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5人の男

 欠けていった月が再び丸くなり銀色の様相を取り戻してくる頃には、ちらほらと都から貴族たちの使いが来るようになっていた。使者はそれぞれに和歌をしたためた短冊をかぐ屋へ渡すついでに噂に聞く美麗な姿をのぞき見ようとしたが、用意されたついたての向こうにかくれたかぐやを確認することはできなかった。

 三山村の村人たちも口々にかぐやに会いたいと懇願したが、翁と嫗がそれを許さなかった。片方が家を離れるときは、必ず片方が家にいてかぐやを守っていた。

 それもすべてかぐやの言う勇者を探し出すための計略である。布を水が濡らしていくように、かぐやの噂が都に浸透していくのを待っている間、月の姫はしきりにもどかしがったが、和歌の練習にいそしむことで感情を紛らわそうとした。

「――まだ帝は現れぬのか」

 あでやかな着物に身を包んだかぐやが焦れた口調で翁にたずねる。姿を見せぬのだから重苦しい恰好は嫌だと言い張ったかぐやだったが、万が一の際に粗末な服を着ていては評判にかかわるということで翁に却下されていた。

 ござの上に座ったかぐやのかたわらには都の有力者たちから送られて来た和歌の山が築かれている。かぐやは主に、貴族たちへの返歌を考えるのに一日の時間を費やしていた。

「まだでございます。近いうち、右大臣左大臣のような高官がやって来るでしょう。そうなれば時期は近いといえます」

「それまで待たねばならぬのか」

「ええ」

 翁がちらりと目線をやって、かぐやをうながす。

 うんうんと唸りながら月の姫君は震える手で和歌をしたためる。翁は字が読めないので、かぐやが声をあげて読むと、難しい顔をした。

 ひと月もすれば少しは上達するかと考えていたが、かぐやの成長具合はかたつむりよりも遅かった。

 あまりにもひどいので結局返歌のほとんどは翁が代案しているほどである。和歌はその人の魅力の半分以上を占めるから、それが下手というのは致命的な欠点であった。

 どうやら月には和歌を詠むというような文化がないらしい。それにしても、才能がないというほかなかった。

「これらは無視した方がいいのではないか? つれない女というのも魅力的だというぞ」

 うらめしげに和歌の山を見つめながらかぐやが愚痴を漏らす。

「教養がないと思われてしまってはなりませぬゆえ」

「では、おまえがすべて書けばよいではないか。なにもわたしがやる必要もなかろう」

「いざという場合があります。それにかぐや様も他にすべきことがないのでございましょう」

「したくてもできないのだ」

 苛立たしげに和紙を取り、すらすらと筆をすべらせていく。

 翁はそれを受け取るとすぐさま大きなバツ印をつけた。



 夜になるたび、かぐやはひとり月を見上げていた。

 三山村の夜は暗い。そのためかぐやが外に出ていても、誰かに姿を見られる心配はなかった。

 半分だけの月が虚空に浮かんでいる。それは月から見る地球よりもずっと小さかったが、形は同じであった。地球はいつも半分が闇におおわれていた。

 やんわりとため息をつく。

 どんなに目を凝らしたところで、月の模様が見えるばかりで人も建物もわからなかった。翁はうさぎがもちをついている様子なのだと説明してくれたが、もちろんそんなはずはない。

 地球の人々は月のことをさして重要なものだとは考えていないようだった。

 空気や水と同じようにあたり前に浮かんでは消えていくものであり、減っては増えるものであるらしい。

 こうしている間にも祖国ラングネはアリストスの猛攻を受けていることだろう。

 そして多くの民が死んでいっているはずだ。奇跡でも起こらないかぎりは。

 その奇跡が自分であることをかぐやはよくわかっていた。幼いころから暗唱されられた予言の言葉が脳裏によみがえってくる。遥か昔から運命づけられた数奇な人生は、はたしてどこまで運命にまもられているのだろう。

 いろんな思いが胸を駆け巡る。

 気付くと、一粒の涙が流れ落ちていった。銀色の月が、ぼんやりとにじんで見えた。



 それからさらに十日ばかりが経つ頃には、事態は進展を迎えていた。しびれを切らした貴族たちが自ら足を運んで来たのである。

 豪勢な身なりの供をつれた彼らは、ほとんど自然のままである三山村に入るとひどく異質に映った。

 翁の家の周りにはつねに多くの人が集まるようになっていた。それは村人の野次馬だったり貴族たちの連れてきた護衛の武人たちだったりしたが、人ごみが途絶えることはなかった。

 なかでもひときわ目立っていたのが金襴な装飾をほどこした駕籠である。

 まるで黄金をまとうかのような絢爛であった。そこから顔を出す貴族たちもまた、あでやかな衣装に身を包んでいた。

 それが始めは一日に数人ばかりだったのが、ついには三十を超える貴族たちが翁の家を訪れていた。前後に揺れながら駕籠が着くたびに、翁のまわりだけが都になったような錯覚を覚える。

 彼らはしきりにかぐやとの面会を迫ったが、

「かぐやはただいま病気の身でありますゆえ」

 と、翁は慇懃に彼らの申し出を断った。

 これはもちろん嘘であった。あくまで最終目標は帝のため、その途中で妥協するわけにはいかなかったのである。

 貴族たちのなかにはかぐやがちっとも姿を現わさないことにしびれを切らし都へ帰ってしまうものも多かったが、ことさら熱心な五人の若者がいた。その五人は毎日のように翁の家へ通い、贈り物をしては名残惜しそうに去っていくのをくりかえしていた。

 みな帝ほどではないにしろ、身分の高い者たちであった。

 あまりに熱心なためにかぐやに合わせないための嘘をつきつづけるのも心苦しく感じた翁は、かぐやへ五人のことを相談した。

 かぐやは怪訝そうな顔をして答える。

「そんな半端ものは放っておけばよいではないか。わたしたちの目的は帝を呼び寄せることなのだぞ」

「たしかにかぐや様の言う通りではございますが……そうはいっても、どうにも断りづらいもので」

「どうしたのだ。賄賂でも贈られたか」

「とんでもない! ただ、あのように熱意ある若者を見ているとつい」

「いくら身分が高いとはいえ、所詮は帝でないのだろう」

「帝の親族もいらっしゃいますから、そう遠くはないでしょう。それに勇者を見つけるという目的なら、ある程度身分の高いものも素質があるかと」

「ならばどうする」

「私に一計がございます」

 というと、翁は子どものように口元をゆがませた。

「彼らにかぐや様のいう宝物を探させて来るのでございます。噂に聞く宝を結婚の条件にすれば、彼らは血眼になって探し出してくることでしょう。もしも彼らのなかに勇者がいるのであればおのずと宝も見つかるはず、もしできなければ縁がなかったということでこざいます」

「またおそろしいことを考えつくものだ」

 かぐやは半分笑いながらいった。罪悪感の色はまったくなかった。

「宝に見当はあるのか?」

「噂に聞く宝はいくつもございますが、なかでも有名なものがちょうど五つございます」

 翁はそれぞれ、仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の裘

かわごろも

、龍の首の珠と燕の生んだ子安貝をあげて、かぐやに説明した。

 どれもが風聞に浮かぶとりとめのない伝説である。

 だが、そのなかに本物の宝がかくれていてもおかしくはなかった。貴族の力を使えば、たとえはるか唐の宝物でさえ手に入れることは可能だろう。

「ふむ。それならしばらく厄介払いができるな。うるさいのがいなくなって静かになるものだ」

 五人の高貴な若者たちは翁の家にやって来るとぼう大な贈り物だけでなく、笛を吹いたり歌ったりして懸命にかぐやの気を引こうと奮闘していた。

 かぐやのまわりはいつもお祭りのような状態なのである。

「それに――」と、かぐやは渋い顔をした。「和歌も返さなくて済む」

「それが一番の目的でございますか」

「当たり前だ。なんであんな面倒なものを寄こしてくるのだ。それも毎日毎日、嫌がらせにしか思えぬぞ」

 翁は健気な男子たちの虚しい努力のことを思って、ささやかにため息をついた。願ってもかなわぬ恋愛ほど切ないものはない。

 その日の夕暮のこと、翁の家の前に集まった五人の若者たちに、翁はかぐやの言伝だといって宝探しの件を述べた。誰もが神妙に翁の話に耳を傾けている。

 五人のほかにも、翁の家の前にはたくさんの村人たちが群がっていた。農作業を終えると少しでもかぐやの姿をのぞき見ようとするのが彼らの日課になっていた。なかには壁に穴をあけたり、梯子をかけようとするものまであったので、必ず翁か嫗のどちらかが家のまわりを巡回しなければならなかった。

 群衆に見守られながら、翁は少しも遠慮することなく声を張る。

「かぐや姫に会いたければ各々が宝物を持参なされい。ただの金銀ではかぐや姫は納得なされないぞ。それがかぐや姫からの言伝である」

「ちょっと待った」

 と、口をはさんだのは五人のうちのひとり、石作皇子

いしづくりのみこ

である。

 高級な着物をくずして着こなしている彼の風貌は、貴族というよりは遊び人のようだった。少し高い、かすれた声が印象的な男で、細長い体躯をしていた。眼は切れ長で、いわゆる美形のうちに入るだろう。

「本当にかぐやがそう言ったのかい? 証拠を見せてほしいもんだねえ」

「信じる信じないは貴方の自由ですが、そのほかの者に出し抜かれてしまうやもしれませぬぞ」

「へえ、僕を挑発するのかい」

「どう解釈するかは貴方次第ですゆえ」

「農民風情が偉そうな口を聞くもんだねえ」

 少しのあいだ、ふたりのあいだに火花の散るような睨みあいが交わされた。

 相手がただの農民であることを考えれば、すぐさま乱暴な行為に出ることも充分選択肢にあったはずだが、ほかの貴族たちの目があるためにそれもできず、石作皇子は静かに口元をひきつらせただけだった。

「まあいい」

 そう吐き捨てると、裾をひるがえして背を向ける。

 続いて石作皇子の供のものたちが蟻のようにぞろぞろとあとを追っていく。

「僕は仏の御石の鉢をもらってくるよ。あてがあるからね」

 耳につく声でそう言い残すと石作皇子はさっさと居なくなってしまった。

 翁は残った四人を見渡した。誰もがすぐにでも行動に移りたくてうずうずしているようだった。

 いちばん先に宝を持ってきたものがすべてを得るだろうというのが彼らの暗黙の了解である。ただし、かぐやが断ることもありえるだろうが。

「では皆様方、頑張ってくださいませ」

 翁は深々とお辞儀をしてから、薄汚れた家のなかへ戻っていく。互いに熱い視線をぶつけあってから、四人の貴族たちはそれぞれの宝をもとめて旅立っていった。

 家のなかへ入り、貴族たちの姿が見えなくなると、翁は大きくため息を吐きだした。

「大丈夫ですか」

 心配したように嫗が声をかける。

 強気の態度に出たはいいものの、実のところは長い人生のなかでもいちばん緊張していたほどだった。まだ心臓が激しく脈打っている。寿命が縮まりそうだ。

「ああ――これも、かぐや様のためだからな」

 とうのかぐやは座敷の奥で眠っている。夜に起きて月を見上げるために、夕方になると仮眠をとるのだ。毎夜欠かすことのない憂愁ただよう習慣は、翁と嫗の心を痛めるものだった。

「ほんとうに良い方ですからね。はやく勇者様が見つかるといいのですが……」

「……そうだな」

「さあ、お疲れでしょう。今日はもうお休みくださいませ。あとは私がやっておきます」

「ああ。頼んだ」

 翁はしきりに胃のあたりをなでながら、かぐやのとなりにござを敷いて寝転んだ。

 実に美しい横顔だった。

 ひと目見たときから、今までであったどんな女子よりも美しいと思っていた。村一番と呼ばれる娘とは比べるのも愚かしいくらい。都にさえもこれほど美しい娘はいないだろう。

 起こしてしまわないよう、長い黒髪をやさしくなでる。絹のような感触が手のひらに広がる。

「かぐや……」

 翁はそっと手を引っ込めると目をつぶり、反対側に向きなおって眠りについた。夕暮れは終わりを告げ闇夜が忍び寄っていた。


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