トンネル
サントが軍勢を率いて基地を出発したのは早朝のことだった。基地のなかにはかぐやたちと、選りすぐられた腕の立つ兵士たち数十名が残っているだけだ。
大軍が移動するには時間がかかるので、本隊と別働隊はすこし時間をずらして出発する手はずになっている。
めっきり人の少なくなった基地内はなんだか寂しげな哀愁を漂わせていた。
備品や装備はサントの部隊がすべて持っていってしまっているので、もうほとんど何も残っていない状況だ。かぐやは数少ない携帯食事をとりながら、ふたりの勇者たちと打ち合わせをしていた。
そのそばにはレンリルもおり、ほかの兵士たちは別室で待機している。
「おまえたちに王城の見取り図を説明しなければならないな。まず、地下基地の通路は王城の地下――主に倉庫として使われているところだが――そこに通じている。わたしたちはここから侵入して、最上階にある玉座を狙いに行くのだ。途中には入り組んだ廊下などもあるが、少人数ならばあまり問題でないだろう。もともと大軍を阻止するためにつくられたものだからな。敵将は玉座にいるだろうが、ここに行くのに小細工は通用しない。敵を正面突破するしかないのだ」
「上等じゃねえか」
石上が相槌を入れた。
「途中の敵は、なるべくならあまり交戦したくないところだ。この作戦の肝は、敵将を討つまでの迅速さだからな。あまり雑魚にかまっている暇はない」
「では、放っておきますか」
大伴御行がきく。レンリルは首を横に振った。
「最後の最後で背後をとられたりしたら厄介だからな、あんまり無視しないでほしいもんです。気取られないところまでは少しずつ数を減らしていって、喉元まで迫ったら一気に討ちとるのがベストだな」
「レンリルの言う通りにしよう。地下に敵はいないだろうが、各階層の敵を一人ずつ討ちとっていき、本格的に遭遇したら突破し、敵将を討つ。そのときはふたりとも、頼むぞ」
「おうよ」
「お任せください」
ふたりの勇者たちは力強くうなずいた。
「それまで石上は、後方でなるべく見つからないよう物影に隠れていてくれ。おまえがいると色々と潜入作戦をしづらいのでな」
「ちぇ、おれだけ仲間はずれかよ」
「そういうわけでもないですよ」とレンリルが石上をなだめる。「殿が頼れるからこそ、安心して進めますからね。それに最後の突入では主役になってもらいますんで、そのつもりで」
「それならいいんだ、この石上様に任しておけ!」
どんと胸を張る石上を、かぐやは冷たい視線で見つめる。まったく単純な男だ。それだけに信頼できるのではあるが。
「大伴は最前線に立って、敵がどこにいるか探知してくれ。戦いは二の次でもいい、とにかく敵の居場所を把握することが最優先だ」
「――わかりました。そのようにしましょう」
「案ずるな。最後にはおまえにも活躍してもらうことになる」
大伴御行はここ数日、ひとりでなにやら特訓をしているらしかった。その成果を見てみたい気はするが使いどころを間違ってはいけない。大伴御行の能力はやや特殊なため、それを最大限に生かすためにはレンリルの知恵が不可欠だった。
かぐやは三人の男たちの顔を見まわすと、机に乗せられた地図を丸めた。これで作戦会議はお終いだ。
「そろそろ時間だな」
「さて、行きますか」
レンリルが立ち上がる。
別室に待機していた兵士たちを呼び集めると、基地の深部にあるドアの前へ集結する。
「覚悟はいいな」
とかぐやは聞いて、ノブをひねった。
地下通路を見るのは初めてだった。細々とした蛍光灯がトンネルのずっと奥にまで並んでいる。電気の供給源はおそらく地上にあるのだろうと推測する。古代人の技術はやはりすごいものだ、と改めて感心した。
暗い通路はひんやりと肌に触れてきた。
人を三人並べられるくらいの横幅の通路が、果てしなく続いている。どのくらい奥までこの無機質な空間を行けば王城にたどり着けるのだろう。
サントたちがこの道を通って戦火から逃げて来た時のことを想像する。きっと心が折れそうになっていたにちがいない。地球も太陽もない、星よりも頼りない光だけが灯火のここでは、希望を見出すことなんてできない。
心臓の鼓動が速くなって幾を体の内側から感じる。
自分の足音が反響して、鬼ごっこのように逃げていく。
かぐやはレンリルに話しかけた。すこしでも寂しさを紛らわせればいいと思った。
「……レンリル」
「なんです?」
「お前はどうして騎士団に入ったのだ」
感じの悪い質問だとはわかっていたが、ほかに話題が見当たらなかった。石上でも大伴でもなく、レンリルを話し相手として選んだのは、なんとなくとしか説明しようがない。
この男のことをもっと知りたいと思ったのかもしれなかった。
「そりゃ、どこかで働かなくちゃいけませんからね。幸い、剣の腕も立つし、戦うことは嫌いじゃなかったんで、騎士団もいいかなって」
「理由はそれだけか?」
「そんなとこです」
「親の職業を継ごうとは考えなかったのか」
一瞬、レンリルの表情に陰りがさしたような気がした。
トンネル内の照明の関係による錯覚かもしれなかったが、かぐやの眼にはそう映った。
「オレの父さんはなんの変哲もない商売人でしたからね。あんな退屈そうなものを継ぐつもりもなかったし。それにオレがまだ子どものころに死んじまってからは、店もたたんであったし」
「――悪いことを聞いたな」
レンリルの見せた寂しげな表情の理由はおそらくこれだろう。自分の親が死んだことなんて間違っても面白い話題ではない。
かぐやは軽率なことを口走ってしまったことを後悔しながらも、続けた。
「同じ立場だというつもりはないが、わたしの父親も死んだ。ついこの前のことだ」
「――国王様の訃報はオレもショックでした」
「だからおまえの辛さも、すこしだけかもしれないが理解できる。悲しいとはまた違う感情かも知れないな、これは。喪失感というほうが正しいか」
「ルア様は母親も亡くしてるんですよね」
レンリルがつぶやくようにいう。
かぐやの母親は、娘を生むと成長を見届けることなく死んでしまった。もとから体が強かったわけではないが、出産を経て体調を崩したのが原因だった。
王妃の死は、ラングネ国の国民ならばだれでも知っていることだ。だからレンリルがそのことを口にしてもなんの不思議もなかった。
「あまり記憶はないがな。綺麗な人だったとは覚えている」
「ルア様は、母親のことを愛していますか?」
レンリルが発したのは直接的な質問だった。
かぐやはすぐさま首肯する。
「ともにすごした時間は短くとも母親だからな。きっとわたしを愛していてくれたにちがいない。だからわたしも母のことを大切に思っている」
「もし、その母親が自分の子どもを嫌っていたとしても、ルア様は母親を愛せますか?」
かぐやはレンリルの瞳を見つめ返した。そこにあるのは冗談でもなんでもなく真剣なまなざしだった。
うす暗い通路では、小さな声でもよく響く。
かぐやの返事は、すこし時間が経ってからだった。
「難しいが、きっとわたしはその人を愛するだろうな。子どもを愛さない親などいない。わたしは地球でそのことを教えられた。血はつながっていないが、わたしを本当の子どものように可愛がってくれた人だった」
「……そうですか」
レンリルはほっとしたような声でいった。
「ルア様はオレといっしょなんですね」
「――お前も両親がいないのか」
「厳密にいえば、母親がどっかへ行っちまってるんですわ。父親が死んでから数年後のことだったけど」
行方不明ということだろう。
母子家庭は経済的に苦しく、母親が自分の子供を虐待してしまうことも珍しくないと聞く。レンリルもおそらくその一人だったのだろう。いまのラングネにはそういった家庭を支援する制度もなく、親を失った子どもが生きていく術はほとんどない。
「それまではひどい生活でした。殴られる、蹴られるという体罰は当たり前、ご飯もろくろく食べさせてもらえなくて。オレは家に引きこもってボードゲームばっかりやってましたね。たった一人で。それしか精神的に生きていく方法がなかったから」
「辛い思い出だったのだな」
「まあ、それもまだマシな方でしたよ。母親がどこかの男と一緒になったのか、オレの前から失踪してからというもの、死に物狂いでいろんなことをやりました。俗にいう悪いことってやつもたくさん。人に悪く思われないための行動なんかも覚えました。気にいられなきゃ生きていけなかったから」
きっとかぐやの想像も及ばぬ世界で生きてきたのだ。
王城のなかで家庭教師をつけられ、次期王女として期待されていたかぐやと、死の瀬戸際で生活してきたレンリルとでは、あまりに環境が違いすぎる。
「ある時、騎士団があるって話を聞きました。あそこなら寮もあるし、食べるものに困ることもないって。その時のおれは痩せっぽちだったし、戦いといえばせいぜい急所を守ることくらいしか出来ない弱虫だったから、どうにか鍛えないと入団できないって思ったんです。それからは通りで拾った木の棒を片手に、いろんなやつらに喧嘩を売りに行きました。最初の方は力だけじゃ勝てないことも多かった。だから考えた。どうしたら効果的に勝てるのか」
せきを切ったように喋るレンリルの声は淡々としていて、どこか懐かしむような音色さえあった。
「奇襲でもなんでもかまわない。どうしても勝てないときにはグループを作って襲いに行きました。喧嘩に明け暮れるやつらなんて探せばはいて捨てるほどいますから、敵には困らなかった。そのうち気付けば大きな集団ができてて、オレはそのリーダーになっていた。個人的にもオレに勝てるやつはいなかったし、集団戦になればもはや無敵といってもよかった。そのくらいになれば食う物なんかに困りはしないんだけど、オレは騎士団に入ることしか頭になかったから。とにかく強くなるしかないと思ってた」
かぐやは静かにレンリルの話す言葉を聞いていた。
両親を失った境遇が似ているというだけでない、壮絶な人生を歩んできた男が目の前の人物と重ならないような気がしていたからだ。
いくつもの死線をくぐりぬけてきたとは想像もできなかったが、ときおり見せる彼の鋭い瞳が、人生を物語っていた。それを無理やり心の奥にしまいこんで、笑っていられるレンリルがすごいと思った。
「入団試験ってやつには困った。筆記試験があったから。オレは字を読むことはできたけど、喧嘩ばっかりしてきたから常識なんてものはなくて、勘で答えるくらいしかできなかった。それでも実技試験じゃダントツだったし、現役のやつらにだって負けてなかった」
入団試験は筆記と実技のふたつによって行われる。
片方の成績が悪ければ、採用されることは少ないというのが慣例だった。どちらも騎士に必要な要素だと考えられているからだ。
「まあ、当然のことながら筆記試験はぼろぼろだったんだが、あまりに実技試験の成績がいいってことで面接があったんだ。そのときの試験官がサント副隊長で、そのころはまだ副隊長じゃなかったけど。とにかくオレは愛想よく接したわけだ。で、運よく入団はできたんだけど、副隊長にしばかれるわ、言葉遣いは注意されるわで、なかなか昇進できなかったんだ」
能力があっても上にいけない人間はいくらでもいる。
それは上司に気に入られていなかったり、運が悪かったり、本人の性格に問題があったりするのだが、レンリルの場合はおそらくサントのせいであろう。
周りの地盤をすべて固めてから行動を開始するサントは、レンリルがぽんぽんと出世していけばどこかで反感を買うにちがいないと思ったのだろう。それを危ぶんでレンリルを引きとめたのだ。
「そうしてグズグズしてたら戦争が起こって、オレが行くまでもなく終わってしまった、というわけだ」
「――ずいぶんと運命に翻弄された人生だな」
どのようなことがきっかけで人生が変わるかなんてだれにも分からないが、レンリルのそれは常人よりもずっと波乱にまみれている。
かぐやは素直な感想を述べた。
「ずっと苦しかったのだろうな」
「――いまもまだ、苦しいですけどね」
「え?」
「いや、気にしないでくださいな。オレは今日も元気ですから」
から笑いをして誤魔化そうとするが、かぐやはレンリルがぼそりと漏らした本音こそが、率直な気持ちなのではないかと思った。いまもまだ、苦しい。
笑いながらもレンリルはそれ以上質問するなというニュアンスをまとわせている。
「ところでルア様は、あのお二人の勇者のどっちが好みなんですか」
話題をかえてレンリルが口元を寄せてささやく。
どうやら石上と大伴御行が月に来た動機は、サントをはじめとした人々に広まってしまっているらしい。かぐやは気苦労の乗ったため息をはきだす。
「いまはそんなことを考えている場合ではない。ラングネの復興が終わってから、ゆるりと検討するさ」
「でも、ここまでいっしょに旅をして来たわけでしょう。ふたり同時にめとるという手段もないわけじゃありませんが、ルア様のことだから本命に絞りそうなもんです」
「わたしの性格を邪推するでない。どちらにも長所があり、欠点もある。どちらか片方などと絞れるわけではないし、そもそも恋愛対象でもないからな」
「いまは戦友ってことですか。男女ってやつは危険な場面をともにくぐりぬけると、より深い愛情で結ばれるものらしいですけどね。ほっと一息ついたときには、惚れていたみたいなこともあるかもしれませんよ」
「知ったことか。レンリルこそ想い人のひとりやふたりはいるだろう」
「いませんよぉ、そんなもの」
「恋人や婚約者もか?」
「もちろん」
意外だった。
レンリルほどの男ならばいくらでも女性が寄って来ることだろう。それに加えて騎士団ならばなおさらだ。社会的地位も給料も約束されている騎士団は、それだけで結婚できるといわれているほど有望な職業なのだ。
そのため騎士の多くは家庭を持ち、戦っている。これまでは大きな戦争もなく実戦で命を落とすようなこともなかったため、騎士団はラングネ国内でもっとも人気の高い職のひとつだ。
「オレなんかじゃちっともモテませんからね。向こうから願い下げってわけですよ」
「嘘をつけ。なにか女を避ける理由でもあるのだろう」
「――じつは」とレンリルは声をひそめる。「オレ同性愛者なんですよ」
「くだらん冗談はよせ」
「本当ですってば。サント副隊長とも恋仲で――」
自分で言ってるうちに可笑しくなってしまったらしくレンリルは途中で吹きだした。かぐやもつられて笑い声をもらす。想像しただけで気色悪い光景だったが、それだけに面白い。
ほかの兵士たちが何事かと不審げな視線を向けるが、かぐやとレンリルは屈託なく笑った。
暗いトンネルのなかで、見えない何かをはじき飛ばそうとするかのように。