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窮地

 敵が第三防衛線にまで迫ってきたというニュースはすぐさまかぐやの耳にも伝わってきた。もはや後退できるだけのスペースはない。ここを落とせば一縷の望みさえも、竹を折るようにポキリと乾いた音を立てて消え去ってしまう。

 もはや指令室にたてこもっていても仕方ないと判断し、サントのいる作戦本部まで足をのばそうと決める。

 その前に石上の寝ている病室へ向かい、最後になるかもしれない声をかける。奇跡を信じるには、石上の様子はあまりにも頼りないものだった。

 病室にいたはずの患者はとくに重傷なものをのぞいてすべて戦場へ駆り出されている。ここで負ければどちらにせよ命はないのだ。

 医者たちは自分で動くこともできないような重症者を率いて地下基地の最深部に身を潜めていた。ここまで敵が到達するようなことがあっても、戦えるものがいなければ命を奪われることはないだろう。

 三人がかりで石上の眠るベッドが運ばれていく。かぐやは無表情にそれを見送ると、サントの元へと急いだ。

「ルア様、ここは危険でございます。後方へお下がりください」

 サントはかぐやの姿を見るといさめるような言葉を吐いたが、それも本気ではないようだった。彼も状況を理解できていないわけではない、形式だけの制止だった。

「これより後ろはどこも同じようなものだ。それよりも正直なところを話してくれ。この軍は持ち直せるのか」

「――申し訳ありません」

「はっきり申せ」

 かぐやが苛立った口調で詰問する。

「ここまで来てしまってはもう、時間の問題かと」

「勝利はありえぬのか」

「……残念ながら」

「そうか。ならば仕方ないな」

 かぐやは腰の剣を抜くと、しげしげとそれをながめながらサントへいった。

「軍をまとめるのだ。一塊になって外へ脱出するぞ」

 軍部副隊長は顔色を変えて首を横に振る。

「不可能でございます。この基地の構造上、敵中を突破して行くならば全滅も辞さない覚悟が必要です」

「ならばこのまま勝ち目のない抗戦を続け、勝てる見込みはどのくらいあるのだ」

「それは……」

「よく聞くのだ、わたしはなにも死に急いでいるわけではない。わたし自身が生き延び、ラングネ国を再建できる最善の手段を探しているのだ。たとえそれが修羅の道だったとしてもわたしは臆することなくその道を進んで見せる」

 サントの両目をじっとのぞきこむ。

「さあ、決めてくれ。わたしとともに地獄のふちまで供をするか、それともこの場で死を選ぶか」

 すっと身を引き片膝をついてかしこまるとサントは、はるか昔から伝わる騎士の作法にのっとって、自らの主に忠誠を誓った。

 最後に剣を高々と掲げて、かぐやの名を猛々しく叫ぶ。その声がこだまのようにラングネ軍の兵士たちに伝播し、ルア様、ルア様、という大合唱が異様なまでの雰囲気に包まれて響き渡った。

「この身が朽ち果てるまでルア様について行きましょう」

「おまえの命、このわたしがしかと預かった」

 かぐやはすぐさまサントの周囲にいた兵士たちを呼び集めると、それぞれに指示を与えて自らも前線へ向かって駆けだした。そして目的の大伴御行の近くまでやって来ると、耳元に口を寄せてささやく。

「いまから決死隊を結成し、敵中突破を図る。そのためにはおまえの力が欠かせぬのだ」

「地球にいるときからずっとそうでしたからね、強引な作戦にはもう慣れましたよ」

 減らず口をたたく大伴御行は疲れた様子も見せず、冗談をかます。かぐやは勇者の頬を小突いてから、

「力強い限りだな」

「ええ、なにせ勇者ですから」

 ふたたび後方へ戻る。

 作戦はすでに頭のなかに浮かんでいた。守るときのアイデアはサントのほうがはるかに多く有しているが、攻めるときのバリエーションならばかぐやも引けを取らない。

 ひとそれぞれに得意な分野があり、かぐやにおいては攻撃こそがもっとも性にあっているようであった。

「ワンパターンかもしれぬが作戦は単純だ。大伴御行の炎によって活路を開き、そのうしろから一気にたたみかけて突破する。敵を切り捨てる必要はない。ただ駆け抜けるのだ」

「全員にそのように伝えましょう」

 アリストス軍に作戦が漏れないよう、伝令兵がひとりひとりに声をかけてまわっていく。その作業が終わったときこそ、作戦開始のときだ。

「合図は大伴の炎によって示す。ひたすら直進しかしないだろうが、スタートの合図だけは統一するぞ」

「最終目標はどこにいたしましょう」

「――包囲網をつきぬける。その後は各地の反乱軍に合流し、戦力が整うまでまともにぶつからないよう気をつけよう」

「壮絶な旅路でございますな」

 すでに覚悟を決めたサントが苦笑しながらつぶやく。

 この勝負が成立するかと聞かれれば、賭博師のほとんどはアリストス軍が勝利するほうへ賭けるだろう。もしもラングネ軍が勝利を収めるようなことがあれば、大穴をねらった真の勝負師だけが途方もない金額を手にすることになる。

「石上は心苦しいがここへ置いて行く。いまあやつを連れていくだけの余裕はないからな。途中で目覚めるようなことがあれば、牢を破ってでもわたしを追いかけてくるはずだ」

「大伴様はどういたすのですか」

「すまないが誰かが背負って移動してやってくれ。本当ならば石上の仕事なのだが、眠っているのでは仕方ないからな」

 大伴御行が聞いたら嫌がりそうな提案だ、とかぐやは思う。

 ひょうひょうとしているようでプライドの高い男であるから、石上に背負われることでさえ相当の恥辱を感じていたはずだ。それを理性で押さえこんで最善の手段を選べるのは、さすがというほかない。

「……では、そろそろ参りましょうか」

「ああ。――後悔はするなよ」

「もちろんでございます」

 合図は突然だった。

 大伴御行が絶妙なタイミングで、それまで敵を分断するために使っていた炎を突撃隊の前方へ張りつけ、アリストス軍が散開したところを一気に走り抜ける。

 当然ただで通させてもらえるはずもなく、側面から無数の剣が命を刈り取ろうと触手を伸ばし、ラングネ軍はそれを避けつつ進む。途中で身体を切られた兵士が絶叫しながら脱落する。それを振り返っている暇さえない。ほとんどの兵士が涙を流しながら叫んでいた。

 かぐやもあらん限りの大声を上げながら走る。足がもつれそうになるのを必死にこらえる。目の前を赤い閃光がよぎるが、とっさに剣を正面に構えて受け流す。

 反撃に転じることはできない。

 先ほどの剣はすでに後方にある。かわりに誰かが切られているのかもしれないなどと考える余裕は塵ほども残されていない。

「ルア様、あまり離れすぎないようになさってください!」

 すぐ前方を走るサントが忠告する。

 相次ぐ攻撃によって少人数の突撃隊といえど一人ひとりの距離が離れはじめている。突破力とは団体だからこそ発揮されるものであり、個々に分割されてしまってはなんの意味も持たない。

 すぐさま囲みこまれせん滅されるのがただ一つ用意された未来だ。

「大伴は無事か!」

 かぐやが叫びかえす。

 前方の炎はまだ消えていない。

「ここにいますよ」

 どこからか声が聞こえてくる。

 大伴御行は補助に専念するためかぐやとは離れた位置で兵士におぶわれながら移動している。かぐやを守ることは、いまの彼の仕事ではなかった。

「火力を最大限にするのだ! このままでは包みこまれるぞ」

「先頭が離れすぎててうまく調整できないのです、もう少し近づいてくれれば可能ですが」

「ならば走れ、道を切り開くのだ」

 無茶な要求だとはわかっていたが、もとをただせばこの作戦自体が絶望的なまでに無茶なものなのだ。その上で多少のわがままを言ったところで大差ないだろう。

 大伴御行を乗せた兵士は、鞭を入れられた馬のように速度を上げ、あらん限りに叫びながら全力で走っている。ラングネ軍でも特に足の速い、屈強な兵士だが、その額には滝のような汗が流れていた。

「もうすぐ入口を突破します」

 サントが大声をあげて伝える。

「まだそんなものか!」

 見渡すと当初の兵士たちの姿はほとんどなく、風にちぎられた雲のように小さな塊へと変貌していた。まわりにいるのはわずかに数十人。もはや敵と味方の区別をするまでもない。

「ここから敵はもっと増えますぞ」

「こうなれば百も千も同じことだ、誰が気にするものか」

 もうやけくそだった。

 人間は死のふちに追いやられると逆に冷静さが増してくるものらしく、いつになく敵の小さなしぐさまでよく見えている。剣がどのタイミングでおそってくるのか、本能的に感じることができる。

 周囲のものがスローモーションで流れているのに自分だけは素早く、まるで風にでもなったかのように感じる。もうなにも考えられない。ただ走り抜けることしか頭に浮かばなかった。

 走れ。

 生きろ。

 短い単語があらわれては消えていく。

 ふと大伴御行と石上の顔を思い出す。それからクレアとじい、続いて父親と母親。

 笑っているわけでも、怒っているわけでもない、自然な表情。かぐやが剣をふるうと残像とともにアリストス兵が倒れこんだ。

 目の前にいた味方の兵士が崩れ落ちる。

 遺骸を飛び越え、走る。

 先は見えない。人の壁が果てしなく広がっていた。

「うあっ!」

 大伴御行を背負っていた兵士が、右足を切りつけられ、激しく転倒する。

 その勢いで、鳥が飛ぶように浮き上がった大伴御行の身体は、ゆっくりと地面へ近づいて行く。

「拾えっ、サント!」

「ずいぶんと――よく跳ねるものですな」

 満身創痍の身体が地面にたたきつけられようかというとき、サントの両手が大伴御行の服をつかんだ。かぐやたちを導いていた炎はもう消えてしまっている。

 巨大な壁に激突したかのように兵士たちの足が止まった。一度止まってしまった勢いを、再び戻すのは困難だった。

「……ルア様」

 サントとかぐやは背中合わせに包囲網を見つめる。

 ラングネ軍の兵士はわずかに数人を残すばかりだ。耳鳴りのような怒号が飛び交っている。大勢の足音が聞こえてきた。

「どうした、サント」

「……いえ。なんでもございません」

「そうか」

 言いたいことはわかりきっていた。

 それを口にだしてしまえば、もう奇跡を起こすことはできないだろう。だが、不思議とかぐやの頭に絶望の色はまったくなかった。

「大伴、生きているか」

「ええ。いまのところは」

 アリストス軍は最後の詰めとばかりにじりじりと距離をつめてきている。隙間などは存在しない。飛び出したところで幾多の剣をかわすことはできず、無残に殺されるだけだろう。

 死が怖いか、と聞かれれば迷いなく「いいえ」と答えることができるな、とかぐやは思った。それほどまでに心は落ち着いていた。――それは一種、あきらめの感情にも似ていた。

 その時、かぐやの目に映った光景は、まるで夢を見ているように実感を伴っていなかった。

「――え?」

 それは見慣れたラングネ国の鎧。

 途方もない数の兵士たちが、ラングネの旗印を掲げて、戦場をかき割っていた。

「――どこかで見たような光景だな」

 かぐやがつぶやく。

 サントも信じられないといった様子で目の前に起こっていることを見つめていた。盲目の勇者が、にやりとほほ笑む。

「力強い味方ですね」

「おまえ、気付いていたのか」

「基地のそとへ出たときに、多すぎる気配を感じましたもので。ひたすら味方らしきもののいる方へ先導していましたところ、うまい具合に合流できましたね」

「油断も隙もあったものではないな」

 かぐやは、ふう、と大きくため息を吐きだした。

 途端に足の力が抜けて、膝が震え出す。体力の限界を超えていたためか、それとも恐怖のためなのかは、判別がつかなかった。

 どちらにせよひとつだけ確実な現実がある。

「ルア様は、正真正銘の奇跡を起こす姫様でございますね」

 サントが、まだ信じられないといったように茫然とした口調でいう。わずかに残っていた抵抗軍の兵士をかぐやの周りに配置すると、自らも地面に座りこんでしまった。

「どうやらわたしは悪運が強いらしいな」

「運も実力のうちといいますから。起きるべくして起こった奇跡ですよ」

 と、大伴御行が笑った。


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