分断
サントの眼前で、レーザー砲がゆっくりと牙をむきはじめていた。
天にまで伸びる巨大な砲身が、徐々に下方にむかってうつむき、散開しているラングネ兵に照準をつける。獣が小動物を捕食するときのような鋭い視線。サントは呼吸が荒くなるのを感じていた。
地下基地で戦っているときでさえこんな感覚を覚えることはなかった。
圧倒的な力の差をまえにした無力感のようなものがサントの全身を駆け巡っていた。
あれは、どうすることもできない。
全身が震え出す。
国王や隊長は化け物を相手に戦っていたのだ。逃げ出したくなる衝動を必死に抑えるだけでも手一杯だったのに、あの殺人兵器に立ち向かっていくなんて不可能だ。
地下基地の防衛線を突破されたときは不思議と落ち着いていた。徐々に死が近づいてくるという確信があったからかもしれない。
しかしレーザー砲はほんの一瞬で何百という命を刈り取ってしまう。
その目に睨まれただけで、走馬灯を見る間もなく消しクズに化すというのがレーザー砲の光線に直撃した人間の運命だった。
もし、自分の方を狙ってきたら?
最悪の場合を想定してサントは必要最低限の兵数だけを付近に控えさせていた。敵が指揮官をまっさきに始末しようとするのはごく自然な考えだろう。
反乱軍などというものは指揮官がいなくなれば、片手ですくった水のようにあっけなく瓦解してしまうものだ。たとえレンリルやかぐやが残っていても、戦場にいなければ兵士たちは士気をなくし、敗走するだろう。
強いようでもろい絆。
それが軍隊の正体だ。
「……サント様」
側近のひとりが震える声でサントに話しかけた。
「……なんだ」
「敵のレーザー砲が稼働するまえに、軍を動かした方がよろしいかと。いまのままでは不十分です」
個人的な恐怖を別としても、レーザ砲から逃れるためには距離をとる必要があった。いくら砲身が巨大だとはいえ、砲撃の精度までが抜群というわけではない。
遠くに離れれば離れるほど、当然命中率は低下する。
「それは、ならぬ」
サントがレンリルから授かった作戦は、あくまで敵軍を首都から引き離すことだった。
レーザー砲の脅威から背を向けて逃げるだけでは、敵は追って来ることをしないだろう。軍の半分でも引きつけられれば上出来な方だ。
しかし、それでは全体としては不十分だった。
「兵は怯えています。このままではレーザー砲が一撃発射されただけで、逃げ出すものもいますでしょう。ひとりが逃げ出せば、それを見た他のふたりが逃げ出します。それがやがて軍全体の勢いとなって、我々の手には負えなくなるのです」
「わかっている」
「では、なぜ」
詰問するように側近が問いつめる。
はたから見ればサントが意固地になってその場を動こうとしないように映るだろう。敵に背を見せるなどということはプライドが許さないはずだ。
だがサントの思惑は違っていた。
この窮地を脱するための秘策が、たっとひとつだけ浮かんでいた。
「問いたいことがある。おまえはなんのために戦っているのだ?」
唐突に質問を受けた側近は面食らったような顔をしていたが、すぐに
「ラングネ国の復興と、ルア様のために戦っております」
という模範的な回答を示した。
サントは二、三度うなずいて
「ならば命を捨てる覚悟はあるか」
「もちろんです」
「……時として、命を落とすよりも恐ろしいことがある。おまえにそれをやり遂げるだけの勇気があるか」
「――それは」
いったい、どういうことでしょうか。
その言葉を飲み込んで、側近はサントの顔を凝視した。サントの視線の先にあるものは、まるで焦らすように砲身を動かしているレーザー砲だけだった。
「死よりも恐ろしいもの。それは死に立ち向かっていくことだ。その勇気があるものだけを集めて来い。それとありったけの車を」とサントはいった。「――敵の懐に潜り込むぞ」
ふたたび、あの赤いアラームが泣き叫んでいた。
敵のだれかが警報のスイッチを入れたのだろう。城内を赤く染める警戒音が、甲高い悲鳴のようにかぐやの鼓膜へと突き刺さっていく。
かぐやは自分がありもしない煙の匂いを嗅いでいることに気づいた。
ラングネ城が制圧されたあの日の光景が次々と襲いかかるようにフラッシュバックしてくる。
――怒声。走り回る人々。泣き叫ぶ女の人の声。砲声。そして、耳をつんざくアラーム。
どれが本物で、どれが記憶の奥からよみがえってきたものなのか判別がつかない。
頭の中が混乱する。
思わず足がもつれて転びそうになるのを、大伴御行が支えた。
「――大丈夫ですか」
「……」
返事をすることさえ億劫だった。
耳元で絶叫するかのようなアラームの音が脳を破壊するみたいに走りまわっていた。大伴御行の声がどこか遠くから聞こえてくる。
それよりも大きな、父の声。
もう死んでしまった父は苦痛に顔をゆがめて、うつぶせに倒れている。その上でほほ笑んでいるのは狂人ジアード。吐き気がした。
「かぐや様!」
不意に耳元で大きな声がした。
大伴御行が心配するようにのぞきこんでいる。どうやら知らないうちに床に寝かされていたらしい。
「こんな――ことをしている場合では」
「無理はしないでください。歩くのが困難なようなら、私が背負って運びましょう。気を確かに」
「心配するな、これしきのこと」
立ち上がろうとすると強烈な目眩が襲ってきて、足元をふらつかせる。
まだ呼吸が荒い。
なにかを吐き出すように呼吸をくりかえす。
「……赤い警報が頭のなかで鳴り響いているのだ。これがわたしをおかしくさせる」
かぐやが絞り出すような声でいった。
「それならば、なおさら立ち上がってください。いま目を背けてしまえば一生逃げられない足かせとなってしまいます。この場で克服するからこそ、前に進むことができるのです――辛いことを申すようですが」
「いや、いい」
かぐやは大伴御行の肩に体重をかけながらよろよろと立ち上がると、自分の頬をぴしゃりと叩いた。
警報は相変わらず鳴り響いている。
「いつまでも過去に縛られているわたしではない――だから、未来はこの剣で切り開く」
「……それでこそ、我らが姫君です」
大伴御行が優しく微笑すると、ふたりはまた走りだした。
先行する石上はすでに通路のかなり先にまで到達していた。巨体の通った後には無数の人々が、うめきながら転がっている。石上はいちいち命を奪うような戦い方はしていないのだ。
――レンリルとは違うのだな。
どこかほっとする自分がいるのを感じる。
人を殺すことには、まだためらいがあった。アリストス兵とはいえどなるべく殺したくはない。憎しみはたしかに大きかったが、まだ自分の手で命を奪うというのには抵抗がある。
わがままな良心なのかもしれない。
周りの人間には戦いを強いておきながら、自分の手を汚すのは嫌だなんて。
敵将はこの手で討つ。
それは自分のなかで決めたことで、揺るがない事実だった。けれども途中の兵士たちはなにも殺さなくてもいいのではないだろうか。
そんなかぐやの甘い期待を打ち砕くようにレンリルは石上が戦闘不能にしたアリストス兵たちを一人ひとり丹念に殺していった。道ばたに落ちている石を拾うように淡々と、剣をふるっては命を奪う。
かぐやの非難がましい視線に気づいたのか、レンリルは涼しい顔で弁明する。
「背後をとられると厄介ですからね。やれることはやっておかないと」
「だが、彼らはもう動くこともできあかったはずだろう。なにも殺すことはないのではないか」
「なにを生易しいことを言ってるんですか」レンリルは少しだけ語気を荒らげた。「相手もこちらを殺しにかかっているんです。命は奪われる前に対処しなければ、すべてが水泡に帰します。命あってこその人生なんですよ」
「……それは、そうだが」
生きることの大切さは嫌というほどに学んだ。
レンリルのいうことはもっともらしいが、かぐやはどこか納得できないでいた。
「敵も兵士ならば自分がいつ殺されてもいい準備はしているはずです。その覚悟さえないようなやつが戦場にいていいはずがない」
まるで自分が非難されているような錯覚。
甘すぎるのだろうか。国を救うということは想像よりもはるかに苦しい道のりが待っているのかもしれない。いままでも自分の身を守るのに必死だった。だが敵よりも有利な状況に立たされ、いままで見えていなかった醜い側面までも知ってしまった。
かぐやは唇を固く噛みしめたままなにも反論しなかった。
それを了解の意思だと感じ取ったわけではないだろうがレンリルは身をひるがえすと、瀕死のアリストス兵にとどめを刺す作業へ戻っていった。
「なあ、大伴」
「人を殺すのはどういうことか、と聞きたいのですか」
予見したように大伴御行がいった。
「わたしはこの手で敵将を討つと決めた。ラングネを救うためにもわたしのためにもそれが必要だからだ。しかしこの場で無害なアリストス兵を殺してまわってなんになる。もとはといえば交友のあった月の民なのだぞ、同じ人間なのだぞ」
「あなたが血を見たくないのなら、そのほうがいいでしょう」
「卑怯者だと思うか?」
「いいえ。命を奪うというのは重大な責任をともなった行為です。かぐや様はすでに一国を背負っているのですから、これ以上の重荷を抱え込むのはよくありません。汚れ仕事は私たちにお任せください、そのほうが敵にとっても良いというものです」
「……わたしはアリストスが憎い。父上を殺し、じいを殺し、クレアを連れ去ったやつらが憎い。なのに、どうして剣が振れないのだろうな」
「本当は人を殺すのなんて善行であるはずがないのです。戦争という狂った状態だからこそ人を殺して英雄になることができる。平和な時代ならば、ジアードのような男が現れても、人々は彼を称賛したりしません。人が人を殺してもいい世の中から、正しい世界に修正するのがかぐや様の役割なのです」
「大伴はそれでいいのか。他人の重圧を押し付けられて」
「私はかぐや様の喜ぶ声が聞ければ、それでいいのです」と大伴御行は石上の方向を見つめた。「なにせ勇者ですからね。勇者は戦いがなければただの凡人です」
「――ありがとう」
「さ、行きましょう。石上が待ってますよ」
復活した石上は以前よりもパワーが増しているように見えた。
暴れ牛のように突撃しては、圧倒的な体格差でアリストス兵をはじき飛ばしている。地球にいたころ、三山村で農耕牛として使われていた一匹が暴れ回ったのを見たことがある。
石上はその様子によく似ていた。
長い廊下の先で立ち往生している石上に追いつく。
「なにを立ち止まっているのだ、はやく先に行かぬか」
「どっちに進めばいいか分かんねえんだよ。右か、左か?」
「迷ったら右だ。ラングネの基本だぞ」
「知らねえよそんなこと」
ぶつぶつと文句をたれながら一直線にかけだしていく石上。
かぐやたちのうしろには突撃隊の八割ほどの人数がつき従っていた。レンリルの姿はない。まだ後方でアリストス兵を斬っているのだろう。
その他のものも手間取っているためか、もしくは負傷したためか、戦列を離れている。
「三階へはあのどのくらいですか」
「敵の数にもよるが、石上があの調子ならば問題ないだろう。じきにたどり着く」
と、その時だった。
廊下の右側の部屋から――たしかそこは客間として用意されていたわりと大きな部屋だった――アリストス兵が湧いてきたのだ。
不意をつかれた。
これでは後方の人たちと連絡をとることができない。
まさか伏兵がいるとは思ってもみなかった。おそらく兵士たちの詰所になっていたのだろうが、レンリルの想定外の出来事だった。
「かぐや様」
混乱しかけたかぐやの腕を大伴御行がつかむ。
「先へ急ぎましょう」
「レンリルたちと分断されることになるぞ。下手をすれば挟撃になる」
もとから人数が少ないため、背後をとられれば圧倒的に不利な状況へと追いやられる。その前に敵のトップをつぶしてしまおうというのがレンリルの作戦だったが、伏兵の登場によって予想外に早く追いつかれてしまった。
それにレンリルを含めた少人数は、敵兵を隔てて向こう側にいる。
このままでは彼らのほうが危険だ。
「ここで救出に向かってしまっては石上が孤立します。敵の大将を討ちとれば必然的に敵も退却することでしょう。援軍を出すよりも、攻撃した方が得策というものです」
かぐやは逡巡したように、うしろと前をきょろきょろと交互に見やったが、
「レンリルを信じよう。ここにいるものの半数は残って敵を迎撃しろ、残りの半分はわたしと一緒についてこい」
素早く的確な命令を飛ばす。
ラングネ兵たちは戸惑った表情を一変させると、かぐやのあとをついていった。石上のうなり声がはるか前方から聞こえていた。