地下一階
サントはアリストス軍との間に、絶妙な距離を保っていた。これ以上近づけば敵に追いつかれ、遠ければ警戒されてしまう距離だ。
本来ならば敵を出来るだけ城から遠ざけなければいけないのだが、アリストス軍はなかなか足を進めようとしない。おそらくレーザー砲の準備を待っているのだろうとサントは推測した。
あれをどうにかしなければ。
逃げる以前に、軍が混乱してせん滅される可能性がある。一発で戦況をかえてしまえるほどにレーザー砲は危険な存在であり、それをどう攻略するかがこの戦いの肝要であった。
いままでラングネ軍は有効な攻略法を見つけることができずに連戦連敗を喫してきた。
しかしレンリルは一度このレーザー砲を追いかえし、地下基地を救っている。
そう、懐に潜り込んでしまえさえすればレーザー砲を無力化できるのだ。
しかし今度はそういう種類の戦いではない。なるべく敵から逃げ、戦力を温存しながらかぐやたちの勝どきを待つ。それまでは反撃も許されないのだ。
「……難しいな」
はやいところアリストス軍が手を出してくれば、それを口実に逃げることができる。結果としてレーザー砲の射程外まで軍を移動させられるのだが、こうして膠着状態になっているとどうしようもない。
レーザー砲による被害を少なくするためには軍を散開させ、密集地帯をつくらないようにすればいいが、それにも欠点がある。
いざ逃げる段階になったとき、部隊が広がっていると伝令が追いつかないのだ。
そして固まっていない兵は弱い。アリストス軍に追いつかれたら各個撃破されるのは明らかだった。
「……ルア様」
一秒でも早く、ラングネ城を奪還しなくてはならない。
レンリルの想定以上に、戦況は思わしくなかった。
地下一階は半分が倉庫の役割を果たし、もう半分は災害時に大人数を収容できるようなただっぴろいスペースがある。地下二階よりもずっと広いのは、古代人がなにかの大きな兵器を収容するために使っていたからだろう。
その大部分は砂漠に廃棄され、いまも砂の下に埋まっている。
アリストスとラングネのあいだには砂漠地帯の発掘を禁止する条約が取り交わされている。レーザー砲のような危険すぎる兵器が埋まっているからだ。
だが、おそらくレーザー砲は砂漠以外の場所で発見されたのだろう。
砂漠の一帯はおたがいに監視の目が厳しく、自由に行動できないよう束縛されている。
「――ここはもっと人数が多いです。おそらく五十ほど」
大伴御行が報告する。
面積のわりに見張りが少ないのは、地下だということで油断しているためだろう。そういう意味では助かったといえるが、先ほどのように物影の多い倉庫とは違って、途中で見つからずに接近するのは容易でない。
「さて、どうしましょうかね」
城の見取り図はすでに地下基地でじゅうぶんに確認してきている。あとは敵兵の位置を把握して作戦を立てるだけだ。
レンリルは少し悩んだあと、数人の兵士とともに再び地下二階へと戻っていった。
どうやら作戦を思いつくと説明は後回しにしたくなる性格らしい。行動できることはすませてしまってから、余裕があるときに開設したいということだろう。
すこしの時間があって、レンリルたちはアリストス兵の恰好をして帰ってきた。
赤いマークの付いた兵装には、よく見ると転々と血がこびり付いていた。さきほど倒した兵士たちから剥ぎとってきたものなのだろう。
死体の装備を奪うなどという行為は、あまり気分のいいものではない。
ためらいもなくそれを決行したレンリルは平然とした様子で、兵士たちに命令を出している。かぐやは胸の奥でもやもやした感情が生まれるのを覚えた。
「さすがに全員の顔を覚えているってことはないでしょう。オレたちがうまく地上階への入口をふさぎますから、頃合いを見て突撃してください。――途中で正体がバレたら、その時はさっさと頼みます」
レンリルはそう伝えると、単身さっさとアリストス兵の群衆へ混じっていった。
「……すごいですね」
大伴御行がつぶやく。
「なにがだ」
かぐやが訊いた。
「あっという間に気配が消えてなくなりました。私でも注意していなければ感じ取れないくらい完ぺきに、殺気も気配も失せています」
「ふつうの人間には難しいことなのか」
「目の前にある物体を、なんの前触れもなしに消失させるようなものです。気付けばいなくなっていたといいますか――なにか特殊な訓練でもしたのなら別でしょうが」
きっと生きていくために必要な技能だったのだろう、とかぐやは思う。
レンリルは喧嘩に明け暮れ、生活してきたといっていた。ならば強者に目をつけられないよう身をひそめておかなければならない時期も多かったはずだ。
彼の言葉ほど、彼の人生は簡単なものではない。
きっと辛酸を舐めるような時代を過ごしてきたのだ。平凡な暮らしをしていれば決して身につくことのなかった技能を手にしながら。
「かぐや様」
大伴御行が小声で呼びかける。なにかためらったような口調だった。
「こんな時に伝えるべきことかどうか私には分かりませぬが、かぐや様はレンリル殿をどう思っていますか」
「この窮地を救えるのはあやつだけだろう。おまえたちと同じくらいに頼れる男だとわたしは思っている」
「――たしかに、そうかもしれません」と大伴御行はいった。「ですが私にはなにやら裏があるように感じられて仕方がないのです。ラングネ国を救済するためというよりは、もっとほかの目的があるような。得体のしれぬ不気味さを覚えずにはいられません」
「……レンリルが裏切るとでもいうのか」
「少なくともこの戦いが終わるまでは、かぐや様を失望させるようなことはしないでしょう。問題はその後かと」
「ならばいま思案することではないだろう。おまえの心配もわかるが、ラングネを救うつもりでなければ反乱軍を率いてわたしたちを助けにくることもなかったはずだ。それに――」
とかぐやは大伴御行の肩を叩く。
「いざというときにはお前たちが守ってくれるのであろう?」
「――はい」
力強く大伴御行がうなずき返す。
かぐやは微笑すると、レンリルの次にアリストス兵の集まりへ紛れこもうとする兵士の行方を見守った。問題なくその場の空気に解け込んでくれればいいのだが。
敵の恰好をしたラングネ兵士は、すこしぎこちない動きをしていたが、なんとか勘づかれることもなく潜入に成功した。続いてひとり、ふたり。
作戦はゆっくりと進行していた。
待っているあいだにサントのことを考える。いまはどうなっているのだろうか。城内の兵が少ないところをみると無事に敵をおびき寄せることには成功したようだが、そのあとまで保障されているわけではない。
判断を間違えればサントといえど無事ではいられないかもしれない。
少しでも早くラングネ城を制圧しなければならないのだ。しかし、レンリルは慎重を期した作戦を選んだ。それがもどかしかった。
「……まだかよ」
後方に控えている石上が苛立ちながら歩きまわる。
あくまで物音を立てないように動きまわっているが、ときどき我慢できなくなって階下へ赴いて叫んでいた。焦りは全軍に共通した認識だった。
「落ち着け。ここで失敗したら元も子もないのだぞ」
「わかってるけどよ。悠長に構えすぎなんじゃねえのか。ばっとやってばっと倒しちまえばいいだろうが」
「それで事が片付くなら誰も苦労はしない。レンリルを信じるしかあるまい」
「けっ」
舌打ちをして石上は地面に座り込んだ。
「おれはもう寝るぞ。終わったら起こしてくれ」
「わかった」
それは我儘でもなんでもなく、石上なりの対処法なのだろう。不器用ながらも心を整えようとしているのである。かぐやもそれを理解していたから、あえて文句をつけることはなかった。
大伴御行とともに物影からレンリルの様子をうかがう。
遠すぎてレンリルはどこにいるのか判別がつかない。たとえ近くにいたとしても、完全に雰囲気を同化させているので、感知できるかどうか怪しいものだ。
「――かぐや様」
「どうした」
「レンリル殿の気配がわかるようになりました。おそらく、これが合図なのではないかと」
「あやつめ、なかなか考えたものだな」
自分の特徴をよくわかっているということだろう。
それと同時に大伴御行の能力も把握している。戦術眼はやはり目を見張るものがある。
「みなに攻撃を準備するよう伝えてくれ。なるべく近くまで忍び寄るぞ」
突入隊は身体の大きすぎる石上を残して、そろそろと倉庫となにもないスペースの境界線にまで移動した。剣を抜く。青い刀身が姿を現した。
「――いまだ」
いっせいにラングネの兵士たちが走りだす。
すぐさまアリストス兵がそれに気づいて、上階へと報告しに行こうとするが、入り口を封鎖していたレンリル達が一刀のもとに切り捨てた。
これが効果的だった。
アリストス兵たちはだれが自分の味方なのか判別がつかず、右往左往しているうちに、ラングネ兵の波が押し寄せてきてしまった。
背後と全面から挟撃されては成す術もない。ひとり残らずアリストス兵を打ち倒すまでに、そう時間はかからなかった。
「ご苦労さまです」
レンリルがかぐやの元へ駆け寄ってくる。
おそらくいまの戦いで一番多くのアリストス兵を斬ったのはレンリルだっただろう。乱戦はお手のものというような立ち居振る舞いで、流れるように剣を振るっていた。
「次はいよいよ一階だな」
「ええ。おそらく今のようにうまくはいかないでしょう。敵を全滅させるのではなく、やり過ごすことも視野に入れながら進軍しなくては」
レンリルはあたりをきょろきょろと見まわした。
「力自慢の勇者様はどうしました」
「あちらで眠っている。いま起こしに行かせているところだ」
「らしいやり方ですね」
声をあげて笑うレンリルを見ていると、先ほどまで抱いていた掴みどころのない気持ちがすうっと引いて行くのがわかった。レンリルは信頼できる人間だ。
サントだってレンリルを信用していたではないか。
それに、悪意のある人間がこれほどまでに人を惹きつける力を持っているはずがない。かぐやは自分を納得させると、大きく息を吸い込んだ。
血なまぐさい、鉄の匂いがした。




