ガイザー
かぐやはガイザーの剣を受けるのに精いっぱいで反撃の糸口をつかめないでいた。
「おら、どうしたよ。さっきから逃げてばっかりじゃねえか。すこしは抗ってくれねえと燃えねえんだよ」
「機をうかがっているだけだ。貴様こそ無駄口を叩いていると痛い目を見るぞ」
「いいねえ、そういうプライドが大好きなんだよ俺は。どこから砕いてやろうかねえ」
ガイザーは舌舐めずりしながらかぐやの首元を払った。長い髪の何本かがはらりと落ちていく。反応が一瞬遅れていたら危なかった。
「殺しちゃいけねえからな、生かさず殺さず、楽しまなきゃ」
「こちらは容赦せぬぞ」
「手加減して捕まってくれれば簡単な話なんだが、それじゃつまんねえもんな」
ガイザーが二度三度と剣をふるうたびに、かぐやの服の一部が刈り取られていく。肌までは紙一重というところだ。狙ってやっているのならば怖ろしい腕前だった。
心臓の鼓動が荒くなる。
圧倒的な実力差。
真正面から戦っていては万に一つも勝機はないだろう。頼みの綱と大伴御行と石上はまだ小さな敵にてこずっているようだった。相性が悪いのかもしれないが誰かしらの援護が必要だった。
「よそ見してるとあっという間に終わっちまうぜ?」
ガイザーの声に反射的に身を伏せると、腕をたたき落とそうとしていた剣筋が空を切った。
すぐさまひと続きになった剣から二撃目が襲いかかってくる。
「助けが来た瞬間には、あんたは俺の手の中にいることだろうよ。ほんの一秒あればあんたを倒すことくらいはできるんだ。姫様を人質に取られちゃ、手も足も出ないだろうからな」
「あやつらはわたしごとき簡単に捨てるぞ」
はったりだった。
レンリルはまだしも、大伴御行と石上がのうのうと見捨てるはずはない。おそらく激昂して攻撃してくるか、おとなしくガイザーの命令に従うかのどちらかだろう。そしておそらく、後者を選ぶだろう。
「それでもいいぜ。あんたは仲間を信頼している。その仲間に裏切られて絶望しているあんたを見るのも楽しそうだからな」
言葉で牽制するのは限界のようだった。
ガイザーの剣は鞭のようにかぐやを追い詰めていく。
このままでは逃げ場がなくなると思い、ガイザーの足元を回転しながら通り抜けようとするが、その瞬間わき腹に激痛が走った。
悲鳴を上げることもできず地面にたたきつけられる。
呼吸ができなかった。
「考えが甘すぎんだよ。窮地にやられた敵がどんなことをして来るのか、俺が知らないはずもねえだろ。さあ、そろそろ遊びの時間はおしまいだ」
ガイザーはゆっくりとした足取りでかぐやに近づくと、彼女の長い黒髪をつかんだ。
肝心の剣は蹴られた拍子にどこかへ落としてしまった。こぶしを振り上げようにも力が入らない。それだけガイザーの一撃は急所をとらえていた。
内臓がどこかやられているのかもしれない。
だが、いまとなってはどこを怪我していようと同じことだった。
「あんたを殺しはしない。安心しな」
ガイザーが笑うと、悪趣味な金歯が口の中から顔を出した。
ぞっとするような笑みだった。
「……貴様は地獄に落ちることになるだろうな」
「それならそれで楽しそうだが、あんたが先に地獄を見ることになるぜ」
乱暴にかぐやの髪を放す。
鈍い音を立てて大理石の床にあごをしたたかに打ちつけた。
部屋のどこかで騒然とした声が響いているのが聞こえる。ガイザーは恍惚とした表情でいま手に入れたばかりの玩具をながめまわしており、その異常さに気づいていないようだった。
気力を振り絞って立ち上がろうとする。
半分ほど起き上がっていた体をガイザーの無慈悲な足払いによって崩される。それでもかぐやはめげずにガイザーをにらみつけた。
「いいねえ、その瞳。俺の大好物だ」
ガイザーの両目は子どものように無邪気な悪意に満ちていた。視線がぶつかるだけでも心が折れてしまいそうな圧迫感。黒目がぎょろりと動く。
「もっと足掻けよ。それだけ絶望も深くなる」
「負けて……たまるか……」
アリストスとの戦争が起こる前は怪我などしたこともなかった。じいとの訓練は本気でやっていたけれども、その時でさえ相手を痛めつけるためだけの苦痛というものを味わうことはなかった。
生きているのでさえこんなに苦しいのだから、死ぬという感触はいったいどれだけ怖ろしいのだろう。
無理に忘れようとしていた恐怖がよみがえってくる。
だが、希望は一筋だけつながっていた。
「ほらほら、くじけるのはまだ早いぜ」
容赦ないガイザーの足蹴から頭をかばうのがやっとだった。むきだしになっている胴体は蹴られるたびに失神しそうな激痛が走るが、ガイザーはそのあたりの加減をきちんと心得ているらしく、気絶することも出来ない。
もっとも、気を失いたいだなんて微塵も思わなかった。
意識がなくなればすべてがゲームオーバーだ。
「死ぬよりも大きな絶望ってのは、どんな表情になるんだろうな。あんたはどうやったらそれだけ絶望できる? プライドをへし折られることか、肉体的な苦痛か、ラングネが滅茶苦茶にされることか?」
「…………」
返事など出来るはずがなかった。
嗚咽を漏らさないようにするので精一杯だった。
「答えられちゃ面白くねえよな。あんたの最悪の想像よりもっとどん底を見せてやらなきゃ。ラングネの姫様が奴隷以下におとしめられるだなんて、最高じゃねえの」
「……クズが」
挑戦的な言葉を吐き捨てる。
ガイザーはこんな見え透いた挑発には乗ってくるはずもない。むしろつけ上がらせることになるだろうとは簡単に想像がついた。
ぼんやりとしか働かない思考回路を懸命に活用する。
「その意気がどれだけ続くかな、ためしにあんたの勇者とやらを斬ってみるのも悪くない考えだ」
ガイザーが身をひるがえそうとするのを必死に制止する。
「いいのか、わたしはまだ貴様の背後を狙っているのだぞ」
「――活きのいい人間はいつまでたっても快感だねえ。めげねえところが素晴らしい。普通の人間なら涙を流して助けてくれって懇願するところなのによ」
「……それこそ、死んだ方がマシというものだ……」
「んじゃ、こういうのはどうかね」
ガイザーはふたたびかぐやの長髪をむんずと掴むと、赤い剣でざっくりと頭髪の束を切り落とした。焦げ臭いにおいが周りに立ち込める。
もはや自分の一部ではなくなった髪を見つめながら、かぐやはなぜだか目頭が熱くなっているのを感じていた。髪ごときになにを動揺しているのかと滑稽に思えるほど、感情が混乱していた。
目の前が白くなっていく。
ガイザーの笑い声が頭上から聞こえてきた。
「女ってのは髪を切ってやると面白いくらいにとり乱れるんだよ。べつにこんなものはまた生えてくるのにな。俺にはよくわかんねえが、とにかく大切なんだろ。あんたが姫様なら、とりわけ」
「……あ」
いままで流さなかった涙があっけないほど簡単に頬を伝い落ちていく。
父からも母からも、じいからも褒められて自慢だった黒髪。小さいころからちゃんと手入れをして、なにか祭典があるたびに綺麗に結ってもらって、みんなから賛辞の声をかけてもらった。
夜、寝る前に髪をとかしながら目をつぶるのが好きだった。
さらさらとした感触が手のひらを流れていくのが気持ち良くて、なんだか安心できた。
それが、いまはもう無くなってしまった。
いろんな思い出とともにガイザーに剥ぎとられてしまったような気がして無性に悲しかった。怒りは不思議と湧いてこなかった。ただただ涙がこぼれていた。
「効果抜群みてえだな、おい。あんだけ気丈だったお姫様が赤ん坊みたいに泣いてやがる。これだからやめられないんだよ」
脳震とうを起こしたみたいに頭の中がこんがらがっている。
そんななかでも信じつづけてきた姿が、徐々に大きくなってくる。かぐやは力ない手つきで涙をぬぐった。
「……貴様の気は済んだか?」
「まだ喋れるっていうのかい。とんでもない精神力だな」
「答えろ。この世に未練はあるか」
「まだまだあんたで遊び足りねえからな、楽しくなるのはこれからだぜ」
「……そうか、残念だったな」
「あん? ――」
ガイザーの背後から胸へかけて一直線に刃が貫いていた。
なにが起こっているのか分からないといったようにガイザーは自分の胸に手をやると、おそるおそる後ろを顧みた。
「――おまえは……」
「レンリルだ、一生覚えておけ」
吐き捨てるように胸につきたてた刃を引き抜く。
ガイザーは気の抜けた人形のように床へ崩れ落ちると、そのままピクリとも動かなくなった。レンリルがガイザーの手から特殊な形状をした剣を取り上げた。
「大変遅くなって申し訳ありません、ルア様。敵をせん滅するのに時間がかかってしまいまして」
「……あれだけの数を、すべて倒してきたのか……」
階下でレンリルの進路を遮ったアリストス兵の数は少なくなかったはずだ。
それをあの少数の手勢で打ち破ってくる事態が難しいことなのに、わざわざ全滅させてきたという。かぐやは背筋が凍りついた。
いったいどれほどの憎しみをこめて戦えばそんなことが可能になるのだろう。
「そのせいで時間がかかってしまいました。おふたりの勇者様のほうもちょうど片がついたようです」
レンリルの言うとおり、石上と大伴御行が息せき切って倒れているかぐやの元へ駆けつけてきた。
ふたりとも息が上がっている。
よほど強敵だったのだろう。
「大丈夫か、おい!」
「申し訳ありません。私どもが不甲斐ないばかりにこんな怪我を」
「かまわない、気にするな」
「ですが――」
盲目といえど大伴御行はすでに気づいているのだろう。かぐやの髪がばっさりと短くなってしまっていることに。
ガイザーによって切り離された毛髪は、無造作に散らばっていた。
大伴御行はそれらをかき集めてくるとうなだれながら拳を握りしめた。
「……こんなことを」
「わたしなら大丈夫だ。それよりも戦いはまだ終わっていないのだろう――」
傷跡がひどく痛んできた。
ガイザーは死に至らせないまでも徹底的にかぐやの肉体を破壊しようとしていた。こうして細々と喋っているのさえ苦しかった。
「我々の勝利ですよ、ルア様」
「――本当か?」
「ええ」
レンリルが優しくほほえんでいる。
石上は突如として雄たけびを上げるとアリストス兵のなかへと突進して行った。敵は指揮官を失って色めき立っており、茫然自失としていた。
ガイザーは死んだ。
その事実は同時に、かぐやたちの勝利を示していた。
ようやくそのことを理解するとラングネの姫は静かに片手を突き上げていった。
「――わたしたちの、勝ちだ」