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かぐや姫の帰還

「総員、陣を構えよ! 第一部隊は右翼へ、第二部隊は左翼へ。第三部隊は中央、第四部隊は予備隊として後方に控えろ。作戦は伝えてある通りだ――敵が出てきたら撤退すると見せかけつつ、退いて間延びしたところを逆襲する。こちらにはルア様と勇者様がいらっしゃるのだ、我々の敗北はない!」

 サントが声を張り上げて陽動部隊を鼓舞する。

 かぐやと勇者に影武者を立てているのは、兵士たちには秘密にされていた。

「敵をだますにはまず味方からってね」

 というレンリルの方針に従ったものだが、幸いなことにまだ誰も疑ってはいないようだった。作戦にしてもそうだ。本当は深刻な被害の出るまえに撤退するのがレンリルとの打ち合わせだった。それでは士気が下がるだろうということで、適当な反撃を予定に組みこんであるのだ。

 兵士たちをだますことには抵抗があったが、それも国のためだと言い訳する。

 嘘も方便だ。

 馬鹿正直に物事を進めて、それでうまくいかなければ本末転倒というものだろう。サントにはなかなかできない発想だが、レンリルはいとも簡単にアイデアをひねり出してくる。

 こればかりは素直に感心せざるを得ない。

「――これでもかというほどアリストスのやつらを挑発してやるのだ。城のなかが空っぽになればなるだけルア様たちの負担が減る――。おとり役という泥にまみれた仕事でも、必ず成し遂げてみせよう」

 ひとり決意する。

 手筈通りにことが進んでいれば、あと数時間もすればかぐやとレンリルたちが城内に突入し、敵将を討ちとっているはずだ。

 いまの自分にできることは少しでも敵の注意を引きつけること。

 攻めるのが苦手なのは自覚している。それは死んだ軍部隊長が得意としていたことだ。釣り合いのとれるようにと副隊長に任命されたが、彼の背中を見ていて気付いたことがある。

 しょせん、必要なものは勇気だ。

 敵に向かっていく勇敢さと、誰かのために命をかけたいという信念と、死を恐れない度胸こそが攻撃の肝なのだ。臆病な小動物のように、巣にこもってばかりでは、勝てない戦もある。

「やるしかない、か」

 一世一代の芝居を演じきれるか。

 サントの長い生涯で、もっとも緊張した戦いの幕が切って下ろされようとしていた。



「こちらです」

 兵士のひとりが指し示す先には、重厚なドアが取り付けられている。古代人のつくったものにしてはシンプルな、暗号認証もなにもないふつうのドアだ。

 耳をすませると沈黙がナイフのように突き刺さる。

 いまにもドアの向こう側で息をひそめていたアリストス軍の伏兵が飛び出してくるのではないかという不安がつきまとう。最悪の妄想はとどまることを知らない。

 もし、この作戦が読まれていたら。

 もし、サントの部隊と呼吸が合っていなかったら。

 もし、城内で全滅したら。

 もし、もし、もし。

「大丈夫ですって、オレの作戦を信じてくださいな」

 かぐやの陰った表情を察したのか、レンリルが朗らかな声をかける。

 その一言だけで、まるで父親の胸に抱きしめられているような安心感が満ちてくる。大伴御行や石上のときと同じ、信頼感。

 かぐやは深呼吸をして、ひとつ身を震わせた。

 視線が鋭くなる。

「いくぞ」

 少数精鋭の別働隊は、しずかにラングネ城へ舞い戻った。



 地下室はいままで通ってきた廊下とさほど変わりない明るさをしていた。

 うす暗いランプの下に、大小様々の荷物や備品が乱雑に散らかっている。おそらく城を制圧したあとにアリストス軍が目ぼしいものはないかと荷物をあさったのだろう。

 地下通路の入口が発見されなくてよかった。

 物音をたてないように足場には気をつけなければならない。一歩踏み出すのにも細心の注意を払いながら、大伴御行が先頭に立って敵の気配を探知する。

「――この階層にはすくなくとも十五人、というところでしょうか。いまいる場所からは離れていますが固まっているので、一人ずつ倒していくというのは無理かと」

「しゃらくせえな、さっさと殴りに行こうぜ」

 と意気込む石上をかぐやが制止する。

「おまえの役割は後方だ。もうしばし待っておれ」

 石上は親に怒られたような悲しげな顔をして、部隊の最後列へと歩いていく。

 倉庫のなかは物影も多く、敵の姿を直接視認することはできなかった。

「おそらく入り口で談笑しているものと思われますが……しとめ損なえば上階に報告するのは簡単でしょう。どうしますか」

「ここはオレの出番ってわけだ」

 レンリルが腕まくりをして、あごに手をあてながら考える。

 ここでグズグズしているようではサントの陽動作戦が無駄になってしまう。しかし、地下二階ごときで敵に見つかれば敵将を討つことはほとんど不可能になる。

「急がば回れってやつですよ――こういう時こそ慎重に行動しなくちゃならない」

「時間はあまりないぞ」

「わかってますって」

 レンリルは余裕そうな態度をくずさず、涼しい表情をしている。

 いまにもなにかアッと驚くような奇策を思いつきそうなくつろぎ具合だった。

「ちょっと気が乗りませんが」

 とレンリルはつぶやいた。

「御行さん、そのへんの荷物をすこしだけ燃やしてください。見張り番に焦げ臭いにおいが届くくらいに。そうしたら何人かがやってくるでしょうから、まずはそこを仕留めます」

 いうが早いや、適当な雑用品を集めてきて、倉庫のすみにまとめた。

 大伴御行を促しながら指示を出す。

「みなさんは角に隠れていてください。御行さんはやってくる敵の人数をきっちり把握して、オレに伝えて。その人数だけ、刺客を送ります」

「わかった」

 大伴御行が小さな炎を出現させると、周囲の兵士たちからささやき声の歓声が起こった。勇者の力を間近で見るのはこれがはじめての機会なのである。

 洞窟のように暗い倉庫のなかに、夕日のような赤が灯る。同時に黒い煙が、鼻につく匂いを運んで行った。

「口はおさえていてください、吸い込むとあとで動けなくなりますよ」

 レンリルが小声で忠告する。

 数分も経たないうちに、地下一階へとつながる階段の方角から話し声が聞こえてきた。どうやら異変を察知したらしい。いくつかの足音が近づいてくる。

「何人です?」

 レンリルがほとんど口だけを動かして尋ねる。大伴御行の鋭敏な聴覚にはそれでも充分だった。

「三人だ」

「了解。オレと御行さんと、もうひとり来てくれ」

 かぐやが出ていこうとしたのを遮って兵士のひとりが進みでた。誰を選んでもそれなりに腕は立つ。不意打ちで一刀のもとに切り捨てるくらいならば、かぐやの手を汚すまでもないという判断だった。

 なんだどうしたと話しながらアリストス兵が近付いてくる。

 火に映る長い影を隠し、レンリルたちは息をひそめる。呼吸音でさえも相手に気づかれてしまうような不安。心臓の鼓動がやけにうるさかった。

「ぼやだな、こりゃ」

 という誰かの声がくっきりと聞こえた。

 その瞬間、大伴御行が腕を上げる。それが合図だった。

 腕利きの三人がいっせいに物影から飛び出ると、アリストス兵の首を切り落とした。声を立てられないようにするにはそれしかなかったのだ。

 力なく倒れこんでくる身体を抱きかかえ、ゆっくりと地面におろす。

 これで三人。

「この調子でいきましょう。なかなかお見事です」

「……ええ」

 レンリルが声色をかえて「おーい、誰か水を持って来てくれ」と呼んだ。

 入口付近から返事が戻ってくる。

 かぐやの心に一つの疑問が浮かんだ。

「火事など起こったら報告するのではないか?」

「だれだって自分の持ち場で落ち度があったことを認めたくはないもんです。隠せることなら黙っておいた方が得ってやつですよ。だから大事にならないかぎり、バレはしません」

 よく考えられている。

 敵の心理を読むのも戦術のうちだというが、レンリルはまるで当人であるかのように成りきって見せる。この腕前は竹取の翁を超えているかもしれないと、かぐやは思った。

 大伴御行がふたたび人数を確認する。今度は四人。

 血痕を見られないように、より近づいた場所で敵を待ち伏せする。先ほどと同じように鮮やかな手際で、アリストス軍は喋らぬ人形と化した。

「おっと!」

 レンリルが、敵の持っていたバケツをあわててつかむ。

 落ちていれば勘づかれたかもしれない。間一髪のところだった。

「こいつで火を消してきて下さい。万が一火事にでもなったら面倒ですから」

 兵士の一人にいいつけて消火する。

 ふたたびうす暗くなった倉庫には、すでに七つの亡骸がおかれている。残りは八人。レンリルは大伴御行だけを呼んだ。

 なにやらふたりだけで打ち合わせをし、忍び足で大伴御行はどこかへ向かった。

 今度は少人数でなく、炎使い以外の全員を物影に待機させる。

「オレが合図したらいっせいに飛び込んでください。狙う個所は気にしなくていいです。とにかくこの階層を制圧します」

 レンリルが説明する。

 数秒後、見張り番をはさんで反対側に火の玉が上がった。矮小な太陽のように光り輝く球をながめる暇もなく、レンリルが合図を送る。

「いまです」

 大伴御行の光球に気を取られ、背を向けているアリストス兵たちを背中から切り捨てる。あっ、という小さい悲鳴はしたが、階段をのぼっていくことはないだろう。

 力なく倒れこんだ遺体を気にかける様子もなく、レンリルは地下一階へと続く階段を見上げた。

「さて、次に行きましょうか」


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