裏切り
轟音とともに大穴が穿たれると、暗かったトンネルに日の光が差し込み、石上のすすけた顔を照らしだした。冷たい空気が開けたばかりの入り口を通って流れ込んでくる。
「もう少し静かに行動できないんですか」
なかば呆れた口調で大伴御行がたしなめる。
穴の外に出ると、後方に大きな壁がそびえたっているのが感じられた。砦の背後、かなりの距離を掘っていたらしい。どうやら長くつくりすぎたな、と反省する。
「うるせえな。戦の始まりはこのくらい派手なのがいいんだよ」
石上がトンネルを這いあがって地上に降り立った。
そして大伴御行のむいている方角に目をやると、額に手をあてて天を仰いだ。
「こりゃすげえ、道理でサントのおっさんがいつまたっても突破できないわけだ」
「ええ、まったくですね」
盲目の大伴御行が同意する。
彼らの注意の先には、まるで大地の裂け目が反転したかのように高い城壁がそびえたっていた。古代人の手によって建設された外壁は黒く染められており、その中腹でアリストス兵が右往左往とせわしなく動き回っている。
漆黒の城壁の中心には巨大な門があったが、いまはアリストス軍によって閉鎖されている。
門の両側にかけて果てしなく続く壁がどこまで続いているのか確認することはできなかったが、それはラングネ側にいたころから見知っている。
両端は険峻ながけに面しており、渡ることは不可能なのだ。
「幸いなことにまだ気づかれてはいないようです。こちらの存在を気取られる前に急ぎましょう」
「おうよ」
トンネルのなかから出てくるラングネ兵たちに隊列を組ませ、すこしでも発見されにくいようにとかがみ腰になりながら行進する。
どうやら敵は前方にばかり注意を向けているらしく、後方にはほとんど警備を置いていなかった。
それに加えて敷地内をうろついている兵士の姿もほとんど見当たらず、行軍にはほとんど支障がなさそうだった。
「――殺気をまとっていない気配を大勢感じます。こちらが捕虜収容所でしょう」
大伴御行の鋭敏な感覚が遠くの人々の行方を察知し、周囲を警戒しながらゆっくり歩を進めていく。
大柄な石上は常人よりもさらに身をかがめなければならなかったが、本人はあまり気にしていないようだった。むしろ上機嫌に鼻歌を口ずさんでいるほどである。
「いったいどうしたのですか、気味が悪い」
「いや、なんでもねえって。そんなことより収容所はまだなのかよ。もう身体がうずうずして止まんねえぜ」
「仕事熱心なのも怪しいものです。裏があるならさっさと話してしまったほうがいいですよ」
「な、なんにもねえって」
顔をそっぽに向けると石上はそそくさと後方へ下がっていった。
これはなにかあるな、と勘繰りながらも大伴御行はあたりの環境を感知する。盲目でありながらも自分の周りになにが置いてあるのかはほとんどわかる。
クレアのいるであろう捕虜収容所からは青い気配が漂ってきている。
今日の空気と同じ、冷たい色だ。
「――はやく助けだしてやらなければな」
通常の人間は緑や黄色など、極端な色は発していない。
反対に戦場などにあって興奮状態であれば強い赤色をまとっているので、すぐにそれと判別することができる。
青色は生気のない人間だ。
負傷した兵士たちがたくさん運びこまれて来た病室は、まるで青空に染まったかのように真っ青だった。そして、死ねば黒となり、無機質と同じように鼓動を感じなくなる。
クレアと最初に出会ったとき、彼女は黄色い衣を着ているかのようにはつらつとしていた。いまはその予兆すらもない。
大勢のなかで一人だけの気配を感じ取ることは難しい。だが、クレアだけが捕虜のなかで元気だと推測するのは楽観的過ぎるというものだろう。
「――石上には知らせなくともいい、か」
一人つぶやき、納得したようにかぶりを振った。
収容所は砦の後方、歩いて数十分ほどの距離に位置していた。おそらくジープで走ればものの数分とかからないくらいであろう。
黒い城壁の畏怖さえ覚えさせる豪壮な外観とはうってかわって、こちらは質素な建物だった。
四角い形をした広大な平屋がでんと構えているだけだ。表面の白い石は長年の劣化のためかあちらこちらがひび割れ、灰色に荒んでいた。
「人の住むところじゃねえな、こりゃ」
いつの間にやら最前線へと戻ってきていた石上が悪態をつく。
収容所を取り囲むように金網が設置されており、どうやらそれに触れると電流が走って痛みを与える仕組みになっているようだった。
脱走兵を見つけやすくするためかあたりに建物の影はなく、植物のない荒れ地が嘲笑するように横たわっている。風に砂埃が巻き上げられ、渦を巻いて運ばれていった。
「どこから突入するんだ」
「こう平坦な地形では姿を隠しながらというわけにもいかないでしょう。そろそろ本気で激突する時間です」
「おうよ。任しておけ」
石上が白い歯を見せる。
ラングネ兵たちは一斉に光の剣を構えると、いつでも走りだせるように姿勢を低くした。これまでの移動の疲れは微塵も感じさせない。
彼らの目には仲間を助けだすという使命感がみなぎっていた。選抜された多くは志願兵であるとサントから聞いている。
「頃合いだな。行くぞ」
「ええ」
石上がうなりをあげて先陣を突っ走る。
ほぼ同時に大伴御行が業火の龍を召喚し、石上と並走させていく。収容所の入り口で眠たげに眼をこすっていた若いアリストスの兵士はアッと声を上げると、どこかへ逃げていってしまった。
この際、敵の戦力をけずることにあまり意義はない。
大切なのは捕虜の奪還であり、国境の突破だ。それ以外は二の次でいい。
石上が子安貝の首飾りに触れると、たちまち両腕に貝の装備があらわれ、勇者の身体をおおった。片方は攻撃のための拳であり、片方は防御のための小手だ。
「うおりゃ!」
気合いのかけ声とともに収容所の壁が破壊される。
白いセメント材質の石が腐った木のように崩れ落ち、内部の様子があらわになった。
「……おい、なんだよ、これ」
薬品の強い匂いが鼻をつく。
次の瞬間、あがったのはラングネ国民たちの歓喜の声ではなく、アリストス国民の悲鳴の声だった。白衣を着た看護士たちが、石上の姿を見て凍りついている。
勢い勇んで建物に突入しようとしたラングネ兵のひとりを片手で遮って、大伴御行がぼそりと呟いた。
「どうやら罠にはまったようですね。はやいところ引き返さねば、大変なことになります」
トンネルはすでに制圧され、退路を断たれていることだろうと大伴御行は素早く判断し、着物をひるがえして収容所をあとにしようとした。
石上はいまだに事実が飲み込めないといったふうに大きく目を見開いたまま仁王立ちになっている。
「こちらの作戦が読まれていたということです。ここは収容所ではなく病院、おそらく捕虜はどこか別の場所へ移送されていることでしょう――袋のねずみというやつです」
「――レンリルの野郎がしくじったのか」
「ええ、それならばまだマシでしょうね」
大伴御行が冷たく言い切った。
そのあとの言葉は継がなかったが、石上は相棒がなにを伝えたがっているのかよくわかっていた。
レンリルが裏切ったのではないか。
答えのでない問いがぐるぐると頭の中を暴れ回っているあいだにも、背後からは悲鳴といくつもの足音が聞こえてくる。無性にその騒音を黙らせたくなった。思い切り壁を殴りつけると、破片が散り散りになって粉砕した。
「いまは目の前の敵に集中しましょう。私たちを内側に引き入れてしまったことを後悔させるしか活路はありません」
「窮鼠、猫をかむってやつだな。仕方ねえ」
石上が砦の方を睨みつけると、すでに黒い人だかりが動きだしているのが見えた。アリストス軍の漆黒の鎧がうごめいているのだろう。
その数は圧倒的で、ラングネ兵がいくら精鋭だとはいえ羽虫をつぶすようにあっさりと蹂躙されてしまうほどだった。手にはすでに武器を構えており、臨戦態勢は整っているようだ。
収容所にカモフラージュした病院に収容されていたのは何も知らされていない一般市民だった。
彼らは引きつった表情で、まるでこの世の終わりがそこに迫っているかのように逃げ惑っている。白衣の医師たちが懸命になだめようとしていたが、彼らも形相にあらわれた恐怖を隠し切れていなかった。
頭上を走る雲の行方が怪しくなってくる。
雪でも降りそうだな、と大伴御行は風の行方を追いながらうっすら思った。
「で、どうすんだ。策ならあんたのほうが得意だろ」
「私は軍師でもなんでもありませんが、ここで一戦交えるのが得策でないくらいはわかります。少数精鋭で突撃するのは大将を狙ったときのみ、あとはただの愚劣な行動です」
「つまんねえな、こっち側から敵陣を壊滅させるんじゃなかったのかよ」
「――もちろん最終目標はそれですが」
といって、大伴御行は城壁と城壁のはざまで閉じられている巨大な門に視線をやった。
赤子の爪先が入る隙間もなくぴったりとくっついている。
「あれを開けてしまえば向こう側で待機しているサント殿を引きいれることができます。そうなれば分はこちらにあり、勢いを持ってアリストス軍を駆逐できるでしょう」
「で、どうやって開けるんだ、あれ」
「私が知るはずもないでしょう。石上が破壊できるというのなら別ですが」
「いくらおれの怪力でも古代人の建造物はぶっ壊せねえんだよ。こいつ自体が古代人のつくったものらしいからな」
右腕に装着した子安貝のバックルをなでる。
ざらざらした感触が直に伝わってきた。長いこと地球に逗留していた古代人の所有物は、はたしてどのくらいの力を秘めているのだろうか。
「それがだめならもう一回穴を掘るっていうのはどうだ」
「やりたいんですか?」
「……いや、やめておく」
石上の額を、いやな汗が流れ落ちていった。
「彼等を殺させるわけにはいきません。私たちの身だけならなんとか助かるでしょうが、兵士たちを守りながら戦わなければいけませんから、すこし考えたほうがいいですね」
「こいつらも兵隊なんだろ、だったらいつだって死ぬ覚悟はあるはずだぜ」
「人はそう単純に生きられるものではありません」と大伴御行はため息をつきながらいった。「彼等にも守らなければならない家族がいるはずです。それに捕虜を解放しに来て、敵の罠にはまって戦死したなどという理由では、浮かばれないでしょう」
いまひきつれているのは百にも満たない少人数だが、それと同じだけの命を預かっていることになる。 対するアリストス軍は縦横から無尽蔵に兵士が湧きだしてきている。
これらと交戦するよりは、どうにかして遭遇しない方法を考えるのが先決だった。
「穴の入口を奪還しに行くのがいちばん手っ取り早いんじゃねえか。あそこさえ制圧できれば、帰還もできるし援軍を送ってもらうこともできる」
石上は苛立った口調でいった。
城壁で待機していたアリストス軍はすでに隊列を整え、こちらへ向かっている。逃げなければ接触するまで十分とかからないだろう。
「私だったら真っ先にあの穴を埋めるでしょうね。すでに使い物にならなくなっているはずです」
「じゃあ、ここから離れるっていうのはどうだ」石上は早口でまくしたてた。「アリストス国内に攻め込んじまえばいいんじゃねえの」
「結局のところこの城門が封鎖されていては希望もありません。座して死を待つようなものです」
「だったら――」
「ひとまずここを離れましょう」と大伴御行は病院の砕けた壁を叩いた。
すでに患者たちは避難をほとんど終えている。
この場所は完全にかかしとしての役割を担っていたようだ。自国民とはいえ犠牲者を出さないよう配慮したのだろう。
石上は大きく舌打ちをすると、地面を踏みつけながら兵たちへ伝令をしに行ってしまった。気を紛らわしたかったのだろうが、彼の通ったあとには深い足跡が刻み込まれていた。
大伴御行は伏兵が隠されていないかどうかを探知し、南西の方角に逃走経路があるのを発見していた。砦から遠ざかるように逃げていく道だ。
「……レンリル」
生きるにせよ、死ぬにせよ、レンリルの采配がこうもあっさり読まれているとは思えなかった。
敵にそうとうな軍師がついたのか、それともレンリルが裏切ったのか。希望がある方に賭けなければやっていけそうにない。
そもそも裏切るならばもっといい時期があったはずだ。
かぐやをわざわざ助ける必要もない。勇者という存在が邪魔だったにしても、まだ戦力を失うわけにはいかないはずだった。
この戦いで負ければラングネが再び侵攻される恐れがあるばかりか、かぐやを含めた責任者たちが非難を浴びるのは間違いない。レンリルだって無地では済まないだろう。
楽観的な推測かもしれないが、それ以外に助かる手段はない。つまりレンリルが何らかの対策をうってあるという可能性だけが一筋の希望だった。
「ふたたびかぐや様に会うまでは、この命散らすわけにはいかないな」
一人つぶやくと、大伴御行は脱兎のごとく駆けだした。