交渉
国王がかぐやの知っているような温厚な性格をした老人ではなく、まったく別な人物におきかわっていると知れたはいいものの大伴御行にそれを伝える手段はなかった。
頼みの石上は砦の内部で奮戦している途中だし、炎を打ち上げようとすれば間違いなく目の前の男に刺されて死ぬだろう。もとより死はいとわないつもりでいたが一縷の望みがあるのを察知してからは無下に命を捨てる必要性を感じなくなっていた。
天から伸びる一筋の糸にすがるように、大伴御行は生きる術を手繰り寄せる。
「田村、あなたは前代の国王がどのような人であったか聞いていますか」
「まったくなにも。王は僕に見聞の自由を与えてはくれませんでしたから、アリストスのことといえどあまり詳しくは存じないのです。必要最低限のことだけ一方的に教えられました」
「では、いつ頃からいまの国王になったかということは」
「この戦争がはじまる半年ほど前のことだと言っておりました。僕の手に入れている数少ない情報のひとつです」
「……なぜアリストス国王は首都から出てこようとしないのですか。ラングネの統治だって部下に任せていた、敵国に足を踏み入れるのが領主の常というものでしょう」
大伴御行は質問しながらも、同時に様々な事実を線でつなぎ、背後にある大きな真実を見透かそうと躍起になっていた。いまは情報を整理しなければならない時間だ。そのためにも会話を少しでも引きのばさなければ。
田村のほうも戦闘をはじめるつもりはないらしく、大伴御行の思惑を組みとっているのかそうでないのか、話をやめようとはしなかった。
「あの人は冷酷ですが、とても臆病な人間なのです。天皇陛下は同じように冷酷なお方でしたが臆病ではなかった。だれも彼に逆らう者はいないと確信していたからです――あなたたちを除いては」
「いったい何を恐れているというのですか。私たちの力ですか、それとも身内の人間ですか」
「僕にはわかりません。ただ彼はあらゆるものを怖がっているように感じられました。たとえ僕でさえも、まったく信用していないようでした。それはたぶん彼のやり方がいけなかったのでしょう」
「人を騙し、脅迫し、利用するやり口ではどんな仲間も信頼も築くことは不可能ですからね」
「ええ。いまも僕に監視がついているはずです。いざとなればすぐさま首都へ連絡し、僕の家族を抹殺しろと伝えるための憎い人間が。こちらの世界ではどうやら僕らのあずかり知れない奇術が発達しているようでございますね」
「こちらでも根本的な感情は変わっていません」大伴御行は語調を強めた。「あなたが家族を救いたいという気持ちも、私は痛いほど理解できます」
「わかるだけでは、なんの慰めにもなりませんよ」
「――あなたの能力を教えてくれませんか。それ次第では解決の糸口が見えるかもしれない」
田村は驚いたように眉を上げたが、腰に下げた日本刀の切っ先を愛撫するように指を這わせた。
黒いひもの巻きつけられた柄に白銀色をした刀身が美しく映えている。どこにあったものかは知れぬが当代一の刀匠が製造したものに間違いないだろう。
いや、古代人の技術ならばあれくらいの刀などたやすく作れてしまうのかもしれない。
「僕は本当は槍のほうが得意だったんですけどね」田村はかすれた声でつぶやきながら切っ先を地面に突き刺した。その瞬間、まるで雷でも落ちたかのような突風が巻き起こり、大伴御行の小柄な体を吹き飛ばそうとした。
不意の衝撃に体勢を崩されながらもとっさに膝をついてなんとかこらえると、砂塵の止んだ向こうには田村が平然と立っていた。
突き刺した剣の先端から地面がひび割れている。
田村の足元から続く地割れは大伴御行のすぐそばにまで迫っていた。
「これが僕の忌々しい能力ですよ、あなたに比べたら大したことはありませんが」
「――あなた自身の力なのですか、それとも……」
「大伴様もご存知でしょう。この道具がなければ僕らはほんの無力な人間だ。勇者でもなんでもない。結局は古代人とやらの都合につきあわされ思うがままに操られているだけなんですよ」
「彼らはこの星を守るために自らの故郷を捨て、技術を放棄したと聞きました。すべてを失ってもなお、私たちを縛りつけるのでしょうか――そうは思いませんが」
「あなたと僕とでは決定的に立場が違うんですよ」田村は苛立ったように地面から剣を引き抜いた。ほんの軽い力で振るっただけでも冬の海風のような強い勢いがおそってくる。
大伴御行の背後にいる兵士たちはそれぞれに身構えてはいたが、顔には恐怖の色が浮かんでいた。剣をつかんだまま微動だにできないでいる。いまにも叫んで逃げ出してしまいたいといったような表情だった。
田村の剣の威力を見せ付けられながらも懸命に顔をそむけず、ふたりの勇者たちの行方を見守ろうとする姿は健気だったが、同時に頼もしく感じられた。
「僕の何がいけないっていうんですか。あなたたちは己の目的に向かって突き進んでいるというのに僕は手足を縛られ、首元に剣をつきつけられながら戦わなければならない。こんなの、あんまりだ」
田村の悲痛な叫びを聞きつつも大伴御行は注意をほかの場所へ向けていた。
敵の伏兵はいないか、うしろにいる兵士たちは無事か、そして田村の周囲を念入りに感知する。その様子に気づくことなく田村は剣をまっすぐにつきだした。
途端に砂嵐が巻き上げられ、大伴御行の伸びた髪をさらっていこうとする。
土臭い匂いが鼻をついた。
「身分の違いならいくらでも我慢がついた。でも、これはあんまりに不公平です」
「ええ、どうにかしなければいけません。あなたに責任はひとつもない」
「どうしようもないんですよ」田村は今にも泣きそうな声だった。「あなたと戦うのはこれで二度目になります。そういう定めだったと覚悟してください」
大伴御行は答えない。
それを見て田村は諦めたように剣を構えると、ゆっくり距離をつめはじめた。一部の隙もない構え。なんでもないように足を運びながらも、いつでも非常事態に対応できるよう重心を低くしているのが感じ取れた。
さすがは天皇の親衛隊だな、と大伴御行はひそかに感心する。京都一の武芸ものには違いないだろう。本人は槍のほうが得意だといっていたが、剣でも充分すぎるほどの脅威となっていた。
田村の足が踏み出されるのに合わせて引きさがりたいところだが、それをぐっとこらえる。
その代りに、弧を描くようにして位置関係を調整する。自然になるように、怪しまれないように。
「田村、ひとつだけ聞いてもいいですか」
「辞世の句を考える時間くらいは猶予しますよ」
田村の目にはなまくら刀のような殺気がこもっていた。わずかに剣が揺れるたび新たな風が生まれた。
「あなたの見張りが解けたら、私たちの仲間になってくれませんか」
「……それはどういうことです」」
「約束してください。あなたを束縛する鉄鎖を焼き切れば、私たちに協力すると。私も約束します。あなたが力を貸してくれるなら、あなたとあなたの家族を必ず守り抜くと」
田村はじっと大伴御行の紅の両目を見つめていた。
まるで光を失った眼球から、わずかでも感情を読み取ろうというふうに。
「……信じても?」
「私は嘘をつくのは嫌いですからね」
その瞬間、大伴御行が小岩程度の青白い火球をつくりだすと間髪いれずに田村の身体に向かって射出した。不意をつかれとっさに横っとびで攻撃を避けると田村は鋭い睨みを送る。
爆発音が田村のはるか後方でとどろいた。青白い火柱がこうこうと直立しているのが見えた。
「なにをするか!」
怒鳴りつける田村。彼の額には青筋がくっきりと浮き出ていた。
「この卑怯者め! そんなことをせずに堂々と戦ったらどうだ!」
「すみませんね。騙すほかに方法がなかったものですから」
「こうなればもはや加減するつもりはない、一刀のもとに叩ききってくれる」
「地球のことわざに曰く、敵を騙すにはまず味方からってね」
その言葉で真相を悟った田村は驚いたように、大伴御行が先ほど炎を放った場所をかえりみた。焦げて黒ずんだ地面の上に人影が倒れている。
距離が離れているために生死までは判別できなかったが、すくなくともその背中に背負っている通信機器は破壊されたようだった。風に乗って煙の匂いが運ばれてくる。田村は構えかけた剣をおろした。
「――まったく気付きませんでしたよ」
「いったでしょう、私は嘘をつくのが嫌いだと。あなたの見張りはこれで偶然戦闘不能になってしまった。いまならあなたを監視する人はいません」
大伴御行は「偶然」という言葉を強調していった。
田村は剣をおさめたが、それでもなにか踏ん切りがつかないようにせわしなく喉元をなでていた。周囲にアリストス兵の姿はなく、横手にゆっくりと巨大な城門が開いてのが感じられた。
「ひとまずゆっくり話せる状況になりましたね」
「……ええ」
「まだ私を信用できませんか」
大伴御行が冗談半分といった口調で探りを入れた。
すでに臨戦態勢をといているので肩の力は抜けていたが、それでも警戒は怠っていなかった。
「いえ、そういうわけではなく」
「それでは?」
「見張りがいなくなったのは幸いなのですが僕がしくじったとなれば人質に取られている家族がひどい目にあうのではないかと思いまして、それで」
「いまのアリストス国王の言動から推測するに、おそらくそうするでしょう」
「では――」
「私を倒してください。それなら、問題ないでしょう」
大伴御行は、にっこりと恋人に向けるような笑顔を見せた。
開ききった城門を我がもの顔でくぐり抜けていく石上の両肩には気絶してぐったりと脱力したふたりの男が載せられている。片方は若い技術者で、もう片方は小太りの高官だ。それぞれアリストスの黒い軍服を着ていたが、動く気配はなく、石上の歩調に合わせて上下に揺れていた。
全開の城門は再起動に時間がかかるため、ラングネ軍が突入するまでの時間は充分にあるだろう。
それまでにサントのいる場所へと戻り、いまあったことをすべて話してしまわなければいけない。敵方にも勇者がいるということ、そして大伴御行が取り残されているということを。
「急がねえとな――」
境界線をまたぐとともに石上はペースを変え、一直線にラングネの本陣へ向かって駆けだした。
荒野ばかりで見晴らしのいい地形のかなり離れた場所にサントはいるはずだ。そして連絡がしっかり行きとどいていれば、今ごろは異常事態を聞きつけ軍を移動させているかもしれない。
サントのことだ、きっと適切な処置をとっているにちがいない。
来るか来ないか賭けてみようぜ、といいかけて勝負の相手がいないことに今更気がついた。あるべき姿がそこにはなかった。