復讐の咎人
城下の街におもむいてみると、火事によって焼けたあらゆるものの臭いが一緒くたになって流れ込んできた。
「あのときと同じ匂いだ――」
ラングネ城から逃げ出すときにも、非常警報のなかで強烈な異臭がしていた。あまり思い出したくない記憶ではあったけれど、どうしても無視することはできなかった。
煙のせいか、眼がしばしばする。
かぐやは目じりをこすりながら、周囲の建物に視線をやった。どこも焼けているような痕跡はない。城の付近には古代人の建築物が多いせいだろう。火事はさらに遠くの方で被害をもたらしているようだった。
城を中心に放射状にのびている道は、どこも混沌としていた。
ラングネ軍が突入する際に負傷した人々は道路の端に寄せられ、衛生兵のやって来るのを静かに待っている。地面のあちこちに血が付着しているのが見てとれる。おそらく殉職した兵士もいたはずだが、どこかへ移動されたのか、生きている人間だけがせわしなく行き来していた。
「レンリルがいるとすれば、人の多いほうだろうな。もっと市街地のほうへ出てみたほうがいいかもしれねえ」
石上が高い身長を生かして首を懸命に伸ばしているが、成果はないようだった。
「手分けした方がいいだろうな。わたしと大伴、田村と石上でいいか」
「どうしておれが男と一緒なんだよ。不公平だろうが」
「文句をつけている場合ではないでしょう。戦力的に考えてもレンリルを止めるにはそのほうが効率的です。私の感知が及ぶ範囲にいれば、すぐにそれとわかるでしょうから、見つけたらすぐ合図を送ります。上空には常に気を配っていてください」
「……なんか、ズルいな」
「石上」
「わかったよ。そう睨むなって。さっさとあの野郎を発見すりゃいい話だろ」
「頼むぞ、二人とも」
かぐやは素早く身をひるがえし、大伴御行とともに大通りを駆けていく。残されたふたりの勇者たちも反対側の通りへまわるとすぐさまレンリルを探しはじめた。
アリストスの首都ザリアはさすがの壮麗ぶりで、中心部にはガラス張りの美しい建物が多い。そのほとんどは貴族たちが住んでいるものだが、いまは人影もない。どこか安全な場所へいち早く逃走したのだろう。いつだって権力者は保身を図るものだ。
大伴御行の指示によって鎮火にあたっている兵士たちが隣を走り抜けていく。
火事はそう遠くない場所で起こっているようだった。城から離れ、市街地に進んでいくにつれて熱気とのどの痛みが強くなっていく。風向きが変わると豪雨のような黒煙が襲いかかってきて、かぐやたちの視界を遮った。
「くそ、こう煙が多くては誰がいるのかわからない。大伴、レンリルの気配はないか」
「この近くにはいないようです。ほかの場所をまわってみましょう。彼も火の近くにはいないはずです――もし虐殺をしようとしているなら、人の少ない方には行かないでしょうから」
「そうならぬように探しているのだろう、急げ」
細い路地裏へ入る。
そこには、今しがた火事から逃げ出して来たばかりなのだろう、煤で頬を黒く汚した人々がひしめき合っていた。かぐやの姿を見ると、ひっと悲鳴を上げて逃げ出そうとする。
「待て、待ってくれ」
「い、い、命だけは……」
頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
かぐやは、はやる気持ちを抑えながら、うずくまる女性に視線を合わせた。
「大丈夫だ、乱暴はしない――ひとつだけ聞きたいことがある。レンリルという男を見かけなかったか。金髪の青年で、ラングネの軍服を着ていると思うのだが」
「み、見てないです」
恐怖のためか歯をがたがたと打ち合わせる音がしていた。
かぐやは避難場所を教えると、路地裏をさらに奥へと進んだ。どこへ行っても人ばかりだ。きっと市街地のほうから逃げ出して来たはいいものの、ラングネ軍の姿を見て隠れていたのだろう。
先ほどまで目の前で暴虐の限りを見せつけられていたのだから当然の反応ではあったが、かぐやの表情は次第に陰っていった。
「なあ、大伴」
「なんでしょう」
「アリストスとラングネが分かりあえる日は来るのだろうか。この有様では、とてもそうは思えなくてな。失ってしまった信頼は簡単には取り戻せない。彼らはそれを体で覚えてしまっている」
「ベルリンドが戦争をはじめる前は両国のあいだに溝はなかったのでしょう。かぐや様なら、きっとその関係を修復することができます。そのためにも、一刻も早く彼を見つけ出さなくては」
取り返しのつかなくなる前に、とは口に出さなかった。
わざわざ言葉にしなくとも胸の内で渦巻く黒い予感は大きくなっている。レンリルが何をしているのか想像すればするほど気が重たくなった。途方もない力を持ってしまったがゆえに、道を誤れば甚大な被害が出る。
大伴御行や石上がその気になれば、街一つくらいは悠々と壊滅させることができるだろう。それをしないのは正常な意識を保っているからだ。まっとうな人間であれば無暗に人を殺すようなことはしない。
しかし、戦場という特殊な空間は人を狂気に追いやる。
吸い込む空気から肺が浸食されていく感覚。体内に満ちる毒素は、弱い意思などたやすく捻じ曲げてしまう。
「――かぐや様」
大伴御行が険しい表情で足を止め、とある市街地へと続く道を見つめた。
かぐやにはなにも感じ取ることはできなかったが、彼の鋭敏な神経はレンリルの気配を察知しているようだった。
「いるのか」
「おそらく、一人でしょう」
「本当にひとりでいるのか、それともひとりになったのか――行ってみないことにはわからない、か」
大伴御行が手配通り、上空に合図を打ち上げる。これですぐに石上と田村が駆けつけてくるはずだ。いざ戦うというようなことになったときには、これ以上にない味方となる。
「かぐや様、用心をお忘れなく。私がついておりますが、万が一ということもあります」
「案ずるな、そのくらい承知の上だ」
汗で滑りそうになる剣を握りなおす。
心臓がこれまでにないくらい高く脈打っていた。血管が破裂してしまいそうなくらい、激しい鼓動を刻んでいる。閉じこもった部屋のなかでレンリルを想うときとはまったく正反対の感情だった。
いまは、会いたくない。それが正直な気持ちだった。
「レンリル……」
彼の足元には無数の死体が転がっていた。レンリルの身体は返り血で真っ赤に染まっていた。周囲で燃え盛る火炎と同じ色をして、無表情に遺体の山を見下している。
死体のほとんどはザリアの住民のようだったが、なかにはラングネ兵士のものも混じっている。
「お前が、やったのか」
かすれた声でかぐやが聞いた。
レンリルは異物でも見るような目つきでかぐやに視線をやると、死体の一つを踏みつけながら近づいてきた。手には、本来の色を失った剣。大伴御行がすっと割り入って、かぐやとレンリルを物理的に遮断した。
「事情をお話ししてもらいましょうか」
「……話は聞いている」とレンリルはいった。「戦争は終わった。そうだな」
「そうだ。わたしはベルリンドを倒して、それでお前を迎えに行って……」
「ジアードはオレの両親の仇だった。オレはずっとあいつを殺すためだけに剣の腕を磨いてきた。それがようやく成し遂げられた」
「ああ、だからもう、殺す必要なんてない」
「正直なところまだ実感がないんだ。オレの人生はあいつに復讐するためだけにあった。この怒りは人ひとりを殺すにはあまりにも大きすぎた」
「だから、関係のない人を巻きこんだのですか」大伴御行が剣を構える。「自分の感情を発散させるために」
「それもあったかもしれないな。オレ自身、どうしたらいいのかわかっていないんだ。とりあえず目の前の正義にかこつけて、こいつらを殺した」
レンリルは死体の山を振り返った。
「なあ、教えてくれよ。オレはどうしたらいいんだ。何を目的にして生きていけばいいんだ。この、しょうもない世界でどうやって」
「わたしはこれからラングネを再興させる。それだけでなく、アリストスもだ。お前がその道の邪魔をするというのなら、わたしは――レンリル、お前を切らなければならない」
大伴御行のを横に押しやり、真剣な表情でレンリルを見据える。
どこかで炎の爆ぜる大きな音がした。火の粉が舞い散り、雨のように降り注いでいる。
「……オレはジアードが憎かった。それだけじゃなく、アリストスのやつらも憎かった。理由は単純だ、あいつがアリストス人だったから。本音を言えばこの戦争でやつらを皆殺しにしてやるつもりだった」
「それで……」
「でも、どうしてだろうな。そのつもりで街に来たっていうのに、目の前でラングネの兵士が無力な市民をいたぶっていたのを見て、オレは気付いたらやつらを切っていた。ジアードに殺された両親と重なってしまって、兵士たちを徹底的にいたぶらなきゃ気が治まらなかったんだ。それで罪に問われるのは仕方がないと思ってる。いま、この場で切られるなら文句はない」
「――アリストスの人々を、やったのではないのか?」
かぐやが大きく瞳を開きながら聞いた。心臓の鼓動と同じように、声も震えていた。
「オレが切ったのは兵士だけだ、仲間のな。後のやつらはもう殺されていた――助けてやれなかった」
「よかった……」
かぐやが魂の抜けたように崩れ落ちる。あわてて大伴御行が腕をつかんだが、立ち直る気力はなかった。
「なにがいいんだ。オレは仲間を殺したんだぜ」
「もとから市民に暴行を働くようなやつらには罰を与えるつもりだった――それに、レンリルの行動は無力な彼らを救おうとしてやったことだ。違うか?」
「けど、なにも殺すことはなかった」
「そうだ。お前には部下を管理できていなかったことに対する責任がある。それは、しっかりと償ってもらうつもりだ。ラングネの復興を手助けしてくれるのは、それからでいい」
「許してくれるのか、オレを」
「お前も間違ったことをしてしまった。だが、まだ手遅れになる前だった。ただそれだけのこと……」
「別の誰かは手遅れだったような口ぶりだな」
「おいテメエ、ぶん殴ってやる!」
通りの向こうから現れた石上が鬼のような形相をして突進してくるのが見えた。大伴御行の合図を確認してこちらへやって来たのだろう。
事情を知らない石上がレンリルに殴りかかろうとするのを、大伴御行が制止した。
「殴るのはもう少し先にしておきましょう。そんなことより、新たなライバルが増えたみたいですよ」
「ライバル? なんだそりゃ」
「兎にも角にも、ようやくすべてが終わったということです。勇者の仕事はこれにて閉幕ということにしましょう。私たちが戦うことはもうありません。満月はやがて新月となり、なにもないところからまた月がやってくる。時間はそうやって過ぎていくものですから」
そう言うと、大伴御行はかすかにほほ笑んだ。
月の姫と青年と、地球の勇者たちを、赤い炎が照らしていた。