仇敵
敵の数が多すぎるため、新たに乱入してきた部隊のみを狙い、攻撃するというプランは暗黙の了解でわかっていた。主力である彼らを叩けば、自然と形勢は逆転する。そういった思惑もあった。
乱戦状態のなか、わざわざ勇者と戦おうとする敵が少ないのが幸いだった。
自分たちの力ではとうてい及ばないことを理解しているためか、精鋭部隊に任せて、一般兵は一般兵同士でやり合おうという心づもりらしい。
見渡す限りの人でひしめき合っている広間の戦場のなかでも、精鋭部隊は活発に最前線へ顔を出し、見境なくラングネ兵に斬りつけている。大伴御行が遠方から炎で威嚇すると、彼らの注意はこちらへ移った。
「――ディノスール、というのが彼らの名前だと聞いています。その意は、殺戮する者」
田村が走りながらかぐやにいった。
「悪趣味な名前……それも新しい国王が名付けたものか」
「たしか、彼が新国王となると同時に全国各地から選りすぐられたと」
「つくづくわたしとは好みが合いそうにないな」
かぐやは眉間にしわを寄せながら苦笑した。
田村の剣は、まともに扱うと威力が大きすぎるため、力を抑えて使っていた。全力でのぞめば三階のフロアが半分は吹っ飛ぶにちがいない。そうなれば味方への被害も少なからず出てしまう。
彼の手にしている日本刀は、刀そのものの切れ味ではなく、それを振るったときに起きる衝撃波が特徴だった。軽く上から下へ降りおろすだけで、体勢を崩すほどの突風が吹き荒れる。
そして本気で刀を薙げば、目に見えない衝撃が襲いかかってくる。
「つくづく敵に回さないでよかったと思いますよ」田村のすぐ横で炎の剣を操りながら大伴御行がいった。「戦っていたら、良くて相討ちといったところでしょう」
「今日はいやに謙遜するのだな、大伴」
「冗談でいっているのではありません」大伴御行の口調は真剣そのものだった。「私と石上がふたりがかりで向かって、ようやく勝てる可能性が出てくる程度です。彼がディスノールとやらに加入していたら、ラングネにとってはレーザー砲と同じくらいの脅威になっていたでしょう――もしくは、それ以上か」
「敵が国境砦にレーザー砲を出してこなかったのは、田村がいたからなのかもしれんな」
かぐやが敵の剣をいなし、隙が出来たところへ大伴御行が斬りかかる。お互いの戦い方は、もう熟知していた。
「もし新国王の目論見どおりに事が運んでいたら、怖ろしいことになっていたでしょう」
「――古代人の残した技術が、この戦争の発端になっている。そして、この戦争を終わらせるのも古代人の末裔ということか。皮肉なものだな――いや、運命と呼ぶべきか」
「そんなものにとらわれてはいけません」大伴御行が忠告した。「運命だの、予言だのというものに責任を押し付けるばかりでは前に進むことはできません。我々が今ここで生きて、戦っていることは、彼らの思惑となんの関係もないのです。過去を恨むのは簡単ですが現在を戦い抜くほうがよほど難しいことなのですから」
「まったく、お前にはいつも叱られている気がするな」
「私のほうが長く生きておりますゆえ」
「いつかわたしも、お前を見返してやれるような人間になりたいものだな」
かぐやが、大伴御行に背中をあずけながらつぶやいた。
頭から煙を吐き出しそうな険相だった石上はジアードの姿を求めてひとり敵陣深くまで入りこんでいる。ディノスールに囲まれると危険なのは分かっているだろうが、そんなものを気にする石上でないことは重々承知だった。
「孤立するとまずい――大伴、田村、援護に向かうぞ」
「いくら頑丈とはいえ単独行動もいい加減にしてほしいものですね」
ぶつぶつとぼやきながら大伴御行が炎の剣をおさめ、入れ替わりに巨大な炎の龍を召喚する。ザリアの城壁を蹂躙したものよりはずっと小さいが、それでもなお太陽のように煌々と輝いている。
一足先に火龍を飛ばし、そのあとを三人が追いかける。
ディノスールの連中は非常に好戦的で、休む間もなく次々と襲いかかってくる。そのほとんどを大伴御行と田村とで返り討ちにしたが、それでもなお勢いの衰える予兆は感じられなかった。
石上とレンリルは、偶然なのか、すぐ近くで戦っていた。はやくも殴った衝撃で床のあちこちに巨大な窪みやひびを作っている石上と、血走った眼で呼吸すらしていないかのように剣を振り続けるレンリルは、どこか異質だった。
「レンリル!」
かぐやの呼びかける声は届いていないようだった。
もう一度名前を呼びながら近づくと、レンリルが反転すると同時に剣を振りおろしてきた。とっさに防御しようとするも、レンリルは途中で剣の軌道を変えて打ちかかってくる。
「……させませんよ」
レンリルの凶刃がかぐやの喉元に達しようかという寸前に、田村がなんとか割って入った。
「レンリル! いったいなにをしおるのだ!」
戦場の喧騒にかき消されないよう、今度はさらに大きな声で怒鳴りつける。レンリルは立ったいま目が覚めたばかりというような表情をして、ぼんやりと剣を下げた。
「……ルア様ですか?」
「そうだ、よもや見間違えたわけではあるまいな」
「申し訳ありません。オレとしたことがすこし夢中になり過ぎていたようです」
レンリルが鼻の下を掻きながら照れくさそうに謝ったその時、鼻につくような男の声が聞こえた。
「――よお、久しぶりじゃねえの、ラングネの姫さん」
「ジアード・レム……」
尖った犬歯をいやらしく見せつけながら狂人ジアードがニヤリと笑った。
彼の右脚は人間のそれではなく、鋼色をした機械で覆われている。義足ではない、とかぐやは思った。脚に兵器を取りつけたのだ。もはや殺戮の意思を持った機械といってもなんの語弊もない。ジアードは石上に砕かれたはずの右脚を愛しげになでながら、赤く染まった舌を出した。
中央に、蛇のピアス。
「会いたかったぜ、こんな素敵な右脚をプレゼントしてくれた御礼がしたくてなあ――」
ジアードが喋り終わる前に、レンリルが獣のように唸りながら飛びかかっていた。レンリルらしくない、理性のない剣筋は簡単に弾きかえされ、機械化した右脚の一撃を喰らう。
「ぐっ……」
ぜいぜいと荒い息をしているレンリルを見下しながらジアードは不愉快そうに口元を歪めた。
「他人が話してる最中に割りこんでくるなんて、育ちがなってねえな。てめえのママが教えてくれなかったのかよ、その下品な口を閉じておけってな」
「よくも、そんなことが、言えたものだな」レンリルが睨みつける。その視線は氷柱のように鋭利で、業火のように感情的だった。「オレの両親はあんたに殺された。覚えているだろ」
「んー」とジアードは赤ん坊を見るような目つきでレンリルをながめた。「悪いなあ、記憶にねえや。オレは殺した相手のことをいちいち覚えていられるほど暇じゃないんだよ」
「だったら、思い出させてやる」
がむしゃらに地面を蹴り、レンリルは怒涛の剣戟を繰り出したが、そのすべてをジアードは紙一重のところでかわし、あざけ笑うようにレンリルの足元を払う。予想外の反撃に一瞬、対応が遅れた。こっけいなくらい鮮やかに転倒する。次の瞬間、頭蓋骨を打ち砕かんとジアードのかかとが迫ってきたのをとっさに回避し、立ち上がる。
「そんな剣じゃオレを捉えるのはムリだ。怒りにまかせた剣ほど、避けやすいもんもねえよなあ」
「お前が両親を殺した十五年前から、オレはずっとお前を探し続けてきた。見つけ出して、この手で殺すために強くなった。お前がアリストスの牢に投獄されていると聞いてからは軍に入った。全部、全部お前をオレの手で、倒すためだ。戦争が起こってお前が恩赦されたと聞いたときは、気が狂いそうなくらい喜んだ。軍隊にはいったところでお前を殺しにいける可能性は薄かったからな。そして、ようやく今日、あんたを殺せる」
「……面白いこといってくれるじゃねえか、え?」
ジアードは甲高い悲鳴のような声で笑った。耳障りな声だった。かぐやは自分の足が震えているのを感じた。レンリルがラングネ軍に入ったのは国を救うためでもなんでもなかった。すべてはジアードを、親のかたきを討つための布石に過ぎなかったのだ。
「大事なパパとママの仇討ちってわけか、最高じゃねえの、なあ、このオレを殺したいほど憎んでるんだろ、ああ、気持ちいい、親子二代で殺されるなんて――」
「……狂ってる」
かぐやが小さな声で漏らした。
ジアードは途切れない快感に身を悶えさせながら、陶酔した表情で高笑いした。レンリルの見開かれ、血走っていくのがわかった。かぐやを味方と判別できずに斬りかかって来たときと同じ表情をしていた。
「さあ、殺し合おうぜ」
ジアードは両手に握った二本の剣を、上下に大きく開いて構えると、舌なめずりをした。レンリルが折れそうなほどの力で剣を振り回すが、手数で勝るジアードにすべて受け流される。
それどころか逆に劣勢だった。
二本の剣は間断を空けずレンリルに襲いかかってくる。そのすべてを防御するだけでも腕の動きが見えぬほどのスピードを要したが、レンリルは間合いを取ろうとはせず、鬼のような形相で斬りかかっていた。
「加勢しなくてもよろしいのですか」
戦況をじっと見守っているかぐやに、田村がもどかしげに訊いた。
「これはレンリルの戦いだ――わたしたちが手出しをするべきものではない」
「ですが……」
「このままでは負ける。そういいたいのだろう」
かぐやだけでなく、レンリルが余裕であしらわれているのは誰の目から見ても明らかだった。ジアードはうすら笑いを浮かべているのに対して、レンリルは額に汗を滲ませながらの戦いになっている。
助けなければ、やられるのも時間の問題だと思われた。
「レンリルを失うわけにはいかないのは確かだが、ここで満足に戦わせてやらなければレンリルの生きている意味がなくなってしまう。あやつの、復讐のための人生が、まるで無意味になってしまうのだぞ」
かぐやは、泣いていた。
その背中に大伴御行がそっと声をかけた。
「行きましょう。まだ敵は残っています――お気持ちはわかりますが」
「わかっている、わかってるけど……」
「仇討で死ぬのならば彼も本望でしょう。我々にできるのは、あのふたりの戦いに水を差さないようにすることだけです」
「本当にそれでいいのか、大伴。わたしは間違っていないのか?」
泣きじゃくりながら大伴御行の胸に頭をあずける。
「父が死んだ時も、じいと離れたときも、クレアがいなくなったときも、全部わたしは間違っていた。誰かを見捨てるのは辛すぎる、わたしはもう誰も失いたくない……」
「ここでレンリルの復讐の邪魔をしては、彼を殺すのも同然です。たとえそのような形で生き残ったとしても、生きる目的を失い、生ける屍となることでしょう。それは、なりません」
大伴御行は、愛娘をあやすように、優しい手つきでかぐやの短い髪をなでた。
「さあ、涙を拭いてください。いまはまだ、まっすぐ現実を見つめるときです。そこにどんな辛い光景が待っていても、かぐや様は目をそむけてはいけません。その代り、私どもが必ずお守りいたしますから」
「そのとおり」石上が思い切りかぐやの背中を叩いたので、すこしむせそうになった。「あんたに全部を背負わせたりはしねえ。おれたちがどうにかできるぶんは、どうにかしてやる」
「ありがとう……ふたりとも」
かぐやは服の袖で目頭をぬぐうと、赤く腫らした瞳でレンリルとジアードの戦いの行方を見つめた。相変わらずレンリルは圧倒的に敗北に近かった。ジアードが残酷な余興を楽しむつもりさえなければ、一瞬とかからず彼に死が訪れることだろう。
最悪の未来を頭の中から追い払うことはせず、片隅にしまいこむにとどめると、かぐやは残っているディノスールのメンバーに向きなおった。
「レンリル――必ず勝つのだぞ」
返事はなかった。怒りに染まった声だけが聞こえていた。
「一刻も早く敵をせん滅する。こやつらに手加減はいらぬ、全力でやるぞ。玉座の間に行くのに、早すぎるということはないのだからな」
「おうよ」
と、石上が威勢よく応じた。
「戦いは終わらせる――ひとつでも多くの命を救うために」