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 秋も中ごろにさしかかろうかという季節に、それは突如として襲来した。

 その年は例年以上の実りがあり、三山村の田んぼには重たそうに頭をもたげる黄金の稲穂がいくつも風に揺られながらまどろんでいた。収穫の季節である。

 村人たちは本業である農業に専念し、赤や黄色のもみじが彩る山に分け入って栗やきのこを採集したり、たわわに実った稲を刈り取って乾燥させたりしている。籾殻とわらを分けると、いつにも増して大粒の米がぎっしりと詰まっていた。

 まだ新しい、ほんのりとかぐわしい稲の匂いが村に満ちているなか、かぐやは村の中を散歩していた。隣には翁が連れ添って、あれこれと村の様子を解説している。

 石作皇子の件で公に姿をあらわしてしまったため、もう隠れ住む必要もなくなったのである。

 といっても翁の仕事は竹をとることであり、とくに秋の季節にする仕事でもないので、かぐやに地球のことを教えているのだ。無論、かぐやが月の姫であることは村人たちには内緒であった。

「こちらが弥助の田でございます。あいつはいつも寝てばっかりで怠け者なのですが、今年はそれでも暮らしていけるくらいの収穫ですな」

「地球の一年というのはそんなに毎年違うものなのか」

「月ではそうでないのですか」

「ああ、決まったように暦が進み、決まった時期に作物を刈りいれる。地球のように暑くなったり寒くなったりすることはない、いつも同じ気温だ」

「雨が降ったりはしないのですか」

「ときおり降る。が、すぐに止む。わたしたちは水を地下から汲みあげるからな、雨が降ろうがたいして変わりはない。水はいつだってあるものだ」

「うらやましい限りですな」

 翁が感想を漏らす。三山村に限らず、どの村でも数年に一度は水不足に悩まされるのだ。それだけでなく伝染病や虫の被害にあうことだって珍しくはない。

「そうでもないぞ。月の大地はほとんどが砂だ。地球のように土があるところは稀だ」

「そんなところで木や草は生えるのですか」

「地球ほどではないが、困らないくらいには生えている。色が違うがな、あちらでは褐色の葉や枝だ」

「砂に生えるから同じ色になったのでございましょうか」

「さあ。そういうことはわたしには分からぬ。ただ――」と、かぐやは空を見上げた。「空は青いほうがきれいだな。月では黒ばかりだ」

「いつも夜なのですね」

「太陽はある。空がないだけだ」

 翁が難しい顔で考えこむ。おそらく、夜の闇に太陽が浮かんでいるところを想像しようとしているのだろう。

「あとは地球がいつも見える。青と緑の星だな」

「緑はわかりますが、青とは?」

「知らぬ。だがとにかく青いのだ」

「……それは、海かもしれませぬな」

「うみ?」

「ここよりもずっと広い場所に、塩辛い水がたっぷりと張られているのです。そのなかには魚や貝がいて、行けども行けども果てしなく広がっております。それを渡っていくと、はるか唐にたどり着くのです」

「なんともまあ、ご苦労なことだ」

 かぐやは初めて魚が食卓に上ったとき、怪訝そうな顔をしてそれを見つめた。月では水辺がほとんどないのだという。三山村では時々海岸のほうからやって来る商人と山の幸を交換したりして手に入れたり、川で釣ったりするのでさほど珍しい食べ物ではない。

 それゆえ、ほんのわずかにある、水の露出した場所は神聖な区域とされて入れないのだとかぐやはいった。

「宝物は唐にしかないのか」

「なにしろ大国でありますから。こちらで探すよりは、見つかりやすいのでございましょう」

「そうか」とかぐやは頷いた。「道理でいつまでたっても帰って来ないわけだ」

 5人の求婚者のうち、まだふたりは三山村へ戻っていない。まだ宝を探している最中なのだろうが、あまりに時間がかかるのでかぐやはもどかしい想いをしていた。

「それにしても帝とやらはいつになったら迎えにくるのだ」

「さあ――いつになるのでございましょうか」

「いい加減に遅すぎる。こちらから出向いてやってはどうだ?」

「そんなことをしてもとり合ってはくださらぬでしょう。それよりも、地の利を生かしてあちらが来訪するのをじっくり待つ方が得策でございます」

「翁のいうことだから信じたくはあるが、しかし――」

 いつまでも待ってはいられない、と言いかけたのを、大きな鐘の音がさえぎった。

 ガンガンと打ち鳴らされる鐘の轟音に、かぐやの足がすくむ。めまいがした。目の前に赤い景色が押し付けられたような錯覚。実際はそうでないとわかっているのに、体がいうことを聞かなかった。

「かぐや様! 大丈夫ですか」

「あ、ああ……」

 翁が肩を貸しながらかぐやを起き上がらせようとするが、細い老体ではなかなか難しく、ふらついてしまう。危急を知らせる鐘の音はさらに激しくなっていた。

「なにか問題があったときにつかれる鐘でございます。火事か、賊がやって来たか――どちらにせよ、逃げなくてはなりませぬ」

「逃げ、る?」

「山へ身を隠しておれば、じきに危険もさることでしょう。今は何よりかぐや様の安全が優先でございます」

「そうか……」

 かぐやは荒い息をおさえながらふらふらと立ちあがった。少しでも気を緩めれば気を失いそうなくらいの目眩が襲ってくる。

 鐘のある見張り台の方角から走って来る村人の姿が見えた。

「おうい!」

 翁が声をかける。

 呼びとめた若い村人は蒼白な顔をして、翁が質問する前にまくしたてた。

「真っ黒な軍勢が来やがったんだ。見た事ねえくらいの人数だ。みんな武器をもってる。ありゃあ、石作皇子の比じゃねえ。どうしよう。逃げるにも、あんな多くちゃ逃げきれねえよ。かぐや様もはやくどうにかしなくちゃな。ああ!」

「すこし落ち着け。いったい誰の軍なんだ。賊じゃないのか」

「賊じゃねえ。あれは――」

「――ついに帝のお出ましか」

 かぐやが不敵にほほ笑んだ。

 警鐘が打ち鳴らされつづけるなか三山村の村人たちは中央にある村の広場に集まっていた。そうする以外に方法がなかったのである。いくら周囲の山々へかくれたところで、相手が相手だからどうしようもない。

 そもそも帝の私兵がなんのために三山村へ向かって行軍しているのかすらわからないのだから、こうして身を寄せ合うのが最善の策であった。

「皆の者、耳をすまして聞け」

 村の長老である、腰の曲がった小柄な老人がぼろぼろの杖をつきながらいった。いつもならば声を張り上げなければいけないところでは隣に喉自慢の若者がいて、長老の言葉を皆に伝えるのだが、その日は違っていた。

「じきにこの村へ大軍団がやって来る。数多くの兵だ。だが、恐れることはなにもない。彼らはわしらに危害を与えるようなことはせぬ。たしかに石作皇子の一件はあったかもしれぬが、今度はおそらく」

「わたしを迎えに来た帝であろう」

 長老の横に立ったかぐやが言葉を継いだ。

 そのとなりにはかしこまるようにして翁と嫗が座っている。

「皆の者に迷惑はかけないつもりだ。わたしの目的は最初から帝を呼び寄せることだったのだからな――これはまだ伝えていなかった。だが、わたしを快く村へ置いてくれたこと、感謝する」

 村人たちからざわめきが起こるがかぐやが再び口を開くとすうっと引いていった。

「翁と嫗がわたしを長く家に閉じこめて秘密にしていたのもすべてはわたしのためなのだ。都人とはどんなに横柄なやつらかと思っていたが、実はそうでもなかったらしい。わたしはとんだ勘違いをしていた」

「わしらは都人などではないぞ」

 長老がぼそりといった。

「この星に住まうものをわたしたちは都人と呼ぶのだ。たとえこのような田舎であろうともな」

 かぐやは着物をひるがえすと、村人たちに向かって叫んだ。

「さあ、これからが戦だ。わたしは、帝を手に入れる」



 数人の供のものをつれて狩り装束をした男が、馬に乗って街道を走っていた。都から離れていくに従って道路はどんどん荒れ、人影もまばらになる。かわりに増えるのは雑草のしげる草原や、きつねやたぬきの姿、そして胸の内に秘められた期待だ。

 駿馬で知られるこの馬も、はやる心を満足させるほどではない。

 すぐ近くの景色は飛ぶように過ぎていったが遥か遠方に見える山の影はちっとも動かなかった。

「近ごろ都で評判の美しい女がいる」という噂を聞きつけたのは四半月ほど前のことだった。その類の話はたいして珍しいことではない。

 それに宮中にはいくらでも、器量のある美しい妾たちが寵愛を得ようと待っている。どんなものでも手に入れられないものはない、そう思っていた。

 次から次へと用意されている女たちは、体ばかりをもとめてくる。帝との子どもを作れば、たちまちにときの権力者になれるからだ。それだけでない、一族の者たちを朝廷の要職につかせることで、その家族ごと隆盛を迎える。

 たったひとりの子どもで十分なのだ。そして今度は、その子どもを次の帝に即位させようと血塗られた権力闘争が待っている。幸運にも帝になった男は、あらゆる力を手中にする。

 巷ではときおり、恋だのといって身分の離れたものと駆け落ちしたという話を聞く。それほどまでに結ばれたい相手がいるのかと思うと、よくわからない気分になる。理解できないのだ。恋というものが。

 並大抵の公家であれば女に事欠くことはまずないだろう。むしろ女のほうからたかり寄ってくるくらいのものだ。

 それがうわさ好きな臣下の口によると、幾人もの貴族たちをもてあそんでいる絶世の美女が片田舎の寂れた村にいる、らしい。そこまでは興味半分に聞いていたのだが、宝をもとめて旅立った五人の側近たちのことが話題に上った途端、気が変わった。

 これほどまでに男を魅了するかぐやとはいったい何者なのか。なぜ田舎でくすぶっているのか。そしてなにより、どれほどの美しさなのか。

 かぐやに関する疑問はとめどなくあふれ出した。昼夜とお構いなしにまだ見ぬ女の姿ばかり想像してしまう。そうしていてもたってもいられなくなったある日、帝はこっそりと宮中をぬけだした。

「三山村はまだか」

「もう少しでございます」

 信頼のおける護衛ふたりだけを連れて、かぐやをのぞき見る計画だった。

 以前はその姿さえ現わさなかったかぐやだがいまはしきりに村のなかを歩いてまわっているという。狩りを楽しむふりをして近づき、噂に聞く美貌をたしかめたらすぐに都へ帰るつもりだった。

 どうせほんの興味本位な旅なのだ。

 それに平安の都は大騒ぎになっているかもしれぬ。うまく面倒くさいことにならないよう始末をつけてくれていればいいが。収穫もなしに厄介事をもらいにいくのでは分があわない。

「あれが、三山村の入口にございます」

 という護衛の声。

 前方にはたしかに三方を山に囲まれた村落が見える。村のいちばん手前側には大人四人分ほどの大きさの楼閣があって、青銅の大きな鐘がとりつけられている。そこにはふたりの見張り番らしき男たちが立っていて、こちらを見ているようだった。

「気付かれぬか?」

「昔ならともかく、いまは多くの貴族が四六時中出入りする村でございますから、この格好ならあやしまれることもないかと」

「よし。ならば速やかに行くぞ」

 三頭の馬が馬蹄を響かせながら楼閣の横を通り過ぎていく。そして田のあぜ道に沿って馬を走らせていくと、山のふもとからいくぶん離れた場所に粗末な家々の群れが見えてきた。

 しかし、どれがかぐやのいる家なのか見当がつかない。

「お前、近くのものにどこにかぐやがいるか尋ねてこい」

 護衛のひとりに命令する。恭しく頭を下げてから、かれは村人を探しに行った。

「今年はずいぶんと豊作のようだな」

 帝がつぶやく。

 田畑にはこぼれそうな稲穂がぎっしりと群生している。見渡す限りの黄金だった。馬の汗のにおいに混じって、稲藁の香りが漂ってくる。

「――なにか書くものはあるか」

「は。これに」

 すぐさま筆とすずり、それから高級な和紙が渡される。帝は目を細めた。

「準備がいいな」

「陛下のことですからきっと和歌が詠みたくなるだろうと思いまして」

「気の利いたやつだ。あとで褒美をやろう。――さて」

 なんと詠もうか。目をつぶって考える。社交辞令で公家たちと催す歌会は退屈で仕方ないが、こうして自然のなかで和歌を詠むのは嫌いではなかった。

「たけとりの――」

 そういえば、かぐやは光り輝く竹の中から出てきたというような噂も聞いたことがある。夢物語のように現実味のない噂だったが、和歌に組みこんだら面白いかもしれない。

 そうだ。せっかくだからこの歌をかぐやの元へ残していこう。歌の腕前も一流のものだと聞き及んでいる。

「陛下、かぐや様はあちらの家にいらっしゃるそうです」

 道を尋ねにいっていた男が戻ってくる。指を指した先には、とても絶世の美女がすんでいるとは思えぬような古びた藁ぶき屋根の、年季が入った家があった。

 距離はもうさほどない。

「馬を下りていくぞ。ここで待っておれ」

 帝はひとり、脇に雑草の生えた細い道を歩いていく。大勢の人が通ったためか土は固く荒れていた。かぐやがいるという家の軒下には短く切った青竹が干されていて、風が吹くとからからと音を立てる。

 ほかにもいくつかの竹製品が見当たったので、おそらくいっしょに住んでいるという老人は竹取の職についているのだろう。そうであれば光り輝く竹の中からかぐやを見つけたというのにも納得がいく。

 幸いなことに家の周りには誰もいなかった。

 きっといまの時期は農作業で忙しいのだろう。垣根の隙間を見つけて、腰をおろしてかくれる。わずかに空いた隙間から家のなかをのぞきこむと、老夫婦がひたいを寄せ合って話していた。

「……いないのか?」

 角度を変えてみようかと思った矢先、涼やかな女の声がした。老夫婦のうしろから、まるで絵にかいたような美女が話しかけている。つややかな長い黒髪も白い肌も、すべてが完ぺきだった。視線が釘付けになる。動かすことはできない。なにも考えられなかった。すべての仕草を見ていたかった。

 ――いったいどれほどが経過したのかわからない。気付けば、背後に護衛の者が立っていた。

「陛下、そろそろお戻りになる時間です」

「あ、ああ……」

 ほんのわずかに視線をそらした間に、かぐやの姿はなくなっていた。

 途端に心が、まるで大切なものを失ったかのように不安になる。体の奥がぞくりとした。

 帰路はまったく覚えていないが、何度か落馬しかけたらしい。和歌を置き忘れてきた、と気づいたのは、しばらくたってからだった。


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