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脱出

「よう、久しぶりだな」

 石上がぞんざいな口調でかぐやに挨拶すると、すぐさまサントがたしなめた。

「勇者様とはいえ、言葉遣いには気をつけていただきたいものですな」

「かまわん。石上はもとからそういうやつだ」

 ここにはいない大伴御行の姿を探すように石上のそばへ視線をやるが、そこに求める影はなかった。屈強な護衛の兵士と、スケジュールを管理する側近の従者がせわしなく動き回っているだけだ。

「本当に大伴御行は見つかっていないのだな」

「大納言なら無事だ」と石上は言い切った。「あの人が簡単に死ぬようなヘマをするわけがねえ」

「確信があるのか」

「ああ」

「ならば、石上を信じることにしよう。わたしもあいつが敗北を喫するような光景は想像できないからな」

 かぐやは見上げるように石上の顔に注意すると、ふっとほほ笑んだ。

「なんだよ」

「地球にいたころとはずいぶんと顔つきが変わったな。一気に老けこんだみたいだ」

「苦労が多いんだよ。誰かさんのおかげでな」

「そうだな、おまえには苦労をかけている。そうだ、この戦いが終わったら好きな願いをかなえてやろう。もちろんわたしと結婚するとかいうような無理な注文は受け付けないが」

「……この国を平和にしてやってくれ。それがおれの願いだ」

 石上がめずらしく真剣な表情をしているので、かぐやは明るかった口調を改めて、

「そんなものは前提条件だ。わざわざお願いされるまでもない」

「じゃ、終わったときの楽しみにとっておく」

「それでもいいが」とかぐやはいった。「わたしの気が変わっているかも知れないぞ」

「まったく、無茶なお姫様だな」

「そんなわたしに惚れたのであろう?」

 サントが嫌そうな視線を送ってきたのを無視して、かぐやは石上の足元に歩み寄った。巨人と小人が並んでいるような体格差だった。

「月の国には美人が多いからな、心移りしてるかもしれねえぜ」

「まあ、わたしにとっては好都合だ。その時は祝ってやろう」

「ルア様、そろそろお時間です」

 サントが時計を気にしながらかぐやをうながした。

 すでに総攻撃をかける準備を整えているラングネ軍の兵士たちは、かぐやが演説をする予定のステージ前に整列しており、その列は暗闇に溶け込むように長かった。昼時の太陽は高く上がっていて、容赦なく日差しを送りつけていたが、それに反して気温は低いままだった。

 厚いグレーのコートを羽織ってかぐやがステージのほうへ向かおうとしたところへ、後ろから石上が声をかけた。

「あとであんたに話がある。時間はあるよな」

「なんとかしよう」

 振り向かずに答えて、かぐやはサントともに兵士たちを鼓舞するため特設されたステージに上がった。いままで何度も目にしてきた大軍が、幾千もの瞳を突き刺すように集中させていた。かぐやは大きく息を吸い込むと、用意されたマイクに声をぶつけた。

 砲弾のように拡散されたかぐやの肉声が、腹の底に響くみたいに聞こえてきた。



 石上が待っていたのは陣地にいくつも張られたテントのうちの一つで、なかには小さな机といすが置いてあるだけのシンプルな内装だった。移動しやすいように無駄なものは省かれているので、どこのテントも同じように殺風景なものだ。

 大きすぎる身体には少し物足りないいすに腰かけながら待っていると、スピーチを終えたばかりのかぐやが一人ではいってきた。

 頬と耳があからんでいる。

 おそらく外の寒気にやられたのだろうと石上は推測したが、そんなことはどうでもよかった。寒いのはどこだって同じだ。机の上には二つのコップが並んでいて、紅茶のかぐわしい香りを漂わせている。ひとつは特大サイズで、もうひとつは標準的な大きさだ。

 かぐやはテントに入って来るなり紅茶を一口飲むと、白くなった息を吐きだした。

「この頃はずいぶんと冷え込むな。前線にいる兵士たちはさぞかし大変なことだろう」

「地球の冬だって似たようなもんだ。火鉢がありゃいいのにな」

 石上がぶっきらぼうにつぶやくと、かぐやのものより二回りは巨大なコップに口をつけた。温かい液体が胃を伝わって全身にひろがっていくのが感じられた。

「それで、話とはなんだ。あいにくわたしに自由時間はあまり与えられていないのでな」

「あんたは――かぐやは、この戦いに決着をつけるつもりはあるか。この不毛な争いを自分の手で終わらせるつもりがあるのかってことだ」

「あたり前だ」憤然とかぐやが答えた。「わたしはどんなに辛いことからも、もう逃げ出さないと決めたのだ。おまえたちが戦っているあいだ不貞腐れていたことはあったが、それはもう過去のこと。これから訪れるどんな未来からもわたしは目をそむけるつもりはない」

「じゃ、おれと一緒に行こう」

「……ザリアか?」

「そこにアリストスの王がいる。あんたが少しでも責任を負うつもりがあるのなら、そこに行くべきだ。レンリルや――たぶん、大納言もそこにいると思う」

「クレアのことはいいのか」

 かぐやは捕虜の収容所がある方角へ顔をやったが、視界にあるのはテントの青い布と、透けている太陽の光だけだった。護衛の人影が、日差しとは逆の方向に伸びていた。

 石上はひと息に紅茶を飲み干すと、

「サントのおっさんが助けてくれるだろう。この期に及んで捕虜を殺すなんてことは考えにくいが、もしそうなってもあいつに任せるしかねえ。おれを除いたらあんたを守れる勇者がいなくなっちまうからな」

「レンリルがいるではないか」

「あいつは信用ならねえ」かぐやの目を見すえながら石上が悪態をついた。「味方にさえもなにを考えているのか悟らせようとしねえ。この間のことだってそうだ。こっちが戦っている最中にどこかへ失踪していたなんて、常人のよる行動じゃない。あいつはなにか隠してる。なにか、とても、危険なことを」

「……そんなはずはない。レンリルはお前たちと同じようにラングネを救ってくれた男なのだぞ。アリストスの手先ならば最初からそのようなことをするはずがない。ガイザーを倒したのだってレンリルで――」

「とにかくだ」石上は有無を言わさぬ口調でかぐやを遮った。「ザリアに行くなら、おれのそばを離れるんじゃねえぞ。たとえレンリルが近くにいたとしても、だ」

「――しかし、サントや側近たちはザリアへ行くのを許してはくれぬだろうな」

「あんたが行きたいところに連れていく。それが勇者の役割ってもんだ。ザリアってのは、ここから車で行けるんだろ?」

 すでに調べはついているといった様子で石上は立ち上がると、テントの幕を少しだけ払いのけて外を確認した。入り口のそばに護衛の男がふたり立っている。サントや従者たちの姿は見えない。おそらくほかの場所に行っているのだろう。

 出入り口は護衛のいるひとつだけだった。

「……わたしをザリアに連れて行ってくれるか、石上」

 かぐやはそっと右手をさしだした。

「喜んで」

 うやうやしく姫の右手をとると、石上はそれまでの硬い表情を崩して、子供のように明るい笑顔を見せた。その笑みを見て、かぐやは安心感を覚えていたことに気づいた。大伴御行とともに天皇と戦ったときと同じ、無邪気な顔だった。

 外は兵士たちの声で騒々しいほどだったが、防音性に優れている素材を使っているのか、テントまではあまり聞こえてこない。石上は幕のあいだから顔だけを出すと、テントの入口のすぐ両脇に立っている護衛たちに呼びかけた。

「悪いんだけどよ、紅茶のお代わりを持って来てくれねえか。かぐや様が寒がっていてな。――あと、毛布かなんかもあると嬉しいんだが」

「では、使いのものを行かせましょう」

「いや。すぐ持って来てくれ。かぐや様はずいぶん身体を冷やしてしまっているようだからな、このままだと体調を崩しかねない。ここはおれに任しといて、すこし頼まれてくれねえか。おれなら敵が来ても安心だろ」

「それはそうですが……」

 逡巡する護衛の男たちに、石上は両手を合わせて頼み込んだ。

「な、ほんの何分もかからない雑用だからさ」

「わかりました。石上様がそこまでおっしゃるなら、仕方ありません。毛布と紅茶でよろしいのですね」

「ああ、助かる」

「それでは、ルア様の警護はよろしくお願いいたします」

 いたって礼儀よく挨拶すると小走りに護衛たちはテントの群れのなかへ消えていった。

 石上は首をひっこめると、かぐやのほうを振り返った。

「さ、行こうぜ」

「彼らにお咎めがないようあとで図っておかなければな」

 苦笑しながらかぐやがテントの外に出ようとするのを、石上が引き止めた。

「サントのおっさんなんかに見つかると厄介だ。こいつにでも隠れてな」

 ふところから大きなまだら模様の布を取り出す。ちょうどかぐやがすっぽり収まるくらいのそれを床に敷くと、石上は布の中央を指し示した。

「最初からわたしを連れ去るつもりでいたな?」

「かどかわすなんて物騒なことじゃねえよ。ザリアまでお連れして差し上げるだけさ」

「この布に包んで運ぶつもりか」

 かぐやはいやそうな表情だったが石上が時間を気にするそぶりを見せると、渋々といった様子で風呂敷のまん中に立った。両端を結び合わせ、石上が手際よく布を袋に変えていく。すぐに奇妙な形をした、石上の半分ほどの大きさをした袋が出来上がった。

 かぐやは居心地が悪いのかもぞもぞと動いていたが、石上がひょいと持ち上げると、小さな悲鳴を上げた。

「も、もっと丁寧に扱わぬか、馬鹿者」

「ほらほら、荷物が喋ってたら怪しまれるぜ」

「…………」

 かぐやが沈黙したのを確認して、石上はなんでもない風を装いながらテントのそとへ出た。護衛の姿をさがすが、さすがにまだ戻ってきてはいないようだった。彼らに気づかれる前に迅速に行動しなくては。

 左右に広がっているテントの森を縫うようにすり抜けていく。

 途中、石上の抱えている大きな荷物に興味ありげな視線を向ける兵士たちはいたが、疾風のように通り過ぎてしまうのでそれがかぐやだと見抜いた人はいないようだった。

 雑多な備品がおかれているせいで歩きづらい道をしばらく行く。誤ってかぐやの入った袋をぶつけてしまったときには、ヘンな声が漏れてきたのを聞いたが、幸いなことに誰にも気付かれなかった。

 ここを曲がればジープのとまっている場所まで一直線だというところまで来て、もっとも会いたくない人物に遭遇してしまった。

「よお、サントのおっさん」

 内心の凄まじい動揺を隠しながら石上が片手を上げてあいさつする。さりげなく袋を背中の方に移動させながら、かぐやが動き出さないことを祈る。

 サントは石上の持っている袋にいぶかしげな視線をやったが、

「ルア様とのお話はもうすんだのか」

「ああ。そういや、サントのおっさんを探してたぜ」

「姫様は今どちらにおられるのだ」

「あっちの方だと思うんだけどな」

 あらぬ方向を指さす。サントは大儀そうにうなずいて、白い息を吐き出し、石上の教えた場所へ移動しようとしたが、ふと思いなおしたように振り返った。

「ところで、その袋はなんだ」

「――あんまり教えたくないんだけど」

「では、中身をあらためるだけだ」

 サントが冗談を言っている表情ではなかったので、石上はあわてて背中にある袋を遠ざけた。

「なぜ隠すのだ」

「……いいたかなかったんだが、この中にはくすねてきたばかりのおやつが入ってんだよ。見逃してくれ」

「……ほう」とサントは目を細めた。「またずいぶんと大量に盗んできたものだな」

「腹が減っては戦ができぬっていうことわざが地球にはあってな。それに従って腹ごしらえをしようって算段だ」

「まあいい。そのくらいの量ならば兵糧に大きな影響はないだろうしな。ただし、今度からは料理番にしっかり報告するのだぞ」

「わかったよ」

 孫にでも説教を垂れるような雰囲気で小言をのべてから、ようやくサントは待っているはずのないかぐやの姿を求めて行ってしまった。

 石上は安堵のため息をつくと、袋の中に入ったかぐやに話しかけた。

「危なかったな」

「中途半端な嘘をつきおって。もうちょっとマシなことは考えられなかったのか、この阿呆」

「うるせえ、こっちだって焦ってたんだよ。まさかサントのおっさんにばったり遭遇するなんて思ってなかったからな」

 何台ものジープが整然と規則正しく並べられている。

 その一角にとめられた豪勢なジープのそばで、ひとりの老人が姿勢よく待機していた。石上が彼に近づくと、慣れた動作でドアを開け、石上とかぐやを招き入れた。

 車内は大柄な勇者にとっては若干、狭苦しかったが、我慢できないほどではなかった。長時間の運転になれば身体の節々が痛みそうだ、と石上は思った。

 かぐやを包んでいる布の結び目をほどくと、さなぎの殻をやぶったばかりの蝶のように疲れた様子で出てきた。髪は乱れ、衣服にも皺がついている。かぐやはいきなり怒ったように石上の頭をはたいた。

「もう少し丁寧に扱わぬか。おかげで全身が骨折しそうだったぞ」

「してねえんだから、文句いってんじゃねえよ」

「それはわたしの骨が丈夫だからだ。三山村にいる間、養生のためだといってやたらと魚を食べさせられたからな。骨がつよくなるそうだぞ、あれは」

 とどまることを知らない文句を垂れていると、ようやく運転手の老人の存在に気がついたようで、かぐやは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ザリアまで連れて行ってくれるのか」

「石上様のお頼みですので――。ルア様はご心配なさらずに、お座りになっていてください」

「頼むぞ」

 かぐやはラングネ城から乗ってきたジープの後部座席にもたれかかると、向かい合っている石上を邪魔そうに手で払った。どうやら前の景色が見えないからどけということらしい。石上は眉をひそめたが、渋々と座席に寝転がった。身体を伸ばしきるだけの幅はなかったので、くの字に腰を折っている。

 にわかに外が騒々しくなって来た。

 おそらくかぐやの脱走が発覚したのだろう。サントが真っ先にここを目指してくるのはわかっていたから、かぐやは運転手の老人をせかした。

 慇懃にうなずいて、老人がエンジンをかける。

 姫と勇者をのせたジープはゆっくりと駆動すると、アリストスの首都ザリアへハンドルを切った。喧騒のなか、静かに走り抜けていくジープの後ろには、何者の追跡もなかった。


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