老人の円卓
レンリル達が国境の突破に向けて動き出した翌日には、すでに大きなイベントが待ち受けていた。かぐやはいつもよりすこし早い時間に目覚めると、すぐに侍女を呼んで化粧を施させた。
昔からあまり化粧というものは好きじゃない。
自分自身を美しく見せることに抵抗があるのではなく、単に面倒くさいという理由からだった。
何時間もかけたあげくに一日でなかったことにしてしまうのだから、これ以上に非効率なことはない。できればすっぴんで公の儀式にも出たいほどだったが、さすがにそれは許してもらえそうになかった。
貴族の奥方などはもはや元の面影がないほどに濃い化粧をしてやってくる。
それに対してかぐやがなにもしないままであれば、反感を買うことは間違いないだろう。
まだ若いため、化粧をしなくても大丈夫な顔立ちはしているのだが。
女の嫉妬は怖いというから、気を付けなければならない。実際、その通りなのだから。
「もうすこしお眠りになったほうがよろしいのではないですか」
白い粉をぽんぽんと肌にまぶしながら侍女が声をかけた。
かぐやの眼の下には黒々としたクマが浮かんでいる。端正な面立ちには似つかない疲労の痕跡だった。
「いまは緊急事態なのだ。この時期に休んでどうする」
「ですが、このままではいつかお身体を壊してしまいます」
「壊れたら休む。それでいいだろう」
「はあ……」
クレアならばこんなときでも遠慮せずに意見をぶつけてくるものだが、いまそばにいるのは一介の侍女に過ぎない。すこし強気に出るとすぐ黙り込んでしまう。
物足りなさを感じてしまうのは仕方ないことだろうが、それでもクレアの声を懐かしむ自分がいた。
「わたしのことは気にかけてくれなくていい。心配するな」
「わかりました」
目をつぶって、まぶたの上に書きこまれる筆の感触を追う。
そうでもしていないと眠ってしまいそうだった。今日だって夢も見ないほどにぐっすり眠っていたのを、無理矢理叩き起こしたのだ。
「今日は重役のみなさまと面会される日ですから、すこしきつめのお化粧にしております」
「小娘だと舐められないように、か?」
「いえ、そういうわけでは……」
「冗談だ。こんなやつれた顔をしていては面目が立たないからな、あやつらは気を抜くとすぐに噛みついてくる」
国を治めるものとして最も重要なことは国民の目線に立つことよりも、権力者の機嫌を損ねないことかもしれない、といまさらながらに知った。
父親が貴族たちの前ですこし腰が低くなっていたのを目にすると、いいようのない嫌悪感を覚えたものだ。どうして国王である父が気を使わなければならないのだろう、と。
しかし、権力者たちと信頼関係を結べなければ国はなり立っていかない。
国民は実質、彼らの支配下にあるといっても過言ではないからだ。その彼らに裏切られれば国民にまで負担が及んでしまう。
身内同士の争いだけは絶対に避けなければならない。
そのためにも上手く貴族たちのあいだで牽制させ、誰かしら突出した人物が出てこないように配慮する必要がある。王様はひとりだけでいいのだ。
「父があやって髭を伸ばしていたのも威厳を見せつけたかったからなのかもしれないな」
「そうかもしれませんね」
「貴族たちに効果があったのかわからないが、すくなくともわたしには怖く感じられたものだ」
腰にまでのびた白髪まじりの顎鬚は、一度しか触らせてもらった記憶がない。もともと父と触れ合う時間は少なかったのだ。じいが本当の父親のような役割を背負っていたから、なおさら他人行儀だったのかもしれない。
おそるおそる、厳めしい髭に手を伸ばしてみると意外なことに指どおりが滑らかだった。
おそらく髪の毛と同じようにきちんとした手入れがなされていたのだろう。つややかな感触が面白くていつまでも梳いて遊んでいたら「その程度にしておけ」と注意されてしまった。
「……髪の手入れがずいぶんと楽になったものだな」
自嘲気味に笑いながら、鏡のなかにうつる短髪の自分を見つめる。
素肌の覆いかくされた女性が疲れた表情で座っていた。
「――残念なことでございました」
「なに、髪くらいなんとでもなる。命と違ってこれは後からいくらでも生えてくるのだからな。それに短いほうがすっきりしていていい」
ガイザーに切り取られた黒髪は、形を整えるためさらにショートカットにされていた。
うなじが見えるほどまでに揃えられた毛先がちくちくと首筋を刺激する。あでやかな花をかたどった銀の髪かざりが添えられていた。
「これから伸ばされるのですか」
侍女が尋ねる。
かぐやは化粧の邪魔にならないよう、唇をなるべく動かさずに答えた。
「この戦争が終わってからにしよう。この国とともにわたしの髪も育っていく。どうだ、素敵な考えだろう」
「本当にそうでございますね」
「いつかわたしが結婚するようなことがあったら、その時には綺麗に長くなった髪を結いあげて、豪勢にパレードを開いてやることにしよう。そのくらいの贅沢は構うまい」
「いまから待ち遠しいですわ」
くすくすと笑いながら手を進めていく。
仕上げに香水を吹きかけると強い匂いが鼻をついた。ラングネ国内でわずかにしかとれない希少な植物の花をつかった香水だと聞いている。
かぐやは鏡を確認するようにのぞきこんでから、朝食をとるため食堂へ向かった。
エネルギーを摂取しなければ長丁場は越えられない。
ラングネ城の一階奥、老人の間と呼ばれる部屋には物々しい表情をした貴族たちが集まっていた。誰もみな険しい顔つきで、年齢以上に刻まれた皺を寄せている。
円卓の一角にかぐやが座り、取り囲むように老人たちが話す。
なかにはまだ中年と呼ぶべき年齢の人々もいるが、それでもかぐやよりはずっと年を喰っている。
彼らはみな夫婦で会議に臨む。
それがラングネの慣習であり、本来ならばかぐやもパートナーを連れていなければならないのだ。
「今日はお集まりいただき、ありがとうございます」
かぐやの挨拶が部屋のなかに反響する。
ホールの構造上、小さな声でもよく聞こえるように設計されているのだ。古代人もおそらく同じ用途で使っていたのだろう。
「先代の国王に代わりあらたに女王となったばかりで恐縮ですが、さっそく報告をはじめさせてもらいたいと思います」
テーブルに置かれたグラスの水を一気にあおると、かぐやは唇をなめた。
報告しなければならないことはたくさんあった。アリストス軍との戦闘状況、兵士の徴収について、そして何よりも大切な税金のことについてなどだ。
それらをよどみない口調で述べているあいだ、貴族たちは関心がうすそうに頬づえををついたり、目をつぶっていたりした。
夫人のひとりは露骨にあくびをしながら、眠たげに頭を上下させていた。
かぐやはゆっくりと丁寧に説明をしていき、ときおり心配げに参加者たちへ視線をやる。そのたびいくつもの瞳がかぐやを捕えた。
「――そこで提案なのですが、皆様方の協力が必要不可欠なのです」
「なんだ、それは?」
最長老の貴族が片目をあけて問う。
かぐやは大きく息を吸い込んだ。
「私財の半分を国へ納めてもらいたいのです」
「ふざけるな!」
すぐさま怒号が返ってきた。
覚悟していたこととはいえ精神的にこたえる。
「そんな要求が通ると思っているのか! 馬鹿にするにも程がある!」
「しかし――」
「我々になんの見返りもなく財産の半分を差し出せなどという横暴な政策をとるのであれば、あなたを信用することはできない」
「やはり若すぎたのだろうな、まだ小娘だ」
「現実感がまるでない」
矢継ぎ早に批判が襲いかかってくる。そのどれもが怒りをふくんだとげのような言葉だった。
やむことのない辛辣な言の葉を、かぐやが一喝した。
「静かにしてください!」
かぐやが怒鳴ると、水を打ったように静まり返った。
しかし彼らの目はまだ何か言いたげに獰猛な光をたたえたまま、かぐやを見据えている。
「アリストスに侵略されたとき、あなたたちはなにも感じなかったんですか。ラングネの人々が殺され、蹂躙され、好き放題に荒らされるのが悔しくなかったんですか」
「我々だって被害を受けたのだ。アリストスの連中に屋敷を荒らされ、従者たちを盗られ、尋常ではないほどだった」
「しかし、あなたたちはしたたかに財産を隠していたことでしょう」
「スパイを放ったのか!」
血相を変えて老人が立ちあがる。
かぐやは首をたてに振った。
「皆様の被害状況がどれほどのものか秘密裏に調査をさせていただきました。その結果、多くの方々がいまだに莫大な財産を保有しているという報告が上がってきたのです」
「信頼を裏切る行為だ! 我々は断固として許さんぞ!」
「どっちが裏切りですか!」とかぐやは睨みつけた。「私腹を肥やすことばかりに関心を向け、統治者としての目的を見失っているのはあなたたちの方ではないですか。あなたたちの守りたいものはなんですか、お金ですか、権力ですか。そのどちらも国民あってこそのものだとどうして理解できないんですか」「そんなことはわかっている」
「――わたしはラングネという国を失って、初めてその大切さに気付かされました。あなたたちも色々と気付かされることがあったのではないですか」
「そんなことは言われるまでもない」
最長老の老人が代表して口を開いた。
年功序列というわけではない。その老人こそがもっともラングネで大きな領地を治めている貴族なのだ。
つまり、かぐやに次ぐ権力者なのである。
「我々とてアリストスに対する恨みがないわけではない。自国の領地を荒らされ、屋敷を破壊されて嬉しい者などいるはずがないだろう。いままで隣国として友好関係を結んでいた状況からの、突然の侵攻だ。困惑するのも無理はない」
「ならばどうしてラングネのために尽くそうという気持ちにならないのですか!」
「ラングネの象徴とはなんだ」
かぐやが二の句に詰まる。
老人はゆっくりと続けた。
「それは国の王であろう。それはいわばその国自身でもある。我々が下につきたいと思うのは国王のカリスマ性があってこそなのだよ。先代の王にはそれがあった」
「違う、国民があってこその国ではないか。王は飾り物にすぎぬ!」
「だったらなぜ国民があなたを旗印に立ちあがったと思うのです。反乱軍があなたに協力したのも、ラングネ城を奪還できたのも、あなたに信頼を寄せてのことです。だが、その関係が、我々のあいだにはまだ出来ていない」
かぐやが唇を固く噛みしめる。血の鉄くさい味がした。
反論ができなかった。思考が回らない。恐れていたことが現実となってしまった。
「スパイなどは最悪の行為だとわかっていただこう。信頼関係は、あなたが我々を信じることから始まるのですから」
老人が席を立つと、貴族たちはずらずらとあとを追って老人の間を出ていった。
かぐやはただ、うなだれたまま彼らを見送ることしか出来なかった。誰もいなくなったとき、気付けば一筋の涙が、厚く塗った化粧を洗い流していた。
白く濁ったしずくがぽたりとテーブルの上にこぼれ落ちた。




