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三人目の勇者

 荒野の向こうからひとり足取り重く向かって来る人影を感じたのは、大伴御行が最初だった。先頭に立ってラングネ兵たちを死地から救いだそうという試みの希望は薄く、石上が運よく壁の向こう側へ逃げてくれれば降伏しても構わないとさえ考えていた。

 ここで無下に命を散らすことには何の価値もない。

 少なくとも兵士たちの命だけは守ることができるだろう。自分の身は交渉の材料に使われるか、はたまた見せしめとして殺されるか、どちらにせよ助かることはない。

 かぐやとともに月へ戦いに来てからいつ死んでもいいような覚悟はしてきた。天皇との死闘でも、反乱軍のアジトで絶体絶命の籠城戦を行ったときも、ラングネ城に潜入したときも、死は隣合わせだった。さらにさかのぼれば、竜王と出会って紅の瞳を手に入れるときでさえ、最期を感じずにはいられなかった。

 そうして蜘蛛の糸をつなぐように保ってきた命だが、かぐやのために捨てるのならばなんの躊躇もなかった。

 このまま死ねばラングネの復興が危うくなるのが残念だが、石上だけでもいればどうにかなるだろう。それならば、せめて兵士たちの命と家族は救ってやりたい。

「……来たか」

 病人のような青い気配でもなく、血の気に走った赤い気配でもなく、黄金に輝く気配は石上のものとまったく同じだった。大伴御行とさほど変わらぬ身長の男がゆっくりと歩み寄ってきていた。

 視力を失う前に好きだった、かがり火の炎とよく似ている。

 次から次へと、弾けるように黄金の火が身体から立ちのぼっているのだ。大伴御行は後ろにつき従っているラングネ兵士たちをその場にとどめると、単身その男のほうへ歩を進めた。

「…………」

「…………」

 両者とも、言葉を発しようとしない。

 お互いの気配を探り合うように沈黙の時間が流れていき、風がふたりの間をからかうように滑った。先に口を開いたのは大伴御行のほうだった。

「あなたは、何者ですか。私たちと敵対する存在ですか」

「……それは貴殿がいちばん知っていることでしょう」

 聞きなれた都訛りのねっとりとした発音。

 間違いない。この男は地球、それも京都からやってきている。

「あなたはいつ月にやって来られたのですか。――なぜ、アリストスに組するのですか」

「そちらの事情も把握しているつもりです。一方的な侵略に大義名分はなく、こちら側に非があるのは認めましょう。しかしそれもせんなきこと。僕には関係ありません」

「あなたは都の人間――それも、かなりの身分の方だとお見受けします」

「そんなもんじゃありませんよ」と男は自嘲気味に笑った。「あなたみたいな人の下っ端ですから」

「貴族ではないのですね」

「ほとんどそのようなものですが、違います」

「――なるほど、察しがつきました」

 大伴御行が数度うなずく。

「陛下の警護兵というところでしょう。それならば訛りがあるのにも納得できる」

「さすがですね。噂にたがわず聡明なお方だ」

「すでにご存じのようですが、ここはあえて名乗らせていただきましょう。私は大納言大伴御行、いまはラングネ国の勇者です」

「僕は、しがない衛兵ですから――田村、とでもお呼びください」

「では田村、あなたはどうして月に来たのですか。陛下の側近ならば待遇に不満はなかったでしょう」

「ええ。僕はなにひとつ不自由のない満足な生活を送っていました」田村と名乗った男は、寂しげに地面の小石を蹴った。「こんなところ、来たくはなかった」

 田村はどこか悟ったような雰囲気をまとっていて、風に吹かれれば消えてしまいそうなくらい覇気が感じられなかった。長年のきびしい修行を乗り越えてきた坊さんが、仏などいないと気付いたときのような生気のない表情だった。彼のまとっているオーラとはまるで正反対なのが不思議に感じられる。

 服装はアリストスでもらったものなのだろう、赤を基調とした動きやすい軽い着物をまとっている。こころなしか地球の衣服と似ているようだった。

 貴族がまとうような高級なものではなく、その従者が来ているような安っぽい服だ。

「理由を聞いてもいいですか」

 なんだか少し申し訳ないような感じがして、大伴御行は質問するのをためらった。しかしそれは避けては通れない話題だとふたりともが気付いているようだった。

 田村は誰かに見張られていないか確認するように周囲をうかがうと、ひっそりと事情を話しはじめた。

「僕はあなたたちと陛下の戦いに参戦し、三山の頂上、陛下のおそばで一隻の船が空へと消え去っていくのを見ておりました。陛下はかぐや様を逃したことをたいそう悔しがり、しばらくはまるで御乱心なさったかのように奇行をくりかえしては、結局ふさぎこんで誰とも口を利かなくなってしまわれました。都では様々なうわさが飛び交いました。あることないこと、人の口にはとが立てられぬと申します。なにせ大納言様と中納言様が失踪し、陛下は狐にでも憑かれたかのように奇怪なことばかりなさっておりましたゆえ。京の都は大混乱でございました」

「……そうか、それは悪いことをしたな」

 大伴御行がつぶやく。

 京都に残された人々がどんな処遇を受けているのか、そんなことを考えている余裕は今までなかった。天皇に弓を向けた一族が、ふつうの暮らしを送れるはずもなかった。

 追放されどこかへき地へ飛ばされたか、それとも一族皆殺しにされたか。いずれにせよ無事ではいられまい。朝敵という汚名を晴らすのは不可能だ。

 それに加えて罪のない都の一般人にまで迷惑をかけてしまったのだから、大伴御行と石上は世間の邪魔もの以外の何でもない。大伴御行は胃の奥がしずむような罪悪感を覚えた。

「あなた様の家族はまっさきに陛下の怒りの矛先を向けられました。――詳しくお話ししましょうか?」

 田村が大伴御行の顔色をさぐるように訊いた。

 その口調には敵意も悪意もなく、井戸端で出会った友人同士が世間話をしているような気楽さばかりが目立った。そのなかにどこか浮かない響きがあるのを大伴御行は敏感に感じ取っていた。

「いや、遠慮しておきます。いまはそのことを聞くべき時ではないでしょうから」

「誰にだって耳をふさぎたい事実はあります、あまり気になさらないでください」田村はそこになにか大切なものが隠されているかのように後ろを振り返ったが、とくに目ぼしい発見はなかったようだった。

 彼には秘密がある、と大伴御行は確信した。それとも策略か、どちらにせよ注意を払わなければなるまい。

「陛下はその後、思い立ったように兵を集めると、富士の山に陣を張り、盛大にかがり火をたきました。僕もそれについて行きましたが狂気がかった命令でございました。何人かは頂上へと登ったきり帰ってきませんでした。冬にあの山へ昇ること自体が間違っていたのです」

「なにか目的があったのですか」

「『月に一番近いところへ行きたい』とのご要望でした。どれだけ高い山に足を運んだところで、月に届くすべはないと知ったのはもう少し後のことになりましたが」

「あなたも見たのですね、あの光景を」

 地球が徐々に小さくなっていくのを目の当たりにしたのはたった一度きりだったが、その時の絶景を生涯忘れることはできないだろう。

 田が、川が、山が、村が、米粒のように小さくなっていくのだ。

 天を飛ぶ鳥でさえ到達できないだろう高みから見下ろす地上はまるで異質なもので、いままでそこに生活の場を設けていたとさえ信じられなくなるほど雄大だった。

 同時に感じた、自分の無力感。

 人ひとりができることなど、あの広大な大地に比べればほんのちっぽけなものだ。かぐやが月を離れたときも同じように心細かったことだろう。宇宙とはそれだけ圧倒的であり、人は矮小な存在だった。

「ええ、できればもう一度見ることができればいいのですが」田村は諦めたような乾いた笑い声をあげた。

「地球に帰りたいのですか」

「あなたたちは愛するものを追って月にまで来たのでございましょう。それがどんなに幸福なことか」

「苦労は多いですけどね」と大伴御行はいった。「いまみたいに死地に立つことばかりです」

「うらやましい限りでございます」

「……あなたはいったい」

「家族を人質に取られています」と田村はつぶやいた。「僕の妻と、二人の子どもがアリストスにとらえられております。それさえなければこんな場所へ来たりはしません。こんな冷たい、荒れ果てたところには」

「やつらは地球にまで来たのですか?」

 大伴御行が驚きをともなった声で聞いた。

「得体のしれない刀を持って僕の家を訪れてきました。彼らは手当たり次第にその刀を見せつけては、その力を最大限に引き出せる者をさがしていたようです。残念なことにそれは僕でしたが」

「古代人の作りだした宝は、使用者を選びます。あなたもその適合者だったのでしょう」

「彼らは僕に、月へ来いといいました。僕はもちろん断りました。そのときに家族を理由に挙げてしまったのがすべての間違いでした。彼らはすぐさま家族を人質にとり、僕を脅しつけました。一緒に来なければ、殺すと」

「それで……」

「大伴様は天女伝説というのを耳にしたことがございますか」

 突然、田村が話題を変えて質問した。

「たしか羽衣をまとった天女が、天へと帰っていくという噂だったと思いますが。都にいたころ聞いた覚えがあります」

「その正体はアリストスです」田村の視線が鋭くなった。「彼らが以前、僕と同じように強引に勇者を連れて行こうとしたとき、それは女性だったそうです。結局彼女はこちら側に絶望して死んでしまったそうですが」

「それが天女伝説の真相ですか……。悲しいものですね」

「羽衣のように美しい着物が、彼女の力の源だったそうです。許嫁がいたのを無理やり連れて来られたので、たいそう地球を恋しがって空高く舞い上がり、亡骸となって落ちてきたと聞いております。僕の場合ははその時の教訓を生かしたのでしょうね」

「アリストスは地球の人間をなんだと思っているのですか、まるで武器かなにかのように扱って、死んだら次を運んでくる。まるで奴隷です」

「実際その通りなのですよ」田村はため息をついた。「僕がこの戦で功績を上げなければ子供のうち一人が殺されます。僕はただの駒にすぎません、子供は釣りの餌です」

「……戦うほかに手段はないのですか」

「正確にいえば、勝つ以外には、です。僕はただ家族が助かればいい。僕が死ねば用済みとなった家族はすぐさま廃棄されることでしょうね、わざわざ地球まで送り届けてくれるような親切な連中ではありませんから」

「ラングネで保護することもできます。もしあなたが望むならばですが」大伴御行が身を乗り出して提案した。「あなたの家族さえ逃がせれば、平気なのでしょう」

「僕の家族はいまアリストスの首都に軟禁されています。僕がここで負けるようなことがあったら、彼らは間違いなく子供を殺すでしょう。もう後がないことを示すためならどんな非道な手段でもためらわないはずです、とくにあの国王は」

「アリストス国王……」

 以前かぐやからアリストス国王とはどのような人物なのか話してもらったことがある。

 ラングネとアリストスは現在こそ交戦状態で険悪な関係に陥っているが、それまでは交流も盛んでしきりに両国王が対談の場を設けていたのだという。かぐやも何度かその会に同席し、アリストス国王を目にしていた。

 そのときの印象は温厚な老人で侵略戦争など引き起こすような人柄とは思えなかった、かぐやはいった。日だまりでのんびり昼寝をしていそうな穏やかな人物だと。

「彼になにがあったのか、田村殿はなにか聞いていませんか。かぐや様のいうところによれば極悪非道な行為をくりかえすような人物とはとても思えないのですが」

「見た目通りの凶悪な人間ですよ」と田村は吐き捨てた。「鬼か閻魔の使いか、どちらにせよ人ではないなにかです」

 大伴御行はあるひとつの可能性に行きあたっていた。

 ひょっとしたら重大な事実を知ろうとしているのかもしれない。この戦争を根幹から揺るがすような、決定的な真実を。

 乾いた唇を舌で濡らしてから、大伴御行は田村に向かって言葉を投げかけた。

「彼は――国王は、老人ですか?」

「若い男ですよ。僕よりも若い、冷たい瞳をした青年です」

 田村が嘘をついているようには感じられなかった。

 アリストス国王は誰も気づかぬうちに変わっていたのだ。この情報をすぐにでもラングネの本部に伝達しなければならない。ここへ来て初めて、大伴御行は石上を行かせてしまったことを後悔した。


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