探し人の行方
「アリストス国王ベルリンドはこのかぐや様が討ち取られた。そこにいるやつら、みんな戦いをやめろ。もう全部終わったんだよ」
石上がその巨体に負けないくらいの大声を張りあげる。武器と怒声でうるさかったアリストス城の三階部分は、波が引いていくように静かになった。その場にいる全員の視線がかぐやたち一行に集中する。
「――ベルリンドはわたしが倒した。皆の者、武器をおくのだ。これで戦争は終わった。もう殺し合う必要はない」
かぐやが声を高らかに叫ばなくともしんと静まり返った空間には十分な声量だった。アリストスの兵士たちは信じられないといったように武器をとり落すと、力なく地面に崩れ落ちていった。
手を離れ、柄だけになった幾千の剣が楽器のように音を奏でる。
その調べに乗せるように、ラングネ兵士たちの喝采がはじまった。誰ともなくかぐやを称賛する声が出ると、広間はすぐさま大合唱につつまれた。
かぐやは手を高々と掲げ、その場を静める。そうしなければとても全員に意思を伝えることは不可能だ。
「戦争は終わった。だが成さなければいけないことが山のように残っている。ラングネの民よ、これだけは忘れないでほしい。一連の戦いはラングネとアリストスの憎しみのために起こったものではない。ベルリンドとわたしが請け負った勝負だった。だからアリストスもラングネも勝者ではない。どちらかが一方的に他方を虐げるようなことがあってはならぬ」
「そういうことだ」誰かが騒ぎだすまえに大伴御行が素早く続けた。「もしもこれからアリストス国民に乱暴狼藉を働くような不届き者がいれば、もとの法にのっとって処罰を下すことになる。人を殺めるようなことはもうしなくていい」
「ま、おれたちの目が黒いうちはそんなことさせねえけどな」
石上がラングネ兵士たちを一睨みすると、だれも反論しようとはしなかった。
その場にいる全員がかぐやの言葉に納得したようだった。少なくとも、すぐに暴動が起きるようなことはないだろうと判断すると、かぐやはずっと気にかかっていた人物の姿を探した。
「大伴、レンリルがどこにいるかわかるか」
盲目であるがために人の気配を察知する能力にすぐれている大伴御行に訊くが、彼は静かにかぶりを振った。
「先ほどからそれらしき気配をさがしているのですが見あたりません。これだけ人が多いと見逃していることもあるでしょう。彼の気配は少々独特のものですから、すぐに分かるはずなのですが」
「……それじゃあ」
「死んではいないみたいだぜ、ほら」
石上の指さす先には冷たくなったジアードの遺体があった。その周囲にはレンリルらしき人影も、倒れている人間もいない。
「レンリルは、勝ったのか」
「そのはずです。あのジアードがレンリル以外の者に、そう簡単に倒されるとは到底思えません。問題は彼がその後どこへ行ったかということです」
「特に問題はないのではないか」かぐやは首をひねった。「どこかで感傷に浸っているのかもしれないだろう」
「いままで黙っていたのですが」大伴御行が神妙な口調で告白する。「彼のオーラには他の者と違ったものが混じっていました。巧妙に押し殺してはありましたが、私には隠し切れていなかった感情が」
「それは……」
「憎しみです。どす黒い、固まった血のような憎しみがレンリルには確かに存在していました。私はその憎悪がいったい誰に向けられているものなのか気にかかっていました。国境砦では彼が裏切りものでないかと考えたのはそのためです」
「おれも奇妙な感じがしてたんだ。あいつは表面はニコニコしていやがるが、裏でなにを考えているかわかったもんじゃねえ。そういう人間は必ず大きな秘密を隠している。それも、他人に聞かれるとまずいやつを」
石上が同意する。
かぐやは眉をひそめながら続きを促した。
「それで、その憎しみの対象はわかったのか」
「ええ。今日、レンリルにあってみて確信しました。あの異常なまでの憎悪は、彼の目の前にいる男に向けられていました。ジアードという男に対して――おそらく一生を左右する強烈な怨嗟があるのではないかと思います――あり余るほどの敵意を剥き出しにしていましたから」
「そのジアードは倒したのだから、もう済んだことではないか。なにを心配するのだ」
「あまりに大きすぎるんです。いまにも爆発しそうな感情。そのすべてを短期間で発散できるはずがありません。ジアード一人を倒したところでレンリルが満足するでしょうか」
「なにが言いたいのだ」
かぐやが強い口調でなじった。大伴御行の言わんとすることを聞きたくなかった。
だが、彼は結論をやめなかった。
「私だったら不満足な感情をどこにぶつけるか。不幸なことに城下にはまだたくさんにアリストス国民が残っております。ジアードと同じ国の人間が」
「ふざけるのもいい加減にしろ。レンリルがそんな分別もわきまえられない男であるはずがない」
「あくまで最悪の場合の話です。そうでなく、どこかで休んでいるだけならいいのですが」
「――悪い予感っていうのはよく当たるもんだぜ」
石上が窓から外の様子をうかがう。そこでは大伴御行のものではない炎が街の一角を焼きつくそうとしていた。黒煙が風に吹かれながら立ちのぼっている。空気が乾燥しているので火事はすぐに広がっていくだろう。
古代人の建築したビルなどは無事かもしれないが、その後に建てられた庶民の家などはあとかたもなく焼けるにちがいない。窓を開けると強い異臭が鼻をついた。
「おれたちが入って来たときには火の手は上がっていなかった」
「レンリル以外の者がやったことかも知れぬだろう」
「――とにかく」田村が横から口をはさんだ。「いまは火事を止めることが先決ではないでしょうか」
かぐやは表情をこわばらせながら頷く。
「大伴、火の扱いならお前がよく知っているだろう。指示は任せた」
それが苦しい理由であることはわかっていたが、あまりに混乱してしまって的確な指示を出せる自信がなかった。火事が起こったら一秒でも早く消しとめなければならない。それは窓からのぞく城下の様子だけでも十分に理解できた。
レンリルがジアードに向けていた憎しみを、ほかの誰かにぶつけているとしたら。
普通の兵士ではとても抵抗することはできないだろう。レンリルは軍の最高幹部であるし、ラングネを救った英雄だ。その彼がたとえ倒錯した目的で剣を振りおろしていても、それを止めることはおろか間違っていることだと認識することもできないかもしれない。
それに加えて並ぶものがいない剣の腕と、計り知れない智謀を持っているとすれば、一般人がかなう相手ではない。
味方にいればこれほど頼もしい男もいなかったが、敵にまわった途端に背筋が凍りつきそうなほど怖ろしい存在となる。
「わたしは――レンリルに剣を向けることはできるだろうか」
一番の問題はそこだった。
言葉で説得できないのなら、レンリルを無傷で止めることは不可能だろう。そうなったときに果たして本気で戦うことはできるのだろうか。石上や大伴御行でさえ実力は拮抗している。それになにより、レンリルは命の恩人であり、国の恩人だった。
レンリルが取り返しのつかないことをしでかす前に止めることができれば、なんの罪に問うこともない。先ほど大々的に、これから起こる犯罪は裁くといってしまった以上、レンリルであれ無視することはできなかった。
もっとも、なにもせずにぼんやりと空を見上げてくれていればとり越し苦労で済むのだけど。そうでないだろうという嫌な自信がかぐやのなかにはあった。
すぐにでも階下へ行き、レンリルを捜索しなければならない。
それを言いだそうとすると足がすくんだ。ベルリンドに立ち向かうときよりも恐ろしかった。
「……行きましょう、かぐや様。あなたがやらなくては」
指示を終えた大伴御行がそっとかぐやの背中をおした。かぐやは震える手を隠しながら、うなずく。城のなかを回っても、レンリルはいなかった。