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石作皇子

 ひと月が経ち、最初に翁の家を訪れたのは石作皇子であった。

 その頃になってもかぐやの人気は衰えず、訪問者の数はかえって増えているほどだった。村人たちは村を訪れる人々が金を落としていってくれるとあって、農作業もそこそこにお祭り騒ぎのような状態だった。

 宝をもとめて旅に出ていった五人からは定期的に文が届いていたが、かぐやはほとんど読まずに放置していた。おかげで、貴重な和紙を焼いて捨ててしまう始末だった。

「やあ――お望み通り、仏の御石の鉢だ」

 にやにやと笑みを浮かべている石作皇子は相変わらずの好色な男子といった感じで、その日は紫色の着物を着ていた。

 黒い烏帽子がいやに高く見える。

「さて、約束は約束だ。さっそくかぐやに合わせてもらおうか」

 自信満々に差し出された鉢は、透明にきらめいていて、まさに宝物と呼ぶべきものだった。

 六角形の面に切り取られているガラス作りの鉢で、傷ひとつなく、表面は陽を受けてきらきら光っている。それはかぐやにもらった宝玉にも似た輝きを放っていた。

 翁は鉢をしげしげと眺める。

「釈迦の使ったという仏の御石の鉢だ。はるばる唐の天竺にまで出向いて手に入れたものだからね、壊さないように気をつけてくれたまえよ」

 嫌味っぽく言ってのける。

 翁はしばらく無表情で鉢のなかを見つめていたが「少しお待ちください」といって古びた家屋のなかへ入っていった。

 石作皇子を取り囲んだ野次馬たちにどよめきが走る。

 いよいよ待望のかぐやが登場するのだろうかという期待から、その場は異様な興奮に包まれはじめる。あれほど姿をあらわさぬのだからかぐやは翁の虚言だったのではないかと疑うものも少なからずいたのもあって、翁がふたたびもどって来るまでにどよめきは一層大きくなっていた。

 しわの目立つ表情をきりりと引き締め、翁は高々と仏の御石の鉢を掲げた。

「この鉢は偽物である!」

 よく響く声が三山村の空気をつらぬいた。

 石作皇子を真正面からにらみつけながら続ける。

「これは唐の天竺のものなどではない。まったくの偽物である。よってかぐや様と面会することはかなわないどころか、お引き取り願おう」

「……言ってくれるじゃないか下民が。なんの証拠があってはるばる釈迦の使ったという鉢を取りよせてないというんだい」

 その声はかわらず高かったが、そのなかには戦慄を与えるような高圧的な色が混じっている。頬が小刻みに震え、耳は怒りのためか赤く染まっている。

「本物の仏の御石の鉢ならば光り輝くはずである。それがないというのが偽物の証」

「その話こそ疑わしいね。かぐやと会わせたくなくて適当な出まかせを吐いているだけじゃないのかい。それとも会わせられない理由でもあるのか?」

「かぐや様は嘘吐きの悪人と面会されることはない」

「――いい加減にしろよ農民風情が!」

 吠えるように石作皇子が翁を怒鳴りつける。聞いているだけで鳥肌が立つような迫力だった。今までかろうじで保ってきた冷淡な表情は見る影もなく、ただただ憤怒に染まっている。

 護衛の屈強な男たちが翁へ向けて槍を構える。突きつけられた先端はよく磨かれていて、たった一突きで翁のはかない命は簡単に奪われてしまうだろうというのはすぐにわかった。

「調子に乗っていられるのもここまでだ。即刻そこをどけ。かぐやを引き渡せば命だけは助けてやる」

 痛いほどの静寂のなか、翁が口を開くまでのわずかな時間でさえとてつもなく長く感じられた。

「承知できませぬ」

「これが最後だ。次はない」

 何本もの槍が翁の喉元と細い体躯に突きつけられる。取り囲んだ群衆のなかからひっという悲鳴が漏れた。誰も翁を助けに行こうとはしなかった。

 第一、農民の立場で都の上流階級の人々とまともに向かいあっていることからしておかしいのだ。いくらかぐやの保護者という立場にあるとはいえ、常軌を逸した行為であることは誰もが気づいていた。本当ならば無礼な口を聞いただけで殺されてもおかしくはない。

 そして、誰も殺されたくはなかった。下手をすれば三山村自体がなくなるかもしれないということさえ、薄うす思われた。

「できませぬ」

「死にたいか」

「できませぬ」

「老体に免じて苦しまないように殺してやる。やれ」

 矛先鋭い槍が一斉に引かれたその瞬間「やめよ」という凛とした声が、その澄んだ響きとは不似合いなぼろの家から届いてきた。石作皇子の手下たちの動きが硬直したように止まり、なかから嫗とともに現れた美しい女性に視線が釘付けになる。

 流れるような黒髪と、透きとおるように白い肌。

 誰もが息をのんでかぐやの登場を凝視していた。ゆっくりとした、だが気品のある動きでかぐやは翁のとなりに立った。

「武器を控えよ」

 命令されるままにあわてて護衛たちは槍をおろし、石作皇子のもとへ帰っていく。その途中にもかぐやから目を離すことができないといったように、うしろを向きながら歩いていた。

「さて」

 といって、かぐやは石作皇子へ向きなおった。

 石作皇子は唇をきつく噛みしめながら、切れ長な眼を大きく見開いていた。

「このような見るに堪えぬ非礼、なにをもってそうしたのか」

 詰問するような口調でかぐやは、一歩前へ進み出た。

 先ほどとは違った意味での静寂があたりを包みこんでいる。普段は三方を囲む山から吹き下ろしている風さえもかぐやの壮麗さに息をひそめているかのように黙りこくっていた。

「こたえよ。我が恩人である翁にこのような非道の行為をしたこと、どのように詫びるつもりか」

「――美しい」

 石作皇子は夢見るような口調で言った。

「実に美しい。今まで幾人もの女と出会っては来たが、これほどまでに美しい女ははじめてだ。素晴らしい。そして、ぜひとも手に入れたい」

「妄想は口先にとどめておけ」

 かぐやが冷たく言い放つ。

「君はこれから僕の妻になるんだ。これ以上にうれしいことはないね。さあ、いっしょに行こうか」

「ふざけるな」

「大真面目だ。君こそ約束のものをもってきたわりには冷たすぎる態度じゃないか」

「それは偽物だ」

 かぐやは翁からガラス製の鉢を取り上げると、山の稜線にかくれようとしている太陽に向かって差し出した。きらきらと光が反射する。

「本物ならば子のようなただの石でできた鉢であるはずがない。すくなくとも自ら光り輝くくらいのことはあるだろう――それに、貴様がこの鉢を手にしてなんの反応もなかったのであれば、わたしは貴様に用はない」

「反応とは、どういう意味だい?」

「そのままの話だ。宝は持ち主を選ぶ。貴様はそれに値しない器量の小さな男だということだ」

「値しない? 君は僕を誰だと思っている」

「女に求められた宝ひとつ満足にとって来られぬ弱虫小僧であろう。それとも地位と身分にものを言わせて色欲にうつつをぬかすただの愚か者か。どちらにせよ、貴様などに興味はない」

「まさかここまで生意気な女がいるとはね」

 石作皇子は、大きく息を吐きだした。

「仕方ない。僕の言うことが素直に聞けないというなら、強引にでも連れて帰ることにしよう。自分でも木の長いほうだとは思っていたがもう我慢できない。かぐや、君は僕のものだ」

「この大馬鹿が」

「何といわれようとかまわないさ。どちらにせよ、君は僕に屈することになる」

 石作皇子の鋭い号令で、いままで呆けたようにかぐやをながめていた護衛の男たちがぞろぞろとかぐやのまわりを包囲する。さきほど翁を仕留めそこなったことに腹を立てているのか鼻息が荒い。

 かぐやは自分の周囲にはちらりとも目を向けず、ひとえに石作皇子の涼やかな瞳を睨みつけている。

 口元にうすら笑いを浮かべたまま石作皇子はかぐやに背を向け、用意された絢爛な駕籠のなかへ乗りこんだ。

 その横には、もうひとつ、無人の駕籠がおかれている。

「邪魔なやつらもいないことだ。僕が最初に宝を見つけ、かぐやを京都に連れ帰った。宝と美しい姫君を狙った山賊にでも襲われたことにして村は壊滅、僕は心を痛ませるかぐやとともに暮らす。そんな筋書きで十分だろう」

 石作皇子が駕籠から顔をのぞかせていった。

「ふざけるな」

「冗談でもなんでもない。武器ももたない能なしの農民を殺すことくらいなんでもないんだからさ。――さて、逃げられても面倒だ。そろそろ始めようか」

「お待ちくだされ!」

 一声とともにかぐやの前へ立ちふさがったのは翁だった。体が小刻みに震え、顔色は月夜のように青ざめている。翁は、膝を折ると、額をこれでもかというばかり地面にこすりつけた。

「この通りでございます。どうか村人とかぐや様だけはお助けくだされ。この老体はどうなっても構いませぬ」

「私からも、どうか、お願いいたします」

 嫗も同じように平伏しながら、ぽろぽろと涙を流している。

 乾いた地面を大粒の涙が濡らしていった。

「僕はさっきも考慮の余地を与えた。それを断ったのは君たちだ。それなのにまだ許せというのかい?」

「――お願いします!」

 ふたりの哀願は石作皇子の耳には届いたが、それまでだった。

「……自分の決断を恨みながら死ね」

「まて!」

 声を張り上げたのはかぐやだった。首元には、いつの間にとりだしたのか自ら短刀を突き付けている。その刀は夕日に反射しており、なまくらではないことは明確だった。

「なりません、かぐや様!」

「この者たち、および村人に手を出せばわたしはここで首を掻っ切って死んでやろう。貴様はせいぜいわたしの亡骸でも抱えて都に帰るがよい」

「そんな度胸があるのかい?」

 挑発するように石作皇子はいったが、その声はこわばっていた。

「嘘だと思うなら試してみればいい」

「…………」

「…………」

 翁と嫗のすすり泣く音だけが聞こえている。

 石作皇子とかぐやが憎しみにも似た視線をぶつけあっている時間は、本来の何倍も長く感じられる。逃げ出さないように槍を向けられている三山村の村民たちでさえひとりも言葉を発しなかった。

「さあ、どうした。臆したのか」

 仏の御石の鉢を片手に、もう片方の手には鋭利な刃物をもち、かぐやは石作皇子のほうへ足を踏み出す。眼をそむけることなく静かに足を進めていく姿からは本気の決意がありありとうかがえた。

「そうだろうな。自分の手で宝を得ることもできず、適当な代品で済まそうという小汚い方法を使うような男にそのような度胸があるはずがない。わたしが欲しいのだったらそれなりの覚悟を示してみろ」

 石作皇子までの距離はわずか十歩ほどにまで縮まる。

「わたしが探しているのはそのような軟弱ものなどではない。一国を救うことのできる勇者だ。その決意なきものならば即刻帰るがいい」

 そして、石作皇子の目の前に顔をぐいと寄せた。

「どうする?」

「……ち」枝を折ったような舌打ちをして、石作皇子は駕籠のすだれをおろし、「行け。こいつらには手をだすな」と大勢の供のものに指示した。

 今かいまかと槍を構えていた屈強な男たちが、あわてて隊形を組みなおし石作皇子を中心にして都の方角へ動きはじめる。

 餌に群がる蟻の行列のような速さで行列が去っていってしまうと、ようやく緊張が解けたように三山村の住人たちからすすり泣きや歓声があふれ出た。彼らは翁の家にまわりに集まると、お祭り騒ぎのようにはしゃぎまわった。極度の緊張から解放された反動で、馬鹿みたいに踊っては歌い、だれが持ってきたのかとっておきの酒がふるまわれた。

「――大丈夫か」

 かぐやが、腰のぬけた翁と嫗に優しく声をかける。嫗はまるで赤子のようにむせび泣いていた。

「無茶をしたものだ。しょせんは他人の命であろうに」

「わ、私などよりもかぐや様のほうが滅茶苦茶なことを……。もしものことがあったらどうなるかと、気が気でなりませんでした」

「あいつは根性無しだ。どうせなにもできやしないさ」

「そんなこといっても……」

「これ、年甲斐もなく泣くな。みっともないぞ」

 翁が嫗をたしなめるが、自分の声がどうしようもなく震えているのをおさえられていなかった。

「ふたりとも無理をしすぎだ。今夜はゆっくり休むがいい」

「ですが、かぐや様は……」

「わたしは問題ない。これくらいのことで動じていては国を救済することなどできぬからな。それに――」と、かぐやは酔っ払ったように浮かれている村人たちを見やる。「彼らをねぎらってやらなければならない。迷惑をかけたが、よく我慢してくれたものだ」

「そんなことまでなさるのですか」

 翁が心底、感嘆した口調でうなるとかぐやは、

「当たり前だ。わたしは月の国の姫だぞ」

 と胸を張ってこたえ、夜の空に上りはじめた銀色の月を見上げた。



 石作皇子が三山村を退去してからふた月が経った。

 次にかぐやのもとへやって来たのは車持皇子くらもちのみこだったが、かれの持ってきた蓬莱の珠の枝もまた偽物であった。東方海上にあるという蓬莱の珠の枝を、はるばる海を渡って発見したと車持皇子は説明した。

 根は銀、茎が金で、実は真珠で構成されている木の枝は、たしかに一級品のようだった。

 しかし、よく出来た贋作ではあったが、車持皇子が宝を手中にしてもなんの変化も起こらないのと、偽物を作るために雇われていた職人たちが賃金を支払われていないということで訴えに来たことが決め手となって、かれはしずしずと三山村を去っていった。

 かぐやは偽物を作らされた職人たちを憐れんで、車持皇子の代わりに報酬を払った。匠たちはかぐやの寛大な心遣いに感謝しながら自分たちの職場へと帰っていった。

 唐の商人から購入したという火鼠のかわごろもを持参して来たのは右大臣である阿部御主人あべのうみしであった。

 火鼠の裘は火をつけても燃えないという内容の宝物であったが、試しに燃やしてみたところあとかたもなく消し炭にかわってしまったため、大変に意気消沈して都へ帰還していった。

 かぐやはひと言、「なんとも哀れなやつだな」とつぶやいたきり、何事もなかったように元の生活にもどった。

 そんなある日、一枚の和歌が届いた。宛名を見ると、石作皇子と書いてあった。

「……なんと書いてあるのでございますか」

 翁がなかば呆れながら尋ねる。かぐやはしばらく文字とにらめっこをしていたが、やがて腹をかかえて笑いだした。

「鉢を捨てても頼まるるかな、だと」

「恥を、捨てたのでございましょう」

 明るい笑い声が、粗末な小屋の中に響いた。


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