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かぐや姫の憂鬱

「――レンリルが失踪した?」

「はい。懸命に捜索を行っておりますが、いぜんとして行方がつかめず……」

「ばか者。あやつにはあやつなりの考えがあって行動しているのだろう。ならば無理に探す必要性もあるまい」

「ですが、レンリル様がいらっしゃらないと何事もうまく働かないので……」

「そんなことでわたしに報告をするな。気ぜわしいだけだ」

「失礼いたしました」

 老け顔の拾者が静かに部屋を引きさがっていくのを見送ってから、かぐやは最近ずっと癖になっているベッドに顔をうずめながら、深呼吸をした。

 こうするといろんな匂いが感じられる。

 香水の匂い、シーツの香り、そして自分自身。どれもが染みついて離れないかのようだった。きっと舐めてみらたしょっぱいだろう。涙の味がいやというほどにじんでいるはずだった。

 天井を見上げていると、自然に涙がこぼれ落ちてきてしまいそうで、下ばかり見つめていた。真っ暗な視界はなにも与えてはくれなかったけれど、自分の涙を見なくてすむのがありがたかった。

「……レンリルか」

 いまごろどこでなにをしているのだろう。

 自分のために働いてくれているのはわかっていたが、その主君がこの有様では示しがつかない。むしろなにもしないでのんびりサボっていてほしいくらいだ。

 サントもレンリルも、石上も大伴御行も頑張って仕事をしていることだろう。

 そういえば今日はレンリルの考えだした作戦を決行する日だった。彼の提案した作戦ならきっとうまくいくだろう。

「……わたしはいったい何をしているのだろうな」

 ぼんやりと呟く。

 背負いきれないくらいの責務がのしかかってきているせいではなかった。あの失敗がいまだに尾を引きずっているのだ。自分でも馬鹿みたいだとは思うが、動き出そうとすると頭がやんわりとそれを拒絶して、ふたたびベッドに突っ伏してしまう。

 そうして一日があっという間に過ぎていくたび、さらに重たくなった背中が邪魔をした。

 このままズルズルと月日だけが経過していくのかもしれないと考えると、それだけで憂鬱になる。まだ若すぎたのだ、そう言い訳をしながら逃げるのには辟易していたけれど、現実に真正面から立ち向かっていくだけの勇気はなかった。

 結局、なにもしないという選択肢を決断したわけではなく、だらだらと選択をあと伸ばしにしているだけなのだ。

「レンリルも逃げ出したのかな」

 子どものようなところもある男だから、束縛されるのが嫌で仕事から逃走したのかもしれない。そうして脱け出してきて、わたしをさらってどこか遠くへ連れて行ってくれたらどれほど楽だろう。

 この、広いくせに窮屈な王城から、地球でもどこでも、レンリルと逃避行が出来るなら、それは楽しいことにちがいない。

 かぐやは部屋の隅にかけられた時計を見上げると、時間を確認したときいつもそうするように、深々とため息をついた。そろそろ侍女がドアをノックしにくる時間だ。

 そしてわたしは決まってこう答えるのだ。「あとにしてくれ」と。

 あとがいつになるのかはわからない。しようと思えば今だっていいのに。

 秒針がゼロを指すと同時に、律儀な音がドアを伝って響いてきた。分厚い材質で作られたドアはちょっとやそっとのノックでは音が貫通しない。金属の輪で、ドアを叩きつけるのだ。

 かぐやはのそのそと冬眠を間近に控えた亀のように緩慢な動きで毛布をはぐと、億劫そうな声を出した。

「あとにしてくれ」

 しかし、その陳腐な声が硬質のドアをくぐり抜けられるわけではなく、かぐやは仕方なくベッドから下りてノブを握った。冷え切った感触が伝わってくる。そういえば今日は朝からやけに冷え込んでいた。

 隙間が少しだけになるよう、慎重に腕を引くと、心配そうな顔をした侍女がのぞいていた。

「ルア様、おそれながら公務のお時間でございます……」

 いまにも消え入りそうな声だった。

 かぐやにいつ怒鳴り散らされるものかと怖がっているのだろう。しかし、彼女の予想に反して月の姫君はただ一言「あとにしてくれ」とつぶやくように告げた。

 ほっとしたのか、いくらか明るくなった声で

「失礼します」

 と一礼して侍女は深々と頭を下げたまま硬直した。きっとこのままドアを閉めなければ、下げた頭の裏でほくそ笑んでいる表情がぴったり張り付いたまま保存されるだろうな、と邪推する。

 かぐやは一瞬、ドアを開け放して侍女の顔をのぞきこみたい衝動にかられた。

 しかし悪戯心とは裏腹に、部屋と廊下をつなぐ扉は閉じられた。

「――クレアだったらなんというかな」

 ふかふかのベッドのふちに腰かけ、絨毯の毛並みをながめながら妄想する。

 きっと厳しく叱られていたことだろう。国王のように。

 その時、先ほどふさがれたばかりの入口が、勢いよく開かれた。見たことのない顔をした男が、息せき切って部屋に走りこんできた。

「なんだ、貴様は」

 かぐやがぶっきらぼうに尋ねる。

 男の服装はラングネの黒い軍服で、どうやらかぐやの命を狙いに来た刺客ではないようだった。それに男の顔立ちはどこか幼く、殺気もまるで感じられなかった。

「さ、サント様からの伝令でございます」

「サントの? 作戦はまだ始まったばかりだろう」

「それが、失敗したのでございます」

「どういうことだ説明しろ」

 かぐやの表情が一気に厳しいものへ変わる。

「お二人の勇者様は一隊を率いて、作戦通りトンネルへと入っていかれましたが、その後すぐにアリストス軍による封鎖が行われ、敵地にて孤立している状況です。連絡はとれず苦戦しているとのことでした」

「トンネルの状態は」

「アリストス側から大量の土砂と水が投入され、まともに進めるものではありません。現在、懸命に掘削作業を行ってはいますが、いかんせんはかどらず……」

「石上と大伴は無事なのか」まくしたてるように訊く。「彼等を失えばラングネの反撃は成立せぬぞ」

「大伴御行様の炎が上空に打ち上げられていたとの報告が入っておりますので、いまのところは無事かと」

「そうか……よかった」

 かぐやは肩の力を抜いて、伝令の男を上から下まで観察した。

 黒い軍服はどこにも汚れた様子はなく、どうやら新品同然のようだった。それに若い。まだ新任というものだろう。

「ところで、君はどこの所属だ」

「連絡部であります」

「それなら城の地下で働いているのだな、見かけたことはなかったが」

 連絡部はその名の通り、各隊の連絡を受け持つ機関のことである。古代人の残した機械の扱いに特化している者が選抜され、一秒たりとも連絡が途切れないようローテーションでモニターの前に座っている。

 以前は城の最上階にあったものだが、かぐやの提案によって地下へと移されていた。

 そのほうが広大なスペースを確保できるためだ。アリストス軍の動静を逐一監視するためには、情報の伝達施設が欠かせなかった。

「はい、先日配属されたばかりでございます」

「そうか。さぞかし優秀なのだろうな」

「いえ、それほどでも」

 照れくさそうに鼻の下をかいている。

 かぐやはその男がレンリルと同じくらいの年であるのに気がついた。

「また報告があったらすぐに伝えてくれ」

「はい」

「ルア様!」

 顔を青ざめさせた中年の男が大声をあげて飛び込んできた。こんどはなんの知らせかとかぐやが腰を浮かせると、中年は若者の頭を思いきりはたいた。

「なにをしているのだ」

「申し訳ございません」

 若い男の襟首をつかんでいっしょに平伏する。

 黒いくたびれた軍服はお揃いで、おそらくは彼の上司なのだろうとかぐやは思った。

「この者が大変なご無礼を働きまして……」

「どういうことだ」

「なにか失礼をいたさなかったでしょうか」

 その後もくどくどと言い訳をならべる男の話を要約すると、つまるところ手違いでかぐやのところへ届くはずのない情報を運んできてしまったらしい。

 本来ならばかぐやに報告する予定ではなかったのだが、新米の男がはやとちりをしてかぐやの部屋へ飛び込んで来てしまったのだ。

 それに気づいて慌てて謝りに来たのだという。

「なんとも滑稽な話だな」かぐやが笑いながらいった。「――だが、なぜわたしに隠しておく必要がある」

「それは……」

 中年が言いよどむ。

「ルア様の御機嫌がよろしくないとのことでしたので」

「馬鹿者」

 小声で怒鳴りつけるが、隠し切れていなかった。

 かぐやは中年の兵士へ目を向けると、口を開いた。

「まあ、許してやれ。わたしに免じてだ」

「は、はい。申し訳ございません」

「いい。むしろ褒美をやりたいくらいだ」

「……どういうことでございましょう」

「いい機会になった」かぐやはベッドから立ち上がると、腕を勢い良く伸ばした。「わたしの復活の頃あいだ。あやつらばかりに苦しい想いをさせるわけにはいかぬからな」

 ふたりの黒服を着た兵士たちは不思議そうにお互いの顔を見合わせ、首をひねったのだった。


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