んでも無事ではすまされないだろう。
「二千の軍だ。朕にあらがう輩どもよ」
「意外と少ねえな。もっと大層なものかと思ってたぜ」
「ひとり千人、いけますか」
「あたぼうよ」
かぐやをかばうようにふたりの勇者は背中合わせになる。そして、にやりとほくそ笑んだ。
「――やれ」
帝が感情のない声で指示すると、雷鳴のような鬨の声が三山村にこだました。二対二千の、無謀な戦の始まりであった。